第3章 異世界って感じじゃないんだけど

「面倒なのは元の世界と一緒だな」

 俺はコアの建造物を見上げた。

 いたって普通のビル。それに手続きもいたってオヤクショ的なシステムだった。

 まあ、最初の人外専門の部署は別にして。

 その後にまわされた居住登録の窓口は、元の世界の役所同様って感じだった。生田から窓口は別だからと案内され向かった先は、大勢の人でごった返しており、整理券を確保した上での順番待ちを余儀なくされた。

 ただ、生田からの口添えと事前連絡があったからなのか、事務処理はわりとスムースに進行したといえる。

 こちらの世界では、俺は十歳の女子として登録された。生年月日も本来の物じゃなく、新生暦千六百十二年七月二日――こちらの暦で今日の十年前――で登録されたのだ。

 ある意味、生まれ変わったような気分。

 こちらで人生やり直すのも、マジ悪くないかもな。

 駐車中の車まで来ると、里依紗と紫音は台車に積み上げたあびぬぎの角を車のトランクルームに積み込み始めた。

「これからどこに行くの? 」

 俺は里依紗に問い掛けた。

「薬屋よ。この角を売りに行くの」

「二人とも車で待っててくれ。台車を返してくる」

 紫音は、がらがらと台車を押しながら車から離れた。

「しーちゃんありがと」

 里依紗は紫音に声を掛けると車に乗り込んだ。

 俺もそそくさと再び助手席に乗り込む。

「りぃ、ちょっと聞いていいかな」

「何? 」

「新生暦って何? 俺達の世界の西暦みたいなものか? 」

「まあ、そんな感じかな。こっちの世界共通の暦だよ。しーちゃんの話じゃ、こっちの世界って、一度全人類滅亡の危機になった事があるんだって」

「まじか・・・それって、戦争か何か? 」

「分からない。ある時間軸の時点で、この世界に住む全ての生き物がリセットされたらしい。文化も、建造物も、そして歴史も。僅かに生き残った人々も、その記憶から過去に関する情報が全て消去されて、新たに文化を築き始めたのが新生暦零年。その時、人々を牽引したのが、夜叉と呼ばれる種族。「リセット」前の記憶を唯一保持していると言われてる」

「しーちゃんに聞けば教えてくれるのか? 」

「知らんて言われた。過去の記憶うんぬんかんぬんは噂でしかないから。多分本当に知らないみたい」

「ふうん。そういった調査とかはしてないのかな」

「していないよ。ていうか、関心を持つ人はいないらしい。この世界に歴史学はあっても考古学は存在しないし」

 何かふわふわした話で、よく分からないのだけど。

 でも何となく思うところがある。

 封印されているのだ。太古の人類の所業が。

 ここの世界の人々は何かとんでもない事をやらかしてしまったのだろう。

 恐らく、記憶にとどめていれば、再びこの世界を滅亡の危機へと追いやる可能性があるような、とんでもない事を。

 最後の審判――再生――新世界の始まり――ってか。なんか壮大なドラマの様な感じがする。

「待たせたな」

 程なくして、紫音が帰って来た。何やら手に大きな封筒を持っている。

「ハル、後でこれに眼を通しておくように」

 紫音は俺にぽんとその封筒包みを手渡した。

「何これ? 」

「居住の手引書だ。街から街へ移動して生計を立てているハンターや商人――つまり異邦の者がこの地での生活に困らない様に、コアで手渡してくれる」

「へえええ」

「それと教養テストもな」

「えっ? 」

 俺は思わず紫音を二度見した。俺の聞き間違いだったらいいんだけど、確かテストって言ったような気がするんだが。

「異邦の者で居住登録が無かったり、年少の者は必ず受けるんだ。まあ、最低限の教養があるかないかの確認な」

 半信半疑の俺を地獄の底に突き落とすかのように、紫音はさらっと宣った。

「まじか・・・」

 俺は固まっていった。

「封筒の中に参考書が入っているからよく読んでおくように。受験は居住届提出から一週間以内。ネットでコアのホームページに入って書き込めばいい」

「俺、パソコンねえし」

「りぃが持ってるよ。ビジネス用だが特別に使用を許可する」

 紫音の容赦の無い追い込みに、俺の中で反論の台詞が空回りする。。

「心配しなくていいよ。簡単だから」

 不安げにきょどる俺を、里依紗は眼を細めながら慰めた。

 そうか、りぃも受けているんだ。何なら答えを教えてもらえばいいか。

「回答は自力でな。りぃの助けは無し。もしカンニングがばれたら居住登録は抹消されてこの街から外へ放り出されるから」

 まるで俺の企みを見透かしたかのように、紫音は淡々とした口調で語った。

「合格点は? 」

「八割正解ならOK」

「以下だと? 」

「一定期間、基礎教育学校に通うことになる」

 しれっと答える紫音に、俺は言葉を失った。

 今更勉強なんてしたくねえし、学校もやだ。だって俺、その基本的な勉強が嫌で大学中退したようなもんなんだぜ。

「答えは教えられないけど、解き方とかは試験の前に教えてあげる」

 しょぼんとする俺を見かねたのか、里依紗が励ますように声を掛けて来る。

「ありがたや」

 俺は里依紗に手を合わせた。うれしいな。そのちょっとした心遣い。

「じゃあ、とりあえず車出すよ」

 里依紗は、ゆっくりとハンドルを切ると、駐車スペースから離れた。

 車を走らせながら、里依紗は俺の気を紛らせようと思ったのか、しきりに車窓の風景の説明をしてくれた。が、俺自身はテストの事でいっぱいになっており、申し訳ないけど少しも頭に入ってこなかった。

 車は商店の立ち並ぶ界隈の細り路地に入り、怪しげな看板が立ち並ぶ歓楽街の手前で停止した。

 十字路の道を直進した先は、まるで俺達のいる街並みとは全く雰囲気の違う空間が広がっていた。ごっちゃりと店を彩る電飾は、恐らく夜になったら不夜城の如く闇を怪しく照らし、怪しげな魅惑に満ちた空気で道行く人々を誘惑するのだろう。

「ここから先は大人の世界だから、ハルは行っちゃ駄目だよ」

「へーい」

 里依紗の忠告に素直に返事しておく。だいたい行きたくても金はねえし、この姿じゃ門前払いされるのがおちだ。

 里依紗は歓楽街とは対面の角に立つ古びた木造建築の駐車場に車を入れた。

 かなり年季の入った漆黒の板壁に黒っぽいスモークのかかったガラス戸が、何やら怪しげな雰囲気を醸している。

 木目が美しい一枚板に黒い塗料で「我乱堂」と書かれた看板が目に飛び込んで来る。達筆と言うより、ずっしりとした重みのある筆使いで書かれた店の名は、思わず見入ってしまうほどの不思議な魅力を秘めていた。

「ハル、あの看板が気になるか? 」

 紫音が抑揚の無い声で呟いた。

「うん。何か気になる」

 俺はそう答えると、車から降りた。

 不思議な高揚感が、俺の思考を支配していた。

 早くあの看板のそばに行きたい。

 早く店の中に入りたい。

 そんな思考に囚われ、俺の意識は、抑えきれない衝動を一気に解放した。

 が、駆け出そうとする俺を、紫音が静かに引き留めた。

 ただ、肩にそっと手を載せただけ。

 ただそれだけなのだが、俺は一歩も足を踏み出す事が出来ずにいた。

 決して腕力で無理矢理押さえつけているんじゃない。

 地面に足が貼り付いて動かないって感じ。

「ハル、私にくっついていろ」 

 紫音は看板を睨みつけると、俺の肩に手を掛けたまま歩き出す。

 俺の足が、ようやく闊歩することを許された。

 だが、あくまでも紫音の歩くペースに合わせてだ。

 俺は紫音を見上げた。

 相変わらずポーカーフェイス。涼しげな表情で一点だけを見つめている。怪しげな店舗の軒先に掲げられた、俺にとっては魅惑的な看板を。

 里依紗は店の入り口付近においてある台車を引っ張って来ると、手早くあびぬぎの角を車から降ろした。

 扉が、静かに開く。

 自動ドア? 

 一見、古びた引き戸なのだが、それはあくまでも見掛けだけで、実際には近代的なテクノロジーの恩恵を授かっているようだ。

 俺は紫音の腰にへばりついたまま、店内に足を運び入れる。

 途端に、鼻孔に何とも言えない複雑な匂いが流れ込んでくる。五香のような濃厚な匂いからミントのようなすっきりした香りや香ばしい紅茶のような香りまで、混沌とした匂いの協奏曲が、俺の意識を猛烈に殴打していた。

 薄暗い店内には、五百CCのペットボトルサイズ位の透明な硝子の瓶に入れられた様々な粉体や種子のようなものが、所狭しと並んでいる。

 俺のイメージする異世界っぽくない街並みの中に突如として現れたそれっぽい空間だった。

 レジ前のカウンターの後ろには、恐らくは希少価値のある薬草なのだろう、瓶の一つ一つが鎖で固定され、棚に繋がれている。

「いらっしゃいませえ」

 店の奥から小柄な中年男性がひょこひょことレジ前に現れた。

「げっ! 」

 俺はその男を凝視した。

 修行僧のような痩躯に坊主頭、青白い顔――それはまさしく。

「あびぬぎ? 」 

 驚きの余り、俺は思わず声に出してしまった。

「ごめんね、お嬢ちゃん。驚かしちゃったか」

 男は表情を曇らせた。が、以外にも機嫌を損ねる風でも無く、かえって俺に申し訳なさそうに頭を下げた。

「御主人、ご無礼申し訳ありません。この子はここに来る前にあびぬぎに襲われたばかりなので、つい、その・・・」

 紫音は即座に固まったままの俺に変わって、その男――店主の様だ――に謝罪をしてくれたものの、帰って彼の容姿にダメ出しをした結果となってしまっていた。

「いえ、いいんですよ。よく言われますので。どっちかと言うと、私もこの風貌を売りにしているので」

 店主はそう言うと、表情を崩して笑みを浮かべた。

「あのう、先に電話で連絡させていただいた『しおんず』ですけど、あびぬぎの角を買い取って頂きたくてお持ちしました」

 里依紗は店主に挨拶をすると、押してきた台車を店主の目に留まる位置にずらした。

「おおっ! これは凄い。これだけ大量の角が一度に納品されるなんて前代未聞です。あ、それに、レア獣も一匹いるじゃないですかっ! 」

 店主は眼をかっと見開くと、興奮気味に台車上の獲物を吟味した。

「それも、まだ新しい・・・SNSで上げていた動画、フェイクじゃなかったんだ」

 店主は驚きの表情で俺達を見た。俺の知らないうちに里依紗はあびぬぎとのバトルの様子をアップしていたらしい。

「ありがとうございます。見ていただいたんですね」

 里依紗が嬉しそうに眼を細める。

「はい、電話でご連絡を頂いてから、慌てて見ました」

 店主は毛の無い頭をポリポリと搔いた。

 見ていなくてもいつも見てます的なはったりを平気で言う輩が多い中、この店主は見掛けによらず正直者の良い人っぽい。

「では一応鑑定させていただきますね」

 店主はレジ前のカウンタ―から俺達の方にまわると、真剣な表情であびぬぎの角を吟味し始めた。

 俺にはよく分からないのだが、雄雌以外にもランク付けがあるらしく、店主は手際よく幾つかに仕分けると秤で重量を計り、伝票らしき用紙に記載していった。

「お待たせしました。こんな感じです」

 店主は紫音に伝票を手渡した。

 紫音は伝票に眼を通すと、満足げに頷いた。

「了解しました。これでお願いします」

「入金はコアの窓口でよろしいですか? 」

「そうしてください。りぃ、確認頼む」

「分かった」

 りぃは携帯を取り出すと、何かしらのアプリを開いた。

「入金確認したよ」

 りぃの声に紫音は黙って頷いた。

「時にご主人、表の看板に妙な細工をしていないか? 」

 紫音が、静かな口調で店主に声を掛けた。

「お客様には分かりましたか。ひょっとしてお嬢ちゃんが反応しちゃいました? 」

 店主が申し訳なさそうに答える。

「集客の呪詛か何かだと思うが、子供にしか効かないのは何故か」

 紫音の抑揚の無い声が店主に圧を掛ける。

「おっしゃる通り、看板には呪詛を込めております。でもあれ、集客目的じゃないんです」

「じゃあ、どんな目的で? 」

「子供達を歓楽街に迷い込ませない為です。あそこは治安が悪いですから。この辺りの子供達は親御さんが口うるさく言って聞かせているから、そうそう迷い込む子はいないんですが、他の街から来た人だと勝手が分からなくて、子連れで迷い込んだり、商隊のお子さんでたまに凸しようとする子がいるんでね」

 店主は困り顔で答えた。

「成程」

「店に来れば、私が歓楽街の説明をしてあげれますし。例え子供ばかりだったとしても、私の容姿を見れば慌てて市街に逃げ出しちゃいますしね」

 店主は苦笑を浮かべた。

 元の世界の街でもたまに見かけた「子供110番」の異世界版のようなものなのか。この店主、なかなか見上げたボランティア精神の持ち主だ。ほんと、人は見掛けで判断してはいけない。

「歓楽街はそんなにヤバいんですか? 以前来た時はそんな感じは無かったけど」

 里依紗が店主に尋ねた。

「私がここに店を構えたのは半年ほど前から何ですが、その頃から歓楽街は賑やかになってきたらしくて。同時に素性のはっきりしない連中が結構移住してきたようです。以前は地元民の経営するバーや居酒屋が何件かあるだけだったらしいですね」

 店主は困り顔でしみじみ語った。

「居住権取るのにコアで審査するんでしょ? 」

 俺は何気に店主に尋ねた。自分自身が経験したばかりだから尚更だ。結構面倒な事務手続きの裏にはハイソなセキュリティーがちがちのシステム管理されているとおもったのだが、そうでもないのか。

「この街の総司が街の発展の為だとか言って、特例で他の街からの人材を受け入れたんです。裏では賄賂のやり取りがあったってもっぱらの噂ですけどね」

 店主が無い眉を潜めた。

「総司って? 」

 俺は里依紗を見上げた。

「知事とか市長みたいなものよ」

「ふうん」

 俺は頷いた。まあ、政界と財界の結びつきは元の世界でもあった訳で、何処の世界でもよく似たダークな関係はあるもんだろうな。知らんけど。

「そろそろ行くか」

 紫音が俺と里依紗に声を掛けた。

「うん」

 と、頷く里依紗。

「また獲物が入ったら是非お越しください」

 店主が深々と頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 頭を下げる紫音と里依紗に倣い、俺も慌てて会釈した。

 店を出ると、高齢の上品なご婦人方数名が入れ違いで入店していった。

「結構はやってるんだな、この店」

 俺は車に乗り込むと、運転席の里依紗に囁いた。

「あびぬぎの角を買いに来たんだろ」

「ええーっ! 」

「まさかっ! 」

 紫音の発言に俺と里依紗は同時に驚きの声を上げた。どう見たって、もう必要ないだろってお年頃にお見受けしたし。いや分かんねえぞ。そっちの方はいくつになってもいたす方はいたすだろうし。

「恐らく回春目的な。肌がつるつるになるらしい」

 紫音のごもっともな回答に、俺と里依紗はこっぱずかしさの余りに顔を真っ赤にしていた。二人とも考えていた事は一緒だったようだ。

「しーちゃん、ちょっと買い物したいんだけど」

 里依紗はこほんと咳ばらいをすると、さっきの失態を誤魔化すかの様に紫音に伺いを立てた。

「いいけど、どこに寄るんだ? 」

 紫音が面倒臭そうに答える。

「服屋とか、靴屋とか。ハルの着替えを買わんきゃならないし」

「え、買ってくれるの? うえーい!」

 俺は思わず喜びのポーズ。流石にこのままTシャツだけだと悲し過ぎる。丈が長いからパンチラはしていないとは思うけど、しゃがんだらやばい。それにサンダルはでかすぎるから歩き辛いし。

「出世払いな」

 小躍りする俺の出鼻をくじくかのように、紫音がポツリと無慈悲な一言を投下。

「何だよ、ケチ」

「でも今回の稼ぎ頭はハルだからね。レア獣の角の買取価格、私としーちゃんが倒したあびぬぎの角の合計よりも十倍くらい高いから。それにさっき見たらコアからもリア獣の標本代で結構な金額が入金されてるし」

 里依紗はふてくされる俺に苦笑を浮かべながら紫音を諭す。

「まじか・・・まあ仕方がないな。大切な従業員の衣食住くらい世話出来なきゃ経営者の名がすたるか」

 紫音は渋々頷いた。

「従業員って、俺が? 」

 俺は驚いて紫音を見た。

「そう。ハルはもう私達「しおんず」の仲間。頑張って稼いでくれ」

 抑揚の無い声で語る紫音。

 ちょっと待て。養ってくれとは頼んだが、働かせろとは頼んじゃいねえ。

 ご都合主義にもほどがある。

 とは言っても。

 何だかうれしい。

 仲間って響き、何となくいいよな。久しく聞いたこと無かったよ。

 異世界に迷い込んでニート卒業ってのも悪くないかも。

 心機一転、人生をやり直す貴重な時の幕開けだ。





 



 



 





 



 



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