第6話 遠い昔からの

 アリヤはツヅ子と家を出て、連れられるままに歩いた。アリヤがいちいち雑草を避けていると、ツヅ子は面白そうに笑った。

「ここで待ってて、ゲンちゃん呼んでくるから」

 緩やかな坂を少し上った先の、木々に囲まれたところにアリヤを置いて、ツヅ子は来た道を引き返していく。「何でこんなところで」アリヤが呟くも、既にツヅ子の姿は無かった。そうして、アリヤが彼女の後を追おうと決心しかけた頃に戻って来た。

 アリヤはツヅ子の丸い顔を見てほっとして、それから、連れられて来た隣の男を見てぎょっとした。この地下で見た、数少ない人間のうちの一人だった。向こうも気付いたようで、坂の途中から走って来て怒鳴った。

「何でお前、何してんだよ!」

「わ、わた、私」

「ゲンちゃん、何で怒鳴るん。やめてよ」

 ツヅ子が間に入る。アリヤの記憶が正しければ、この男は、アリヤがコンベヤに乗っているのを覗き込んだ男だ。やけに白い肌で、鼻の穴が大きい。明るいところで見ると、不健康そうな男だった。

「ツヅ、こいつが何か分かってんのか!」

「何って? 迷子だけど」

「はあ? 迷子? こいつはお前が言う天人様だぞ。ハッ。何だよお前、こんな場所で何してんだよ。さっさと帰れよ」

 彼の冷たく蔑むような様子に、アリヤは怯えた。ツヅ子が彼の胸をぐいと押して二人に距離を取らせる。

「ゲンちゃん、落ち着いてよ。私はアリヤちゃんの家を探してもらおうと思って呼んだんだからさあ」

「探すまでもねえよ。こいつ、上から来たんだ」

「そうなの? 何でゲンちゃんがそんなこと知ってるん?」

「こいつが拾い場にいたのを見たからだ」

「あ、また拾いにいったの! ゲンちゃん、いい加減教会の人に怒られるよ」

「放っとけ」

 二人で言い争っているのをアリヤは眺めていた。蚊帳かやの外なのが悔しい。これ以上、この男と関わりたくないと思ったアリヤは、つい口を滑らせた。

「私、自分の家分かるから。ツヅ子、その人には帰ってもらっていいよ」

「え、でも」

「帰るのはお前だろ」

 男の言うことは正しいが、アリヤは頭に血が上ってしまった。

「なんなのさっきから偉そうに! 私がノアの人間だからって何? てか大体、何で地下に人が住んでるの? 意味分かんないし、あんた、本当に人間……」

 そこまで言って冷静になった。アリヤは不自然に口をつぐんで、居心地悪く、視線を彷徨さまよわせた。

「ほらな」男が肩をすくめた。アリヤを何かの仇のように睨む。「聞いたろツヅ、お前の言うテンジンサマは俺たちを人とも思ってねえんだよ」

「へえ。でも天人様ならしょうがないよぉ」

 ツヅ子は世間話でもするようなトーンで、男とはまるで噛み合っていない。男は大袈裟に溜め息を吐いた。

「前から言ってるだろツヅ。全部嘘なんだって。お前は騙されてんだよ」

「ねえ、それどういうこと? 嘘って何?」

 アリヤは口を挟んだ。彼の言動は気に食わないが、一番物を知っているだろうことはアリヤにも分かった。すると、何故かツヅ子がアリヤを向いて言った。

「ゲンちゃんいつもこういうこと言うの。私は嘘でも何でも今のまま暮らせるならいいんだけどねえ」

「ツヅ……」

 男は呆れた溜め息を零した。それから地面を見ながら言う。

「お前に聞く気があるなら、本当のことを全部話してやってもいい」男はツヅ子以外に話す相手を探しているようにアリヤには思えた。

「聞かない方が良いと思うけど、どうする?」

「聞きたい。そうやって隠されると余計気になる」

「あっそ。後悔すんなよ。俺が話したってことは誰にも言うな。殺されるかもしれない」

 男の芝居がかった言い方にアリヤはすっと気持ちが冷めるのを感じた。何が本当のことだよ、どうせ妄想だろう、とアリヤは半ば投げやりになりつつ彼の話を聞いた。

 途中で突っかかりながらも、興奮するでもなく淡々と話された“本当のこと”は、最後まで聞くと到底馬鹿馬鹿しいとは言えないことだった。

 ゲンちゃん、彼の本名は元也げんやという。彼は十歳くらいの頃に家の古い納屋を掃除していてとあるノートを発見した。そこに書かれていたのは日記のような、手紙のような、後世に残すことを前提とされたとある人間からの伝言だった。



 ―――俺の子孫へ、まずは謝らせてくれ。俺は生まれつき体が弱く、恐らくそのせいでノアに乗れなかったのだと思う。俺のせいで俺の子供の子供にまで迷惑をかけると思うと死んでも死にきれない。俺の世代で終わらせてしまうべきだった。

 本来これも書いてはいけないものだ。しかし書いている。子孫に本当のことを伝えなければと思った俺の身勝手な感情で。これを見た俺の子孫はより俺を恨むかもしれない。申し訳ない。

 まず、ノアのことだ。ノアは、全人類が搭乗できると謳われているがそれは嘘だ。まあ分かるとは思うが、後々でその辺のことも隠されるだろうから念のために書いておく。ノアに乗れる人間は何か知らないうちに選定されているようで、俺の近所も引っ越しただのでいなくなる人間が増えた。みんなノアに乗ったんだろうな。俺の家もいつ呼ばれるかと待っていたのに呼ばれなかった。この恐怖を、誰かに分かってもらえるだろうか。俺の家族だけぽつんと取り残されて、俺は家族に何て言っていいか……。会社からも首を切られ、俺は家でひたすら家族に向かって謝罪をし続けた。もちろん心の中でだ。五歳の娘に、友達がいなくなった理由をどう説明すればいい?

 しかしそんな生活もすぐに終わって、俺たちは突然来た高級車に乗せられた。後で帰って来るから手ぶらで良いと嘘を吐かれ、俺たちはその嘘を信じた。ノアに向かうのではと僅かな期待を胸に抱いて。しかし辿り着いた場所はド田舎だった。畑と山以外何も無いような場所だ。

 俺たちは車から降ろされて、ここが新しい家だと言われ、お前の土地はここからここまでだと言われ、お前の仕事は農作業だと言われ、一方的に押し付けられ、俺たちはわけが分からないままそこで暮らすことになった。今も暮らしている。ここは近所に同じ境遇の人間が多い、それだけは救いだ。

 これを読んでいる俺の子孫、お前は学校に行っているか? 今俺の娘は十七だが、学校に通っていない。無いのだと言われた。教会の人間にだ。俺たちは教会の人間とやらに管理されているから、分からないことは全てそこに聞くしかない。教会って何なのか、それすら説明されない。教会は教会だ。以上。それだけだ。何だそりゃって思うだろ、いや、思わないか。お前にとっては普通のことになってるんだろうな。……怖いよ、俺はそれが怖い。俺にとっての普通がみるみるうちに書き換えられていく。学校に通い、学んで、好きな職場に就職するなんて今や夢物語だ。俺だけが見てた幻覚みたいにすら思える。

 なあお前知ってるか、俺たちは旧人類なんだと。地下に住む、古い時代の人間なんだとさ。ノアに乗っている選ばれた連中、奴らが現人類なんだ。俺たちより進化してる、奴らが今現在の人類なんだよ。どうもノアの上では俺たちはいないものとなっているらしい。そりゃそうだよな、人類は古くから進化した上に存在してるんだから。俺たち存在しない旧人類が奴らの地面を下から支えて、踏み台になってるわけだ。笑えるよな。

 俺は普通に生きていきたかっただけだ。妻と娘と普通に、人間として幸せな暮らしをしていきたかっただけだ。一体誰なんだ、陸地が海に呑まれるだのと馬鹿なことを言い出した奴は。なあ、どこに海が来てるんだ? 俺はどうしていつのまにか人類ですらなくなった? 誰か教えてくれよ。俺の娘が……何で普通に生きていけない? 娘は何も知らない。俺と妻が必死で読み書きを教えたから、それだけは何とか覚えているが、他に何を教えればいい? 何なら教えられる? 何かを学ぶ意味はあるのか? 教科書なんて無い、本すら無い、このノートもペンも教会から盗んできた物だ。娘は、土に石で書いた文字しか知らない。原始人みたいだよな。旧人類だから正しいのか? なんて。お前にとっては普通なんだろうな。俺にとっては全然普通なんかじゃない……。俺は生まれてから三十年は普通の世界で生きてたんだよ。十数年経った今は……これは何だろうな。俺の頭がおかしくなったのか?

 なあお前、これを読めているか? 俺は娘に読み書きだけは覚えろとしつこく言うつもりだ。娘の子供にも。孫なんて気が早いとか思うか? 馬鹿だな、娘はもう妊娠してる。教会の人間には隠しているが、もう知ってるだろうな。娘がどうやって妊娠したか俺は知らない。多分近所の……、知りたくもない、どうすれば良かった、俺は? どうすれば良かった? こんな世界に娘を産んだことが間違いだったのか? だが俺は、娘が子供を産むことを止められない。孫は、今の俺にとって光みたいなものだ。こんな馬鹿みたいな世界で、だが子供は可愛い。賢い人間なら産むのを止めるんだろうな。俺には出来ない。俺は、残り何十年も続く人生をこのまま生きていくのは耐えられない。これを読んでいる俺の子孫、本当に申し訳ない。俺が弱いせいで、俺の血がお前まで続いている。許してくれ。許してくれ。すまない。ごめん。

 孫に会えるのが本当に楽しみだ。畑仕事をしていても産声が聞こえる気がするよ。



 アリヤはその伝言の一部をかいつまんで聞いた。伝言を発見した本人も全部を読むことは出来なかったらしいが、おおよそのところは理解出来た。そして自分たちが何も知らないことを知ったのだった。

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