第45話 魔の食事会

 夕刻に始まった食事会は、ヨルデ側の強い意向もあり、史郎や翔、萌生までもが明日花と並んで食事をとる事になっていた。


 ヨルデ側も、バーロンの他、メイド長や執事とヨルデの要だという精鋭隊が数人が出席し、表向きは身分や職種に関係のない、異文化交流という形を保っていた。


 とはいっても、普段は主と共に食事をしないメイド達は極度に緊張し、萌生との会話どころではなかったし、騎士団長のラーグをはじめとする精鋭隊と史郎・翔に至っても、お互いに静かに殺気を飛ばしていて、両者とも交流の意志は見られなかった。

 もちろんその場に瑠衣の姿はない。

ジェフリーシェフが気に入って離さないので厨房で手伝いに入って貰っている」というのがバーロン側の説明だった。


「流石は明日花姫。所作もお見事ですな。わが国の文化は倭ノ国とは違うことも多かったでしょうに、ご苦労なさったのでは?」

「いいえ。苦労だなんて。異文化他者を知ることは自国を知ること。とても楽しく勉強させていただきましたわ。」


 明日花とバーロンの他愛のない会話が静かな会場に響く。

 表面上の外交は、なおも健在だ。



 次々と出てくる料理が一段落した頃、運ばれて来た紅茶の香りに違和感を覚え、史郎は思わず目を細めた。

 隣にいた翔も「正解だな」と顔を上げる。

 目があったところで、2人は無言で頷きあった。


 それとほぼ同時に、ガシャンと音がして、音の先にいた明日花と萌生がテーブルに倒れ込んだ。

 それに反応して立ち上がろうとした翔が、足元がふらついてそのまま椅子に戻ってくる。


「これ、やりすぎだろ・・・」


 もちろん翔はネム草紅茶の正体に気づいているし、そのつもりで構えていた。

つまり少量の蒸気を吸っただけで目眩が襲い、強制的に瞼が落ちているのだ。


「全くだね。とりあえず・・・あとは、任せてくれていいよ。おやすみ。」


 襲い来る睡魔に抵抗しようと頭を抱えている翔にそう伝えると「しく・・・じるなよ? 瑠衣に何かあったら、殺・・・」と言葉を残し眠りについた。

 その様子を「相変わらずだなぁ」と呆れながら見届けてから、史郎は「ふぅ」と顔を上げた。


 いつの間にかメイド長や執事の姿は消え、部屋の扉も閉ざされている。

 史郎の向かい側で先ほどまで大人しく畏まっていた精鋭兵は、やっと出番がきたと言わんばかりに立ち上がり、ニヤニヤと柄の悪い顔つきで体を揺らし、武器を振える瞬間を今かと待ちわびていた。

 血気盛んな彼らを押さえ込むように、その中心にはラーグが桁違いの威圧を放ち立っている。


『精鋭兵とは名ばかりのならず者だなぁ。』


 あまりのガラの悪さに呆れ、降参といわんばかりに手をヒラヒラと上げながら、口を開く。


「こんなこと命じたのはバーロン卿? ネム草は効果が高すぎるから、重度の不眠症患者にしか処方しないんだ。それを紅茶代わりにするなんて・・・危険だよ?」

「ははは。流石はお医者様だ。我々もそれは存じていたのですがね。ネズミに試してみたら、全く効果が得られませんでな。粗悪品を掴まされたのかと少々多めにしてみたのですよ。あぁ・・・そういえばあのネズミはお宅のでしたかな?」

「うちの可愛いお姫様をネズミ扱いとは失礼だなぁ。・・・安心して。この通り、僕らにはちゃんと効く。あの子は少し特別なんだ。それで、そのネズミちゃんは、今どうしてるのかな?」

「薬が効かなかったお蔭で、少々手荒に捕獲させて貰ったよ。今は少し休んでもらっている。もちろん命までは捕ってはいないが、ここから先はキミ次第だ。」


 瑠衣の事をほのめかしながら交渉を持ちかけてくるバーロンはニタニタと愉快そうに笑っていた。

 

「みたいだね。で? わざわざ僕にだけ眠気覚まし美味しい紅茶をご馳走してくれた目的は何? 悪いけど鏡の在処なら僕も知らないんだよね。知っているのは明日花嬢だけ。僕も雇われだからさ。」

「では、君の手管を使って聞き出してもらえんかね。女性を口説くのが得意なのだろう?」

「・・・腕のいい諜報員がいるんだねぇ。」


『ったく・・・誰だよ言った奴。』


 隣国に来てまで評価に女癖それがついてまわるとは苦笑するしかない。


「僕が明日花嬢を落とせなかったら?」

「君の大切なネズミが根こそぎ海に落ちることになる。」

「面白くない冗談。」

「気に入りませんでしたかな。」

「気に入らない・・・か。」


 この交渉自体は予想の範疇を出ていない。

 むしろ、おもしろい程予想通りではあるが、後々響きそうな要素は、潰すに越したことはない。

 

『剣士が2人、銃士が1人、あとの2人はよく分からないけど、まぁいけるかなぁ。・・・あとはこの別格の隊長さんが、どれだけコッチを気にかけるかだけど・・・』


「僕に断る権利はないから、明日花嬢のことは引き受けるよ。だけどね・・・確かに気に入らないよ。僕らを安く見積もってもり過ぎだ。」


『まぁ、なんとかなるでしょう』


 フッと息を吐いて、緩く振る舞っていた身体を正す。

 細めた目の奥から殺気を放ち、身体から発する異様な圧を部屋全体に瞬時に伝播させた。


 それに反応して、ラーグが剣を抜き目の前のテーブルごと史郎を叩き切る。

バキリと音を立ててテーブルが割れ、けれどその先にいるはずの史郎はいなかった。


「ごめん。戦いたい盛りがたくさんいるから、君の相手はまた今度ね。危ないから、主を守っててくれるかな?」


 椅子から飛び、ラーグの頭上を通り越す。

 着地点にはすでに一番手の剣士が剣を携えていた。

 その剣とかち合うように刀を振り抜き、史郎はヒラリと着地する。


「はい、君はこれでお終いね。」

「なっ・・・」


 史郎の一撃で、敵がかざしていた西洋剣が見事に刃こぼれし使い物にならなくなっていた。

 唖然としている剣士の腹に峰打ちを決めると、剣士は為すすべもなく倒れ込んだ。


「倭ノ国には、腕のいい鍛冶職人がいるんでね。」

「ならば俺様の剣はどうだ?」


 2番手は史郎の背後から大柄な男が大剣を振り回す。

 その一打は交わしたものの、その険圧が史郎の髪を揺らした。


「あぁ、君そこ危ないよ?」

「あん?」


 仲間他人の立ち位置などお構いもなく、3番手の銃士が史郎に向けていたマスケット銃の引き金を引いた。

 自分に飛んでくる球を綺麗に真っ二つにした史郎の横で、散弾した弾に当たって大剣使いは倒れ込む。


「ありがとう。一番骨が折れそうな奴がさっさと片付いた。他の奴もお願いできない?」


 返事の代わりに容赦なく放たれる銃弾を、斬りかわす。


「駄目かぁ。じゃぁ、はいっ。」


 辺りに散乱していたカトラリーを拾って投げ、相手がよけたと同時に死角へと走り込む。

 見失った史郎を探しあて、銃を構えるより先に、背後から切りかかる。


 ――― パァンッ


 銃士が引いた引き金の音が、史郎の耳をつんざき、弾の一つが頬を掠めたが、史郎は構うことなく銃士の腹に峰を打ち込んだ。


「参ったなぁ。片耳が使い物にならなくなっちゃった。残りのお二人さんは、また後日って事には? ・・・ならないかぁ。」


 負傷した左頬を流れる血を指で拭いながら振り返る。

 当たり前だが、残る2人は戦意喪失などしていない。

 むしろやっと自分たちの番だと殺気立っていた。


『では、お手並み拝見といたしましょうか。』


 相手は大柄の男と、小柄の女。

 どちらも得物は持っていない様子。


 2人は協力関係にあるようなので、おそらくどちらかが術師なのだろうと、考えていると、大柄の男が手を上げると何かを呟いた。

 同時に、出現した氷の粒が史郎の頭上から降り注ぐ。


「あ、そっちが術師なんだ!?」


 明らかに身体を鍛えている屈強な男の放つ、繊細な術には思わず突っ込んでしまうが、ひとまずその氷の粒を薙ぎ払う。

 そうこうしている間に、小柄な女の姿は消え、ガントレットの内側から突き出た鋭いナイフが死角から史郎に襲い掛かった。

 片手で術を退けながら、素早いナイフ捌きも受け流していく。

 術師とアサシンのコンビでは、初めの一撃で仕留めたかっただろうに、それが未遂に終わっても、果敢に攻撃を仕掛けて来ていた。


「その心意気は、買うけどね。」


 術師の放つ術にタイミングを計る。

 少しずつ、確かに術発動にかかる時間が長くなっている事を確認し、頭上から降り注ぐ氷の粒を振り払った直後、隙をついて手持ちの煙玉をひとつ、術師に投げつけた。

 床に落ちて破裂したそれから煙が上がり、独特の香りが術師を包む。

 この煙には相手に恐怖心を呼ぶ幻を見せる事が出来る効果のあり、術師の要である精神力を容赦なく削るのだ。


「ゔ・・・ゔあぁぁぁ―――っ」


 うめき声が一つ、小さく聞こえ術師の身体がガクリと崩れ落ちた。


「ヤトっ!!」


 女が、叫んだ。おそらく術師の名前だろう。

 だが、いくら仲間であろうと、その動揺は命取り。

 女が怯んだ隙に、史郎は一気に畳みかけ、最後も峰打ちにて女を床に転がした。

 



 ***




「貴殿は紅髪の豺狼こうはつのさいろうか?」


 静まり返った食堂で、パチパチと心ない拍手を史郎に送りながらバーロンが口を開く。


「それって、確か大昔のヨルデの英雄の呼び名だったっけ? っていうか、その呼び名だと、ただの殺戮外道に思えるけど。」

「この地の英雄の名を、殺戮外道とは・・・。しかし、あながち間違いでもないかもしれぬ。彼もまた、潮から来た赤髪の侍でな、貴殿のように場もわきまえず刀を抜いたのだよ。して、この場を荒らした理由を問うとしようか。早急にネズミの死骸をご所望かな?」

「まさか。僕らの力量を少し見誤ってたみたいだから教えてあげただけだよ。こんな事はこいつにも出来る。次はもう少し骨のあるやつをお願いしたいと思って。あぁ、でも望みといえば、少しだけ聞いてもらいたい事があるんだ。そうだなぁ・・・聞いてくれたら、ラーグ隊長さんとまでは殺り合わない。紅茶でも何でも飲み干して、目が覚めたら明日花嬢から鏡のありかを聞き出すことを約束するけど?」


 どのみち、今ラーグとやり合うつもりは微塵もないけれど、それをしたくないのは向こうも同じだろう。


「この場でなお、取引を望むとは・・・いいだろう。その代わり、約束が果たせなかった時には、貴殿にお仲間そいつ等を片付けてもらうぞ。そして死ぬまで私の元で存分に腕を振るってもらおうか。」

「あら、僕の事欲しくなっちゃったの? まぁ、どのみち君たちに翔を殺れるとは思えないしね。いいよ。その条件は飲みましょう。」

「・・・では、望みを聞こうか?」


奥歯をギリリと噛みしめる音が響く。

どこまでも上からな史郎に、バーロンはかなり不満をためているようだった。


「僕からのお願いは2つ。ひとつは捕獲されてるネズミちゃん、もとい瑠衣ちゃんうちのお姫様に会わせてほしいんだ。生存を確認しておかないと煩い奴がいるんでね。」

「もう一つは?」

「彼女の寝床を、暖かい場所にしてあげてほしいんだ。体が弱いからすぐに体調を崩すんだよ。できたら、ふかふかの天蓋ベッドに寝かせくれるとありがたいかなぁ。あ、ついでに美味しいお茶とお茶菓子と専属の世話人をつけてくれたら嬉しいんだけど・・・。」

「解せませんな。暴れ回った割には要求があまりに無益だ。それとも捕らえたのはただのネズミではなかったかな?」

「さっきから言っているでしょ? 僕や翔にとっては瑠衣ちゃんあの子の方が姫だって事だよ。そこに伸びてるゴロツキと同じでさ、僕らも明日花嬢潮の姫にそんなに情はない訳さ。本当は返して欲しいってお願いしたいくらいだけど、流石に僕もそこまで馬鹿じゃない。せめて怖い思いをしないように囚われていて欲しいっていう、親心だよ。どうせ自力で逃げ出す力もないし、分はわきまえる子だ。そっちとしても、実績は残して置いて損はないでしょ?」

「食えない奴め・・・」


 奥歯を鳴らしながら、バーロンがラーグに指示を出す。

 しばらくして、眠る瑠衣が騎士の押す台車に乗せられゆっくりと史郎の目の前に運ばれて来た。


「よく寝てる。瑠衣ちゃんがこんなに深く眠るなんて、今度方法をご教授頂かないと。・・・うん。怪我もしてないみたいだね。良かった。」


 すやすやと眠る瑠衣の首元に手を当て、熱と脈を確認する。ざっと見渡す限り争った形跡もなく、硬そうな台車の上でとても心地良さそうに眠っていた。


「ご満足いただけましたかな?」

「うん。ありがとう。どうかこのまま生かしておいてね。この子の命が途切れると、何が起こるかわからないから。」

「それは・・・脅しですかな?」

「まさか。事実をいったまでだよ。さて、そろそろお茶の時間かな。出来れば美味しいやつを持って来て貰えると嬉しいんだけど。」


 これ以上、話す事はないと瑠衣から離れると、少しばかり疑心感を浮かべながらも、バーロンは再びラーグに指示をする。


 紅茶が用意されるまで、複雑な感情でじっと瑠衣を見つめていた史郎がふと顔をあげると、瑠衣を運んできた騎士の青年が目に入った。

 その耳に桜色のイリスの花を見つけ、彼が瑠衣の言っていたレナルドなのだと気がつく。


『・・・桜色のイリス・・・ね』


 この世に存在しない、桜色のイリス。 

 それは、かつて紅髪の豺狼と言われた男が、ヨルデ領の娘に贈ったとされる耳飾りモノ


「ねぇ、君がこの子のお世話をするの?」

「はい。そのように仰せつかっております。」


 「お任せください」とレナルドは丁寧に敬礼する。


『偶然にしては、出来過ぎな夢だよ・・・彼がレナルド氏だなんて。』


 瑠衣が夢で見たという人物が、数多いる騎士の中から選ばれてがここに居合わせる偶然に、史郎は息をつく。


『ねぇ、瑠衣ちゃん。個人的には大人しく、何もできない瑠衣ちゃんでいて欲しいんだよ。でも、きっと・・・その願いは叶わないのだろうね。』


 穏やかな寝息を立てて眠る瑠衣に沸く憂いに、苦笑いを浮かべていると、史郎の元に茶が届く。    

むせかえる程にネム草の香りが立ち込めていた。


「だから、入れすぎだって・・・。」


 飲まなくても眠れてしまいそうなほど、薬草の香り漂うそれに苦言を漏らす。


「それじゃ、うちのお姫様をよろしくね。」


 その場に居る誰に言うでもなく、そんな言葉を宙に放つ。

 それから「じゃぁ、瑠衣ちゃん、頑張ってね」と囁き、史郎はその紅茶を約束通り飲み干し眠りについたのだった。

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