第53話 2台の馬車 (1)

 バーロンに別れを告げ城を後にした明日花達は、レナルドに連れられて移動したのち、アレクシスの用意した馬車に乗っていた。


「明日花様、大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが・・・」

「え、えぇ。牛車とは違い、馬車は早くて驚いているだけですわ。」


 心配する萌生にはそうは言うけれど、それだけではない事は萌生も感じているだろう。

 だって、この馬車内の空気は異様な程に気まずすぎるのだから。


 アレクシスが用意した馬車は、2台。

 1台目にアレクシスとレナルド、史郎に瑠衣が乗る事になったおかげで、今この馬車には萌生と翔と明日花という微妙な3人がが乗っているのである。


「・・・。」

「・・・。」

「・・・。」


 会話をしてはいけないという事はないのだろうけれど、黙ったまま、カーテンで遮断された窓のむこうをじっと見つめる翔が纏う空気はどこか暗雲立ちこめていて、萌生との会話すら覚束ないのだ。


『瑠衣―――っ 助けて頂戴!!』


 公務の準備段階から、翔とはそれなりに関わってきたものの、いつも間には史郎や瑠衣がいて場を取り持ってくれていた。

 そもそも翔は仕事の話以外では全く関わりを持つそぶりすらなく、常に会話は必要最低限。

 あとはただ黙りを決め込み周囲の様子を見定めているだけだった。

 それは今も同じなのだろうけれど。


『何を考えているのかしら・・・? 仕事のこと? それとも瑠衣のことですの? まぁ、瑠衣が心配ですわよね・・・』 


「そもそも、瑠衣はあちらの馬車に乗る必要があったんですの・・・?」


  思わず漏れた明日花の一言に、翔がピクリと反応する。

 「瑠衣」という言葉は禁句だったかもしれないと、唾を飲み込んだ。


「お前、瑠衣を心配してるのか?」

「・・・も、勿論ですわ。瑠衣は大切な友人ですもの。一緒に居てくれてどれだけ心強い事か。」

「友人か・・・。」


 こちらを見ようとせず、まるで独り言のような静かな翔の呟き。

『話しかけてきましたわ!!』と萌生を見ると、萌生もまた『話しかけてきましたね。』と驚きで目を丸くしていた。


 今なら、少しは話しができるかもしれないと、淡い期待が頭をよぎる。

 この先も瑠衣と良き関係でいるためには、瑠衣が慕う翔の存在は無視できない。

 いつまでも翔と顔を合わせるたびに恐怖を感じ震えていては、瑠衣に申し訳ない。


『せっかくなので会話を続けてみますわ!』

『頑張ってくださいませ!』


 萌生にそう訴えかけると、激励の視線が返される。

 息をそっと整えてから、明日花はそっぽを向いたままの翔に視線を向けた。


「分かっておりますわ。私が瑠衣を友人など、どの口が言えたものかとおっしゃりたいのでしょう? その・・・あなたはわたくしを、今でも怒っていらっしゃるんですの?」

「どうでもいい。」

「どうでも・・・?」

「瑠衣の交友関係に口を出すつもりはないし、お前が瑠衣を危険な目に合わせないのならそれでいい。もしも瑠衣に手を出すなら容赦しない。それだけの話だ。」

「それだけの・・・つまり瑠衣以外はどうでもいいんですわね。」

「そうだな。」

「・・・。」

「・・・。」

「・・・。」


 再び、車内に沈黙が訪れる。


 自分なりに解釈しようとしただけなのだけれど、今のは少し嫌味に聞こえてしまったかもしれない。

 言葉は慎重に選ばなければと気を取り直す。


「あなたは、瑠衣をとても大切に想っているのですわね。瑠衣と話していると、いつも楽しそうにあなたの話をしていますわ。」

「・・・どうだかな。俺の身勝手につき合わしている以上、その責任は果たすべきだと思っているだけだ。」

「身勝手・・・?」

「瑠衣は今まで友人など作れるような状況には無かった。たわいない談笑する相手が出来て、潮にきてからの瑠衣は日々楽しそうだ。お前等のおかげだろう。」

「それは・・・光栄ですわ。」


 敵意を向けられ牽制されるならまだしも、感謝に似た言葉が翔の口から出るとは思っていなかったので、返す言葉に困る。

 そしてそんな翔の言葉の矛先は萌生にも向く。


「お前もな。瑠衣が突然武芸を習いたいだなどと、迷惑をかけている。」

「いえ、私の実力など先ほどご覧になられた程度です。師などと慕って頂いていますが、実際は瑠衣様から教わる事が多いくらいですから。」

「お前は実戦経験が少ないがために読みが甘いだけで、技量は悪くないし魔法奥の手も持っている。実戦を積めばかなりの手練れになるだろう。」

「・・・翔様のような強者にそのように言っていただけて光栄です。精進いたします。」

「だが、瑠衣にはあまり無茶をさせるな。あいつが前線に立つことは誰も望んでいない。」

「承知いたしております。瑠衣様からも、健康維持と護身程度にと伺っておりますので、引き続きそのようにさせていただきます。」

「あぁ。頼む。」


『しっかり釘をさされましたわね。』

『はい・・・瑠衣様が大怪我でもしたら怖ろしいことです。』

『手を抜けば瑠衣に拗ねられていますものね。「今、萌生さん加減しましたよね?」って。』

『瑠衣様は筋もよく熱心ですので。その向上心が翔様の望み以上にならないことを切に願います。』

『師というのも大変ですわね。』

『はい・・・。』


 すっかり萌生と目での会話が当たり前になって、目を合わせては頷き微笑みあう。以心伝心しているという感覚が、なんだか嬉しくもあった。


「それからお前等さっきから・・・別にお前等のくだらない会話にいちいち聞き耳を立てたりしない。」


 無言での会話に気づいていたらしい翔が呆れたように言った。

 馬車にのってから一度たりともこちらを見向きもしないくせに、よくも気づけるものだと関心する。

 いったい何処に目がついているのやら。  


「壁に耳あり、障子に目ありっていいますでしょ。それに女には、殿方には聞かれたくない話がたくさんあるんですの。それがたとえ、こちらに興味のない護衛であっても。」

「・・・好きにしろ。」

「えぇ。でも、気遣いには感謝いたしますわ。」


 おそらく、気にはかけてくれたのだろうから礼を伝える。

 自業自得とはいえ殺されそうになった手前、恐怖でしかなかったけれど、少し話すことが出来て翔に対する印象は少し変わった。

 瑠衣がいつも話すような柔らかい人物像には程遠いけれど、悪い人ではないのだろう。


 そしてきっと、瑠衣が絡まなければ物事にあまり関心がないのも事実のようだ。

 それはそれで人格を疑わなくもないが、こういう世界では、そういうものがはっきりしていた方が信頼が高く扱いやすかったりもする。

 少なくとも、瑠衣と良い関係を築けている間は翔の敵意はこちらには向かないだろう。


『瑠衣の名前にいち早く反応したくせにね。』

『えぇ。そうですね。』

『いっそ、この男の知らなそうな瑠衣の話をするのもいいかもしれませんわ。』

『それで翔様が護衛の意味をなさなくなっては困ります。それに、後ほど瑠衣様に怒られますよ。』

『それは、困りますわね。』


 萌生と目で話しながらクスクスと笑いあう。


 相変わらずそっぽを向いたままの翔は、何処に意識を向けているのかもわからなかったし、その後会話をすることもなかったが、いつの間にか、車内の空気は軽くなり呼吸がしやすくなっていた。



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