第42話 きな臭い空気が吹いている

 ヨルデに到着し、挨拶などの社交辞令を済ませた後、瑠衣は食事会の打ち合わせお仕事のため、城にある厨房を訪れていた。


 厨房内は既に夜の食事会に向けて慌ただしく動いている。

 案内人に待つよう指示され、その様子を少し懐かしさを感じながら眺めていると、暫くしてがたいのいいシェフが現れた。


「ん? なんだお前子どもじゃねぇか。」

「初めまして。瑠衣と申します。私のような不届き者の来る場所で無いことは重々承知ですが、申しつかりました以上誠心誠意勤めるつもりです。年齢に関しましてはどうぞご容赦くださいませ。」

「・・・まぁいい。そっちにも都合があんだろう。俺はジェフリーだ。まぁなんだ、聞いたことにだけ答えてくれりゃいいからあまり気負いするなや。」

「心遣いに感謝いたします。」


 見るからに頼りない瑠衣を見て、邪険にはしないまでも取るに足らないと判断したらしい。

 ジェフリーはさっそくだがと数枚の紙を広げた。


「これに目を通してくれ。問題がなければそれでいい。簡単だろ?」


 説明もなしに差し出されたのは文字と数字が乱立している謎の用紙。


『試されているのか意地悪されているのか・・・この厨房独特の威圧感、懐かしいなぁ。』


 不思議なほどに腹は立たない。

 むしろ込み上げる親しみに微笑みすら浮かぶ。

 この独特の空気の受け流し方を、瑠衣はよく知っているのだ。

 だから、「問題ない」又は「分からない」の言葉を待っているであろうジェフリーの意地の悪い視線を無視し、しっかりとその用紙の内容調理工程表を確認し顔を上げた。


「そうですね。あらかた問題はありません。が、数点お願いと確認がございます。まず、メインの魚調理に使われる香草は変更していただきたいです。以前姫様がこの香草に触れた際に湿疹を出し、以降食していない旨はすでに書面にて通達済みです。命にかかわりますのでこれはマストです。それから量についても調整していただけるとありがたいですね。あとこの前菜に使われる野菜を小さめにしていただく事は可能でしょうか? 姫様が苦手なのです。」

 

 内容を把握できると思っていなかったのだろうジェフリーの目が驚き見開くなか、物おじせずに淡々と要望を伝えていく。


「それと、先ほどから気になっているのですが・・・あちらの方が調理されている鍋、火加減が強すぎませんか。ソースが駄目になりそうなんですけど・・・」


 これは余計なお世話だったのだけれど、手間も時間もかかっているソースが今焦げ付くともう間に合わない。材料的に絶対に美味しいので、それはとても勿体ない。


 指摘されたジェフリーは振り返り事態を確認すると、足早に鍋の前まで行って料理人を怒鳴りつけ、「余計なことはするな」と激を飛ばした後、まいったなぁと髪を弄りながら瑠衣の前へと帰ってきた。


「・・・試すような真似をして悪かった。お前さん、ここで働いてる奴よりよっぽど使えそうだ。なんなら厨房入ってくれ。」

「恐縮です。ですが、美味しそうなソースがたまたま目に入っただけですから。皆さんはジェフリー様のお弟子さんではないんですか?」

「ははは。違う違う。俺は孤独な料理人よ。客人をもてなすのに城のシェフが休暇中だってんで、留守を預かっただけさぁ。だが、客人の情報はまるで無い、アシスタントは使えねぇ、待ちわびた客人の給仕人は子ども。心が折れかけたぜ。すまなかった。あんたは立派なシェフだ。」

「恐縮です。私こそ少々生意気な口をきいてすみませんでした。ジェフリー様は真摯に料理と向き合ってらっしゃるんですね。」

「ははは、あんたとはいい仕事ができそうだ。さぁ、こっからは仕事をしよう。最高の料理でもてなしたい。改めてよろしくな、瑠衣。」

「はい。よろしくおねがいします。」


 その後の打ち合わせは順調に進んだ。

 ジェフリーとはすっかりと打ち解けて、厨房の中にまで案内してもらうことに。

 興味深い物ばかりが並ぶ厨房を、嫌悪感丸出しの料理人を無視しての見学の傍ら、ジェフリーは珍しい食材や出来上がっている料理を試食させてくれた。

 どの料理も美味しくて、本来癖のある郷土料理も食べやすいように倭ノ国の味に近づけられている。

 おもてなしを感じる食べ物に心が和んだ。


『あれは・・・』


 ふと、顔を上げた先に、場違いなほど重厚な鍵のかかった棚があることに気づく。中には何かの葉っぱが干されているようだった。


「これ、すごい鍵ですね。危険物でも入っているんですか?」

「いや、バーロン様の大切になさっている茶葉が入ってるらしい。俺も触るなといわれててな、ここの鍵はあいつらが持っているのさ。料理人としてはどんな高級茶葉なのか気になる所だが、流石にバーロン様の私物は漁れねぇ。」

「ですね。」


 珍しい食材ならば是非この手に取りたい性について、クスリと笑いあう2人を、料理人達が鋭く睨みつけていた。

 その威圧から逃れるように「おう、そうだ瑠衣。」とジェフリーが移動を促す。


「こいつについても意見を聞かせてくれ。和ノ国の料理って聞いたんだが、いまいち自信がねぇ。っつうのは難しいな。」


 冷蔵庫から出てきたのは、とても艶やかで涼しげな羊羹だった。

 差し出された羊羹を口に入れる。なめらかな口触りと優しい甘みが口いっぱいに広がった。


「美味しいです! すばらしいです!! 姫様は、羊羹がお好きなんですよ。きっと喜ばれます。」

「そいつぁよかった。あとは・・・おぅ、こいつがさっき話題に出た俺の一押しのソースでな、フクオタソースって言って・・・」


 相当気に入られたようで、次々に出てくるジェフリーの話題はつきることが無い。


『あぁ、どうかこの羊羹と出されるお茶が、あの棚の茶葉でありませんように・・・』 


 既に打ち合わせではなく試食と見学会となってきたその場で、ジェフリーの熱意を肌に感じながら瑠衣は切に願った。




 ***




 ジェフリーとすっかりと話し込み、ローランドの食事事情に詳しくなった頃、瑠衣はその場に別れを告げ、翔達と合流した。

 あてがわれた城の離れにある談話室では、明日花がお茶を飲みながらくつろいでいる。

「瑠衣も一緒に」と誘われたものの、お腹がいっぱいだったので遠慮し、壁に寄りかかりながら窓の外を眺めた。

 綺麗に整えられた庭を眺めながら、物思いにふけっていると、そっと翔が近寄ってきて隣に並ぶ。


「どうした瑠衣。何かあったか?」

「いえ・・・あの、厨房にネム草がおいてありまして。」


 少しだけ声を落として、厨房での事を報告しておく。

 厳重に鍵をかけられた棚干されていた草を、ジェフリーは茶葉と言っていたが、実際は強い催眠作用のある野草。

 野外生活と史郎のおかげで、瑠衣たちは野草の知識が豊富なのだ。


「食事に混入するつもりか・・・」

「いえ。おそらくお料理は全て問題なく出ると思います。料理長のジェフリー様が睨みをきかせていますから。」

「料理長が敵ではないと何故言える?」

「あ・・・すみません。こういう場で、無闇に人を信用してはいけませんよね・・・。」

「そうではない。お前が感じている事をそのまま話してくれればいい。何故そう思った?」

「えっと・・・何の根拠もないですが、ジェフリー様と話していて、料理のに対する愛情と熱意を感じました。それから、ジェフリー様は常駐の料理人ではなく、今回の為に雇われた料理人だそうです。ネム草についてもバーロン様のもので触らないように言われているとのことで、保管場所の鍵すら触れないと。・・・高級茶葉という事になっているようですから、おそらく食後のお茶になるのではないでしょうか?」

「ネム草の茶か・・・お前以外は、一口で夢の中だな。」

「そしたら私も眠たふりをします。一人取り残されるのは嫌なので。」

「それがいい。」


 瑠衣は睡眠薬の類が一切効かないという体質を持っている。

 その昔、ネム草も試したことはあるが、全くといっていいほど効果が無く、香として焚いてくれた史郎の方が先にギブアップした程。

 おそらく、ステータスに睡眠耐性でもついているのだろう。

 そんなものを確認するすべはないのだけれど。


「しかし、瑠衣はしっかり仕事をこなしていて偉いな。正直驚いた。」

「いえ、たまたま目に入っただけですから。」

「それだけではない。船での食事も、実に見事だった。お前は何でも器用にこなす。俺もうかうかしていられない。」

「そんな事は・・・あの兄様、もし食事中に出されたものに薬草が混入していたら、ジェフリー様はどうなりますか?」

「そうなればこちらとしては糾弾せざるを得ない。その上で責任を取らされる。もしくは、そいつが本当に無関係なら、口封じに消される事もあるだろう。」

「そうですか・・・」

「少し話しただけで情が湧くほど良い奴だったか?」


 視線を落とした瑠衣に、翔が問う。


「すみません。」

「謝ることはない。それは人を想う瑠衣の優しさだ。良かったな、いい奴に会えて。確かにここは敵陣の中だが、誰も彼もを嫌悪する事はない。何かあったところで助けてはやれんが、お前がしたいなら、そいつの仕事がつつがなく終わるよう祈ってやるといい。」

「兄様・・・はい。」


 瑠衣は静かに頷いて俯いた。

 命には限りがある。全部は守れない。その時々で選択しなくてはいけないことがある。命の選択すらも・・・。

 ここはそういう、人がいとも簡単に消されていく世界。

 そんな中で消えるはずだった翔の命を守るだなんて、なんて烏滸がましい話なんだろう。

 それでも守る。

 他の何に変えても、守らなくちゃいけない。



「そうだ瑠衣、お前に渡す物がある。」


 少し路頭に迷いそうな気持ちが、その言葉でパタッと切り替わる。

 「なんですか?」と顔を上げた瑠衣の口に、コロンと何かが放り込まれた。

 口の中で、星形の小さな砂糖菓子が、柔らかな甘味を広げながら解けていく。


「金平糖?」

「あぁ。出発前に飴屋で見つけたんだが、渡しそびれたままだった。何があるか分からん、持っておくと良い。」


 渡された小瓶には、色とりどりの金平糖がキラキラしていて、見ているだけでも心が和む。


「ありがとうございます。」


 大切に仕舞おうと、取り出した巾着を開こうとしたとき、窓の外にヨルデ兵が小さく映った。それに気を取られ、瑠衣の手から一瞬力が抜けた。


「あ・・・」


 スルリと手から落ちた巾着は、開いていた窓枠からも滑り落ち、下に広がる芝生の上にパサリと落ちた。


「ごめんなさい、ちょっと拾ってきますっ!」


 誰かが背中で呼び止めた気がしたが、意識はすっかり巾着で、足早に部屋を出て、階段を駆け下りた。

 落ちた巾着はずっと愛用していたもので、安心毛布のような物。

 しかも今はエネのお守りまで入っている。

 無くすわけにはいかない。


 外へ出て落とした場所まで急ぐと、そこには先客が居て、先ほど見えたヨルデ兵が巾着袋を拾っているところだった。


「あの、それ私ので・・・」

「あぁ、あなたのでしたか。持ち主が見つかってよかった。」


 佇む背中に恐る恐る話しかける。

 ブロンドの短髪をキラキラと輝かせながら、振り向いたのは爽やかな好青年。

 レナルドだった。


 レナルドが瑠衣に巾着袋を差し出してくれる。

 それを受け取り「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。


「息を切らして拾いに来るほどに、大切な物なのですね。」

「あっ・・・お見苦しい姿、失礼しました。巾着これ、大切な人に初めて貰った物なんです。綻びだらけでお恥ずかしいですけれど、傍にこれがないと落ち着かなくて。」

「分かります。ありますよね、そういう物。」

「え?」

「私も、母の形見である耳飾りが手放せなくて、騎士らしくないと隊長にどやされるのですが、今もほら。」


 そう言ったレナルドが見せてくれたのは、右耳にあったピンク色の可愛らしい花のピアスだった。


「可愛いですね。イリスの花ですか?」

「よく分かりましたね。イリスはローランドの国花なのですが、本来は濃い紫です。桜色というのは男らしくないと、よくからかわれるんです。」

「それは大変ですね。ですが、揶揄されても許されているという事は、レナルド様は実力を認められた優秀な騎士様なのでしょうね。」


 言ってから「まずい」と顔が青ざめる。

 咄嗟に取り繕うようにレナルドから目をそらして視線を遠くへ投げたが、そこでさらに追い打ちがかかる。

 遠くの木の影に見覚えのある銀髪が揺れていた。


『レン・・・』


 だから瑠衣は、ここが、レナルドの進行中のイベントだと確信した。


『あぁ・・・陰謀に巻き込まれた異国の姫は明日花様だ・・・』


 頭の中で、姫の周りに転がる骸が翔と史郎の姿と重なり目眩を覚える。

 一歩引き下がった足元が覚束ずおぼつかずによろめいた瑠衣をとっさにレナルドが支えた。


「大丈夫ですか?」

「えぇ、重ね重ね失礼を、申し訳ありません。」

「いえ、大丈夫ならそれで。・・・ところで、何故私の名を?」

「えっと・・・その、先ほどそう呼ばれているのをお見かけしたものですから。紹介もないのに失礼ですよね。あの、私は・・・」


「瑠衣っ!! いつまで油を売っているんです? 早く戻ってきなさい。」


 頭上の窓から、萌生の怒号が降って来る。

 その横には、ずっと見ていたであろう翔が睨みを効かせていた。

 萌生に瑠衣を呼び戻させたのも、おそらくは翔なのだろう。

 とてもありがたいタイミング。


 「自己紹介の必要はなさそうですね」と瑠衣はバツの悪い顔を上げる。


「お見苦しい姿ばかり見せてしまい申し訳ありませんでした。私、そそっかしくていつも怒られてばかりなんです。もう戻らないと。数々のご無礼をどうかお許しくださいませ。」

「いえ、気にしていませんよ。それより気分が優れないようでしたらお送りいたしますが?」

「いいえ。それには及びません。あの、これ拾ってくださってありがとうございました。」


 それではと一礼して、レナルドに背を向ける。


『・・・お守り、読まないといけないな。』


 巾着袋の中に確かにあるそれを握りしめる。

 事前に予想していたからか、不思議と焦りはなかった。

 ただ、今までに得た情報を巡らせながら、どうするべきかをひたすらに考えていた。

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