第70話 【神の裁き】とは何だったのか


「あぁ、神よ。再び我に身体を・・・我が一族は、あなたのために捧げ物をしてきたのです。それを壊したあいつを、この手で葬り去りましょう。それこそが、あなた様の・・・」


 霧がかる森の中を柳太郎だったもの黒い影が走り抜ける。

 急がなければ、はやく神の元へ・・・。


「あぁ、神よ・・・次こそは必ず・・・」

「んー。僕は別に人間の子どもの遺体は趣味じゃないんだけどね。君たちが勝手にやって来た事の責任を、僕に擦り付けるのは止めてもらえないかな?」


 深い霧の向こうから、軽い声が一つ。

 妙に苛つく声に足を止めた。


「誰だ貴様っ!!」

「あの祠に祀られてる悪鬼神だよ。はじめまして柳太郎くんだった人。ちなみに僕があの子どもを助けたのは、君の依り代にする為じゃない。だから、君の次の身体とやらは用意できないんだな。残念だけど。」


 目の前の霧が少しだけ晴れて、そう言う相手のシルエットが浮かび上がる。

 神とはまるで思えない、よく見慣れた人間像。

 唯一見慣れないのはその頭がピンクがかっている事くらいか。

 その姿には見覚えがある。

 難破船から最初に降りてきた奴だ。


「お前、翔と一緒にいた、翔の仲間だろ? クソっ、殺してやる。」


 腕をかかげ、ありったけの怨念を込める。

 が、それ放つ前にあっさりと刀で払われてしまった。


「悪いけど、君の相手は僕じゃないんだ。」

「なっ、何故、これはそんなものでは・・・」


 もう、その男はこちらを見ていない。

 ものすごく嫌そうな顔で宙を見上げていた。


「・・・ったく、死神お前らが雑な仕事したせいだからな。手間かけさせんなよ。じゃぁね。」


 男の姿がスッと消えた。

 かわりに、銀髪に黒いローブをまとった、神々しい存在が現れる。


『あぁ、ほら、神は僕をみすててなどいなかった。あぁ、神よ。今度こそあいつを殺して・・・』


「愚かなる人の魂よ。・・・滅せよ。」


 言葉を発するよりも早く、何かが身体に振り落とされた。

 その瞬間、柳太郎の意識はこの世界の何処からも消えていったのだった。




 ***




 翔が柳太郎を打ち倒した後。

 憑依されていた青年を介抱していると、何処からともなく史郎が帰ってきた。


「多分、今は眠っているだけ。憑依状態にあったんだったら、もうすぐ目覚めると思うから、それからじゃないと何ともだけど、悪霊の気は感じられないから、大丈夫だと信じたいね。」


 翔から簡単に事情を聞いて、青年を軽く診察した史郎の言葉に、何となく場の空気が和らぐ。

 絶対ではないにせよ、こういうとき医者の「大丈夫」は安心感が違う。

 

『何も問題ないといいな』と瑠衣が胸をなで下ろしていると、横で流木に腰掛けている明日花が着物の袂を引っ張った。


「ねぇ、先生は今までどこへ行っていたんですの?」

「さぁ? 史郎さんは時々こうなんです。いつの間にか居なくなって、気づくと戻ってくるんですよ。」

「この島で何かする事でもあったのかしら?」

「んー・・・確かに。この島から出る手段は無いですもんね。助けでも呼んでたんでしょうか?」

「助けって・・・こんな離れ小島では手段がありませんわ。」

「でも、居なくなった史郎さんが帰ってくると、大体、状況が好転するんですよね。兄様も機嫌よさそうですし、何か2人が晴れ晴れしてますから、きっともうすぐ潮に帰れますよ。良かったですね!」

「それはあなたの主観でしょう? 今のところ、状況は振り出しに戻ったとしか思えませんわ。」

「いえいえ、経験則です。仕組みは全く分かりませんけど。この感じは、もう安心して大丈夫な感じですよ。」

「経験則を感覚で語らないで欲しいですわ・・・でも、そうであることを願いますわ。というか、あれをどう見たら、機嫌がいいのかしら? いつも通りの不機嫌顔ですわ・・・。」


 呆れた顔で、明日花がはにかむ。

 明らかに安心していない様だが、これには根拠のない自信がある。

 瑠衣はもう、肩の力を抜いてすっかりリラックスモードに突入していた。


「明日花様。目覚めたようですよ。」


 丁度そこに、萌生から声がかかる。

 目覚めた青年は、特に後遺症もなく、全くの無事だったようだ。 


「皆さんが、助けてくださったのですね。ありがとうございます。ボクの名前は松風まつかぜです。この島に一人で来て、池のほとりまで行ったのは覚えているのですが・・・」

「松風・・・? どこかで聞いた名前ですわ・・・」

「私もです明日花様。あれは確か領主様をお見送りする前・・・風見かざみ隊長が・・・あ! もしかしてあなた様は、黒服隊隊長、風見かざみ様の御子息では?」

「はい。父をご存知・・・って、あ、明日花様!? これは大変失礼いたしました。」


 明日花を目にしたことがあったのか、その姿をとらえた松風は勢い良く起き上がり姿勢を正した。


「私のことをご存じなのは嬉しいですわ。ですが、あなたは怪我人なのですから、急に起き上がってはいけませんわ。私も事情があって立ち上がれませんの。あなたも楽になさって欲しいですわ。」

「お気遣いのお言葉痛み入ります。」

「そう堅くならなくて大丈夫ですわ。それより。何故このような場所にいたんですの? 確か、風見隊長の御子息は、先日から行方知れずと聞きましたわ。出発の前、お父様が心配していたんですの。」

「領主様が・・・。お恥ずかしい話ですが、家を飛び出して来たのは事実です。実は少し前に、ひょんな事からボクがこの島の生まれだったと知ったんです。家に母が居ないのは、父の不貞によって出来た子どもだからだと言われていたボクにとって、寝耳に水な事実でした。父は【神の裁き】の後、調査の為にこの島に派遣された警備隊の一人で、調査中に赤子だったボクを拾ったそうです。父のことは、それまで本当の親だと疑わず生きてきました。その思いは今も変わりません。どれだけ後ろ指を指されても、ボクにとって、父は尊敬できる自慢の父です。・・・ですが、事実を知ってから自分が生まれた場所が、【神の裁き】がどんなものだったのかが、どうしても気になってしまって。父にはそれが面白く無かったんでしょうね。些細なことでの口論が増えてしまって。」

「それでこの島に・・・」

「はい。勢いで飛び出して来てしまいましたが、何も分からないまま、気づいたら悪霊に憑依されていたなんて情けないです。これからどうしようかな・・・。」

「大変でしたわね。でも、この先は大丈夫。私達がきちんと潮までお送りしますわ。」

「いえ・・・帰れません。ボクは父にひどい言葉を浴びせたんです。それに、何故【神の裁き】は生存者ボクの存在を隠さなければならないのかだけは、どうしても突き止めたい。それが出来なければボクは・・・。父に聞いてもはぐらかすばかりで。」


 グッと握りしめられた拳からは、松風の意思の強さが感じられる。

 瑠衣からすれば、尊敬できる自慢の父親が居るのなら、それでいいのでは? と思うけど、考え方は人それぞれだ。


「それはね、事実が国王命令で封じられているからだよ。」


 松風の神妙な面持ちに静かになった所に、ポンと言葉が投げられる。

 何処か諭すような、気取らない史郎の声。


「君の知りたい事を教えてあげよう。まず、【神の裁き】の生存者は君一人じゃない。僕が知ってる限りでも、数人の生存者がいたんだよ。だけど君も含めて全員が年端のいかない子どもだった。成長の過程で惨劇を忘れてしまえるくらいの幼子しか生き残ってなかったの。だから、国はその生存者を隠すことにした。【神の裁き】から逃れた子どもを、神と崇める者が出ないように。破滅の子と恐れる者が出ないように。子どもたちが罪の意識を持たず健やかに、一人間として。何も知らずに生きていけるようにってね。」

「でしたら何故父はそれを隠すんですか!?」

「言ったでしょう? この事実は国王命令で口外が禁止されている。安易に話したら国家反逆罪に問われて・・・死罪かな。」

「じゃぁ、あなたは何故・・・」

「ん? 僕、何か言ったっけ?」


 ケロッとした顔で史郎が周囲を見渡すも、誰もが空気を読んで首を横に振っていた。


「見覚えもないこんな島に、君が執着する必要は無いって事、分かって貰えたかな? そんな暇があるんなら、風見に稽古でも付けて貰ってた方が遥かに有意義だと思うよ。全てはこの島の悪鬼神の仕業。人間ごときに、神の考えてる事なんか分かりはしないよ。考えるだけ無駄なのさ。だからさ、大人しく一緒に帰ってくれるかな? 因みにこの島、人の立ち入りが国から禁じられてる場所だから、一緒に出ないと捕まるよ?」

「・・・・・・。」


 史郎の言葉に、しばらく考え込んだ松風が小さく首を縦に振る。

 これにて、家出少年の救出も一件落着だ。


 後は帰りの船が来れば、この旅も終わるだろう。

 そう思って、瑠衣は遙か遠く水平線の先を見渡した。


「あ、船・・・」


 意外にも、水平線よずっと近くに、もうその船の掲げる旗の印までが目視できるほど近くに、船がいた。


「本当です! 明日花様、船がこちらに向かって・・・あれは、潮様の船ではありませんか?」

「えぇ・・・そうね萌生。確かにあれはお父様の船ですわ。でもどうして・・・」


 徐々に近づいてくる船を、疑うように何度も目を細めている明日花と萌生。

 けれど、船が着いて降りてきた、明らかに普通ではない人達を見て、そんな杞憂もすぐに晴れたようだ。


「瑠衣の感覚が、経験則であったと認めますわ。」


 ポソリとつぶやく明日花の横顔には安堵が浮かんでいた。

 それを見て、萌生も穏やかに微笑んでいる。


「良かったですね。」


 2人にそう返して、立派すぎる領主の船から続々と現れる只者ではない方々の見事な整列ぶりと、彼らと話を付けに行った史郎の背中を、瑠衣も静かに眺めるのだった。

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