第66話 人喰いワニの住む御池

「兄様ー?」


 深い森の中、そう叫んで見ても返事はない。

 そんな事を、結構な時間繰り返している瑠衣。


「本当に・・・何処へ行ってしまったんでしょう・・・」


 夜明け前に出かけていったという翔は、レナルドに「すぐ戻る」と言ったらしい。


 けれど一行が朝食を取り終わっても帰ってくる気配はなく、手紙の事もあって心配になった瑠衣は、翔を探しに出ることにしたのだが・・・。

 

 代わり映えのない景色に不安感は強くなる一方だった。


 『いったん戻ろうかな・・・』


 翔が道に迷っているとは考えにくいし、もしかしたらもう、拠点へ戻っているかもしれない。

 だとしたら、今度は瑠衣が心配されている事だろう。


「あれ? 瑠衣さん・・・でしたよね?」


 くるりと方向転換した先で、柳太郎が声をかけて来た。

 人の気配なんて全くしなかったのに、いったいいつからそこにいたんだろうか。


「あ・・・柳太郎さん。おはようございます。」

「おはよう。どうかしましたか? 1人みたいですけど。」

「えっと、あ、兄を見ませんでしたか?」

「兄? あぁ、翔か。見てないけど・・・何かありました?」

「いえ。大した事ではないんです。ただ、兄様がまだ戻らないので。」

「そう・・・。あ、もしかしたら御池みいけかも知れないですよ。翔の両親が眠ってる場所なんです。ここからそう遠くないから、良かったら案内しましょうか ? もし違ったら、その時は浜まで送って差し上げます。ほら、霧も出てきたし、1人じゃ危ないですから。」

「・・・では、お願いします。」


 気づけば辺りに霧が立ちこめ、視界を遮り始めていた。

 これでは進むどころか、戻ることも危うい。

 だからといって、あまり世話にはなりたくはないけれど、迷子にでもなったらそれこそ大変なので、致し方なくお願いする事にした。


 意気揚々と案内を始める柳太郎の後を、少し距離をとって歩く瑠衣。

 その道すがら、柳太郎はこの島で翔と遊んだ事を、感心するほど事細かく教えてくれる。


「瑠衣さんは。翔と仲がいいんでしょ? 昨日お姫様が教えてくれました。」

「そうですね。唯一の肉親ですから、兄様にはとても大切にしていただいてます。」

「ふーん。唯一の肉親ね・・・。ところで、瑠衣さんと翔は何歳差ですか?」

「えっと・・・兄様が20、私が15ですから、5歳差です。」

「5歳かぁ・・・」

「あの・・・何か?」


 聞いておいてなんだが、その次に発せられる言葉に、嫌な予感がした。

 できればその先は聞きたくない。


「僕の記憶の中にはさ。君は居ないんだよね。」


 声色を変えた柳太郎の言葉がズキリと心に刺さる。

 やっぱり、その先は聞くべきではなかった。


 だけど、柳太郎は嘲笑うように、話を続ける。


「この島にいた頃、翔は一人っ子だった。仲のいい3人家族だったよ。噂がすぐに広まるような小さな集落だったけどさ、おばさんが妊娠してた事も、子どもが産まれた話も聞いたことがない。」

「それは・・・」

「だから、あの日吊されたのも3人だけ。瑠衣なんて名前の子どもがこの島に居た事なんてないんだよ。」

「・・・。」


 何も言い返せなかった。

 だって、何も知らないから。


 知る必要がないと翔が言うなら、知らなくてもいい。

 翔が傷つかなければそれでいいはずなのに、心の奥に潜むわだかまりを抉り出されている気がする。


「きっと君は悪くないよ。翔って、昔から嘘つきなんだ。平気で嘘つく、残忍な人殺し。可哀想に。君も、ずっと騙されてきたんだね。」


 こちらをのぞき込む、柳太郎の黒い瞳に、揺らいだ心が吸い寄せられる。


『違うっ!! そんなの信じない。私は兄様を信じてる!!』


 ブンブンと首を振り、吸い取られそうだった気を引き戻して正気を保つ。


「ご心配いただいてありがとうございます。ですが、その事については、後で話すって約束してるんです。兄様は、私との約束を破ったことはないんですよ。だから、大丈夫です。」

「・・・ふーん。アイツを家族だって言う奴って、馬鹿しかいないのかな・・・」

「え?」

「あ、そうか。だから皆沈むのか。納得。さ、着いたよ。」


 ブツブツと意味の分からない小言を重ねた柳太郎が顔を上げて前を指す。

 その先は高い崖となり、下には大きな池が見える。


 何となく分かってはいたが、見たところ、翔の姿は見えなかった。


「ここに、お父様とお母様が・・・」

「そう。ここが翔の両親の墓。そして今から君の墓場だよ。 君が1人でやってくるなんて、やっぱり神は僕の味方だ。翔を慕っている君を見ていると虫唾が走る。死んで貰うよ。」


 柳太郎がふわりと宙を舞い、森の方へ遠ざかった。

 着地と同時にかざした手のひらに、黒い波動の球体がいくつも浮かび上がる。


「翔の前に、お前達の死体を転がしてやるんだっ!!」


 放たれた球体が瑠衣目掛けて一直線に飛んでくる。

 よけた球体は地面に大穴を開け、足下がぐらついた。


 先ほどまでとはまるで違う強い殺意。

 距離を取られている上に手数が多く、防御魔法ガードウォールですら張った直後に弾かれて消えてしまう。


『逃げないと・・・でも逃げ道は・・・』


 崖の下にある池だけ。


「逃げたいの? なら、その池に飛び込んでみたらいい。だけど気をつけて、ワニが住んでいるんだ。愚民を処分してくれる、人喰いワニがね。」


 愉快そうに笑いながら、容赦なく球体が放たれる。

 それを避けると必然的に崖の終わりへ近づいてしまう。


 カランコロン・・・ボシャン


 石が一つ池に落ちると、池の中でなにかがうごめいたのが見えた。


『ワニ・・・え、どうしよう。どうしよう・・・待って、落ち着いて。えっと・・・』


 じわじわと追い詰められる感覚に、焦りと不安が連なって、正常な判断が出来なくなっている。

 これではいけないと、そう思えば思うほど訳が分からなくなって、身動きが取れない。


「じゃぁ、さようなら。」


 一際大きな球体が、柳太郎の手のひらで生成されていく。

 それが放たれた瞬間、避けるまもなく瑠衣は地面ごと吹き飛ばされた。


 身体が宙に浮いた。

 高笑いする柳太郎の姿が憎らしいほどはっきりと目に焼き付く。

 

 そしてその後ろからこちらに急ぐ翔の姿も・・・。


「え・・・兄様!?」


「瑠衣っ!!!」


 死の淵で見る幻なんかじゃなく、現れた翔が、崩れる崖を伝って、瑠衣に手を伸ばす。

 空中で翔に抱き止められた瑠衣は、そのまま翔と共に池の中へと落ちていった。


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