第76話 迫りくる強者の足音

「ほれ、約束の報酬だ。」

「あぁ、確かに。」


 1週間程の泊まり込みの仕事を終え、翔は立ち上がる。

 報酬を手にした今、もうこの場にとどまる理由は何一つない。

 そんな翔の背中を「お待ちなさい」と、嗄れた老人の声が呼び止めた。


「春にまた、あんたに仕事を頼みたい。今日より条件は厳しくなるが、あんたの腕があれば問題ないじゃろう。」

「・・・悪いが約束は出来ない。その頃どこにいるか分からんからな。」

「そういえば旅の身だと言っていたな。残念なことだ。あんたなら、どこの隊にでも属せるだろうに。儂が若い頃は、それは黒服の一番隊になるために友と日々切磋琢磨したものよ。」

「興味ない。」

「ほほほ、あんたが興味あるものは、金だけというのは本当のようじゃな。」

「・・・世話になった。」


 このまま話を聞いたとして、生産性はなさそうだ。

 ならばと好き勝手しゃべり続ける雇い主老人に背を向け、今度こそ歩き出す。


「春にまだこの辺りに居る様なら寄ってくれ。儂はあんたが気に入った。報酬は弾むぞ。待っとるからな。」


 追いかけてくるそんな言霊に軽く手を挙げ、振り返ることなく先を急いだ。


 瑠衣を潮の街に残して7日。

 今回、瑠衣は宿琉球に泊まらせている。

 訪問者と贈り物の取り次ぎには応じない様、女将に頼んであるし、何かあればエネの元に身を寄せる手筈も整えた。

 大きな問題が生じた場合には、すぐに連絡が来ることにもなっている。

 エネを信用するわけではないが、その強さが本物であることは手合わせせずとも理解できるし、何より瑠衣が安心して身を寄せられるのであればそれが一番良い事だ。


 しかし便りがないのが良い知らせといえど、それは絶対ではない。

 瑠衣をその目で見るまでは、翔が安心することはない。


 そもそも瑠衣は、出掛ける際には笑顔で見送ってくれたというのに、帰宅する頃には怪我をしていたり、毒を盛られていたり、瀕死の状態で倒れていたり・・・一緒に食事を楽しんだその一時後には熱を出して数日目を覚まさなくなったりと、予兆もなく生死を彷徨う子どもだ。

 心配はつきない。


 出来ることならば一時たりとも離れずに、側にいてやりたい。

 そうして、あらゆる危険から瑠衣を守りたい。しかしそれが現実的ではないことが分からない餓鬼でもない。

 

『今日は土産はなしだな。』


 帰路の途中、街の通りを歩きながら店に目を配らせるも、瑠衣が好きそうなものが何一つなかった。

 といっても、瑠衣が土産を要求しする事はほとんどない。

 要求するのは洞窟や森へ行った際に拾える石や木ばかりだ。


 本当はもっと色々買い与えてやりたいが、旅の荷物は限りがあるし、好みでない物を買ってやっても瑠衣を困らせるだけなので、遠出をした際には土地の屋台を一通り見て、珍しい食べ物を土産とするのが殆ど。


 しかし、時刻はまだ朝方。ほとんどの店が開店準備中。

 潮から流れてくるモノが殆どの隣町に、開店を待つ以上の成果があるとは思えず、こうなれば、この町にいる必要はもうなかった。


 町外れの分かれ道、先の街道に出ている露天に寄ることを止め、潮への近道である山へと入ることを決めた翔は、山に住む魔物の気配を少しだけ気にしながら、急傾斜な山道を足早に進んでいく。

 順調にいけば昼過ぎには潮へ着くだろう。


 その間も頭の中で考えるのは瑠衣の事ばかりだった。


 最近一番の悩みは「いつ潮の町を出ていくか」という事。


 呪いに関する直接的な手がかりは無いのだが、その足がかりになりそうな情報は点々と得ることが出来ている。

 いつもならば目的の果たされたこの場所を立ち、新たな拠点で聞き込みを開始する段階ではあるのだが・・・ここへ来て瑠衣の事情が変わった。


 街に来てからの瑠衣は、良い意味で「普通」に過ごしている。

 友をつくり、仕事が認められ、出来ることも増えて充実した日々を過ごしているようだ。

 

 自分が定めた円の中に、石をどれだけ綺麗に並べられるかと、日が暮れるまで石を拾っては並べていたり、木から落ちる葉の数を数えるために一日中一本の木の前で座り込んでみたりしていた頃とは全く違う表情で、楽しそうに流行の装飾品や食、友との出来事の話をしている。


 ひょんな事から住処を得て、領主家の別宅に住まうようになってからは、毎日の家事に精を出し、密かに庭に菜園を作る計画までたてているらしい。


 それは本来あるべき姿であり、自我を持って成長していく瑠衣をとても微笑ましく思っているけれど、同時に、そこから感じる得体のしれない力に焦りを覚えたりもしている。


 旅立つ事は容易だ。

 出立を伝えてれば、瑠衣は付いてくるだろう。

 けれどそれが瑠衣の為にならないのならば意味がない。


 不確かなモノを追って苦しませるくらいならば、いっそ旅を終えてしまおうか。


 今、ここで過ごす日々が瑠衣にとって幸せであるならば、それが少しでも長く続くように見守るべきなのではないだろうか。


『馬鹿が・・・終わりありきでどうする・・・』


 ふと湧き上がった一抹の不安を、自身の鼻で笑って吹き飛ばす。

 終わらない。終わらせない・・・。


『瑠衣はこの手で必ず守る。』


 そのためにも早く帰ろうと、歩度を早める。もう潮の街外れに出ようという場所にきたところで、向かい側から何かの気配を感じて足を止めた。


『瑠衣・・・か?』


 山道を外れて、木々の間を誰かが走っている音が聞こえた。

 その足音が瑠衣のものに似ている気がして耳を澄ましてみたが、少し乱雑で不規則な足音は瑠衣のものとはまるで違う。


 瑠衣のことを考えすぎて過敏になっているかと苦笑し、再び歩みを進めようとして、さらに聞こえた小さな息づかいに足を止めた。


「やはり、瑠衣だ。」


 と、そう脳が理解する頃には、翔の身体はもう走り出していた。


 近くにいるであろう瑠衣は、何かに追われる様にこの山道を走っている。


『どこにいる・・・何から逃げている?・・・・瑠衣っ』


 全ての感覚を研ぎ澄ませて気配を探る。

 

 直後、背後を気にしながら闇雲に走る瑠衣の姿を視界に捉えた。

 周囲に魔物はおろか人一人の気配すらないというのに、その歩みは止まるどころか速さを増し、肩でする呼吸は苦しそうだ。


『驚かせてしまうが致し方ないか・・・』


 先回りして瑠衣を待ち構え、危険がないよう配慮しながら瑠衣を捕らえてその身体を抱き寄せた。

 急に横から身体を捕られた瑠衣は大きくバランスを崩して翔の腕の中に収まったが、混乱して逃げ出そうと力いっぱい暴れている。


「落ち着け瑠衣。俺だ」

「違います!! 私は瑠衣なんて名前じゃありません。そんな人知らないです! 赤髪の人も私の知り合いじゃないし、人違いですから見逃してくださいっ」

「瑠衣? お前まさかまた・・・」

「ど、どうしても連れて行くというのでしたら、せめて、せめて兄様に合わせてください。今時死神だって今倭の願いを叶えてくださるんです。最後に唯一の肉親の顔くらい拝ませてください。お願いします。」


 半泣き状態で訴えるその言動から察するに、錯乱しているが以前のように記憶は無くしていないようなので安心する。


「驚かせて悪かった。瑠衣、俺が分かるか?」


 暴れる瑠衣を捕らえた力を緩め、変わりに頭を優しく撫でて静かに語りかけると、その声が届いたのか、気づいた瑠衣の身体がピクリと反応した。


「兄・・・様?」


 やっと顔を上げた瑠衣が翔を見つめ、涙を浮かべながら「兄様っ!!」と胸に飛び込んでくる。

 しがみつく強い力とは反対に、瑠衣の身体からは力がすっと抜けていくのが分かった。


「兄様・・・良かった・・・このまま兄様に会えない・・・と・・・思ったら私・・・」


 随分と怖い思いをしたのだろう。

 その場で力なく翔に身を預けた瑠衣は息も絶え絶えになっていた。


 すぐにでも状況を把握したいところではあるが、今一番大切なことは瑠衣の気持ち。

 はやる思いは捨てて、瑠衣が安心出来るように預けられた身体を支えてやった。


「もう大丈夫だ。俺はここにいるし、他の誰もここにはいない。もし何かが来たなら、俺が守るからな。」

「う・・・はぃ・・・」

「ほら、水でも飲んで落ち着け。」


 徐々に整ってきた呼吸を見計らい、持っていた水筒を差し出すと、こくんと頷いた瑠衣がそれを受け取り口を付けた。


 その間に瑠衣が痛めている足に目をやる。

 履き物も履かず走っていたその足に開いた切り傷が痛々しかった。

 

 帰りは抱きかかえていけばいいとして、このままでは可哀想なので、負担の無いように細心の注意を払いながらその足に薬を塗り手ぬぐいを巻いて傷口を保護してやった。

 その作業を呆けた様子で見つめていた瑠衣が、突然ハッと背筋を伸ばした。


「あっ、兄様!! すみませんあの・・・それ大事な手拭いっ。駄目になってしまいます・・・」

「大事な? 手拭いごとぎが瑠衣より大切なわけがないだろ。」

「ですが・・・」


 突然瑠衣が声をあげたので、敵襲かと思ったが違うようだ。

 こんな量産物の手拭いに何を心配しているのか、とても申し訳なさそうに俯く瑠衣。


 まだ気が動転していて正常な判断が難しいのかもしれないと、そこを深く追求するのは止めておいた。」


「そんなことより、何があったか話せるか? 無理はしなくていいが、話せる事があれば聞かせてくれ。」

「あ、はい。大丈夫です。えっと・・・」


 少し考えてから、瑠衣は出来事を語りだした。


 話をまとめると、昨日の夕方、宿へと帰る道で、中居の風鈴が「妙な客が来ているから帰るのは危険だ」と、知らせてくれたらしい。

 史郎の知人だと名乗ったその怪しげな人物を、風鈴と共に物陰から確認したが、確かに瑠衣には見覚えのない人物出たという。


「しかもその人たち、私の名前はおろか、史朗さんの名前もなんだか曖昧だったんですよ。「シュロとかシュラとかシュリとか、なんかそんな感じの名前の赤髪が連れてる、耳に輪をつけてる子どもを出せ!!」と、女将さんに言い寄ってて・・・」

「顔を見たのか?」

「いいえ。私が見たのは背中をだけです。でも、言動とは釣り合わないくらい、身なりの整った気高い・・・んー、高貴? なんと言えばいいでしょう・・・そうですね、とても、厳かな感じがする方々でした。」


 それで昨夜、瑠衣はエネの家に泊まったらしい。

 翔が帰宅するまではエネの家でのんびり過ごす予定だったらしいのだが・・・


「お昼の準備をしていたら急にエネが「何か来た」って凄い形相で・・・誰かが結界を破ってきたから、とにかく今すぐ逃げろって、裏の森から逃がしてくれたんです。」


 エネが家を囲うように張っている結界は、不審者を感知するためのものであり、そう簡単に破れるものではないと聞く。


 そもそも普通の人間ならば気づく事も出来ず、破る必要すらもないものだ。

 

 実際翔もその結界を触ることすら叶わない。


 それをわざわざ壊したということは、相手は少なくともただの人間ではないということ。

 その存在を特定することは出来ないが、史郎の知人を名乗り、エネがわざわざ瑠衣を逃がした事を考えれば目星はつく。


 相手はおそらく「神」と呼ばれる者の類。

 瑠衣には、それらに付け狙われる理由があるのだ。


『・・・厄介だな』 


 信仰の対象であり、象徴的存在の神ではあるが、妖狐のエネがそうしているように、人間界で人間や動植物と共存している神もいる。


 好戦的な神やその化身は討伐の対象にだってなるし、そういう仕事請け負うこともある翔にとっては、神すらも身近な存在であり、特別恐れ多い存在でもない。

 

 ただし、総じて神は人智を越えた強さを持ち、神が関わると何もかもが一筋縄ではいかなくなる事も知っている。


 ――― あの子を中心に、何かが起きている事は確かなようだよ ――― 


 と、史朗が言った言葉を思い出す。

 

 瑠衣の存在は、翔にとっても、史朗にとっても、エネにとっても、まだ見ぬにとっても特別なのだ。

 しかしその意味合いはそれぞれの思惑によって大きく異なる。


 翔の想いはきっと誰とも交わらない。


 そしてその誰よりも翔は弱い存在だった。


「エネは・・・彼らに思い当たる節があったみたいです。捕まったら、兄様達に会えなくなるかもって。だから、「それが嫌ならとにかく翔の元まで走り抜けなさい!!」って言われて、・・・兄様に会えてよかった。」


 囁くように、そう言って報告を終えた瑠衣は、何を考えているのかいないのか、ふわりと宙を見つめていた。


 その姿がどこかへ消えてしまいそうなほど儚く見えて、思わずギュッと抱き寄せて頭をを撫でた。


「・・・兄様に撫でられると、安心します・・・」


 そう言いながら、身を寄せて撫でられに来る瑠衣の姿に、翔の荒みそうな心が落ち着いていく。

 少し乱れた前髪を直すように、柔らかい髪に指を絡ませると、くすぐったいのか「ん・・・?」と声を漏らしながらも、心地良さそうになでられている瑠衣がなによりも愛おしい。

 

『たとえ相手が神だろうと、瑠衣に危害を成すのならば斬る。それだけのことだ。』


 朗らかな微笑みを浮かべながら、真っ直ぐに見つめてくる瑠衣の目を見れば、言葉など無くとも、いつだって目的を見失わないでいられる。


「一人でよく頑張ったな。俺が、瑠衣をどこへも連れていかせたりしない。だから、安心しろ。」


 強がりで良い。

 瑠衣のためなら本当の強さに変えられるから。 


「お前を捜す奴らが史朗の知人かどうかは確認しなければ分からんが、あいつはまだ暫く戻らんだろう。その間俺の方でも調べてはみる。が、それより今は瑠衣の身を隠した方がいい。」

「でも、エネの家を特定して、結界すら壊す人たちですよ?」

「そう怯えなくていい。この近くに知人が構えた館があってな、そこならば例え神でも居場所を特定できない。」

「神様?」

「・・・と、本人が得意気に話していた。怪しだろうが、信憑性のある奴で・・・っと、説明するより行った方が早い。移動しても平気か?」

「あ、はい。」


 軽く身なりを整えた瑠衣が立ち上がろうとするのを遮って、その身体を抱き上げる。


「ひゃ! 兄様、私大丈夫です。歩けますよ! さっきまで走ってましたし。」

「それで怪我したのだろう? 傷口が悪化したらどうする。」

「でも・・・重くないですか?」

「むしろ軽すぎて心配だ。ちゃんと食べていたのか?」

「それはもう、しっかりと。あ、あの、でもやっぱり恥ずかしいから自分で・・・」

「人通りのある道は通らないから、このくらいはさせてくれ。でないと、瑠衣を怖い目にあわせたという自責の念で血を吐きそうだ。あぁもう少し早く仕事を切り上げていたなら・・・」

「それはダメです!!」

「じゃ、大人しく抱かれててくれ。」

「・・・はい。」


 大人しくなった瑠衣は、少し不服なのか俯いてしまった。


『以前ならば抵抗の「て」の字もなく、されるがままだったのにな・・・』


 ほとんど感情を露わにしない瑠衣の、微妙な変化を見極めるのが好きだった。

 瑠衣のことならば、言葉無くてもわかる自信があった。

 けれど、まだまだ知らない表情がたくさんあることを知った。

 そしてそれらが総じて愛らしい事も。


「ところで瑠衣、今から行く場所は安全だが、居心地は悪い。それから館の主はかなりのくせ者だ。我慢ならなければ無理して居座る必要はないから言ってくれ。」

「ご厄介になるのにそんな我が儘言いませんよ。それに、兄様が一緒だったら私はどんな場所でも大丈夫です。だって、兄様の側が一番安全ですし、私のお家は兄様ですから。」

「・・・そうだったな。」


 真っ直ぐに信頼を向けてくる眼差しが、屈託のない柔らかな微笑みが、何もかもが愛おしくて両手に抱えた宝物を大切に抱き寄せる。


「なら、その信頼に応える働きをしないとな。」


 いつの間にか背負っていた余計な力が全て抜けていく。

 やるべき事はいつだってひとつだけ、この手の中にある宝物を守り通すことだけなのだ。

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