第77話 そうだ、妖魔界へ行こう!


 瑠衣は、目の前の状況に唖然としていた。


『なんで・・・兄様がここに来られるの? 知人宅って・・・え・・・え!?』


 その有り得ない状況に小さなパニックをおこした頭を、いったん落ち着かせようと呼吸を整え、改めて周囲を見渡す。


 山道から獣道を通り抜けた先にあった洞窟を進んでしばらく、開けた先にそびえ立っていたのは、あきらかに倭ノ国のものではない石造りの重厚な西洋の城だった。


 周辺の空気は淀んで重く、見えるはずのない高い空は暗い薄紫に色を変えている。

 茨の植物達が乾いた地面から這うように城を取り囲み、赤く目を光らせたコウモリ達が、来訪者をあざ笑うようにケラケラと音を立てて飛んでいる。


 異界。と呼ぶのに相応しいその場所は、人間が安易に足を踏み入れることの許されない魔物達の住処、通称【妖魔界ようまかい


 この世界には、そうした異界と繋がる場所、通称、異界の扉がいくつも存在しているのだというが、異界の扉いかいのとびらを目視出来ることはほとんどいないし、人間が自分の都合で足を踏み入れられる場所ではない。


『なんで・・・兄様が異界の扉を開けられるの?』


 疑問はそれだけではない。


 ここは、高位ヴァンパイア、ローズ・ブラッドの住むブラッド城。

 妖魔界の中でも特殊な場所なのだ。


 彼女はヴァンパイアを統べる孤高の姫であり、自分以外を信用しない懐疑主義者。

 だから眷属すらおかないし、おかなくても妖魔界を震えさせるほどに強いため、この城に好んで近づく者はいない。

 という設定でゲームに登場したはずだ。


 そんな場所を我が物顔でスタスタと歩いていく翔の横顔を下から見上げながら、頭の中は「?」で埋め尽くされていく。


「怖いのか?」


 そんな瑠衣に気づいて、翔が首を傾げる。


「不気味な場所だが、魔物は出てこないから大丈夫だ」


 と気遣い微笑んでくれるのは嬉しいのだが、理解すればするほど、意味の分からない状況にやっぱり瑠衣の頭はパニックを起こす事にしたらしい。


『いやいやいや、今一番怖いのは兄様なんだけど!? ゲームのシナリオでは彼女の持つ秘宝を求めてレンが異界の扉を括るけど、異界への干渉は神ですらも骨の折れる儀式だからって、前後のイベントで下級神が2人くらい消滅してたよ? ここってそういう場所だよ?? 何で? 兄様ってヴァンパイアなの? そんな設定なかったよ?? え!? まさか眷属にな―――っ』

 

「瑠衣・・・気分悪いか? 今、家主を呼んでくるから、お前はここで休んでいるといい。」


 ずっと抱きかかえてくれていた身体を、そこにあった手作り風のブランコの板の上にそっと降ろしてくれる。


 軋む音を立てた板は心許なく今にも割れ落ちそうだったし、本来手持ち用にあるはずのロープは、鋭いとげのついた薔薇で出来ていて持つ場所もない。

 翔には申し訳ないが休める気は全くなかったけれど、2・3人乗りサイズの横長のブランコだったので、大人しくしていればひとまず怪我はしなさそうだった。


「あ・・・ありがとうございます。あの、何だか不思議な所ですね。まるで倭ノ国では無いようです。」

「あぁ、倭ノ国ではないからな。ここは―――」

「か・け・るっ」


 説明してもらえそうだったのにそれを遮って、可愛らしい声が跳ねる。

 同時に翔の背後に真紅の髪が揺れて、淡麗な顔がその肩から顔を出す。

 その姿は間違いなく瑠衣の知るローズ・ブラッドだった。


「喰うなよ?」

「えー、駄目なの? 翔が来るのずっと待ってたのに、やっと来たと思ったら、そこの人間とずっと話してるからもう待ちくたびれちゃった。妬きすぎてうっかり噛んじゃいそうだったのよ? っていうか、よく見たら美味しそうな子ね。もしかして、今日はその子がご飯?」


 翔ごしにローズが細めた目が金色に輝いて瑠衣を見下ろしていた。


『ローズってそんなキャラだったかな!? なんで、兄様はヴァンパイアとそんなに親しいのかな? やっぱり眷属にでもなったのかな? だったら兄様はヴァンパイア!? なら・・・兄様になら、喰べられてもいいな私。・・・じゃなくて、っていうか、兄様とローズ様って美男美女でお似合いだなぁ・・・いいなぁ、ローズ様綺麗だなぁ・・・。どうしたらあんな綺麗な人になれるんだろ? ヴァンパイアになったら美人になれるのかなぁ・・・』


 考える事を放棄して、瑠衣が頭の中にお花を咲かしはじめた間にも、仲良さげな翔とローズのやり取りは続いていた。


「こいつに手を出したら殺す。」

「あら、残念。じゃぁ、何しに来たの?」

「しばらく泊めてくれ。至高の宴しこうのうたげをくれてやる。」

「至高の宴? 冗談。あれは人間ごときが採ってこれるモノじゃないわ。」

「そうか。なら仕方がない。竜神を相手にする機会があったんで、お前に貸しでもつくっておこうかと手にしてはみたが、 は馬鹿みたいな値をつけて欲しがる成金にでもくれてやるか。」


 淡々とした翔が、懐から何かをちらつかせると、それをみたローズが目の色を変えた。


「・・・ちょっと待ってそれ、本当に至高の宴?」

「泊まっていいな?」

「・・・その子も?」

「当然だ。」

「・・・・・・・・・いいでしょう。ただし、私の城に入る以上、もしもニセモノだったら、あなたの大切なお姫様は死よりも恐ろしい苦しみを知ることになるわよ?」

「ならん。」

「そう、わかった。じゃぁその前に。」


 翔にピッタリくっついていたローズが、音もなく瑠衣の目の前に移動してしゃがみこむ。

 痛む足に何かが触れた気がした。


「ほら、瑠衣。これで自分で歩けるでしょ?」

「え? あ、治ってる・・・って、あの、どうして私の名前・・・」

「それは、お互い様でしょう?」

「え・・・?」

「ふふふ。随分と。私好きよ。」

「どういう意味ですか? ロー」

「「べに」よ。私の事はそう呼んで。」

「紅・・・様?」

「えぇ。いい子ね。そうだわ、この後お茶会でもしましょう。私と翔の馴れ初め、気になるんじゃない?」

「ゔ・・・」


 翔には聞こえないように、ひそめた声で言いながら顔を上げたローズは、悪戯な含み笑いを浮かべて来た。


「さ、じゃぁ行きましょっか。部屋へ案内するからついて来て。但し、勝手なことして迷うようなら命の保証はしないからね。」


 そう言って立ち上がったローズは、さっと背を向けて城への階段を登って行く。


 後を追わなくてはと急いでブランコから降りようとしたところで周囲の茨が目に入って後込みする。

 とたんに揺れたブランコに、バランスを崩した瑠衣を、待ち構えていたように翔が捕らえて抱き上げた。


「急に動いたら危ないだろ。」

「すみません・・・つい。傷を治していただいたので自分で歩きます。これ以上お荷物になりたくはないですから。」

「瑠衣が荷物だなんて事あるわけない。」

「で、でも・・・・」


 翔に抱っこさるのは素直にうれしいのだが、ローズに自分で歩けと言われた手前、従わなければ何があるかも分からない。


「俺がしたいからしている事だ。瑠衣は何も気にしなくて言い。」

「したいからって・・・それじゃ兄様は、女の子を抱き上げるのが趣味みたいですね。」

「・・・・・・・・・。」

  

 気が焦り、思ってもみない言葉が口から飛び出てしまった。

 それを聞いて、当たり前だが不快感と困惑を露わにした表情で言葉を失った翔に、ハッと我に返る。


「あ、や、冗談です! 冗談ですから、そんな顔しないで下さい。えっと、この足の傷、紅様が「自分で歩くように」って癒やしてくださったんです。だから自分で歩かないと!! よくは分かりませんけど紅様、人間じゃないですよね? 私、お夜食になりたくないです・・・。」


「あいつがそう言ったのか?」と聞く翔に、曖昧に頷くと、少しだけ不満げに顔を歪めながら「わかった」とゆっくり地面におろしてくれた。


「言っておくが、俺に女を抱き上げる趣味はない」


 どうやら気にしていたらしい。


「あはは・・・すみません。本当言うと、兄様に抱っこされるのは小さい頃から大好きですよ。でも、いつまでもそんな子どもみたいなこと言ってちゃいけませんよね。私、兄様が安心できるように、強くなります。兄様が本当に守りたい人を守れるように。」

「・・・俺が守りたいのは瑠衣だけだ。」

「え?」

「・・・足場が悪いから気をつけろ。」

「あ・・・はい。ありがとうございます。」


 前を歩く翔に手を引かれながら、ゆっくりと足場を選んで歩く。荒

 野を覆うサラサラとした砂の感触は、思いのほかひんやりとして心地よかった。




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