第39話 明日花の公務 1

 海に浮かぶ船の上。航海に出て十数日。

 目的地であるヨルデ港は目と鼻の先という距離にまで迫っていた。

 船内では、今後のスケジュールの最終確認が行われていて、少しだけ空気が殺伐としている。

 そんな中、行きの船での最後の食事とその片付けを無事に終えた瑠衣は、暇を持て余していた。


「あら瑠衣。片づけは終わっんですわね。なら、あぶれ者同士お茶でもいかがかしら?」


 背後から明日花に声をかけられる。

 彼女もまた、「これから忙しくなるから今はゆっくりしてて」の一言で追い出され、暇していたのだという。

 もしかしたら、明日花ならば公務仕事についての概要を少しは教えてくれるかもしれないとその誘いにのって、瑠衣は明日花の部屋でお茶を囲む事にした。

 

 元々に華やかな雰囲気を持つ明日花だが、エネ鬼コーチのマナー講習のおかげもあってか、お茶一つ取る所作にすら品が感じられる。

 偏に努力の賜物なのだろうなと、しばしその姿に見惚れていると「何かしら?」と明日花が首を傾げた。


「明日花様の振る舞い、美しいなって。先ほどの食事も、作法完璧でした。」

「嬉しいですわ。でも、あなたこそ、本当に料理初心者なんですの? 見たこともない料理をあんなに美味しく作れるなんて。」

「あ・・・料理はほら、先生が良いですから。」


 目力強めに「ね?」と押し通すと。

 明日花はエネの恐ろしさを思い出したのか身体をすくませる。

 明日花の指導をする時のエネはかなりのスパルタなのだ。

 それについていけている明日花も相当な化け物だろうけれど、本人は気づいていないのだろう。

 瑠衣の(していない)苦労を察し、明日花はとても労ってくれた。


「ところで瑠衣は、今回の公務仕事についてどれだけの事を知っているんですの?」


 瑠衣が料理の合間で作ったお茶菓子の蒸し饅頭を口にしながら、明日花が問う。

 殆ど知らされていないことを伝えると「そう」と苦い顔をし、湯飲みにあったお茶を飲み干してから息をついた。


「私はね、瑠衣に知っておいて欲しいんですわ。私がどうしてヨルデへ出向くことにしたのか。これから何が行われるのかを。先生方の意向には沿わないかもしれませんけれど・・・話を聞いてもらえないかしら?」


 そういう明日花は不安気な顔をしていたが、聞こうと思っていたことだったので、逆にとても有り難い申し出だった。


「もちろんです。是非聞かせて下さい!」


 即座に返答したその声が、前のめりに明るくなってしまったので、安心したのか明日花も「ふふっ」と頬を緩めた。


 そして明日花は「どこから話せばいいのかしら・・・?」と悩み、時々言葉をつかえさせながらも、この公務に隠れている様々な陰謀を話してくれた。





 ***




 

 話は少し前にさかのぼる。

 その日の明日花は、潮の港の商店街を歩いていた。

 エネからの課題で、商店街を活性化する方法を考え提出するよう言われていたためである。

 既に活気づいている港の商店街の活性化など、考えるだけ無駄なのではないかと思ったが、深く知る事で意外な課題が見えてきて、それと向き合う作業は案外楽しいものだった。


 初めは、今まで殆ど出歩かなかった明日花が商店街をうろつく事に、どの店も警戒心を強くもち心を開かなかったが、毎日通ううちに少しずつ打ち解け、ほんの一部の人間ではあるが、店の自慢や困り事を雑談のついでにポロポロとこぼしてくれるようになった。


「最近は盗難も多くてねぇ。うちも夜中にからくり箱が盗まれたよ。あいつの店煙管が根こそぎ盗まれたって。もうすぐ【国盗り】だろ? 警備が手薄になるから参ってるわけよ。」

「それは大変ですわね。」

「あぁ・・・ここだけの話だが、この商店街の会長で貿易商の影虎様は、何度言っても警備強化を進言してくださらねぇ。あん人は貿易が本業で痛手は無いんだろうが、こっちは商品一つだって無くなりゃ生活が危ういんだ。」

「ですわよね。とにかく一度皆様の話を聞いてみて、必要なら私からも警備強化を進言してみますわ。」

「そりゃ、ありがてぇ。姫様、頼りにしてますよ。」


 そんな話をして、しばらく商店街を見て回る。

 一通り話を聞き、「今日はこれくらいにしましょう」と萌生とともに帰路についた。


「高級からくり箱や海外の調度品はまだしも、量産品の煙管きせるや化粧道具に、一番多かったのは土産用に作られた瓢箪ひょうたんだなんて・・・訳が分かりませんわ。」

「はい。安価な物から高価な物まで価格は幅広く、大きさも様々。盗品には統一性ないおかげで防ぎようがないと、皆さん嘆いておられました。」

「これだけの被害が出ていても、やはり影虎様は警備の強化に消極的・・・。一方で、生活苦に陥った商人には金利なしでお金を貸し付けたといお話もありましたわ。ますます何がしたいのか分かりませんわね・・・。」


 道すがら、商店街で見聞きした出来事を萌生と話す。

 現時点では影虎がとても怪しく感じたが、感謝している人間がいるのも確かだ。


「いずれにしても、もう少し調べる必要がありそうですわ。」

「はい。私もお手伝いします。」

「ありがとう。」


 やることが山のようにある。

 基礎の学問、エネの課題、目の前で起きている問題・・・。


『あぁ、帰ったら座学の復習をしなくては・・・午後にエネが試験をすると言っていましたわ。』


 このくらいで音を上げている場合ではないのだろうけれど、もう随分、自由時間というものを持っていない気がする。

 少し前まで流行を追うのが唯一の生き甲斐だといっても過言ではない暮らしをしていたというのに、瑠衣が好きだという‘’‘’でさえ、未だ食せていないのだ。


「あ、明日花様。あんな所に露天が出ていますよ! 次の予定まで少し時間がありますが、見ていかれますか?」


 ゲンナリとしていた気持ちを見透かしたのか、萌生が話題を変えるように、いつも無い場所に店を構える露天の前で立ち止まった。


 広げた茣蓙ござの上に、異国の様々な物が並べられている。

 その光景にワクワクしつつも、少しだけ鬱々とした気を持ってしまうのは、きっと瑠衣を思い浮かべてしまうから。


「・・・。」

「いかが致しました?」

「あぁ、いえ。瑠衣もこうやって自分の店を構えているのですわよね。」

「はい。瑠衣様の商品は物が良いですから贔屓にされている方も多いようです。説明も丁寧ですし。まぁ、野良であるが為に苦労もされていらっしゃるようですが・・・潮の町ではそういった苦労も少なく、露天商の仕事が楽しいと仰ってましたよ。何故ですか?」

「瑠衣を見ていると、今までの自分の行いが恥ずかしくて仕方ありませんわ。親も家も身分も、私は全て持っていたのに何をしていたのかしら・・・。野良のあの子が地に足着けて生きているのに、私は未だに降り立つ場所すら確保できていないなんて、情けないことこの上ないですわ。」

「明日花様・・・」

「なんて、言っても仕方のない事。遅れはきっと取り戻しますわ。瑠衣の友人としてちゃんと隣に立てるように。何より萌生にとって良い主にならないとですわ。」


 本人を目の前に出した言葉に少し恥ずかしくなって、感激している萌生から目をそらしては露天の品を眺める。

 どれも見たことのない調度品ばかり。

 その中で、目に留まった木工細工を何気なく手にとってみると、それはコンパクト型の手鏡で蓋が開くようになっていた。


「これは・・・」

「どうされました?」


 手鏡を開いて止まった明日花の後ろから、萌生もその視線の先を追う。

 手鏡の中には折り畳まれた紙切れが入っており、少しだけその文字が読み取れた。

煙管きせる  桜印籠さくらいんろう 瓢箪ひょうたん・・・』

 その内容に2人は顔を見合わせた。


「お目が高いですなお嬢さん方、そいつは本日入荷した一級品ですよ。」


 かすれ声の店主が不気味にニヤリと笑う。


「そう、とても気に入りましたわ。ですが、今手持ちがありませんの。」

「そりゃ残念だ。」

「物々交換、という訳にはいきません? そうですわね・・・このかんざしについている石は全て富士の職人がこだわり抜いた一級品ですわ。一粒でもそれなりの値段が付くと思いますが、手鏡をいただけるのでしたらこのかんざしごと差し上げますわ。」

「明日花様、それはっ」


 いつかの誕生日に、父親から贈られた簪。

 その価値を知っている萌生が声を上げたけれど、それを静かに制止して、見せて見ろと無言で手を差し出す店主に、着けていた簪を手渡す。


「なかなかどうして・・・お嬢さんにはそいつの価値がきちんと分かっているらしい。いいでしょう。持っていきなさい。」


 じっくりと簪を観察した後、顎を指でこすりながら、やはり不気味なニヤリ笑いを浮かべた店主が言った。

 その答えを聞き、明日花は手に持っていた手鏡を懐へとしまう。

 そのまま「では」と作り笑いを浮かべ、明日花は萌生と共に歩き出した。


「よろしかったんですか?」

「構いませんわ。珍しい物を価値も知らずに欲しがっただけ。あれは今の私には不釣り合いな品でしたもの。それに、領民が納めた税によって購入したものなら今、領民の為に手放すのは当然だと思いますわ。」


 出来るだけ心配をさせないように、微笑んでみせる。

 その虚勢に、おそらく萌生は気づいているのだろう。

 モノ言いたげな顔で黙ってしまった。


 父親からの誕生日の贈り物。

 それには大きな意味があることを、萌生は知っている。

 忙しさを理由に帰らない父親と、我儘な娘。会うことなく年を重ねてきた2人にの間には大きな溝があたりまえのようにある。

 そんな2人の唯一親子らしい行事が明日花の誕生日だった。

 その日だけは、どんなに無茶な願い事も一つだけ叶えてくれる約束で、どんなに無理難題な品を要求しても、必ずそれは贈られてきた。

 本心を言えば、別に高級品が欲しい訳じゃなかった。珍しい物が欲しい訳でもなかった。

 ただ、それを用意している間だけは、自分のことを思い出していてくれるかもしれない、だから少しでも長く自分の事を思って欲しかった。

 そんな、あまりに幼稚な我が儘だった。


 父親が、どんな想いでそれらを用意していたのかは分からないけれど、少なくとも明日花にとっては、毎年贈られるその贈り物が親子の絆そのものだったのだ。


「そんな顔しないで頂戴、萌生。あの簪を届けに来たお父様の家臣が、私になんと言ったか知っていて? 「我が儘も対外にしてはいかがですか? 貴女のような方に貰われたのでは、簪が泣きますよ。」ですわ。」

「なんて無礼なっ! 何故その時におっしゃらなかったのです!?」

「萌生ならそうやって、怒ってくれると思ったからですわ。でも、確かにあれは、今の私には到底釣り合わない。その自覚は手にした時からありましたわ。ですから良いの。いつか、誰かに心から贈ってもらえるように、輝く石たちが似合うと認めてもらえるように、今は頑張りますわ。」

「・・・それなら私も、そんな明日花様に見合う侍女であるために精進します。」


 強がりである事を、萌生はやはり気づいていると思う。

 けれど同調し、同じ方向を向いて歩いてくれることが嬉しかった。


「そうと決まれば急いで帰りましょう。この件は私だけではあまりに力不足ですわ。相談するならエネかしら? でもその前にある程度話をまとめておきたいですわ。」

「はい。私も出来る限りお手伝いしますので、何なりとお申し付けください。」

「頼もしいですわ。でしたら―――」


 まだまだ、思いと行動は伴わないけれど「こうしたい、ああしたい」と自分の意欲や思いを萌生に話す。

 それを丁寧に分析し「それならば」とすべき事を導き出して手伝ってくれる萌生は本当に頼もしい。 


 そうして今後の予定を組み立てながら、二人は帰路を急ぐのだった。




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