Ep.13 そっか、それだと二通書かなきゃね。

「姉ちゃん、ただいま」


 鍵穴に、自室の鍵を射し込んで、回す。

 そうして、いつものようにやや重めのマンションの扉を開いた。


 俺はあのあと、蜜柑を家まで送り届け、なんとか彼女の部屋のベッドに寝かせた。

 そしてせがまれるがままに、再度の口づけをした。


――さよなら、俊也くん。


 そう言う彼女に、『おう、またな』とそう返事をし、二度目となる彼女の部屋を後にした。

 吐息とも寝息ともとれる彼女の呼吸は、熱っぽくて、その唇は艶っぽかった。

 自ら押さえつけた欲望が彼女に向かないようにする。

 そんな、やせ我慢に俺は精一杯だった。


 だから、いそいそと部屋を出たのだ。


 それからはいつも通り。牛丼を二つ買い帰宅したのだった。

 帰宅の挨拶をし、リビングに姉の分の牛丼を残して、俺はすぐに自室に閉じこもった。

 疲れた、というのは少し違う。

 一緒に帰ってる間も、眠そうな彼女の肩に、腰に、手を当てながらの時間を過ごしたことに、どこか充実感さえあったのだ。


「正直……カッコつけて我慢しなきゃ良かったな」


 素直な、男子高校生としての感想だった。

 それくらいに蜜柑は魅力的で、淫らに思えたからだ。


 自室のベッドに横たわり、彼女とのキスを思い返す。

 それだけで欲情しそうになる。


 こんな姿、姉ちゃんには見せられないしな……。

 そういう理由で自室に籠ったわけだ。


(あの様子じゃ、蜜柑と今夜は話せそうにないか)


 デスクの上のノートパソコンに目を向けてそんなことを考えながら、俺は気づけば、制服も着替えぬままに眠りについていた。


       ***


――ねえ、蜜柑ちゃん。今日はなんのお話をしよっか


 懐かしい、お母さんの声。

 幼いわたしは、なかなか寝付かない子だったらしい。

 

 ふふ、おかしいね。高校生にもなって子供のときみたいに、また夜に寝付けない子になっちゃってる。


 三つ子の魂なんとやら、だね。


――まだんのはなしがいい!

――またなの~? 蜜柑ちゃん、そんなに気に入ったの? まだんのしゃしゅのお話。


 まだんのしゃしゅ……『魔弾の射手』。


 あとから知ったことだけど、カール・マリア・フォン・ウェーバー作曲のオペラが有名らしい。もとはドイツの古い民話がもとになっていると聞いたことがある。


 お母さんから聞かされた話は子供向けで、すごくわかりやすくデフォルメされていた。


 若い射撃の名手の男の人マックスが主人公。

 射撃大会の前夜に、ライバルであるカスパールという男に襲われて、腕に怪我をしてしまうところから始まるお話。


 その大会の優勝者は国のお姫様であるアガーテと結婚できるものだから、カスパールは悪いことをしても、勝ちたかったというのが理由。


 でも、アガーテはすでにマックスに惹かれていて、マックスもまたアガーテを愛していたの。


 愛する恋人のためになんとしても勝ちたいマックスは、絶望の中で魔王と契約をしてしまう。


 そのときに渡されたのが、7発の銃弾。

 意のままに命中させることができる魔弾だった。


 それを使って、マックスはつぎつぎに大会で命中させていくのだけど。

 6発を命中させたあと、最後の一発には魔王の企みが隠されていて。


 それはアガーテを撃ち抜くように悪い魔法がかけられていた。


 そういうお話。

 結末は幸せなものだったと覚えている。

 アガーテに当たった銃弾は、かろうじて二人の愛の証であるバラの花冠によって防がれて。

 逸れた魔弾によってカスパールごと魔王を打ち破るっていうお話。


――どうして蜜柑ちゃんは、このお話が好きなの?


 何度もお話をせがむ幼いわたしに、お母さんが昔そう聞いたことがある。

 わたしはなんて答えただろう……


――ぜんぶ!


 たしかそう答えた気がする。


 たぶん、アガーテみたいに愛されたかったのかもしれないし。

 どことなく、子供向けの童話にしては怖いその雰囲気が、かえって魅力的だったのかもしれない。


 いまは魔弾そのものが、わたしにとっての興味の対象になってるのだけど。

 決して外れることがない銃弾があるのなら、確実にわたしはこの世界からさよならできる。


 不安も、幻聴も、幻覚もなく。深く眠りにつけるなら、それはわたしにとって一番の薬なのだと考えるようになった。 


 みずからの死を求めるのは、平穏を求めることと同義だと思うようになった。

 ふふ、おかしいね。


 だから、柳ちゃん。

 わたしはとっくに、正気じゃないの。


       ***


 わたしはまた、夜中になって目を覚ました。


 懐かしい、いまは亡き母の夢。それと同時にいまのわたしがそれを見ているような夢だった。


「また……制服のまま寝ちゃってたんだ……」

 

 でも、今日は。ちゃんと覚えてる。

 俊也くんと一緒にいたこと、俊也くんがわたしをここまで送り届けてくれたこと。彼が、わたしを大切にしてくれたこと。


 とても幸せで、とても嬉しくて。

 だから……もう戻れないって思った。


 寝ているうちに、皴になってるだろう制服を脱いでいく。

 自ら付け直した第二ボタンも外す。


 腰に手をあてて、スカートのホックを外す、それだけで、するりと落ちていくのは、以前よりわたしが痩せてしまったからかもしれない。

 そうして、下着だけの姿になったわたしは、これからの順番を考える。


 まずは、たぶん、髪もかなりぼさぼさになってるだろうし。

 とりあえず、シャワーを浴びよう。

 ううん、湯舟につかるほうがいいね。


 そしたら、つぎに手紙を書こうと思ってる。

 いつか消えてしまうデータなんかじゃなくて。手書きで。

 

 レターセットはもう買ってるし、カラフルなペンだって揃ってる。

 書く内容は想定とは違うものになったけど。

 結果を変えるつもりはさらさらないの。


 だから、ごめんね俊也くん。

 わたし、キミの正式なカノジョさんにはなれない。その役どころは柳ちゃんにお願いするよ。

 そっか、それだと二通書かなきゃね。


(ふふ、今夜も寝れないねー!)


 精一杯の感謝とさよならを込めて、わたしなりの綺麗な文字で埋め尽くすんだ。

 あとで何度、読み返されても恥ずかしくないように。

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