第2話 陸へ

「あいた!」

 突然柔らかい壁にぶつかった。アリヤの体の下は小刻みに震えている。コンベヤで運ばれているのである。しかし光も無く周囲の見えないアリヤには状況が掴めない。

「だ、誰か助けて下さい! 私は生きてます!」

 アリヤはコンベヤを手探りで上ろうとするも、物にぶつかって断念した。大きなコンテナだ。どうにか出口がないかと、アリヤは注意深く周囲を観察し続けた。

 しばらくコンベヤに流され、アリヤの目は光を捉えた。少しずつ光へ近付く中、アリヤは今乗っているのが荷運び用のコンベヤであることを知った。

 コンベヤは先で二方向に枝分かれしていて、アリヤは途中で何かに判別されたらしく、横からグイと押されて光とは別の方向へ流されてしまった。

「え、待って待って、こっちヤダ」

 戻ろうとするも、直進するコンテナが邪魔で戻れない。アリヤは再び真っ暗な中を流されていく。

 成す術もなくアリヤは呆然とコンベヤに乗り続けて、人の声を聞いた。ただの声が、次第にはっきりと言葉の意味を伴って聞き取れるようになってくる。

「んで? あの……のやつが……あれ、ブザー止めたか?」

「止めた止めた。気付いてねえだろ」

「……上の……ああ、ハッハッハ! な、どうする?」

「男に賭ける俺」

「男だったらどうすんだよ」

「そしたら来てましたーって渡せば良いだろ」

「また犬なんじゃねえの」

「んでもさぁ、男でもさぁ」

 コンベヤが突然動きを止める。アリヤはわけが分からないまま、身構えていた。目の前で、ガチャガチャ、ガチャン、と金属音がして、扉か、ふたか、とにかく前が大きく開いた。光に目が眩む。「え? 嘘ぉ?」という男の呟きを聞いた。アリヤは男の顔がよく見えなかったが、その男が後ろを振り返ったのは分かった。

「はっ、待って待って、どういうこと?」

「何だよ、勿体ぶるなよ」

「いや、待て待ておかしいって、これおかしいって! やべえって」

「何、死体でも入ってたか?」

 焦る男に、からかうように別の男が言う。男が数人、アリヤの前で会話を交わしている。アリヤはすがるように声をかけた。

「あ、あの……」

 場が静まる。

「今の、お前の声?」

「違ぇよ! いいから、いいから逃げようぜ!」

「見せろって」

 押しのけた男が、アリヤの間近に顔を出した。アリヤは思わず「ひっ」と悲鳴を上げて身を引く。男もすっと身を引いて、「見なかったことにしよう」と呟いた。足音が一つ遠ざかっていく。アリヤは焦った。まだ目の前に背中がある。

「ま、待って、ここ、どこなんですか? あの、私、落ちて、気付いたらここにいて」

 背中がびくっと震えた。そして低く小さな声で言う。

「今の聞こえたか?」

「いやあ? なーんにも聞こえなかったぜ」声が裏返っている。

「そうだよな、だよなあ! ッハハハ」

 男たちは会話をしながら遠ざかっていく。アリヤは引き留めようと開いた口を閉じた。強い光に目がくらむ。彼らは更に外へ出て行ったらしい。ドアが閉まる音が聞こえた。

 物音が聞こえなくなってから、アリヤはコンベヤから降りる。蓋を閉じようとしたものの、アリヤには仕組みがよく分からず、開けたままにするしかなかった。

 そこはひんやりとしていた。足元がコンクリートで、壁はトタンだ。プレハブ小屋のようだった。アリヤが乗ってきたコンベヤが外から引き込まれているだけで、他には何も無い。

 壁の一部が雑に補強してあり、そこから日が透けて入っている。アリヤは明るさに目を慣らしながら歩き、斜めになっているドアノブを掴んだ。掴むだけでぐらぐらするそれを、捻ってゆっくり押す。

「眩し……。んん!?」

 アリヤは咄嗟とっさに息を止めた。妙な匂いがした。鉄のような匂いだ。

「血の匂いじゃないし、何? それになんか、呼吸が変だ。何、ここ」アリヤは自分の手を見つめた。「どうしよ、知らないところかな」「さっきの人もよく分からないし」「家に帰れるのかな私……」

 アリヤは青ざめた。クラスメイトの噂が本当なら、アリヤが落ちた穴は地下に繋がっているはずだ。アリヤは今地下にいることになる。

「まさかそんなはずないよね? だってさっきの人たち、おかしいもん、地下に人がいるわけないし」

 手をぐーぱーさせて、自分と会話をして気持ちを落ち着かせると、アリヤは上を見上げた。

「あは」喉が締まる。「待って」アリヤは胸元を握りしめた。

 巨大な雲に見えたそれは、明らかに雲ではなかった。暗い影を湛えて、空に悠々と浮かんでいる。

「ここ、地下……? ほ、ほんとに落ちてきちゃった」

 どうすればいいの、アリヤは呟く。現実味がなく、浮ついた足取りで歩きだした。建物が無い。そこにあるのは茶色と緑ばかりだ。視界に映る限り同じものが続いている。アリヤの知らない、田園の風景だった。

「ひえぇ気持ち悪い」

 アリヤは雑草を踏まないように気を使って歩いた。得体の知れない草が大量に生えている光景は気味が悪かった。土の感触も、背中がぞっとする。

 アリヤは土も草も本物を見たのは一度きりだ。畑も田園もアリヤは知らない。足を止める。もう歩けなかった。

「吐きそ」気持ち悪い。「もう無理」

 うずくまる。ふと後ろを振り返って、アリヤはプレハブ小屋から三歩ほどしか進んでいないことを知る、より先に、小屋の後ろにそびえる山々に目を見張った。途方もない巨大さに、アリヤは身がすくむ。

「キャーッ! イヤーッ! もうイヤ、何ここ、怖いよ、やだよ、帰りたいよぉ」

 涙が溢れる。動けない。死んでしまう。アリヤはすっかり腰が抜けてしまった。地面に手を突くと、べたべたと土がまとわりつく。手の甲が茶色く汚れて、拭っても取れない。

「やだっ、やだっ、やだぁ~! あぁー! 助けて、助けて」

「でっかい声。どうしたん?」

「助けてぇ~~! 帰りたい、家に帰りたい、帰りたい!」

「はあ。家はどこ?」

「ひーん……うっ、うぐぅ……」

「泣いてる。迷子かあ。んん? 姉ちゃんに言ってみ? おうちはどこかな~? よしよし」

 アリヤが鼻をすする中、背中を撫でる優しい手があった。アリヤはここでようやく自分以外の存在に気付く。

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