第80話 出立と刺客
数日間、ローズの館で過ごした瑠衣達は、史郎が帰宅することもあって、久しぶりに潮に戻って来ていた。
翔と一緒に
「来客は僕の知人ではあるんだけど、信用は出来ない相手なんだ。だから、逃げてくれて良かった。怖がらせてごめんね。」
との謝罪を受け、同時に、彼らが暫くは来ないことも告げられた。
もう安全だと言った史郎だが、翔は怒りの収まらない様子で
瑠衣に部屋で休んでいるよう言うと、2人は奥にある翔の部屋と入って行った。
1人残された瑠衣は、暫くは部屋で転がっていたが、なんだか落ち着いても居られず、風に当たりながら中庭を散歩する。
「あいつを連れて行く気なら死んでも止める。」
物騒な声に、いつもなら「またやってる」と済ませて足早に立ち去るのだが、今回は自然と身体が声の出所を探っていた。
瑠衣の身に起こっている得体の知れない何かを、2人はすでに理解しているのに、教えてはくれない。
だったら、知る方法は盗み聞くしかないのだ。
『ごめんなさい。盗み聞きします。』
心の中でそう謝って、聞き耳を立てる。
「・・・頼むから、あの子の為に引いてくれ翔。奴らはどんな方法を使ってでもあの子を引っ張り出す。なら、こちらから出向いた方が犠牲は少ない。」
「あぁ、言いたいことはよくわかった。瑠衣を売ってお前の手柄にするんだろ? 瑠衣の為などと、どの口が言ってやがる。そもそもお前の目的は瑠衣を守ることではない。そんなお前に瑠衣を任せられる訳がないだろ。連れて行くと言うのなら―――」
「覚悟は見事だけどね。じゃぁ聞くけど、お前に何が出来る? 結局隠れる事しかできなかっただろ。それがお前の限界だ。お前にだって、あの子は守れない。」
「・・・っ。」
「この件が僕のせいであることは認める。僕があの子を育てる目的があの子を守るためではないことも認めるよ。けどね、何度も言ってるけれど、あの子は僕にとって特別な意味を持つ子。だから奴らがどうして手を出して来たのかを、知らなきゃいけないし、勝手に手を出されて結構怒ってるんだよ。だから、お前と殺り合うのはそれらが終わってからでもいいと思ってる。だから今回は、あの子を素直に引き渡してくれない?」
「断る。連れて行けば、瑠衣は瑠衣で居られなくなる。」
「言っただろ? もう手遅れなんだよ。目を付けられた以上、あの子にだって誤魔化しきれない。どの道、お前の望む瑠衣ちゃんで居続けることは無い。いつまでも甘いこと言ってんなら・・・力で分からせるけど?」
史郎が刀に手をかけると同時に、翔もまた刀に手を当てる。
柔らかく微笑みを浮かべる史郎と、静かな怒りを身に纏う翔。
二人は睨み合ったまま、しばらくの沈黙が流れる。
見なくたって、類には部屋の様子が手に取るように分かった。
その緊張が伝わって、瑠衣の背筋もピリリと凍り付く。
「・・・・・・・・・ちっ。」
動いたのは、翔だった。
大きく舌打ちして姿勢を正す。
鞘から抜かれることの無かった刀から手を離すと、史郎もまた柄から離した手で髪をかきあげた。
「必ず瑠衣を連れて帰れ。」
「約束はしないでおくよ。」
「能無しだな。」
「あはは。ひどい言われようだ。・・・まぁいいや。ところで、話の分かるお前に、一つ仕事を頼まれてもらいたいんだよね。はい、これ。代わりに行ってきて。」
「・・・また黒服の応援か? あいつら、体よく使いやがって。」
「この前ヨルデに行く時に、潮とヨルデの境にある海域で、船がいくつか沈んでるって話をしたでしょ? あの時はそこは避けて行ったけど、今回両国の合同調査が入ることになったらしいんだよ。で、面貸せってさ。」
「それ、求められてんのは戦力じゃなくてお前だろ。代われるか。」
「無理なら翔をよこせって言って来たのは風見だから大丈夫。どうせお前、あの子が居なきゃ、仕事しかすることないんだから、これも修業ということで。強くならなきゃいけないんでしょう?」
「てめぇ、殺すぞ」
「はいはい。」
いつものペースに戻った翔と史郎。
その後は当たり障りのない仕事の話が続けられていた。
瑠衣は気づかれない様慎重に立ち上がって静かにその場を後にする。
『どういうこと?』
確信的なことは何も分からないし、会話の内容の理解もまったく追いつかない。
ただ、何がもやもやとした物が、胸につかえて苦しくなる。
――― 瑠衣は自分の価値を知らなさすぎね ―――
ローズの言葉を思い出す。
『私って・・・何?』
得体の知れない漠然とした不安がどんどん肩に覆い被さっていくような気がした。
***
「本当に大丈夫か?」
「もう、心配しすぎですよ。この通りほら、元気ですから!!」
「また無理しているんじゃないのか?」
「してませんっ。本当に全然大丈夫なんですって。」
昨日、翔と史郎の話しを盗み聞いてから、心中穏やかではなく、気づけば食事もしないままに部屋で眠ってしまっていた瑠衣。
おかげで、不慣れな場所に居た分の疲れは取れたようで、スッキリと目覚めた今朝には、悩んで仕方ないことにウジウジしていても仕方がないと前向きに切り替える事に成功していた。
『というか、冷静に考えてみれば、史郎さんが動こうとして、兄様が止めているわけですから、史郎さんといれば「それ」は起こるということです。なら、私は「それ」を待っていればいいだけ!!』
「それ」が何かは知らないけれど、時が来れば現状が理解できるだろうし、その時は遠くはないのだから焦る事もない。
瑠衣の思考がそうして落ち着いて、いつも通り翔を見送ろうとしているのとは反対に、いつもより長く眠りに落ちていた瑠衣が心配で仕方ない翔は、朝から体調やら心境やらを事細かく聞いて気遣ってくれていた。
その気持ちはとても嬉しいのだが、起きてから翔とは体調の話しかしていないし、このやり取りももう数十回。
そろそろ出なければ、翔が仕事で乗る船の出航に間に合わなくなる。
「今度は一人じゃないですから、大丈夫ですよ! 体調悪かったらちゃんと史郎さんに言いますし。あとあのお客様も、次に来たら史郎さんが話しをつけて下さるって言ってました。だから安心してください。兄様こそ、私の心配ばかりして怪我しないでくださいよ? 私、兄様に何かあったら嫌ですからね?」
「あぁ。俺は大丈夫だ。」
「本当に大丈夫ですか? 特に時間ですが。そろそろ船が出航してしまうのではないですか??」
「それはそうだが・・・で、肝心のあいつは何処だ? 姿がさっぱり見えないが?」
「史郎さんなら、朝一で急患に呼ばれて、町まで行ってます。」
「あの野郎・・・」
翔は難しい顔をして、腕を組みながら考え込んでしまった。
どうやら翔の中の瑠衣はすっかり「一人で留守番させるのが不安な子」になってしまったようだ。
『まぁ、あれだけ取り乱していればそうなりますかね・・・』
思い出すと、恥ずかしいくらいの取り乱しようだったわけだが、やってしまったことは仕方がない。
瑠衣の残念さは変えられないのなら、ここはセキュリティー面の安全性を主張しよう。
何にせよ、このままでは堂々巡りの末、本当に仕事に間に合わなくなってしまうだろう。
それでは申し訳無さすぎる。
「史郎さん、兄様が出る前には戻るって言ってたんです。だからそろそろ戻ると思いますよ。それにここから町までは一本道ですから、兄様が道すがら不審者がいないか見てくだされば、安心です。不審者だって、兄様と史郎さんの目を界くぐって、短時間の不在時間を狙えませんよ。それにこの家はエネが人除けの結界もしてくれてるんです。結界が破られたらこのお札が破れて危険を教えてくれるんですよ。守りは万全です!」
「・・・そうだな・・・俺が居なくても、お前を守る者はたくさんいる・・・」
「そ、そんなつもりじゃ―――っ」
溜め息混じりの声が翔の口から力無く吐き出され、同時に伸びた翔の腕が瑠衣の肩を抱き寄せた。
苦しいくらいに力強く抱きしめながら頬をすり寄せる翔の吐息が耳に当たって心臓が跳ねる。
頭が真っ白になって、ただ、翔の腕の中はあたたかくて心地よかった。
「ごめんな・・・瑠衣。一緒にいられなくて・・・」
聞き取れないくらい小さな声で囁かれた言葉をなんとか掬い取って、あまりの事に言葉が出ない。
未だかつて、こんなにも弱々しい翔の声を聞いたことなどなかった。
「さて・・・そろそろ限界だな。」
何事もなかったようにそう言って拘束とき、いつものように頭をポンと手を乗せた翔が、瑠衣の髪を撫でてくれる。
その移り身の早さには、流石の瑠衣もキョトンとするしかできなかった。
「なぁ、瑠衣。史郎が帰ってきたら、俺の代わりに一発殴っておいてくれないか?」
「それは・・・お断りします。お帰りになってから、ご自分でお願いします。」
「そうか。じゃぁ、史郎を殴るためにもさっさと仕事を終わらせて帰ってくるとしよう。」
「動機が不純です。でも、兄様が無事に帰ってきてくださるなら。何でも良いです。史郎さんには申し訳ありませんが、殴られてもらいましょう。良い一撃をお見舞いする為にも、お怪我なさらないようにしてくださいね?」
「心得た。」
優しく微笑んだ翔の手が、瑠衣の頭から名残惜しそうに離れていく。
「では、行ってくる。」
「はい。お気をつけて。」
「瑠衣も、気をつけてな。」
背を向けて足早に去っていく翔の姿が小さくなって見えなくなるまで、その背中を見つめていた。
ふと息をついたと同時に、抱きしめられた時の熱が遅れて身体を駆け巡る。
いたたまれなくて、両手で顔を覆ってしゃがみこんだ。
「不意をついてあんな抱きしめ方ずるいです兄様!! しかもあんな弱々しい姿を見せてくれるなんて・・・キュンってしちゃったじゃないですか・・・もう!!」
あとほんの少しあの時間が長かったなら、抱きしめ返していたと思う。
「じゃぁ、行かないで」って「ずっと傍にいて」って、言ってしまっていたかもしれない。
「そしたらずっと、側にいてくれたのかな・・・?」
独り言をつぶやきながら、地面に相合い傘なんかを書いてみる。
自分の名前の横に翔の名前を書いた途中で我にかえった。
「いやいやそれこそ不純ですよ。兄様は、私をとても心配して下さっているのですから、私の邪な感情はいったん置いておきましょう。兄様が安心出来るように、私も出来ることを頑張らないとっ!!」
よしっ と気合いをいれて立ち上がる。
「あんなのが好きなの? 趣味悪いね。」
「え!?」
いつの間にか、目の前には緑髪のツインテール少女がしゃがみこんでいた。
地面に書いていた相合い傘と瑠衣の顔を交互にみながら、その顔はとても怪訝そうだ。
「あの、どちら様ですか?」
「ん? えっと・・・・・・なんだっけ? まずは挨拶。あ、こんにちは?」
「あ、はい、こんにちは。それで、お名前とご用件をお伺いしても?」
「えーっと、なんて言うんだったかな・・・なんか格好いい台詞を教えて貰ったんだけど・・・ゴメン、忘れたわ。思い出したら言うよ。それより、あんたが瑠衣だろ?」
「はい。そうですが・・・あっ!?」
言葉を言い終える前に意識は途絶えていたように思う。
状況を理解したのは、倒れてからだったのかもしれない。
「あ、思い出した。「名乗るほどの者ではございません。」だわ。あれ? 「切り捨てごめん」だったかな?」
身体に触れた地面の感触と共に、そんな声が微かに耳に残ったような気がした。
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