Ep.04 だから3日間、お試しで

『このまま死んじゃってもいいって思うくらい、ちょうどいい幸せだったよ』


――死んじゃってもいい。

 

 死んでも……いい?


 死んでも……。


 死。


 ノイズが脳裏を駆け巡るような感覚のあとで、

 あまりにもどす黒い衝動が一瞬吐き気を誘発させる。

 それを抑え込むようにして、残ったそれは。


 苛立ちだった。


「いいわけ……ねーだろ!」


 俺自身なぜそんなにセンシティブな反応をしたのかわからなかった。

 ただ、無性に嫌な気持ちを覚えた。


 苛立ちが、そう俺に言葉を出させたんだと思う。


「わりぃ……ただ、死んで幸せになるなんて……俺はないと、思う」


 驚いたような彼女の瞳。

 くらがりの中、外灯の乳白色の明かりをその目に反射させた彼女のその水晶体には涙が溜まっていた。


「……ほんと、ごめん! なんか……俺、わかんねーけど。伊吹さんに、そんなこと言ってほしくないっていうか……生きててほしいっていうか」


 別に、生き死にの話なんて、軽口の冗談だってわかっているけど。

 本当に彼女が消えてしまいそうな気がして、ならなかったんだ。

 その予感は、正しいものだったと、これから先わかることになるんだけど。


「ふふ、嬉しい――。生きてほしいなんて、言ってくれるなんて思わなかった」

「……伊吹さん」

「あなたなんて、産まなきゃ良かったってね。もういないママによくそう言われてきたから。ほんとにうれしいよ。今日はハッピーなことが二つもあって、やっぱり幸せな一日だね! ほんと、俊也くんには感謝感謝だよ。グラッツェだね!」


 そう言って俺の前に立って、拝むように両手を合わせて泣き笑いで俺を見つめる。


 雨合羽って彼女が言った通り、あまりのサイズ感でそう見えてしまうくらいなんだけど。制服の上に雨合羽を被った、天使のような美少女が俺の前に立っていて……。


 俺には何よりも、誰よりも。愛おしく思えてしまったんだ。


「もし、嫌じゃなかったら」

「嫌じゃない!」

「まだ……なにも言ってないんだけど」

「わかるもん。俊也くんはこれから――わたしに。好きって、言うつもりなんでしょ!」


 さすがにそれは突飛すぎて、考えてもいなかった。

 俺はただ、また一緒に夕日を見ようって言うつもりだった。

 それくらいのゆっくりなテンポで育んでいくつもりだった。この恋を。


「ああ。バレたか」

「ふふふー、わかるよ、わたし、これでもエロゲ―得意なんだから」

「最悪な告白シーンだぞ。いいのか?」

「いいよ、最悪も最低も。わたしは好きなエンディングだから」


 このときの一言が、冗談だったら……軽口だったら……。

 どんなに良かっただろうか。

 そんなことに気づきもしないバカな俺は。舞い上がっていただけの、普通の男子高校生でしかなくて。


「俺と付き合ってくれないか」

「んー、どうしよっかなー……」


 困った口ぶりで、満面の笑みで彼女はその指先を下唇にあてがって。

 そして、ウィンクを一回した。


「3日間、付き合ってみよ? わたしはもう十分なくらい俊也くんでいいって思ってるけど。俊也くんがわたしを味わってみて決めてほしいの。だから3日間、お試しで」


 味わってみてってところが引っ掛かるけど。

 十分すぎる返答だとそのときは思った。

 だから、もちろん返事はOKで。


「わかった。改めて三日後告白させてほしい」

「うん、でもお試しでもわたしは今日から君のカノジョです。だから少しは甘えてもいいかな? あとねー……蜜柑。わたしの名前。名前で呼んでほしいかな。わたしは勝手に、俊也くんって呼んじゃってるから」


       ***


 そうして俺は地雷系女子、伊吹蜜柑と……制限つきで付き合うこととなったのだが。


「おはよ、蜜柑、昨日家まで送ったあと、また寝てたみたいだから――俺勝手に帰ってんだけど」

「……おはよぉ? なんで俊也くん、わたしのこと名前で呼んでるの~?」

「いや……それは、そういう話にしただろ。三日の間」


 翌朝、彼女は何も覚えていなかった。


「んー……あぁ、あーーー! 俊也くんがボタンを引きちぎった痴漢さん!? 直すの大変だったんですけど!」


 教室内に響き渡るくらいの声で、あまりにもな冤罪を吹っかけてきた。

 違う! 俺は、やってない。


「あー……ごめんね。なんか、ずっと朝から気持ち悪くてぐるぐるしてるの。ちょっとデパスちゃん飲んで落ち着くから待って」


 鞄から取り出した小さな水筒。蓋をあけて水を注ぎ。

 胸ポケットから取り出した薬のシートから二錠分のそれを押し出して口に含む。


 こなれた動作で、たしかに毎日そうしているのを見かけたことがある。

 間近でその一連の動作をまじまじと見たのは初めてだが。


「よし。起きてから――話きかせて。じゃあおやすみ」


 薬ってそんなすぐ効くものか? とも思ったけど、机にうつ伏せたまま反応しない。ただでさえ教室内で、クラスメートの視線が痛いなか、身体を揺すろうものならホンモノと思われてしまいかねない――。


「あー……柏木、被告。そろそろ朝礼はじめていいか?」


 新米教師、担任の八重樫のひとことに教室が湧く。

 怖いもの知らずなギャルといった風貌で、友達感覚で接することができると、人気の先生なのだけど。

 

(さすがに言っちゃいけない冗談じゃないっすかね)


 それでも、俺は。やってないんですけど。

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