Ep.08 物騒な世の中だよなほんと
「牛丼並2つ持ち帰りのお客様~」
明るい女性店員さんの声に呼ばれたため、会計を済ませに向かう。
「いつも、ありがとうございます」
「いえ……助かってます」
レジの前、おつりと袋詰めされた商品を受け取った。
周りを見渡せば、店内にはサラリーマンの集団や、家族連れも目に入る。
俺にも昔はこういった家族で出かけるようなこともあったのにな、と感傷じみた気持ちが湧いてきて、それをふっきるように店を出た。
自転車の前かごに買ったばかりの商品を入れて家路へと向かった。
両親は俺が中学のときに交通事故で帰らぬ人となった。
飲酒運転の車と正面衝突したとは聞いたけど。詳しくはあまり覚えていない。
それからは5つ上の姉が俺の親代わりだった。
名前は、
今年21になるが、高校卒業とともに働きだしたため、もう社会人3年目になるはずだ。
「姉ちゃん、帰ったよー。いつもの買ってきたぞ!」
二人暮らしのマンション。
鍵を開けて、玄関扉を開いたあと、そう俺は声をあげたが返事がない。
「今日も残業みたいだな……、姉ちゃんの分は冷蔵庫にでも入れとくか」
昔は姉が手料理を振舞ってくれたりもしていたけど、最近は忙しいみたいでバーガーチェーンや牛丼屋で済ましてしまうことが増えた。
洗い物もしなくていいし、楽で美味しいからべつにいいんだけど。
さて――。
とりあえず風呂いれて、洗濯機だけ回してくるかな。
(こまめに家事はやらないと、すぐに溜まっちゃうしな)
それにしても――。
「……蜜柑の唇、柔らかかったよな」
教室でお預けをくらったけど。
別れ際に彼女から求められて、キスをした。
――口直し……いまさらだけど
俺のキスなんかで、払拭できるもんなんかな。
零した牛乳を雑巾で拭いたら。その雑巾のほうが汚れててより臭くなったみたいな……。そういうことになってなきゃいいけど。
「ああ。そうだった――」
俺は自室のデスクに座りすでに定位置に置いているノートパソコンを開く。
ズボンの後ろポケットに入れたその紙は少しくしゃくしゃになっていたけど。
広げたのは、メモ帳の端切れ。蜜柑がくれた連絡先。
「たしか……ディスコードって言ってたっけ」
ネットゲーマーがよく使う音声通話アプリ。
インターネット越しにチャットや音声で通話ができるというものだ。
丁寧な丸文字は女の子らしくて、その文字そのものに愛らしさを覚えつつ、
俺は紙に書かれたそのIDをキーボードで打ち込んでいく。
あ……見つけた。
ディスコードの友達追加アイコンから、IDで検索をかける
「eve? ああ、伊吹のイブってことか」
フレンド申請を送信する。
……ものの数秒でそれは承認された。
『やほー、もう家着いたの? 申請ありがとね♡ 名前そのまんまだねー。俊也くん』
リアルで知ってる者同士でFPSをやるときに使ったアカウントだから名前はそのまま『トシヤ』にしている。
『そのままだよ。蜜柑は、伊吹のイブなんだな』
『そそ、かわいーでしょ?』
名前に可愛いとかそうじゃないとかが、あるとは思えないけど。
響きは悪くないし、前夜っていう意味は彼女になんだか似合ってる。
『あ。ごめ。わたしいまからお風呂入ってくるから、1時間くらいしたら。ちょっと通話しようよ』
俺もそのつもりだったから、ちょうどいい誘いだった。
『俺も。同じこと思ってた』
『じゃあ、決まりだね! お風呂覗いちゃだめですよー?』
――どうやってだよ。
なんて思ったあとで、最近はスパイウェアとかを使って、スマホカメラ越しに勝手に撮影することはたやすいのだという、前にネットニュースで書いてあったことを思い出した。
物騒な世の中だよなほんと。
買ってきた牛丼に紅ショウガと七味を加えながら、何の気なしに俺たちにとっての貴重でかけがえのない3日のうちの1日は終わろうとしていた。
それも……人によるものだな。
0時を迎えれば明日という人もいるけど。寝て覚めたときが明日という人もいる。
じゃあ、蜜柑にとっての今日は、いつまでで。明日はいつまでなんだ? あの夕ぐれの教室が今日の始まりだとすると、まだ1日目は始まったばかりかもしれないのだと、思ってしまった。
――3日間のレギュレーションについてはすり合わせが必要かもしれないな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます