Ep.06 わたしは一番わたしを知ってる!

「ふぁぁ~。おはよー」


 夕ぐれに染まる教室に蜜柑の呑気な声が響き渡った。

 昨日同様もう俺と蜜柑以外だれもいないクラスは日中の騒がしさとは対比した静かな空間だった。


 蜜柑は目を擦り、そして隣の席に座る俺に気づいたようだった。

 お互い机に額をつけた状態で、うつ伏せに休まりながらその顔だけをお互いにむけて目線を合わせる。

 あまりにも起きないものだから、俺も少し前までうとうとしていたところだった。

 

「あー……俊也君……? じゃなぃ、痴漢さん……」


『じゃなぃ』はないだろう。普通に俺の名前言えてただろ、いま――。

 まぁ、何はともあれ本人が起きたわけだから、ちゃんと誤解を解かないとな。


「蜜柑、すこし話せるか」

「あ、うん。そのまえに……こっち、来て?」


 甘い声で呼びかける蜜柑に、応えることにする。

 席を立ち彼女の傍に向かう。


「ねえ、ほら――」


 蜜柑がまだ少し気だるそうにその左の指先だけを向けた先は教室の窓で、地平線に沈む夕日がまるで溶けていくように形を変えていく様だった。

 町も、海も黄昏色に染まって。

 すべてがオレンジに溶けていくようだった。


「わたしね。この景色が好き。ずっと誰かと一緒に見たいな―って思ってた」

「知ってる。だから、一緒に見るために俺は蜜柑を待ってたんだ」

「そう――なの? ふふ、じゃあ偶然じゃなくて必然だったのね。なんか運命的だと思っちゃったのに」

「恋してるみたいにか?」

「なんでも当てちゃうんだ! もしや、貴様! 心を読んでいるな?」


 蜜柑の口調も声のトーンも少しずつ上がっていくのがわかる。

 日が沈むのと対比して。


 まるで、月みたいな子だ。


「読んでねーよ。全部、昨日蜜柑が俺に話してくれたの」

「んー、ごめん。ぜんぜん覚えてないや~……あ! でもね、もしかすると、もしかするとだけど」


 隣に立つ俺の腕を、その制服の袖ごとぎゅっと引き寄せて、蜜柑は言った。


「わたし、俊也くんに告白なんてしちゃってたり!?」


 その蜜柑の表情が赤らんで見えたのは、オレンジから紫にちょうど変わり始める夕ぐれの残り火がそうさせたのかもしれないし。

 ほんとうに、彼女が俺に対して赤面していたのかもしれない。

 それは俺にはわからないけど。


「逆だよ。俺が、蜜柑に告白したの」

「えー……やだな」

「……へ?」


 己惚れていた自分が恥ずかしくなる一言。

 目線を逸らした蜜柑の表情からなんとかその真意を読み取ろうとするけど。

 まともに話したのが二日目の俺にはさすがに無理だった。


「だって――わたしから言いたかったし……あ、でも。そうだ。きっとそう。わたしならこう言うもの」

「ん?」

「……3日間お試しで、とか。言っちゃうのがわたしだよね!」

「……正解。だから、まだちゃんとは付き合ってない」

「ふふふー。さすがわたし。わたしは一番わたしを知ってる! 当然のことだけどね」

「いや、昨日の記憶も曖昧な女が言うセリフじゃないぞ、それ」

「そういうのいいの! ねえ、キスは?」

「は?」

「さすがに、したんでしょ? 告白もしたんだから」


 そう言って上目遣いに見つめる蜜柑は、すごく可愛くて……直視できない瞳を避けた先には、その小さな唇がある。


――こんな嫌なこといいたくないけど。あの子はやめておいたほうがいいよ


 ふと、柳の言葉が頭をよぎった。

 こんなに可愛い子が……それがたとえ地雷系っぽいところがあったとしても。

『やめておいたほうが』なんて言われる理由があるとも思えないし。

 そんなこと……第三者に言われたって。


 俺はこの気持ちをなかったことにはもう、できない。


「……してないんだねー」

「あ……いや。えっと、してない」

「なんでちょっと誤魔化そうとしたのー?」

「いや……それはだな」

「二度目ってことにして、しようって思ったんだ? やっぱり俊也くんは痴漢さんなんだね~」


 しっかりと目を覚ましてしまったと思われる蜜柑は、そっと俺の腕から手を放して。結果的にはキスはお預けとなってしまった。


 そのことに落胆している俺を見て、蜜柑は面白がっているようにも見えたのだけど。


(痴漢のことは……ちゃんと弁明しとこう)


 ボタンは、蜜柑本人の乳圧によって勝手に弾けたのだってことを。

 じゃないと。もう一回同じことが起きそうだ。


 蜜柑が、大きく胸を前に突き出して欠伸をする姿が目についたから。 

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