第3話 出会い

「えっ」顔を上げて、柔らかい眼差しと出会った。丸い頬、眉毛よりずっと上に雑に切られた前髪。アリヤは「ギャーッ!?」悲鳴を上げた。

「わっ。驚いたぁ。元気な子ー」

「はあぁあぁぁ! ひっ、ひえぇ、すみません、帰ります」

「そう? 一人で帰れる?」

「ん、か、かっ……」

 帰れない。アリヤは口をぱくぱくさせた。

「おうちはどこ? 見ない顔ねぇ」

「おうち、おうち、私のおうちは」アリヤは震える指で上を指差した。

「どこ?」

 彼女はアリヤの目をじっと見つめて問いかけた。アリヤの指が上を向いていることに気付いていない。

「は。わっ、わっ、近付いちゃ駄目ですよ!? 一回離れましょう!」

「何で?」

 短い前髪の彼女は首を傾げた。アリヤは離れようにも腰が抜けて動けない。

「あ、そうだ。名前は? 苗字聞けば家が分かるかも」

「こっ、古賀アリヤ……」

「古賀。古賀? うーん。聞いたことないなあ。この辺の子じゃないのかなあ。あ、私はさざなみツヅ子。そこの、向こうの家に住んでるの。家に来る? ありゃりゃ、土塗れだあ」

 ツヅ子はアリヤの服をポンポンと払った。アリヤは今度こそ地面を這って距離を取る。ノアでは他人同士は触れ合ってはいけない決まりだ。病気が広がらないようにするために。

「近付かないでください!」

「何で。そんな土まみれで何言ってるんだか。いいから家に来なさいって」

「う、うっ、うっ、うーっ」

 放っといてくれと言いたいが、放っておかれると困る。アリヤは悩んで首を振った。

「困ることがあるん?」

「今が一番困ってるんですけど」アリヤは正直に言った。「どうしよう。でもこのままじゃ家に帰れないし」「あああ、どうすればいいの私は」

 独り言を続けるアリヤを、ツヅ子は見つめて待っていた。

「ああああ、でもぉ、一人じゃ怖いしぃ」

「何が怖いん?」

「あれ、怖くないですか?」

 アリヤは山を指差した。怖くて見られないので顔は別の方向を向けている。

「山が怖い? はあ~、小さい子みたい。可愛い」

「かっ、可愛い!?」

「んー。アリヤちゃんは可愛い可愛い」

 ツヅ子は自然にアリヤの頭を撫でた。アリヤは頭がぼーっとする。むず痒くて、くすぐったい気持ちになる。耐えきれずに腕を振り回した。

「わー! やめてくだたい!」

「え? なんて言った?」

「あっ、噛んだだけです!」

「かわいー。うちの子にしたーい」

 アリヤはすっかりツヅ子のペースに飲まれてしまい、手を引かれるままに彼女の家までついて行ってしまった。手を振り払うことが出来なかったのだ。ツヅ子の手は、ところどころゴツゴツしていて、しかし温かい。アリヤの母親とは違う手だった。

「えっ、待って。これ、家?」

 ツヅ子は「入って入ってー」と玄関の引き戸を開けてアリヤを招き入れようとした。しかしアリヤは躊躇ためらう。この家屋が人の住むものとは信じられなかった。今にも崩れそうな、小さく茶色い家だった。

「小屋じゃないの?」

「ええ? あっははは。小屋ぁ? こーんな立派な家なのに、どこが小屋に見えるって? 入って、ほらほら」

「え、く、くつも脱ぐの?」

 ツヅ子はさっさと靴を脱いで、家に上がる。アリヤは混乱した。ツヅ子は今度こそ困惑した様子でアリヤを見た。

「脱がないと家が土塗れになるよねぇ」

「それは、確かにそうだ」

 これが地下の常識か、とアリヤは自分を納得させて、靴を脱ぐ。そして上がりかまちに乗って、ミシッと軋んだので驚いて飛び上がった。

「ひゃあ! 壊れる!」

「ええー! 壊れん壊れん。大丈夫よぉ。ほら」

 ツヅ子はその場で跳ねた。家中がミシミシ音を立て、アリヤの足元も揺れる。

「こらツヅ! 家の中で暴れないで!」

 奥の方から女性の声が鋭く飛んできた。アリヤは身を縮めた。怒られた本人は平然としている。

「ごめんなさーい」

「戻ってくるの早いんじゃない? ちゃんと水はやったの?」

「やったやった。それより、お客さん連れて来ちゃった」

「えっ? お客さん?」

 アリヤは突然の展開におろおろした。これ以上人が増えたらどう対応して良いか分からない。

 奥の間から一人の女性が顔を出した。色あせた、ぼろきれのような服を着た五十代くらいの女性だった。アリヤを目に留めるなり眉をひそめる。

「……どちら様?」

「あんね、この子、道端で迷子になっててぇ、つい連れてきてしまった。古賀アリヤちゃんだって」

「古賀?」

「お母さん、古賀さん家知らんかな?」

「知らん知らん」

「えー。お母さんも知らんか。じゃあゲンちゃんに聞いてみるかぁ」

「その子、自分の家分からんの?」

「家どこなん?」

 ツヅ子と彼女の母親に注目され、アリヤは言葉に詰まった。正直に答えればいいものを、何故か言えなかった。黙ったままうつむく。ツヅ子が後を引き取った。

「こんな感じで、よく分からん」

「トンビにでもさらわれてきたんかなあ」

「上から落ちてきたってことない? あそこ、天人てんじん様が住んでるとこ」

 テンジンサマ? アリヤはツヅ子を凝視した。上の、天人様が住んでいるところとは、ノアのことか。

 ツヅ子の母親は急に声を低くして「馬鹿だね」と吐き捨てた。

「あの高さから落ちたら生きてるわけないわ」

「それもそうかー」

 ツヅ子はアリヤに笑みを向けた。「家は後で探そ。お風呂入る~?」

 アリヤは首を振った。これ以上知らないところに入りたくない。しかしツヅ子の強引さに引きずられるまま、服を脱がされ、風呂場に放り込まれていた。

「な、なんで、なんで」

「何が?」

「なんで貴方まで一緒にいるの……! 裸だし……!」

「あの様子じゃお風呂も怖いかなと思って」

 ツヅ子の体は骨が浮いて、痩せ気味だった。アリヤも食事はあまり好きではないので痩せているが、ツヅ子ほどではない。アリヤは彼女の体を見ていられず思わず目をそらした。あばら骨が皮膚を持ち上げているようにしか見えない。

「アリヤちゃん、体洗ったげるよ」

「い、いい! 自分で出来る!」

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