第68話 翔の生い立ち

 瑠衣と一緒に御池に落ちて、十数年ぶりにたどり着いてしまった忌々しい神殿を、一周見渡して翔はふっと息を吐き出した。


 当時から寂れた場所だったが、そんな面影すらないただの洞窟となり果てた神殿。

 だからといって哀愁など微塵も感じないのは、住処としての愛着など全く無いからだろう。


 出来ることならばこんな場所、二度と来たくはなかったが、御池のワニから逃れる術は、この場所以外になかった。


 だから、用が済んだなら、とっとと出て行こうと思っていたのだが・・・。


『随分と楽しそうだな・・・』


 記憶の欠片も無いだろうこんな場所で、先ほどまで嬉しそうに過去の自分と背比べをしていた瑠衣は、今度はそわそわと周囲をちら見している。

 他にも何か残っていないか気になって仕方ないのだろう。


「ここを出る前に・・・少し、昔話をしていくか。」


 本当は知りたいだろうに、気にしない素振りを続けてくれている瑠衣に、気づけばそんな言葉をかけていた。


「お前には、ここで起こったことを知る権利がある。知りたいんだろ?」

「でも・・・」

「俺の事なら気にするな。」


 知れば瑠衣は、失望するだろうか。

 人殺しだと罵るだろうか。

 恐怖で離れていくのだろうか。

 拒絶されたなら、側にいられなくなってしまったら・・・。


 考え出せば、そんな不安に押しつぶされる。

 けれどここへ来てしまった以上、遅かれ早かれ瑠衣は全てを知ることになるだろう。

 ならば妙な憶測を生むよりも、事実をありのまま伝えてしまったほうがいい。


『それで離れていったとしても、俺のすることは変わらない。最期まで、瑠衣のために。』


 不思議なもので、複雑に揺らぐ思いも、言葉に出して後戻りが出来なくなると、すっと収まり穏やかな心持ちになる。


 それでも不安で揺らぎそうな心をぐっと抑え、何から話そうかとじっと瑠衣を見つめた。


「瑠衣は、海花島みはなじまでの記憶は残ってるか?」

「朧気ですが一応は。家の前に魔物用の罠が仕掛けてあったり、おすそ分けに毒草頂いたり、何かと刺激的でしたから。」


 鐘鳴り島ここを出て、過ごした海花島。


 島に流れ着いた野良子のらこを、人とも思っていないような人間たちの住む島の居心地は最悪だった。


  所詮奴らにとっては野良は奴隷。

 住まう代わりにと、朝から晩まで寝る間も無いほどの雑用を押し付けられ、病弱で動けない瑠衣は生かす価値もないとよく嫌がらせを受けていた。


 それでも、面倒を見てくれていた大人が一人、居た頃はまだよかったのだが、彼が亡くなるといよいよ瑠衣の命の危機で、瑠衣が呪いを受けたのもあって、島を出る流浪人となる選択をした。


「近所の子に兄様の事を悪く言われて、私が怒って砂投げたら、その夜家に火をつけられたじゃないですか。本当はあのせいで島から出なければならなくなったんじゃないかって、ちょっと思っていたんですけど・・・そうだったら、ごめんなさい。」

「それはない。が・・・まて、あのボヤ騒ぎはそんな事が原因だったのか?」

「だって、昼夜問わず、島の誰よりも働かされていた兄様が、死神申し子だとか、破壊の神だとか、海花島を沈めに来た悪魔とか言われてて・・・意味は分からなかったんですけど、あの日はとっても腹が立って思わず手が。ごめんなさい・・・。」


 当時の瑠衣は、まだほんの子どもで跳ねっ返りも強かった。

 といっても、その力の振るい方は守るためであって、決して攻撃的な物ではなかったのだけれど。


 少しでも言い返せば暴力が飛んでくる扱いの中、砂など投げたのであれば家に火もつくだろう。

 

 あの日は、押し付けられた仕事が深夜まで掛かり、やっとの思いで帰路に着いた。

 すると、住処は不自然な明るさを灯していて、急いで駆け付けると、燃える家屋の真ん中で、痣だらけの瑠衣が転がっていた。

 少しでも遅ければ、取り返しの着かない事になっていただろうと、悔しそうに言う島の大人の顔を、殴る体力が無かったことを、未だに後悔している。


「すまない・・・。」


 まさかその発端が自分にあったとは。

 生きている限り、常につきまとう己の罪が、もうとっくに瑠衣にまで危害を加えていたことに失望し、同時に『なら、尚更話しておかなければ』と、心が決まった。


「どうして兄様が謝るんですか?」

「そいつの言ったことが全くの嘘ではないからな。」

「・・・兄様、神様だったんですか?」

「いや、どう転んでもそこではない。・・・俺は死神の申し子でも、破壊の神でもないし、海花島あの島を沈めたいと思ったこともない。が、そもそも鐘鳴り島の集落を血に染めたのは神じゃない。鐘鳴り島この島の風習のせいで両親を失った、愚かな餓鬼の復讐だからな・・・。」


 その一言で、大体理解が出来たのだろう。

 瑠衣は一度大きく目を見開いてから、少しだけ居直って翔の話に耳を傾けた。


 特に大きく反応するわけでもなく、真剣な眼差しで静かに話を聞いてくれる瑠衣に、翔は淡々とありのままを伝える。


 生け贄の儀式のこと、両親が死んだ日のこと、神殿で過ごした日々のこと、【神の裁き】が起きた日のこと・・・。




 ***




 人喰いワニから逃れ、史郎によって何とか命をつないだ翔は、動けるようになるとすぐに復讐の為に修行を開始した。


 史郎の修行は、初めから手加減など全くなく、喧嘩すらまともにしたことの無かった翔には付いて行くことすらままならなかった。


 史郎が管理しているという、魔物だらけの山に連れて行かれ、死と隣り合わせの過酷な中で、様にならない刀を限界まで振るっては気を失い、気づけば神殿に戻ってきている。

 傍らにはなけなしの食料、それを口に入れてまた、山へと向かう。

 頭の中にあったのは、島民を皆殺しにするという信念だけだった。


 そんな日々がしばらく続いたある日、やっと低級魔に苦戦しなくなった頃、史郎が瑠衣を連れてきた。


「やっとお前に会わせることができるよ。」


 それは、ひとつの修行の区切りでもあったらしい。

 このまま翔が耐えきれずに逃げたり死ぬようなら、会わせるつもりは無かったと後に聞いた。


 当時の瑠衣はまだ2歳程の幼子。

 それまで最低限の会話しかなく、お互い関わることのなかった史郎と翔の間に、瑠衣は自然と会話を生んだ。


 気を失ったまま神殿に運び込まれると、瑠衣が過剰に心配してくるのが面倒で、史郎から出される一日の課題を完璧以上にやり遂げるようになった翔は、物凄い速度で力をつけていった。


 史郎と瑠衣と翔、3人での歪な日々。

 偽りの穏やかさを感じては、すぐに終わるという現実を突きつけられ、そんなことはつゆ知らず無邪気に笑う瑠衣をみる度に、胸のどこかに痛みを負った。


 それでも、翔は復讐を止めるという選択は選ばなかった。



 両親が死んで1年後。

 8歳になったその日の夜、皆が寝静まった頃に翔は集落を訪れた。


 この1年、両親を殺した事を罪とも思わずに、何の苦労もなく平穏無事に過ごしてきたであろう脳天気な奴らの、警戒心ない寝顔には心底反吐がでた。


 はじめにおさを斬り殺した。

 次に父を殺した男を斬った。

 母を騙した女を斬って、その子どもたちを斬り殺した。


 頭の中に、あの日の記憶が舞い戻る。

 男の高笑いが聞こえた。

 人々の歓喜の声が聞こえた。

 

 自分を見下ろす不気味な目と、身体が崩れていく両親。

 血に染まる池。


「あ"ーーーーーーっ!!!」


 復讐心に支配された翔は、その心のままに斬って、斬って、斬って、斬り捨てて・・・


 その辺りの記憶はあまりない。

 気づいた時には、転がったたくさんの屍を前に空を見上げていた。

 

 静寂の中、澄み渡る空に輝く星が恐ろしいほどに綺麗で、しばしその瞬きを眺める。

 そんな事をしていても、もう誰も翔を殺しに来たりしなかった。


「・・・父様・・・母様・・・もう、疲れた・・・そっちへ行ってもいい・・・?」


 そう思たときに、声が聞こえた。


「かけるー どこー?」


 場にそぐわない、なんとも可愛らしい声だった。


「やっとみつけた! こんなとこでなにしてるの?」

「瑠衣・・・なんで・・・」


 その子どもは、3歳になるかという娘だというのに、転がった屍に興味すら示さず、恐れず平気でそれををかき分けてきた。


「かける、けがしてる? しろうにみてもらお」

「いい。俺はあそこにはもう戻らない。俺の家は・・・ここだ。だからお前は、帰れ。勝手に出てきたんだろ? 史郎に怒られる。」

「ん・・・・・・? んー--? わかった!」


 長く考え込んでいた瑠衣が、足下にちょこんとわりこんで、右腕を引っ張った。


「何してんだ。早く帰れ。じゃなきゃお前も殺」

「かぞくいるとこがおうち。 だから、るいのおうちは、かけるのいるとこだよ?」

「お前・・・何言って・・・」

「かけるのおうち、るいのおうち。ね?」

「・・・」


 ――― 翔、またこんなところにいたの? 山は危ないから入っちゃ駄目って言ってるじゃない。

 ――― やっと見つけた。翔は隠れるのが上手いな。


 ――― さ、帰るぞ(わよ)。母さん(父さん)が家で待ってるんだから。



 両親の声が聞こえた。

 いつかの優しい記憶が蘇る。

 かけがえのない、家族の記憶。

 家族の元へと帰る、当たり前の日々。


 もう戻らない日々に、

 独りでに流れ始めた涙を拭う気力もないほどに、全身から力が抜けた。

 震えた身体に、瑠衣がしがみついてくる。


「さむいの? るい、ぎゅーしてあげる。」

「・・・。」

「かける、げんきになれー」

「・・・。」

「るい、いるからね。だいじょぶだよ。」

「・・・・・・。」


 言葉が何も出なかった。

 ただ、そんなやりとりに安堵を覚えて、唐突に襲ってきた疲れと気だるさに、瑠衣の温もりを感じながら眠りについた。


 次に目が覚めたのは、船の上。

 島に魚を売りに来た海花島の船乗りが、浜に転がる翔と瑠衣を見つけ、保護してくれたのだという。


「かけるがおきました!」

「おぉ、坊主。怖い目にあっただろうが、もう大丈夫だぞ。一人で妹を守って、偉かったな。」

「・・・・?」


 血だらけ、傷だらけだった翔は、神の怒りから身を挺して妹を救ったのだと思われたらしい。


「かける、だいじょうぶ?」


 呆けていると、瑠衣が不安そうに顔を覗き込んでくる。


「あぁ・・・お前こそ、あんな場所まで一人できて、怪我してないのか?」

「るいはへいき。かけるといっしょだもん。」


 相変わらず屈託なく微笑んだ瑠衣を思わずぎゅっと抱きしめる。


『温かい・・・』


  その手の中の小さな温もりに、もしもこのまま生きのびられるのなら、残りの人生を瑠衣の為に生きようと、翔はそっと誓った。



 その後、鐘鳴り島には調査が入り、島民の生き残りが探されたらしいが、翔や瑠衣の元へ調査隊が訪れることはなかった。


 さらに、翔達を保護した船乗りが、鐘鳴り島にて、積み上がった屍の頂で赤に染まりながら怒り狂う神の姿を見たと証言した事、鐘鳴り島の島民が我が強く閉鎖的だった事から、この一件は傲慢な島民に対する神の裁きという事で幕を閉じることとなった。

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