第52話 外交のおわりに

 「船を沈めたのが僕たち? 冗談。得物一つ持ってない僕らにそんな事出来る訳ないでしょ? それよりうちの侍女が姫を守って傷を負っているんだけど?」

「ロザリオ・・・貴様、それを何処で・・・」


 萌生の背に出来た傷跡を確認して、バーロンがギリリと奥歯を鳴らしている。

 萌生の身体に傷を作らなければならなかったのは、悔しい事だが、その様子には、瑠衣が説明してくれた通り、傷が強力なカードであったと、認めざるを得ない。

 切り裂かれた布から露出した萌生の傷ついた肌を、隠すように手ぬぐいを当て戻し、ほくそ笑んでいる史郎に、複雑な感情を抱きながら、明日花はその場を見守った。


「さてね。どうする? 僕らが暴れて船を沈めたって証拠はないよね? 得物が無いどころか、一滴の血も流してない。君が海に捨てて来た兵も、そのうち返って来るよ。クジラの背中にでも乗ってね。」

「貴様っ・・・」

「降参してくれるなら、この傷痕については秘密裏に処理してあげる。不運な事故に巻き込まれたものの、ヨルデの漁船が咄嗟に助けてくれたわけだしね?」

「降参だと? ・・・あまり、儂を見くびるなよ若造がっ。あの小娘を連れてこい。貴様等の前でその八つ裂きにしてやるわ。」


 史郎とは正反対に、怒りを露わにしたバーロン。

 その場にいた兵たちは、その命に従い動こうとして、動きを止めた。


「何をしているっ。さっさとつれてこい!!」



「え? じゃぁ、あの豪華なお部屋は代々領主のお嬢様のお部屋なんですか?」



 静まり返ったその場に、楽しそうに誰かと会話する瑠衣の声が聞こえてくる。

 怒り心頭のバーロンが振り返って声を上げようとして、その様子に一瞬とどまった。


「えぇ。何でも部屋には秘密の道があるとかで、あの部屋だけは領主が代わっても一切改装を行わずに守られ続けられてきた部屋なのだそうだよ。事実かは分かりかねるがな。」

「それならもっと早く知りたかったですね。秘密の道、探してみたかったです。」

「はっはっは。領主城を家捜ししたいと言ってのけるとは、瑠衣殿は本当に愉快だな。」

「え? あ、あの失礼いたしました。そういうつもりでは・・・」

「分かっている。からかっただけだ。だが、愉快なことは確かだぞ。久しくこう砕けた会話などしてはおらんからな。」

「それは、アレクシス様がそのようにおっしゃるから・・・」


 瑠衣の隣に立つ男性。

 その位の高さが一目で分かるほどに、気品溢れた美しい人が、この国の第二王子、アレクシスらしい。

 瑠衣は、アレクシスと朗らかな笑みを浮かべながら会話を楽しんでいる。

 その様子を、少々呆れた面持ちでレナルドが見守っていた。


 「あっ!」とこちらに気づき、アレクシスに一礼した瑠衣はそっと駆け寄ってきて、史郎に報告をはじめる。


 部屋で休んでいたことになっているため「体調崩してごめんなさい」と平謝りをする横で、瑠衣に寄り添っていたレナルドが、「部屋で預かっておりました物です」と史郎と翔に刀を返した。


 そんな茶番劇にも、バーロンは何も言い返してこない。


 いや、アレクシスの手前、何も言い返すことは出来無かったのだろう。

 怒りで頬をピクつかせながらも、周囲を囲むざわつく兵達を一喝してその場に跪いた。


「これはアレクシス様。ご訪問のご予定が伺えておりませんで、満足に迎えも出せずとんだご無礼をいたしました。」

「何を申すかバーロン殿。急に伺ったのはこちらなのだ。潮から客人が来ていると聞いて、是非挨拶をと思ったものでな。そのような気遣いは無用だ。にしても、体調を崩した客人をイリスの間に案内するとはなかなか洒落たもてなしをする。良くない噂も飛び交っているようだが、ヨルデは安泰だな。」

「もったいないお言葉です。」


 バーロンより先にアレクシスにたどり着いた瑠衣のおかげで、外堀を埋められ、バーロンがもう、こちらを糾弾できる位置居ないのは、明日花にもよくわかった。


『相も変わらず、だれとでもすぐに打ち解けますわね。』


 その柔軟さには嫉妬心すら浮かばない。

 きっと瑠衣は何処で誰といても「瑠衣」なのだろう。


『わたくしも見習いませんとね』と、自分が今すべき事をするために一歩前に出た。

 やることは一つ。持てる全てを使って、アレクシスと友好関係を築くこと。


「アレクシス様とおっしゃいましたか? ・・・もしや、あなた様はアレクシス・ローランド様であらせられますか?」

「いかにも。あなたは潮様のお姫様ですね。私の名をご存知とは光栄です。」

「これは大変失礼いたしましたわ。わたくし、潮より参りました明日花と申します。実はわたくし、アレクシス様のお書きになった書物を手に取る機会がありまして。ローランド国で実際に起こった出来事を考察してまとめた全集を、とても楽しく拝見させていただきましたわ。」

「ははは。あのような駄文が海を渡っていたとはお恥ずかしい。」

「駄文だなんてことは決してございません。アレクシス様の斬新な着想には驚かされっぱなしでしたわ。たとえば・・・」


 訪ねる国の事は知っておくようにとエネに渡された書物の中にあったそれは、他の堅苦しい書物と違って、冗談を交えながらも鋭い切り口で書かれていて読みやすかった。

 それでも短期間で、1冊が千ページ程でつづられたものを15冊も読み込むのは大変だったけれど。

 それが今、少しでも役に立つのなら、苦労したかいがあるというものだ。


「これは驚きました。あの全集をこんなにも評価してくださる方がいらっしゃるとは。歴史を作ってきた先人達の行いを否定するなど何事だと、各方面から避難囂々だったのですがね。」

「確かに先人の教えは大切ですわ。ですが、それに甘んじ責任を放棄してはいけないのだと、アレクシス様の書に戒められた気がいたしましたわ。」

「光栄の至りです。それほどにご興味を持っていただけたのでしたら、もうすぐ書き上がる最新巻を、出来上がり次第潮へお送りさせていただいても? 」

「まぁ! それは是非拝見させていただきたいですわ。楽しみに待たせていただきますわね。」


 ただ褒めるだけではいけない。きちんと自らの考えを持って、相手を肯定する。批判ではなく、意見交換をする。

 上手くできているかは分からないけれど、興味を少しでもこちら側へ惹きつけるために頭の中を回転させる。


 ――― 政の世界には絶対的な味方など存在しないのよ。だから、無理に100を求める必要はないわ。0より1。1より2。その小さな差を生み出すことを常に心がける事が何よりも大切なの。蒔いた種が、何時何処で芽吹くかは分からないけれど、蒔かなければ芽吹くことはないのよ。だから、とにかく蒔くの ―――


 とエネに教わったから、


 次に繋がりますように。少しでもこの局面がこちら側に傾きますように。と祈るように言葉を紡いだ。


「・・・貴女とはまだまだ話足りませんな。もしご都合があえば、近くにある私の別荘にでもいらっしゃいませんか?」

「宜しいのですか!? えぇと・・・」


 勝手に盛り上げてしまったが、この展開は正しいのか判断に迷い史郎をちらりと見る。

 にこりと笑って頷いた史郎との横で「この後のご予定は、街の観光ですので問題はありませんよ」と萌生も背中を押してくれた。


「問題は無いようですわね。アレクシス様、是非お伺いさせてくださいませ。」

「では、そのように手配いたしましょう。」


 アレクシスがニコリとほほ笑み、バーロンの方へ視線をやった。


「突然の訪問すまなかったバーロン殿。これにて私は失礼させてもらうとしよう。」


 軽い口調でそう別れを告げるアレクシスは、何かを思いついたように「あぁ、それから君」とレナルドを指さす。


「後ほど坑道までお客人の案内を頼めるかな?」

「私が・・・ですか? かしこまりました。」


 「光栄です」とレナルドが頭を下げるのを見届けると、アレクシスは準備をすると、用意された馬に乗り、「くれぐれも客人に失礼のないようにな」と念を押して、従者と共に颯爽と去っていった。

 「勿論です」と頭を下げながらも、バーロンは苦汁を飲まされたような顔をしていた。


「さて、じゃ。僕らもおいとまさせてもらおうか?」


 仕切り直すように史郎が手をパチンと叩く。

 公務として組まれていた予定は全て終わったのだ。


 バーロンの手の内この場さえ潜り抜けられれば、【アサカ】の方は自ずと解決するのだと史郎から言われていた明日花。

 その理解はまだ追いついていないけれど、陰謀の渦中を脱出した今、これ以上この場所敵陣に居ても意味はない。


「バーロン様。数々のもてなしに感謝いたしますわ。こちらで経験させていただいたことはすべて持ち帰って話させていただきます。皆様が潮へいらっしゃる時には、相応のもてなしを約束できることでしょう。」


 丁寧に礼を尽くしてから手を差し出した明日花。

 打つ手のなくなったバーロンはギリリと奥歯をならしながらもその手をとった。

 握られた手には、腕を折られそうなほどの腕力が込められていたが、それが勝利を知らせるものかと思えば、全くもって痛みは感じなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る