第65話 島の決め事

 黒と青が入り交じる夜明け前。

 脳裏に焼き付くほどによく見えた星々が姿を消し始めた頃、翔は隣でスヤスヤ寝息をたてる瑠衣の寝顔を眺めていた。

 幼い頃から、横向きにした体を、少しだけくの字に丸めて眠る瑠衣。

 胸の前で軽く握られているその手に指を近づけると、今でも赤子のようにぎゅっと握りかえしてくるということは、多分史郎すらも知らない、翔だけの秘密。


『出来る事ならば、何も知らないままで居て欲しい。俺の事も、史郎あいつの事も、瑠衣お前自身の事も・・・。』


 知ればきっと傷つく事になる。

 本音を言えば、無知で無垢な瑠衣を、あらゆる全てから守りたかった。

 それが無理なのは分かっていても、瑠衣が知る時が近づいていることが恐ろしい。

 全てを知ったとき、瑠衣は何を思うのだろうか。

 その先に、瑠衣の幸せはあるのだろうか。

 瑠衣を囲う全貌の、一部分しか知る由のない翔には、それが分からない。

 その時、瑠衣の側に居て、支えることが出来るのかどうかすら。


「兄・・・様・・・」


 不意に、か細くい声が発せられた。


「パンケーキ・・・食べたいのです・・・。」


 一瞬起こしてしまったかと思ったが、可愛らしい寝言を囁くと、再びスヤスヤと寝息をたてた瑠衣に、思わず笑みがこぼれてしまう。


 高価で、なかなか手が出ないパンケーキ。

 その味が気に入った瑠衣は、少しでも安価になるようにと布教活動を手伝っている。

 その頑張りのお陰もあってか、パンケーキを食べられる回数が増えたと言っていた嬉しそうな顔を思い出す。


「帰ったら、好きなだけ食べるといい・・・。」


 眠る瑠衣の頭をそっと撫でる。

 その横顔が、笑ったように見えた。


『先の事より今の事。だな。』


 瑠衣のパンケーキの為にも、厄介事を終わらせようと立ち上がると、見張りをしていたレナルドが「どちらへ?」と問うてきた。


 一度正面から向き合ったから分かる。

 レナルドは、かなりの手練れだ。

 【アサカ】の一件の解決には並々ならぬ想いがある事を考えれば、この状況下では十分な戦力であるといえるだろう。


 信用していないわけではないのだ。

 ただ、瑠衣から絶対的信頼を得ている事が気にくわないだけ。


『全く、瑠衣はなんだってこんな素性も知れない異国の男に懐いているんだか。』


「この島に住む厄介者を討ってくるだけだ。ここは一旦任せるが・・・もしも瑠衣に手を出したら殺す。」

「そこはせめて、明日花姫にしておきましょうよ。」


 呆れた声で返してきたレナルドに背を向け、歩き出す。

 林を抜け、山を割って進む道なき道。

 けれど迷ったりはしないかった。

 ここは生まれてから7年、両親と共に過ごした場所。

 島の地形は嫌でも身体が覚えていた。


『問題ない。俺はあの時の俺じゃない・・・』


 集落に近づくにつれて、頭の中を過去の記憶がよぎっていく。




 ***




 鐘鳴り島この島には決まりがあった。


 島を守る神に、数年に1度捧げ物をしなければならないという決まり。

 捧げ物はその年に7歳になる人間の子ども。

 それを島の神殿近くにある御池みいけに吊し、そこに住まう人食いワニに食べさせる、生け贄の儀式のだ。


 翔はそんな島で生まれた。

 両親は、島の人間ではなかったから、儀式のことは知らなかったらしい。

 だから、儀式を知ったその年に、生け贄に選ばれたのが自分の息子だと聞いて、大人しく息子を捧げるようなまねはしなかった。


 なんとか翔を逃がそうとしたものの、島民に見つかってしまった両親は、見せしめのように翔の目の前で殺された。


 両親の死体とともに、池に吊された翔。


 左右に吊された両親の遺体から血がしたたり池を赤く染め上げていくなか、池から這い出た人喰ワニの頭が、父の身体を引きちぎってさらっていった。


「おぉ、前菜は父親のようだ」


 崖の上から、島民の歓喜の声が挙がった。


『狂っている。狂っている。狂っている。

 昨日まで、あんなに優しかったのに。一緒に遊んでくれたのに。一緒にご飯を食べて、怪我をしたら薬をくれた。なのにどうして・・・』


 気づけば母の半身がもげていた。緩んだロープがほどけると、もう半身は独りでに池へと沈んでいく。


「いよいよ、いよいよだ!!」


 狂った笑い声が響きわたった。

 おさが経を読み始め、はやし立てていた島民達が静かになって、翔は死期を悟る。


『もう、死ぬんだ』と思ったと同時に、頭の中にあった恐怖がぷつりと消えた。

 

 代わりに冷静になった頭は、静かな怒りをふつふつと沸かす。

 

『死ぬ? 結局は奴らの思い通りになるのか。 なら、何故父様と母様は殺された? 無駄死にじゃないか・・・。望んだのは誰だ? 島民か。長か。神か。何でもいい。こんな狂った奴らのために、何故俺が死んでやらなきゃならない? こんな馬鹿げた事のために、父様と母様を殺した奴らを、俺は許さない。絶対に許さない。こんなところで、おまえ等の思い通りになってたまるか。ここにいる全員、殺すまで、俺は死ねない!!』


 必死の思いで身を捩った。

 そのおかげか、翔の身体を狙っていたワニの口がねらいをはずしてロープを切った。

 そのまま池に落ちた翔の身体は、その衝撃でうまくその輪からはずれ、自由になった。


 そこからのことは、あまり覚えていない。

 ただ、必死で泳いだ。

 息が続く限り。とにかく泳いだ。


「絶対に生きる。生きてこの島の住人を全て殺す。」


 その執念だけで動いていた翔。

 いつの間にか倒れ込み、地に転がっていた所に、一人の男が声をかけてくる。


「お前さ、何で死なないの? 死んだ方が楽になれるよ。」

「死ねない・・・あいつらを皆殺しにするまでは・・・」

「復讐心ね。ロクなものじゃない。」

「・・・強く・・・ならなくちゃ・・・こんなところで、倒れてる場合じゃない・・・あいつら殺す」

「動けもしないくせに、無茶を言うね。」

「うるさい・・・こんな島なくなればいい、島の人間も、神も、みんなこの手で殺してやる・・・まずはお前を・・・」

「残念だけど、僕はお前が一生かかっても勝てないくらいには強いよ。 にしても・・・神をも殺すか。それは、面白いね。あ、そうだ。なら手伝ってやろうか? お前の復讐。 丁度、手伝いを探してる所だったんだ。お前の望む力をあげるからさ、かわりにこっちも手伝えよ。」

「・・・強く・・・なれるなら、何でもする・・・」

「交渉は成立だな。じゃ、これでも食べて寝ろ。それでとりあえず命はつなげる。動けるようになったら修行だ。」


 それが史郎との出会い。

 史郎の思惑など考える頭は無かった。

 復讐のための強さを手に出来ればそれでよかった。


 そうして1年がたった頃、生き延びた翔はその力を手に入れ、願い通り島民を虐殺し、復讐を遂げたのだった。




 ***




 かつて集落のあった場所へとたどりつく。今は廃墟に木々が突き刺さり、無惨にも森の一部と鳴り果てた集落。

 そこに、柳太郎それはいた。


「やっぱり、会いに来てくれたんだね。翔。」

「・・・。」

「どう? 懐かしい? ずいぶん変わっちゃったでしょう。寂しいよね。あの時あんな事がなければね・・・」


 答える義理はないと、柳太郎の言葉に耳を貸さずに刀を抜いた。


「君は相変わらずだね。それで僕を殺すつもり? あの時のように。」

「そうだ。お前は俺が殺した。」

「でも、僕はここにいる。神は僕の味方なのさ。お前を殺すために、身体と力を与えてくれた。」

「アレがお前に味方を? そりゃ笑える話だ。 だが、それが事実なら、利用されてるだけだろう。この島の神は儀式など心底どうでもいいらしいからな。」

「はっ、まるで神を知っているみたいじゃないか。お前こそ笑わせるな。僕はこの身体を得て強くなった。お前に地獄を見せてやるっ!!」


 柳太郎が脇差しを抜いて斬りかかってきたが、その姿はまるで子ども。

 勢い任せで型もなにもなっていないブレブレの刃は翔に届くことはなく、難なくかわした翔は迷い無く柳太郎に斬り込んだ。

 しかし確実に斬りつけたはずだったが、手応えがまるでない。


 それでも、攻撃の手は止めずにその理由を探っていると、柳太郎がニヤリと口角をあげた。


「ところで、お前はこんな所にいていいのかな? 翔。」

「??」



 ――― キャ—――ッ ―――

 ――― 明日花様っ!! ―――

 ――― 兄様!! 助けてくださいっ! ―――


 森の向こうから聞こえた悲鳴に意識を持って行かれた一瞬、柳太郎の手のひらから禍々しい波動が放たれた。


「グッ・・・」


 反応が遅れて避けきれずに波動は翔の肩を掠める。


「僕は君を簡単に殺したりはしないよ。君は最後だ翔。お前のせいで、皆死ぬ。まずは、森に迷い込んだはぐれウサギでも狩るとしようかな。あははははは」


 高笑いをのこして、柳太郎は消えた。


「・・・逃げたか・・・」


 聞こえた悲鳴は、幻術の一種。

 今はまだ、明日花達は安全だろう。

 しかし、柳太郎の言う「はぐれウサギ」とは、おそらく瑠衣の事。


『急がなくては瑠衣が危ない・・・』


 納刀して立ち上がると、勘を頼りに翔は瑠衣の元へと急いだ。

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