第100話 セイレーンに祝福を

「キエェェェェェ」


 セイレーンの怒りの叫びと共に、瑠衣の周辺にとてつもない重力が圧し掛かった。

 呼吸すら難しいほどの重圧には、柔らかい地面も凹む。


「あ゛・・・ぐ・・・グラビティーコントロール・・・」


 重力には、重力で返す。

 咄嗟に思いついた方法で、圧し掛かる重力を調整し、正常に戻す。


 やっと息が出来て顔を上げると、次の攻撃が既にこちらに向かってきていた。


「あっ」


 キラキラ光る大量の破片が、瑠衣目掛けて一直線に飛んでくる。

 反射でガードウォールを唱えてみたが、作り出された魔法防御壁はあまりに脆弱でセイレーンの攻撃に耐えられるものではなかった。



 ――― キンッ キンキンッ キンッ ―――


 よけきれないと判断し、その攻撃を受ける覚悟を決めた瑠衣を、キラキラと舞う粒子が包む。

 目の前には、翔の背中。

 セイレーンの放った鋭利な破片は、駆け付けた翔が全て粉々に砕いてくれた。


「ありがとうございます。兄さ―――っ」


 お礼を言っている合間に、ズキンと頭に痛みが走る。

 情けないが、体力の限界なのだろう。


「すまん、取りこぼしたか? 怪我を見せて見ろ!」

「あ、違います。兄様のお蔭で怪我はしていません。ただ、私も万全な体制でここに来られたわけではなかったので・・・」


 魔法の根源である魔石を頼らず、自らの内にある力を魔法とする瑠衣。

 その限界はまだ知らないが、ひとまず今はこの辺りで止めておかないと、また倒れることになりそうだ。


 あれだけの怪我をしてからの1日2日の休息で、よく持ったほうかもしれない。


「まだ、何もできていないのに・・・。」

「何を言っている。瑠衣はもう十分役目を果たしている。俺たちの事はいいから、自分を守って、休んでいてくれ。」

「でも」

「安心しろ。敵の手の内はもう理解できた。すぐに片付く。」


 ギューッと瑠衣の身体を抱き寄せ安心させてくれる翔。

 見上げた瑠衣の目に映ったのは、闘志の宿った力強い目。


 視線に気づいた翔は、不敵な笑みを浮かべながら瑠衣の頭を撫でて、再びセイレーンの元へと向かっていった。


 さっきまでとは動きがまるで違う翔。

 それに感化されたか、ニヤリと口角を上げて徐々に動きを合わせていく史郎。

 

 今までは遊びだったとでも言いたげに、セイレーンを畳みかけ始めた2人の姿には、負ける要素が見当たらなかった。



 ――― 赤の他人。お前とあの黒髪は恋仲か? ―――


 最低限の支援をしながら、翔たちの動向を見守っていた瑠衣の横から、そんな問いかけが聞こえた。

 先程のセイレーンの攻撃で、地面が凹んだ際に倒れ込んでいた、カイの刀が瑠衣の頭の中に言葉を流し込んでくる。


「違います。でも・・・とても大切な方です。」


 ――― そうか ―――


「ずっと傍観してたみたいですけど、いいんですか? このままだとセイレーン、あの2人に倒されちゃいますよ。」


 ――― それが、彼女の望みならば ―――


「・・・違うと思いますよ。ルーナさんの望みは、きっと初めから変わっていないです。」


 ――― お前は何を知っているのだ ―――


「その件に関しては何も。ただ、何となく分かるんですよ。私も似たような事考えるから。」


 ――― 何故、ルーナは今でも私を待っていると? ―――


「だって、セイレーンはずっと防戦しているじゃないですか。今あの2人に殺されてしまったら、もう二度と望みは叶わないと知っての事なんじゃないですか?」


 瑠衣の問いに、しばらくの間沈黙が続いた。


 ――― 赤の他人。頼みがある ―――


「何ですか?」


 ――― 黒髪にを取らせてくれないか ―――


「兄様を使おつもりですか?」


 ――― 安心してくれ、彼と私の波長は合う。何の問題も起こさないと誓おう。私はルーナの想いの全てを受け止めたい。頼む、協力してくれ。そして、祝福を ―――


「・・・兄様は私の大切な人です。問題が起きたその時は、ここで死にながら生きた年月を超越した苦しみが2人に降りかかりますよ?」


 ――― 承知した。 ―――


 フワァっと冷たい風がそこに吹き、カイの刀から何かの念の様なものが煙の様に滲みだす。


 思い切ってその刀を手に取ると、なんだか背筋がゾワっと不快感を覚えたが、それを抑えて「兄様!! これを・・・」と叫び、刀を地面に滑らせるように翔の方へと投げた。


 驚いた翔は訳も分からずに刀を手にする。

 すると、刀から滲み出ていた煙が立ち上り、翔が頭を抱え始めた。


「瑠衣ちゃん!? これはどういう・・・」

「勝手にごめんなさい。でも、ここは一旦、その方に。」

「・・・全く、本当に勝手なんだから。勝機はあるの? 僕は―――」

「負け戦はしない主義ですよね? 心得てます。」

「あっそ・・・」


 ため息をつきながら、少々残念そうにセイレーンとの攻防戦を止めてくれる史郎。


「翔が戻って来なくても、世界破壊しないでよね?」 


 と、瑠衣の隣で小言を言いながらも、カイが憑依した翔と、セイレーンの行く末を見守る体制に入ってくれた。


 一方でセイレーンは、カイとなった翔にも攻撃の手を緩めない。

 だけど、不思議とその攻撃はカイには効かなかった。


「ルーナ・・・。」

「ヤメロ・・・クルナ・・・クルな来るな・・・シネ!!」


 魔法、遠距離攻撃、物理攻撃、セイレーンが持つ全てでカイを拒む。

 それらをすり抜け、刀一本で往なし、ものともせずに距離を詰めるカイ


 セイレーンの元にたどり着いたカイは、悍ましい化け物となったセイレーンの顔にそっと触れた。


「ルーナ。やっと君に触れられた。」

「ヤメロ・・・ワタシハモウ・・・私はもう、あの頃の・・・」

「君はあの時のまま、美しいままだ。私の愛しい人。」

「・・・カイ様・・・」

「ルーナ・・・遅くなってすまない。」


 カイに抱きしめられたセイレーンの姿が小さくなって、異国の少女の姿に変わっていく。


 見つめ合う2人の姿には、もう恐怖も邪悪さも感じない。

 だから、瑠衣は静かに歩みを進め、二人の前に立ってそっと口を開いた。


「それではこれより、ここに神聖なる婚姻の議を執り行います。この結婚に異議のある方は今この場で申し出るか、さもなくば永遠に口をつぐんでください。」


 誰かの結婚式に連れていかれた時、神父が言っていた言葉を思い出す。

 遠い日本でのうろ覚えの知識だが、そもそも2人の国は違うし、ローランド式にしろ倭国式にしろ、この世界の正式な婚姻の儀式というものを瑠衣は知らない。

 だったらせめてもの知識で、できるだけ厳かな祝福を与えてあげようと思う。


「汝、カイはここにいるルーナを妻とし、良きときも悪しき時も、富める時も貧しき時も、病めるときも健やかなる時も、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを、神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか?」

「もちろん誓う。」

「汝、ルーナはここにいるカイを夫とし、良きときも悪しき時も、富める時も貧しき時も、病めるときも健やかなる時も、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを、神聖なる婚姻の契約のもとに誓いますか?」

「えぇ・・・誓うわ・・・」

「では、婚姻の指輪を。」


 カイが、刀に収まっているエタニティリングを外して、ルーナの左手を取り、薬指にリングをはめる。

 

 ルーナの薬指の上で、エタニティリングはその輝きを増した。


 微笑み手を取り合う2人は、とても幸せそうで、こちらまで胸が暖かくなる。

 2人の幸せが永遠に続きますようにと、そう心から願えた。


 けれど、次へ進もうとして瑠衣は「はっ」と我に返る。

 今、翔の意識を操っているのはカイだったとしても、見た目は翔なのだ。


 この後、誓いのキスをするとなると、翔のキスシーンを見せつけられることになる。

 それはちょっと、なんだか心から祝福できない気がする。


「心配しなくても、これで十分だ。」


 そんな想いを知ってか、カイがそういい放つ。

 見ればルーナも微笑んでこちらを見ていた。


「借り物の身体にキスなんて出来ません。続きは向こうで。これから先は飽きるまでカイ様との時間を過ごしますわ。」

「そういう事だ。瑠衣殿、感謝する。翔殿も・・・後は頼む。」


 どうやら、カイと翔で意志の疎通が出来ているらしい。 

 何を話しているのかは分からないけれど、そうカイが言った瞬間、すっと翔の雰囲気が変わった、というより戻った。


「全く・・・魔物すら救おうとするとは、本当に瑠衣には適わない。」


 悪霊に身体を乗っ取られるのとは違い、波長が合う者同士で互いの意志があれば、少しの間憑依する事で弊害が起こることは稀だという。

 だとしても、他者の魂の介入が人間にとって危険であるのは変わらない。


 だから、フッと微笑みかけてくれるその姿が翔そのもので、瑠衣はホッと胸をなでおろした。

 

 翔は手にしていたカイの刀をおもむろに振り上げ、手を組んで祈るようにひれ伏した無抵抗のセイレーンルーナの身体に、容赦なく刀を突き刺さす。


 ――― ギェェェエェェ ―――


 そこに響いたのは、セイレーンのおぞましい断末魔だったけれど瑠衣には「ありがとう」という、少女の優しい声に聞こえた。

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