第5話 触れる
ツヅ子は「ふふ」と声を零した。
「何でって、アリヤちゃん、おうちに帰りたいって言ってたし、帰りたいよね?」
「あ、まあ、そ、そうですけど」
「後でゲンちゃんに聞いてみよっか。ゲンちゃん物知りだから、きっとアリヤちゃんの家も分かるよ」
ツヅ子がその“ゲンちゃん”を信用しているらしいのがアリヤにも感じられた。誰なのか、どんな人物なのか気になる。
「どんな人?」
「んえ? 良い人よ」
「どういう関係?」
アリヤははっと口を
「家族ではないよねえ」
ツヅ子は自分でもよく分かっていない風に言った。
「こ、恋人?」
「こい……? あ、無い無い。無いよぉ。男の人じゃ色々面倒だし、興味ないの。教会の人に怒られたくないからねえ。やっぱり女の子の方が可愛いし、柔いし、好きかなあ」
ツヅ子は微笑んでアリヤの顔を見た。アリヤはそわそわして身を縮める。先ほどのツヅ子の行動を思い返して気恥ずかしくなった。それをツヅ子に見破られないように平然を装う。
「ま、まあ、子供を作る年齢とか相手とか決まってるしね。いくら相手を好きになっても結婚出来ないし」
「へえ。アリヤちゃんところはうちと違うんだねえ」
「え?」
アリヤが聞き返すと、ツヅ子は腕を擦りながら言った。
「この辺じゃ子供作っちゃ駄目なの。だから男女で別れて暮らしてる……でもどうやっても子供は出来ちゃうんだから、近所じゃあ、色々揉めて大変よ。教会の人もすぐ注意、注意、ってねぇ」
ツヅ子は愚痴なのか、雑談のつもりなのかそんなことを言って、アリヤは黙ってしまった。分からないことが多すぎる。機械しかいないはずの地下に住んでいる人間たち。彼らは独特の、アリヤの知らない規則の下で生きている。それを知るべきなのか、知らないままの方がいいのか、判断すら出来ない。
「上がろっか」言って、ツヅ子は立ち上がった。浮いたあばら骨、腰回りも骨が出っ張っていて、やけに丸い顔だけが不自然に浮いて見えた。アリヤは、痛々しく痩せたツヅ子の体から咄嗟に目をそらして、すぐに戻した。失礼な気がしたのだ。
「ツヅ子、あの、さ」
「なあに? まだ入ってたいなら、いいよ。私は上がって待ってるから」
「じゃなくて、さ、触っていい? 体」
「いいよ」
ツヅ子は腰を下ろした。アリヤは恐る恐る手を伸ばして、湯の中に沈んでいる腹に触れた。感触はよく分からない。次は肩に触れた。ごつごつと骨ばっている。ツヅ子は身じろぎもせず、抵抗もせず、静かにアリヤの手を受け入れている。
「どう? 触り心地は。アリヤちゃんの体と違って柔らかくないから、触っても楽しくないかもね?」
「……私が住んでるところは、他人に触っちゃいけないんだ。だから、楽しいかとかはよく分からないけど……」
手を離す。アリヤは、人の体に触れるのが怖いと思った。力加減が分からない。物ならともかく、人の体をうっかり傷付けたらと想像しただけで心臓がひやひやする。それでも触れてみたのは、ツヅ子なら触れても良いと思ったからだった。地下にいる今のうちに、他人の感触を知りたかった。しかしただ怖いだけで、ツヅ子に触れられた時ほど良くはなかった。
アリヤは正直に言った。
「傷付けそうで怖い。難しい」
「難しいことないよ、何も」
ツヅ子はアリヤに近付いて、背に腕を回した。そしてぎゅっと互いの体をくっつける。アリヤは飛び上がりそうになった。ぴったりと肌と肌が一体化するような感触は、浸かっている湯との境界さえ曖昧になる。
「ね、簡単。こうやってくっつくだけでいいんだから」
ツヅ子の声が体の振動で伝わって来る。アリヤはすぐにでも離れなければとノアの決まりを反射的に思い出すも、感情ではもう少しくっついていたい気持ちがあった。恥ずかしさと、味わったことの無い心地よさに、ぼんやりしていた。
「アリヤちゃん? のぼせちゃった?」
「あ、い、いや、別に……」
「体温高いねぇ。ふやけちゃいそう」
ツヅ子は笑いながら言って、アリヤを離した。今度こそ浴槽から出て行ってしまう。「ゆっくりしていいからね」とアリヤを置いて行こうとするので、アリヤもすぐに浴槽から出た。知らない場所に一人で残されるのが心細く感じたからだった。
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