第46話 私の戦い
「痛っ・・・」
首筋に走った鈍痛に手をあてながら、瑠衣はゆっくりと体を起こす。
まだぼやけた意識のままで感じ取るのは、ふかふかのベッドに少し重量感ある掛け布団。やたらと高い天井と、ベッドを覆うドレープを寄せたモスキートカーテン。
『お姫様・・・ベッド? 本当に実現してる・・・』
置かれている状況を把握し
『こんなことに労力使うくらいなら、もう少し別の交渉すればいいのに。』と思いながらも、その気遣いに3人でのやり取りを思い出して心が和んだ。
皆と別れ、メイドに連れられて行った部屋は、むせ返るほどにネム草の青臭い香りが立ち込めていた。
本当ならば、上手くそこで演技でもして倒れておけば良かったのだけれど、案内してくれたメイドが部屋に入った瞬間に倒れたものだから、思わず介抱してしまった。
お蔭で、頃合いを見計らって部屋へと来たクリスと鉢合わせする羽目になり、穏やかではない話し合いの結果、物理的に眠らせてもらう事となったという訳だ。
眠る前に、一応メイドの無事をお願いしてみたけれど、ここには瑠衣しかいない様子。
まぁ、今はそんな事は気にしている場合でもないのだけれど。
鏡がないので、身につけている物や髪を触りながら自分を確認する。
着物の帯紐の結い方などを見るに、とりあえず身ぐるみ剥いだりはされていないよう。手荷物も全て無事だった。
『そうだ。これ。読まなくちゃ。』
襦袢に隠しておいた巾着から、お守りを取り出して中を開く。
小さく折り畳まれた紙には、レナルドは実は偽名で、本名が別にあること。
その素性と、彼が何故姫を助ける側に回ったのかが簡潔に分かりやすく書いてあった。
そして最後に
――― 因みに、姫に会うまではレナルドは、男色家のきらいがあって、初めて心を動かした女性が姫だったとかなかったとか。ゲームで使いどころないくせにやたら人気があったのはそういうのが好物のコアなファンのおかげだったみたいよ ―――
と、付け足されていた。
「はぃ!?」
おそらく、和ませてくれようと豆知識を挟んでくれたんだろうけれど、その一文のインパクトが大きすぎて、他の内容が頭に入る前に飛んでいってしまった。
「お目覚めですか?」
聞き覚えのある声がベッドの外から聞こえてきて、 瑠衣は急いでベッドから這い出し、身なりを整えてからカーテンを開けた。
見るからに高価な家具が並ぶ貴族の私室のような部屋のミニキッチンでティーポットに湯を注ぎながら、瑠衣の様子を伺うように眺めるレナルドと目が合う。
『似たような性能なのに、サブキャラのレナルドが翔様より人気投票の順位上なのが気に食わなさすぎて敵視して来たけれど、そういう事か・・・って、何その理由、納得できない! ・・・しかし、ザ・騎士! みたいな好青年なイメージだったけど、よく見ると細身の体に似合わないくらい鍛え上げられたら体に切れ長の目。そこにあの出自に男色家・・・。いや盛り込みすぎでしょ。それに翔様が負けてたなんて複雑すぎるんですけど・・・。それを今知りたくなかった!』
見る目がすっかり変わってしまい、まじまじと観察してしまう。
「そう、警戒しないでください。と、言いましても無駄でしょうが・・・。ひとまずお茶でもいかがですか?」
苦い顔をしながら茶葉が踊るティーポットを綺麗に整えられたテーブルに置いたレナルドに、瑠衣は我に返る。
『そんな事を言ってる場合ではなかった』と気を取り直し、レナルドが引いてくれた椅子に瑠衣が座ると、目の前で、香り高い紅茶が注がれた。
『それにしても紅茶にお茶菓子まで・・・史郎さん、何したんだろ? っていうかどういう状況?』
「・・・あの、レナルド様でしたよね。出来ましたら状況を説明願えますか? あに・・・じゃない、姫様は?」
「そうですね。瑠衣様には言伝を預かっておりますので、お伝え致します。まず、瑠衣様以外の皆様は、今朝方からクルーズ船に乗っていらっしゃいます。こちらの海ではクジラを見ることが出来るのですが、それを是非にと昨日の食事会で決まり急遽予定を変更されました。体調が優れない瑠衣様は、こちらでお休みいただくようにと。私がお世話を仰せつかりましたので、何なりとお申し付けください。」
分かりやすく説明されているはずがとてもややこしいが、取り合えず建前は理解できた。
そして皆が船に乗ってしまった事も。
『・・・でも、じゃぁ何でレナルドがここにいるんだろう?』
船では何も起こらないというのであれば、それにこしたことはないのだけれど、きっとそれはないだろう。
それでは人質になった意味がない。
「あの、レナルド様は何故執事のまねごとを?」
「瑠衣様を丁重にもてなすようにと命じられておりますので。」
「ですがレナルド様は騎士様でしょう?」
「騎士といっても名家の生まれでもない庶民上がりの末端騎士です。命令があれば何でもやりますよ。」
「そういうものですか・・・」
話してみても、何故レナルドがこの場にとどまっているのかは謎のまま。
けれどそこにばかり構っているわけには行かない。
レナルドの物語の行方など二の次で、船に乗っている翔の安否の方が遙かに大切なことだ。
船にいる皆を、翔を救う方法を考えながらレナルドが入れてくれた紅茶に口を付けた。
本当はそんな時間もおしいのだけれど、許されているのは無鉄砲な行動ではない。
カップに注がれた黄金色の液体が揺れる様を眺めながら、とっ散らかった頭の中を整理していく。
船の上では今、何が起きているんだろう。
彼らの無事を信じ、この場所に甘んじる事が正しいのか・・・。
「それは、ないな。」
つい口からそんな言葉がもれて、首を軽く左右にふった。
船に乗ったということは、物語は最悪の方向へ動いているという事。
しかもその場には
考えたくはないけれど、このままここにいたって帰ってきた船に乗っているのは無惨な死体の可能性が高い。
仮に史郎だけが戻ってきたならば、それは翔のイベントそのものと化してしまう。
『よし、助けに行こう。』
状況が最悪の方向へ真っ直ぐ向かっていくことで、瑠衣の考えも一つに絞られる。
傍に行けさえすれば、魔法により何かしらの援護はできるかもしれない。
けれど、一人では到底船にはたどり着けない。
この場所から抜け出して海に出て、船から逃げる皆を無事に回収出来る協力者。
それができるとしたならば、レナルド以外に有り得ない。
「レナルド様、私もう具合はすっかりいいのですが、クルーズ船に今から行く事は出来ますか?」
「残念ながら、既に船は沖合に出ております。今からというのは・・・と、いいますか。こちらで待っていただくようにとの言伝ですから。」
「ですよね・・・」
「そう不安がらないでください。わが国のクルーズ船は一流の設計士がどんな荒波が来ても沈まないよう設計しましたので。きっと今頃楽しんでらっしゃいますよ。」
柔らかな微笑みを浮かべながらお茶菓子を進めてくれるレナルド。
『大体、こっちは首筋に
思い出すと疼く首筋をさすりながら、やるべき事はただひとつだと、目を瞑って記憶を探った。
「つまり、船は沈むんですね。」
「何をおっしゃいますか?」
「私は、船が沈むことが不安とはまだ言ってません。倭ノ国は海に囲まれた国、造船業も盛んですから、船がそう沈むものでないことは理解していますよ。それでも、沈まないから安心しろと言うのは、あの船でこれから起こることを、あなたが知っているからではないですか?」
「私は、末端騎士ですよ。外交の先端の情報などいただける訳もありません。出来る事はせいぜい、命令に従うくらい。それが騎士の仕事とはかけ離れた、執事の真似事だったとしてもです。」
失言をつついても、あたりまえだがレナルドは手の内を明かしはしない。
焦る様子もなく、紅茶のお変わりを進めてくれた。
それを丁重に断って、瑠衣はもう一度レナルドに向き合った。
「では、もうレナルド様の話はいいです。もう一人の方の話を聞かせてください。」
「もう一人? ここには私しかいませんが?」
「はい。ですから、あなたのもう一つのお名前とご身分。つまり、レイド・ローランド第6王子のお話を聞かせていただきたいんです。」
「・・・何を、仰っているのでしょうか?」
なるべく表情を動かさずにぴしゃりと言うが、レナルドの目が左右に揺れたのを瑠衣は見逃さない。
「あなたの目的はバーロン様の不正を暴き出し、この地から退かせ、美しいヨルデ領を取り戻すことでしょう?」
畳みかけるように言ってのけると、眉間にしわを寄せレナルドは押し黙った。
――― レナルドについて。
2代前のヨルデ領の話。
ヨルデ周辺を治めていた領主の娘、アイリスはヨルデの花と言われるほど純粋で朗らかな女性で、ヨルデの街を愛し、愛されたお嬢様だった。
そんな彼女がローランド国王に見初められて側室に入り、後に第六王子となるレイド(レナルド)を生んだ。
様々な権力争いのなかにあっても、負けない心の強さと大きな愛に溢れたアイリスだったが、彼女は病に侵され若くして他界している。
彼女が倒れる少し前、ヨルデでは、父から領地を継いだアイリスの兄が、悪しき策略に嵌まり領主の座を退くこととなっていた。
刻一刻と悪化していく故郷の情勢に、生前胸を痛めつづけていた母の思いを継ぎ、レイドは王子として地位を捨てて現領主の悪行を暴く事を決意したのだという。
レイド・ローランドの名を捨て、新米騎士として数年前にヨルデにやったレナルドは、領主からこの地を取り戻すため、調査を続けている。
――― 以上が、エネから受け取ったメモの内容。
それが
「利害は一致していると思うんですよ。私は大切な人を助けたい。そうしたらきっと史郎さんが不正を暴いてくれますから、バーロン様も無傷じゃすみませんよね。あとは、この国の問題ですがそこはレナルド様が手配なさっているでしょう? これで全部収まりませんか?」
ここが、レナルドの物語の中であるのならば、きっと彼は船までたどり着く手筈を整えているはずだ。
今はそれにすがる以外にない。
「だから、連れ出せと? それはあまりに
「それは・・・もう、私の勘を信じていただくしかないです。でも・・・史郎さんって案外分かりやすいんですよ。無理な事には手を出さないし、行き詰まったら黙りしちゃうし。今回の史郎さんは初めからなんやかんやと世話焼く余裕がありましたし、秘策があるんだと思います。どちらにしても、史郎さんがやるって決めたなら、負ける要素は無いと思います。」
「・・・勘ですか。話になりませんね。私ひとりで片が付くことに、わざわざ無能のあなたを連れ出すリスクを負う必要はありません。」
「確かに・・・。」
レナルドの言うことは尤もで、これでは戯言を吐いているだけだと気づく。
だからといってどうしたらいいのか分からない。
脅せばいい? 力でねじ伏せる? どちらも現実的ではない。
悩みこんだ瑠衣の横で、ふいにカシャリと音がする。
ふいに首元に突きつけられた剣に一瞬驚くも瑠衣は「それもそうか」とレナルド目を落ち着いて見つめ返した。
「あなたは何者ですか?」
「私は兄様の妹で、史郎さんの家族で、明日花様の友人で、萌生さんの弟子です。普段は露天商をしていて、今は成り行きで明日花様の侍女をしています。ただそれだけの捕るに足らない存在です。」
「目的は何ですか? 何故、私のことを? あなたのご家族もご存じなのですか?」
「史郎さんや兄様が何処までの情報を得ているのかは分かりませんが、おそらく知らないと思います。少なくとも、私は何も伝えていません。私があなたのことを知ったのは・・・ちょっとした未来視です。あなたの事以外にも、様々な国の出会ったことのない誰かのことを知っています。彼らの運命と共に。」
「運命? では私の運命とやらもご存じだと?」
「はい。あなたが明日花様を救ってくださる運命を見ました。けれど、それは兄様が死ぬ未来です。あなたは、兄様を救ってはくださらない。だから、私が行って助けないといけないんです。それが私のただ一つの目的です。あなたが誰であろうと、あなたが何をしようと、私には関係ありませんし、興味もありません。ただ・・・あなたが船にたどり着くことを知っているから、あなたに連れて行って欲しいとお願いしています。」
「俄には信じられない話ですね。」
「でしょうね。でも、それが事実なので仕方がありません。」
「・・・。」
出来ることは、ただ真っ直ぐにレナルドの目を見ることだけ。
だから、瑠衣は彼から視線をそらず、事実を語った。
「私一人出向いた未来で、ヨルデは救われますか?」
「それは・・・・・・・・・分かりません。」
嘘ではない。
メモにはレナルドの死後の事は書かれていなかったし、瑠衣はレナルドの物語を知っていない。
ただ、状況を考えるに、きっと志半ばで倒れることになったのだろうと察すると、すんなりと回答することはできなかった。
「・・・。」
やがて黙したまま、レナルドは突きつけていた剣をスッーと鞘に戻す。
「・・・付いてきたいのなら好きにしてください。」
「いいんですか!?」
「的を射ない話ですが、あなたにとってはそれが全てなのは事実のようです。好き勝手されるくらいなら、監視下においておいた方がまだましです。ただし私はあなたを守りはしませんし、状況次第ではあなたを斬ります。決して見方ではないと心に刻んでください。」
「勿論です。あ、でも何かお手伝い出来る事があったら言ってくださいね。」
「あなたに何が出来るのか知らないのですがね・・・。まぁ、でしたらもう、こんなところに居る意味はありません。行きましょう。目前で間に合わないなんて事になったら悲劇ですからね。」
「嫌なこと言わないでください・・・」
部屋の片付けなどまるでせず、部屋出るレナルドの後ろを、瑠衣は急いで追いかける。
意外にも、城のなかはがらんとしていて殆ど人が居なかった。
残っている人達は、別の事に忙しそうで瑠衣に構う余裕はないらしい。
おかげで、案外簡単に城から抜け出せた瑠衣は、レナルドの用意していた小さな船に乗り、海へと繰り出していくのだった。
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