第56話 秘密の箱庭
扉の中は、トンネルになっていた。
周囲を囲む木々と、土と、上から垂れるように伸びている木の根っこ。
地下ダンジョンのように入り組んだ迷路を、迷うことなく史郎が行く。
よく見ると、史郎の肩にはコロボックルが乗って道案内をしているようだった。
『肩乗りコロボックル・・・可愛いすぎるっっ』
なんて声には出せない瑠衣が羨ましがっているうちに、一行はトンネルの出口までたどり着いた。
入ったときと同じように、木の扉開けて外へ出る。
明るい日差しとともに、目に入ってきたのは、大きな鳥かごのような建物、おそらくこれが、馬車で話に出ていた【温室】だろう。
森の中に忽然と建っているそれは、秘密の箱庭のようで、なんだか少し心が躍る。
目隠しされて見えない温室の中に、薔薇の花や緑の植物が丁寧に手入れされていたならどんなに素敵だろうと思う反面、この状況でそれが全く期待できないことが残念だった。
「史朗様? ここは、城の裏手の森ですよね。話を頼りに何度も探索したというのに、まさかこんな分かりやすく・・・」
「ここは、
はにかむ史朗の目は、茶化す声とは反対に全くと言っていいほど笑っていない。
その静かな怒りに反応してか、史朗の肩に乗っていたコロボックルの身体がピクリと跳ねて、パッと姿を消してしまった。
「さて、ともかく中に入ってみようか。明日花嬢、鍵を渡して貰える?」
「え、えぇ。分かりましたわ。・・・瑠衣、鍵を出して頂戴・・・・瑠衣?」
史朗の肩から消えたコロボックルが、瑠衣の足元をふらついているのに気づき、その可愛らしい動きに魅入っていた為、瑠衣は自分が呼ばれている事にしばらく気づけなかった。
「瑠衣っ!!」
「あ、はい。ごめんなさい。えっと・・・かぎ、鍵ですね。え、鍵? 鍵ってこの温室の鍵ですか? そんなもの私が持っている訳ないと思うのですが・・・」
「あなたって鋭いのか鈍感なのか分かりませんわね。あなたに預けた鍵を出して頂戴と言っているのですわ。」
呆れ声の明日花の後ろに、その他の皆さんの心配そうな顔が並ぶ。
早く鍵の存在を思い出さないと、両国が今まで積み上げてきた全てが水の泡になりそうだ。
『鍵・・・鍵・・・あぁ、鍵!! ・・・え、今ここで?』
髪の毛に無理矢理ねじ込まれた古鍵のことであると分かり、それがまだそこにある事に安堵する。
そう、鍵はある。
けれど、潮まで持っているよう言われた為、あの後しっかりと結ってしまった髪の中にある鍵は、髪紐を解かなければ取り出せない。
そして、人前で髪紐を解くという行為は、
「あの、史朗さん。鍵は確かに私が預かり、きちんと保管しております。ですが、あの・・・出来れば少し席を外したいのですが?」
「瑠衣ちゃん。ここに外す席はないし、割と急を要しているんだけどな?」
「・・・です、よね。分かりました。」
分かっている。
この状況下で、誰もそんな小さな法律違反を気にする立場にはないと。
そもそも拒否する立場にないのだから、その後にどうなろうとも、やれと言われれば何だってやるしかない。
「ないしょ? なら あっちおいでー かくれるよー」
諦めて、髪に持って行こうとした瑠衣の手のひらに、いつの間にか乗っていたコロボックルが、突然口を挟んだ。
「君たちは関係ないでしょ」と史朗が諭すが、コロボックルは何故か次々と姿を現して瑠衣の手や腕を陣取る。
「しろ いじわる だめー」
「こわい しろ きらい いじわるぅー」
「べーってするよ しらないするよ!!」
断固抗議するといわんばかりに、腕を組んで瑠衣の腕肩に座り込むコロボックルには、人間の都合などお構いなしだ。
「あの、皆さん、ありがとうございます。でも、いいんです。大丈夫ですから・・・」
「る! まけちゃだめよー 」
「だめは しろ る わるくない」
「る がんばるよ!!」
『か・・・可愛い・・・』
味方をしてくれる事が嬉しいのもあるが、一文字欠かさないと名前を呼べないっぽいのがたまらない。
「君たち、随分瑠衣ちゃんのかた持つね。・・・餌付けでもしたの?」
「さ、さぁ? 私は終始可愛いなって思っていただけで」
「しろ ないしょ おしえないの」
「はなし かえちゃめー」
「わるいは しろですよ」
舌足らずで、ワイのワイのと交戦する姿に、やがて史郎は面倒臭そうに手を上げた。
「・・・ったく、分かったよ、僕が悪かった。瑠衣ちゃんを連れて行っていいよ。その代わり早くしてくれるかな? 急いでるんだ。」
「やったー しろ すきー」
「はなしわかるー」
「しろ さすが みこんだおとこだな」
見事に意見が認められて歓喜の声を上げるコロボックル達。
「る こっちよー」
「いそげ いそげー」
小さい手に引っ張られ、案内された近くの木には、また小さな扉が出来ていて、急かされるままにその中へ入る。
皆がいる場所とは目と鼻の先で、様子も丸見えなのだが、皆からは見えていないから安心してとコロボックルが説明してくれた。
「お前・・・瑠衣に何を頼んだ?」
「わたくしはただ、一番安全なある場所に保管して置いて欲しいとお願いしただけですわ。」
「隠れなきゃ出せないような場所にか?」
「そうですわね。・・・考えてみれば確かに、こう殿方が多い場所で身なりが乱れるというのは、よろしくないですわよね。悪いことをしましたわ。」
「・・・。」
外から聞こえる翔と明日花の声。
明日花に悪気は無いのだろうけれど、その物言いは翔の怒りを確実に買っている。というか、この会話は聞く人によってあらぬ誤解を与えている気がする。
これ以上おかしな事にならないよう、鍵を取り出した髪を急いで結い直し、皆のもとへ戻った。
「お待たせしました。こちらがお預かりしていた鍵です。」
瑠衣の手から明日花へ、明日花から史郎の手へと渡った鍵が、温室の鍵を開けた。
ギィィィイと軋む扉がゆっくりと開いてはじめに感じたのは甘ったるく青臭い香り。見えた温室の中には、肩だけほどの草所狭しと生い茂っている。
その光景を目の当たりにして、大きく動揺したのはアレクシスだった。
「これは・・・」
「はい。この植物は間違いなく【メア】です。ヨルデ領領主バーロンが、国家の研究を勝手に流用し、私的な財を肥やしていた動かぬ証拠となりましょう。」
冷静に状況を報告するレナルドに応える声はなく、代わりにギリリと鈍い歯ぎしりの音が聞こえた。
「隣国との関係を、我が先祖がどれだけの時間かけて築いて来たと思っているのだっ」
アレクシスが怒りを露わにして周囲の植物をむしり投げ捨てる。
国家機密を私的に利用されたあげく、友好国で死者を多数だしているのだから、由々しき事態だろう。
そのやり取りを横目に、スタスタと茂みに進んだ史郎がその一つをそっと摘んで明日花に差し出す。
「明日花嬢、これが【アサカ】の原料だよ。」
「この葉っぱが、【アサカ】?」
「そう。【アサカ】はね、ローランドが研究している新型の植物毒の一つなんだよ。といってもまだ研究段階でその存在はまだ他国はおろか国内でもそう知れ渡っていない・・・はずだったんだよ。だから、解毒薬も治療法もない。国を挙げたところで、死因の究明がやっとだった。」
「そうだったのですわね。」
「明日花嬢は言ったよね「たくさんの潮の民が、傷つき命をおとした」って。確かにこれだけの原料があれば、潮の街を崩壊させる事も可能だったかもしれない。でも・・・そうはならない。明日花嬢のおかげだ。少なくとも、この場所にあるアサカが倭ノ国に流れることはないんだ。ありがとう、明日花嬢。」
「そんな・・わたくしは何も・・・いえ。ここまで連れて来て下さって、ありがとうございます先生。」
それぞれが、複雑な思いを抱いて、この場所にたどり着いた瞬間。
それを、瑠衣は遠目で眺めていた。
もう瑠衣に出来ることは何も無い。
国家間の問題は史朗や明日花に任せて、ただ、話し合っている様子を俯瞰していた。
「これは・・・?」
目に留まったのは端に隠れるように置いてあった石碑。
【イリーネ】と彫られたそれは、墓石のようだった。
コロボックル達にとって、とても大切な人だったのだろうか。
何かの力で守られるように、墓石の周囲だけはアサカが繁殖せず、代わりに、かわいらしい花や木の実が供えられるようにおかれていた。
「る おそなえする 」
じっと見ていた墓石の上にポンと現れたコロボックルに話しかけられる。
「私もお供えすればいいんですか? ですが、何も持っていません。」
「きらきらあるよ」
「きらきら? あ、金平糖ですか? 良いですけど、イリーネ様は、金平糖好きでしょうか?」
「いりー あまいすき きらきらも ほーせきいっぱい」
「そうなんですね。では、お騒がせしてすみませんということで・・・。」
もはやコロボックル達が金平糖を食べたいだけかもしれないと思うが、供えてある花の横に金平糖をコロコロと転がすと、目をぱぁっと輝かせ「きらきらー!」と楽しそうに踊っていた。
「・・・ローランドはこれより事の早期終息に向けて全力で当たりましょう。また、倭ノ国からの提示については全面的に受け入れる事を約束する。アレクシス・ローランドの名において。」
どうやら難しいお話にも片がつき、今後の方針も決まった様子。
近くて遠いやり取りを聞き流しながらそっと一息ついた刹那、大風がひとつ大地を撫でた。
あまりに突然の事だったので、立っているのがやっとだった瑠衣と違い、明日花の周りをしっかりと固めている翔と史朗に、よろけたのであろう明日花を支えている萌生は流石だ。
4人のそばに一歩遅れて合流し、周囲を見回す。
不穏な予感がする。
それはこの場の誰もが感じているもの。
その証拠に、隣でアレクシスにつくレナルドを含め、全員がその場から一歩も動かず警戒心を強めていた。
「くるよ くるよ 」
「にげるよ はやく」
「こわいのくるよ あついのくるよ」
コロボックル達も慌ただしく姿を消していく。
「もえるよ もえる みんなもえるよ あついよ やだね たすけて あついよ くるよ もえるよ こわいね・・・」
瑠衣の肩で震えているコロボックルが、譫言のように繰り返す。
――― ギィィィイッ バタン。
温室の扉が鈍い音を立てて閉まった。
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