Ep.12 わたしが正気なときなんて、あるわけないじゃない。
先日と同じ自販機の前まで連れ出されたのだけど……。
柳は不機嫌そうな顔色のまま、3本の飲み物を購入し、蜜柑にサイダー、俺には缶コーヒーを続けて投げ渡した。
正確には、投げ渡されたものを俺はうまくキャッチできなかったのだけど。
「ちゃんと取りなよ、もう。蜜柑ですらとれたのに」
「えー、もう”ちゃん”付けは終わり~? わたしは柳ちゃんってずっと呼びたいんだけど~」
「べつに好きに呼べばいいじゃない。私は蜜柑のことは蜜柑って呼ぶだけ。むかしと違うの」
良くわからない状況だけど、二人が以前からの付き合いだということは何となく察した。当然高校1年のときからのクラスメートだから全くの初絡みってことではないのはわかっているのだが。
「あのさ。二人どんな関係なんだ?」
当然、気になることは聞きたくなるわけで、直接聞くのが早い。
「親友だったの」
「親友ってやつよ」
ほぼ同時に発された言葉。
その二人の答えは若干の違いを孕みつつも、同義だった。
怒った様子の柳が親友と呼び。
その反対に蜜柑のほうが過去形で呼んだのだけど。
「え? 柳ちゃんわたしのこと嫌ってないの? てっきりぜっこーされたのかと」
「なんで、私が!」
「だって……連絡くれないじゃん」
「あんたが起きてる時間に私は寝てるんだけど?」
むぅ~……。そんな唸り声を発しながら蜜柑は言い返せないようだった。
はた目から見ても、正しい利は柳にあるのだけど。
「つまり……二人はずっと前からの仲良しさんで、ここ最近は蜜柑の生活スタイルの変化で疎遠になってたと?」
「あー。まぁ……ざっくりといえばそうなるね。だから、珍しく起きてるから話がしたくて呼んだの」
「いや、それならなんでそんな不機嫌そうなんだよ」
「あんたがデレデレしてる顔見てたらムカついたのよ」
「デレデレはしてないだろ!」
「二人とも、わたしのために争うのはやめて!!」
――だれがッ……!
そこまで反論しようとした柳も、蜜柑の言うズレた発言に呆れたのか、まだ開ける前のコーラの缶を額に押し当てて黙り込んだ。
「なんか、大事な用があったんじゃないか?」
「なくはないけど。今じゃなくていい……。そんなに休み時間残ってないし。一つだけ言うことがあるとすれば、蜜柑、あんた寝てないでしょ」
「あはは~、柳ちゃんさすがー。寝てないよ。だってわたし、俊也くんと居たいから」
乾いた笑みを見せる蜜柑に対して、先ほど以上に険しい表情を作り出した柳は尋ねた。
「――いまは、正気なの?」
多分、その言葉を昨日までの俺が聞いていたら、柳を失礼なやつだと叱ったかもしれない。または、そんなことを口にする柳の正気を疑っただろう。
しかし、この二日の関わりで、俺にもわかる。
伊吹蜜柑はどこか狂ってる。
それは、本人が何より認めていることだ。
「まさか~。わたしが正気なときなんて、あるわけないじゃない。これでも一年以上、薬漬けのヤンデレ少女やってるんだから1」
蜜柑がそう言って謎のドヤ顔を晒したとき、ちょうど予鈴が鳴った。
「……ヤバくなったら、保健室いくのよ。いちおう私、いまも保健委員だから口きいてあげる」
***
「今日一日、わたしはわたしでいられてたかな?」
「なにを急に」
「ふふ。夕ぐれを見るとちょっと冷静になるだけ、たぶんね。柳ちゃんにはあんなこと言ったけど、唯一わたしが正気でいられる時があるとするなら。それはこの時間。キミとふたりのこの時間」
放課後、まだ日暮れ前の教室に残り。
日が暮れるのを二人で待っていた。
別にそうする必要があったわけでも、約束を交わしたわけでもないけれど。
蜜柑は席を立つことはなかったし、俺もまたそれをわかっていた。
机にうつ伏せになりながら、ひんやりする~、とか口にして。俺のほうを見る蜜柑はどこか、たのし気で、さみし気だった。
「あのね、キミが忘れ物をとりにきた日以外に、この時間にここで誰かと会ったことってないの」
「ん? それってどういうことだ」
「んー、なんてゆーのかな。二人きりってこと」
「だから?」
「シよっか」
西日を背に、立ち上がった蜜柑の表情は陰りでよくわからなかった。
ただ、立ち尽くす彼女の影は彼女の綺麗なスタイルを、そのフォルムを映し出していた。
チェック柄のスカートをたくしあげていく彼女に対して、俺はくぎ付けになっていた。
――シよっか
その言葉が示す意味は、さすがに経験のない俺にだってわかる。
性行為を指す言葉だってことくらい。
スカートの布地の形が、その影が徐々に変化するとともに、俺の目線も上に向かっていく。
たぶん、下着はもう見える位置まで来てるのだろうけど。
夕ぐれが邪魔をする。
「もっと、近くにきて、触って」
心臓の音。
――うるさい。
冷静になろうとすればするほど脈打つ期待と不安。
どくん、どくん。と心臓が跳ね上がっていくのが、邪魔だった。
うるさい。って思った。
「……なんで、だ?」
かろうじて絞り出した理性の言葉。
「ほんとはね、寝てるときになら好きにされてもいいって思ってた、でも俊也くんわたしに触らないんだもん」
「しない……って普通」
「……するよ。皆、そうシてきたから。されたほうが、わたしも楽だもん」
「なんで、だよ」
「なんでかな? なんでだろうね。ただ、嘘ついて優しくされるよりは、何倍も心が落ち着く。ざわついたままだと不安だから」
その本心はわからないけど。そういうことは……、身体を重ねるってことは好きな男女同士がすることであって。
恋愛の延長上でなきゃいけないものだろう?
最低でも、俺にとってはそうだ。
彼女がたとえ下着を売って小銭を稼いでいようと、過去に寝てるときに3組の斎藤が悪戯をしていたのだとしても。
何度も痴漢被害にあっていたとしても――。
だからって俺がそういうことをする理由にはならない。
興奮はしている、いますぐにでも乱暴に彼女を俺のものにしたいっていう正常な欲求はある。
だが、それをしてしまったら理性が、俺の常識が崩壊する。だから。
「それは、落ち着いてるんじゃなくて、諦めてるだけだろ」
「諦め……てる? わたしが、なにを?」
「それは……」
人を信じることを……。安っぽいな。
じゃあ、なんていえばいい。
言葉を探すんだ。蜜柑を幸せにするための言葉を。
「恋……から」
(なにを、言ってるんだ俺は……!)
「恋……かぁ。したいよね、恋。したかったよね」
開いた窓から風が吹き込んで、彼女の長い髪をなびかせる。
きらめく雫が、かすかに見える。
「……泣くなよ。これからいくらでもすればいいだろ、それが……俺以外の誰かだったとしても、何度でも、なんべんでもやり直せばいいだろう」
「あれ? えへへ……なんか、止まんなぃみたい。あれ、もっともっと嫌なことあったのに。えっちなことしたあとのほうが笑顔になれるのに……なんで、断られて泣いてんのわたし」
そう……何度でもやり直せばいい。
これまでの哀しいこととか、彼女の抱える闇も、病も。
全部なかったことにできるくらい。
これからを、幸せにしていけばいい。
「――俊也くん」
「なんだ?」
「好きです……。すごく、わたしなんか大事に思ってくれるキミが、大好きです」
そう言ってスカートの裾をもつ手を放し、その両手で顔をおさえる蜜柑。
俺は一歩ずつ彼女に近づいて、その肩に手を回した。
「俺も、俺も蜜柑が好きだ。だから俺と――」
最後まで言い切るまえに、蜜柑の唇が俺の口を塞ぐ。
薄い唇の感触、涙の塩っぽい味。
柑橘系の果物を思わせる、甘い香り。
軽く開いたその隙間から入り込むのは、彼女の舌以外のなにものでもなくて。
唾液を交換するように互いの舌を愛撫し合う。
そんなことができてしまうのは、彼女の経験によるものなのか、それとも俺たちの愛情によるものなのか。
一瞬ちらつく不安も、互いの唾液を飲み込み合うような息継ぎの中で、嚥下されていく。
「んっ……としやくん。激しい……ね」
解ってる。ほんの一ミリも残ってないかもしれない理性的な部分が。
告げてる。
この口封じは、明日のリミットを待たずに、このお試し期間にピリオドを打とうとした俺への当てつけであるってこと。
彼女がまだ、俺を正式な恋人とすることを許していないということ。
たった一日がもどかしくて。
それでいて、だからこその焦らされる感覚は、甘美にも思えた。
どちらから、というわけではないけれど。
そのキスを終えたとき、蜜柑はその体を支えきらずに崩れるように座り込む。
「あれ……。あはは、電池切れみたい。眠たくなってきちゃった」
「大丈夫か? 帰れそうか?」
「……うん、支えてくれたら、多分がんばれる」
「それなら……いいけどさ」
「あのね。俊也くん……わたしちょっとだけ後悔してるの」
上目遣いに見つめる蜜柑は、恍惚とした表情をしているようにも見える。後悔という言葉とは似つかわしくないくらいに。
「――わたし、こんな生きづらい世界なのに。まだ一人じゃないみたい」
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