Ep.10 えへへ、なんかいいね

――俊也……俊也くん!


 誰かが呼んでる声がする……姉ちゃんかな。

 なんか、懐かしい気がする。


 懐かしすぎて、泣きそうなくらいだ。

 なんでだ? 

 ああ、そうか欠伸すれば誰だって涙の一粒くらい、出るもんだった。


『――おはようだよ! 俊也くん。学校、いくよ?』


 それは、その音声は頭からずれて外れかけたヘッドセットからだった。


『蜜柑……か?』


 姉ちゃんじゃなかった。そりゃそうか、俺が学校に行く時間にはもう、姉は出勤してるから。

 最近あまり会えてないな、そういや。

 

『そうだよ! ほら、そろそろ学校行かなきゃでしょ? わたしはもう準備できてるけど……俊也くん全然起きないんだから』

『わりぃ……。あぁ、もう7時半か。俺は学校から近いけど、蜜柑は大丈夫なのか?』

『もう、家出てますから! スマホで話してるの、あ。そろそろ電車くるから切らなきゃだ』


 確かに昨夜の彼女のクリアな音声とは違い、雑音というか……雑踏の音がする。

 俺いつ寝たっけ……。全然記憶にない。

 そもそも。蜜柑はいつ寝て、いつ起きたんだ? やけに早起きだけど。


『ああ……悪いな』

『……えっと、それだけですか?』

『あー、起こしてくれてありがと……? とか?』

『んー、違うよ。こういうとき、カレシさんだったら。好きとか、大好きとか、愛してるとか。言うものなんですよー。って……電車待ってる人にめっちゃこっち見られたじゃん。恥ずかし!』


(――朝からテンション高いな、やけに)


『そりゃ駅のホームでそんなこと言ってたら見られるだろ……ただでさえ蜜柑は可愛いんだし』

『あ。え? 可愛い!? ほんと? んーー、んーー。すっごぃうれしーから。それで満足しとく。じゃ、電車来るから!』

『あ。蜜柑は……』


 ちゃんと寝れたかって聞きたかったんだけどな。ノイズが消えたことで、蜜柑がディスコードの通話からアウトしたことがわかった。


「って。やべ、そろそろ起きねーとマジで時間やばい」


 ベッドから飛び起きて、まずはデスクの上のマウスを触る。

 ディスプレイのスリープが解除されて青白い光を放つ。


 ディスコードを閉じて…と。


「なんか、軽く食べれるもの買ってたっけな――って姉ちゃん、牛丼食べてないじゃん」


 悪くなるといけないし、とりあえずこれ温めて食べてくかな。

 確か、卵も買ってたし。


 俺は、冷蔵庫から取り出した牛丼のパックをそのまま電子レンジに入れて温める。

 その間に同じく取り出した卵を小皿に入れて、かき混ぜる。


「姉ちゃん忙しいんだな……」


 オレンジ色の光を放ちながらゆっくりと回り続けるレンジの皿と牛丼を眺めながら、ぼーっとそんなこと考える。


――その明かりが。その光が。俊也くんだったんだよ、きっと


 蜜柑は俺のことを光だと言ってくれたけど――

 電化製品の放つ光のほうが、まだまばゆさを持ってると思うのは、ちょっとニヒルな考えすぎるだろうか。

 

(あ、止まった)


「……熱っ。タイマーのセット間違えてんじゃん」


       ***


「遅刻ぎりぎりじゃーん、ほら、待ってたよ! はやくいこ!」


 遅刻しそうで駆け足になっている他の生徒たちがいるなか、校門の前で悠長にスマホをいじってる女子生徒がいた。

 それは蜜柑だった。


「え? なんで?」

「一緒に、教室入ろうと思ったからですよー。てゆか、自転車通学だったの? なんで? 今日だけ?」

「あ……いや、実は普段はチャリ通なんだ」

「ふーん、わたしに合わせてくれてたわけだ」


 こんなことであっさりと俺の見栄はバレてしまったわけだけど。

 今は言い訳とかしてる時間もないわけで。


「その話はあとだ! とりあえず駐輪場に止めてくるから、下駄箱行ってて」

「はーい。愛しのカレシさん!」


 一瞬、時間が止まった気がする。

 いや実際に止まってくれてたら周りの急いでいる生徒たちにとっても、俺にとっても遅刻しなくていいのだけど。

 単に蜜柑の発言にまわりの生徒が振り返っただけだった。


 そして、そのときチャイムが鳴った。


       ***


 二人、明らかに朝礼がはじまっている教室のドアを開けた。


「……原告と被告が仲良く遅刻かー?」

 

 待ち構えていたのは当然、担任の八重樫で、先日に続けてのやけに不謹慎な冗談からだった。

 

「八重樫先生……痴漢は刑事罰なので、被告じゃなくて被告人っす」

「私は! 数学が! 専攻なの! ほら、さっさと席ついてって、あれ? 伊吹さん今日は眠そうじゃないのね。あれ今日なんかテストの日だっけ?」

 

 いや学校のスケジュールを生徒に聞くなよと思ったけど、新米教師、八重樫里美はこういう性格の教師だ。

 

「あはは、里美ちゃん。そうじゃないんですよー。ただ、えっとね! 皆さんともう少し仲良くしときたいなー、なんつって」

「あら、そうなのね。それは良いことだけど……あんまり無理はしないでね」

「らじゃ!」


 そう言って蜜柑はいつもの定位置についた。

 俺もその姿を見ながら隣の自席へと座る。

 いつものように、蜜柑が水筒を取り出すことはなく、朝礼をにこにこしながら聞いている姿は本当に不思議な感じで。

 どこか、その笑顔があやうげにも見える。


「……ねぇ、俊也くん」


 蜜柑が俺を呼ぶ小さな声。

 それが聞こえるのも隣の席だからこそだ。


「なんだ――?」

「……えへへ、なんかいいね」


 終始ずっとにこにこと笑顔で俺のほうを向いてる蜜柑は、たしかに可愛いんだけど。周囲の目も気になるんだよなー。

 とくに――。


(ああ、やっぱり睨んでるな、柳のやつ)


「んーなんだろな~こういうの。なーんか、見覚えがある……。あ、そうだ……ねね、俊也くん。なんだか、エロゲみたいね!」


 確かに昨夜深夜テンションで、お互いの趣味の話とか……いろんな話した中で一番盛り上がったのが、エロゲのシナリオについてだったんだけど。


 それは、俺の秘密の趣味で――

 クラスのやつらには秘密だって……言ったばっかりじゃん。


「あれ? 聞こえてる?」


 きっと、俺に合わせて起きてくれている蜜柑にこんなこと言うのもあれだけど……さ。


。みたいじゃない? あ、でも、それだったら。はっ! わたし、犯されちゃうじゃん……」


(ちょっと黙るか、寝ててくれ――!)

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