第75話 翔の日常

 日の当たらない裏路地には、柄の悪いならず者達が、通る人間を品定めするように睨みをきかせている。

 そのすぐ側では、罵声を浴びなら鞭で打たれている酷い身なりの女。

 土下座で何かを懇願する男。 


 誰が何をしようと、誰もそれを気にしたりはしない。

 たとえそこに人の死体が転がろうとも、邪魔ならばそれを蹴り飛ばして通るだけ。


 そんな無法地帯が許されている路地、通称・奈落通りならくどおりを、翔もまた、周囲の出来事には目もくれずに歩いていた。


 通りの突き当たりには、場違いな程立派な屋敷が建っている。

 この奈落通りの番人ともいえる人物の屋敷に、翔は入った。

 

「お待ちしておりましたよ。翔さん。」


 ひょろりとした背格好の男が、ニタニタと出迎える。

 細めた目からは表情を感じ取れず、それがまた一層不気味さを感じさせた。


 屋敷の地下にある仕事場には、縄で手足を拘束された男が一人。

 酷く無様で汚らしい姿で転がっていた。


「こいつか?」

「えぇ。そうでございますよ。迅速で正確な情報のおかげで、逃げ出す前に捕らえることができましたとも。流石は翔さんです。」

「御託はいい。書状を。」

「こちらに。」


 男の手をすっぽりと覆い垂れ下がる長い袖口。

 その上に置かれるようにして差し出された巻物を手に取り広げる。


 堅苦しい文章とお偉い方の名前が乱立する書状の内容に目を通し、書状が本物かどうかを確認した。


「頼む! 助けてくれ!! 俺には、まだ幼い子どもがいんだよ!!」


 拘束された男の擦れた声がザラリと耳につく中、書状の確認を終えた翔は拘束された男を一瞥する。


「助けてくれ! 何でもするから!! 頼む!!!」


 何度もそう叫びながら、不自由な体を揺らす男に向かい、刀を抜く。


「何でもする、か。」

「はい! 何でもします!! ですから命だけは―――っ」

「なら、死ね。」


 何の慈悲もなく、その刀が振り下ろされる。

 絶命した男の亡骸を冷ややかに見つめながら、翔は丁寧に納刀した。


「相変わらず見事な仕事ぶりですな。 最近は表のヌルい仕事ばかりされていると聞き心配しておりましたが、どうやら杞憂だったようです。安心しました。」

「・・・仕事は終いだ。帰らせてもらう。」

「連れませんなぁ。・・・報酬はいつものように?」

「あぁ。」


 必要事項だけ話し、屋敷を出ようとした所で「あぁ。そうです」と男が翔を呼び止めた。


「近頃は、表で活躍される翔さんを、快く思っていない輩も居るようですよ。暗闇で生きるもの達は光を好みません。お気をつけなされ。」

「それは、貴様の話か?」

「滅相もございません。私はただ、裏社会こちらでのあなたの働きぶりに感銘を受け、その才が鈍らない事を願っているだけです。あなたは私どもにとって貴重な人間ですからね。翔さん。」


 勝手なことを言う男を一瞥し、翔は無言で部屋を後にする。


「では、またいずれ・・・」


 背中から追いかけてくるその声は、とても愉快そうで、それが実に不愉快だった。



『・・・飲んでくか』


 ここ数日仕事にかかりきりだった為、すぐにでも帰って瑠衣の顔を見たかったが、この蟠りを持ち帰りたくもない。


 社会の吹き溜まりのような、鬱々とした奈落通りを抜け、飲み屋街へとたどり着く。

 空いている適当な店に入り、一人無心に酒をあおっていると背中から聞き覚えのない声が翔の名を呼んだ。


「まさかこんな所で会うとはなぁ。」


 横目でちらりと垣間見たその男は右腕がない、隻腕の男だった。


「随分とお上おかみに気に入られてるみたいじゃねぇか。」

「誰だ貴様。」

「てめぇ・・・この俺を覚えてねぇのか? この腕見ても思い出せねぇか!?」

「興味ないな。」


 目を合わせもせず、酒をあおり続ける翔に男の怒りが露わになる。


「てめぇ、調子こいてんじゃねぇぞ。表に出ていい気になってんのかもしれねぇが、所詮、同じ穴の狢。貴様など吹き溜まりに落ちたクズ中のクズだ。」

「・・・そうだな。話が以上なら消えてくれ。酒が不味くなる。」

「てめぇ・・・」


 相手にされないことに怒りが増す男が拳を振り下ろす。

 翔はそれを見ずとも片手で軽く受け止めた。


「貴様の事など知らんが、一つ思い出したことがある。以前、目の前の財宝に目がくらみ、仕事を蹴って裏切った輩がいてな。そいつを捕らえ処罰を与えるのは俺の仕事だった。だか、殺るやる直前で命までは奪うなと達しが来た。だから俺は、そいつの利き腕を切り落としてやった。右の腕を根元からな。」


 男の拳を掴んだまま、その手にゆっくりと力を込める。

 その力の差と痛みに男は「ぐっ」と顔を歪ませた。


「貴様の話など興味はない。残った片腕を失いたくなかったら今すぐ消えろ。」


 嫌悪感を込めにらみつけると、男は歪めた顔のまま舌打ちし消え失せて行った。


「・・・ったく、おちおち外で酒も飲めなくなったか。」


 残っていた酒を勢いで全て流し込み一息ついてから立ち上がり店を出る。

 空には、茜色の夕日が空を染め上げていた。


 ふと思いつき、商店街の方へ少し回り道をしながら帰路につく。

 思った通り、そこには露店を片付ける瑠衣の姿があった。


「瑠衣。」


 そっと近づき名前を呼ぶと一瞬驚きながらも瑠衣は笑みを浮かべた。

 最近の瑠衣はよく笑う。

 急な変化が見えた時には、何かがあった様で心配もしたが、今となってはそんなものはもうどうでもいい。

 瑠衣が瑠衣であることに、何ら変わりはないのだ。


「兄様! お仕事終わったんですか? お疲れ様です。」


 ぱぁっと華やいだ笑顔を満面に咲かせる瑠衣。


「お前もな。変わりなかったか?」

「はい。特にはありませんが、今日いいことがありましたよ。でも・・・兄様にはまだ秘密ですっ。ふふっ。」

「楽しそうだな。瑠衣。」

「楽しいですよ。だって、兄様が居ますから。」

「全く。お前は本当に・・・。」


 悪戯に微笑む瑠衣に惚けながら、翔はふっと息をつく。

 

 今はただ、こうして無邪気に楽しそうに生きる瑠衣の尊厳を守ってやりたいと切に願う。

 それが叶うなら何もいらない。

 どうせこの手には、抱えきれない罪を犯してきているのだから、今更綺麗事の世界で生きていく気などさらさらない。

 いつかあの吹き溜まりに身を沈める事になるのならば、それで本望だ。


「帰るか?」

「はいっ。」


 弾む声で返事する瑠衣の荷物を持つ。

 後ろをトテトテと歩きついてくる瑠衣のリズムに心が和む。

 歩幅を合わせながらゆっくりと歩くこの時間は、翔を支えるかけがえのない宝物。


『だからどうか無くならないでくれ・・・』


 いつだってそれだけを祈りながら、背中に感じる瑠衣を想うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る