第38話 兄様のいない世界ならいらない

 それから数日後、瑠衣は無事に食事係りに就任した。

 エネの家で料理に挑戦してみたら、意外と楽しかったので是非やらせて欲しいと、見え見えの嘘で史郎に懇願してみたところ


「え? 包丁持てたの?」


 と驚いてはいたが、エネの後押しもあり了承された。

 人員の選別には本当に困っていたらしい。

 翔は突然の申し出にかなり困惑し、心配していたのだが、


「兄様にご飯を作って差し上げたいのですが、駄目ですか?」


 と、若干上目づかいの困り顔で言ってみたところ、かなり効いたようで、一瞬制止した後に、その顔を手でおおい隠しながら、了承された。


 エネのアドバイスに則って冗談混じりに練習した成果だったが、悶える様子を必死で隠そうとする翔が可愛すぎて、逆に悶え死にそうになった。

 たまにはこういうおねだりをするのも、新しい翔が見られて楽しいかもしれないな、なんて悪戯心がわく出来事だった。


 こうして出発までの時間、翔と史郎が準備で忙しくなかなか帰れないのを良いことに、料理修行と称してエネの家に居座りながら、エネの漫画を読み漁ったり、萌生に侍女の仕事を教えてもらったり、明日花と一緒にローランドについて勉強したり、時にはエネの術で作られたドレスを来て、貴族ごっこを楽しんでみたりしながら、その時間を自由気ままに過ごしていた。


 あっという間にやってきた出発の前夜。

 寝る前にのんびりと瑠衣がお茶を飲んでいると、湯から上がったエネが「ちょっといいかしら」と正面に座った。

 何かなと思いながら、エネにお茶を入れて差し出すと、「ありがとっ」と軽く受け取り、エネはそれを飲んで一息ついた。


「いよいよ明日出発ね。調子はどう?」

「調子って言われても、私は大して事情を知らされてないから気楽なものだよ。ついて行って萌生さんの手伝いするだけだもん。料理の方はご存じの通り、お陰様である程度の勘は取り戻せた感じ。ありがとう。」

「それはこっちの台詞だわ。久しぶりに懐かしい味をありがと。」

「エネにそう言ってもらえると、お墨付きをもらえたみたいで嬉しい。・・・心配事があるとすれば、体調くらいかな。最近は調子いいんだけど、この身体、環境が変わるとすぐ熱出るの。熱出たら動けなくなっちゃうし・・・皆忙しそうだから、足手まといにはなりたくないな。私がそんな状態でいたら、兄様も心配するだろうし。」


 それに、言い争っていた事も気になる。

 あの時聞こえた餌とは瑠衣なのだろう。

 相手が暗殺者その道のプロならば、瑠衣がどう足掻いても無駄だとは思うけれど、だからといってあえて隙を与える必要はない。

 体調を崩して倒れることだけは回避したいところだ。


「確かに、あんたの心配をしている時の翔は扱いづらいって史郎あいつがボヤいてたわ。もの凄い集中力で仕事を早く終わらせるか、使えないかの2択なんだって。」

「あはは。じゃぁ、尚更体調管理はしっかりしないと。兄様は本当に、私のことで神経すり減らしすぎだから、これ以上迷惑かけたくない。せっかく助かって一緒にいられるんだもん。兄様とは楽しく過ごしていたいな。」

「・・・・・・・・・。」

「エネ?」


 急に押し黙り、どこかもの哀しげに見つめてくるエネに、首を傾げる。

 何か言いづらそうに言葉を選んでいるその様子に、何となく言いたいことが分かってしまった。


「あのね瑠衣、その、翔の事だけれど・・・本当に助かったのかしらね?」


『あぁ、やっぱりだ・・・』


 それは、ずっと頭の片隅に持っていた疑問の一つ。

 自分ですら導き出せるその答えを、エネが導き出せないわけがない。

 本当ならもっと前に、それこそ再会の日に、議論がなされていい事だったのだけど、救えたと信じたかった瑠衣は、その話題を避けるように、明るい話題しか出さなかったし、エネはそんな瑠衣に水をさす必要はないとあえて話題には出さないでくれていたのだと思う。


 そんなエネが封を切ったのだから、もう逃げるわけには行かないという事だ。

 小さく息を整えて、不安げな眼差しでこちらを見つめているエネに向き直った。


「兄様は、ゲームの必須要素キーパーソンだった。終章には単独イベントがあって、物語上それがレンを勝利に導いた。だから、世界が救われる為には兄様は・・・死ななきゃいけない。死んで、レンの元へ行かなければならない。それがこの物語の絶対。って話だよね?」

「やっぱり気づいていたのね。」

「そりゃ・・・ね。兄様を救うって決めたとき、真っ先に思った事は、抗えないんじゃないかって事だった。だからあの時兄様が死なずに済んで、助けることが出来て本当に嬉しかった。でも、じゃぁ次はいつだろうって考える。兄様が出かけていくたびに、心が抉られるんだよ。帰ってくるのが史郎さんだけだったら、最後のシーンのように訃報を言い渡されたならって・・・。私が知っていることはもう、それによって絶望する私自身の姿だけだからさ・・・。」


 死ぬべき時に死ねなかった人間は鬼になるのだと、誰かが言っていた。

 ならば鬼を倒したあの時、翔は鬼になってしまったのだろうか。

 それとも今でも物語は翔の死を待っているのだろうか。

 その答えは、世界が救済エンディングを迎えるまで分からない。


「後悔してる?」


 少しの沈黙を挟んでエネから出された問いかけに、顔を上げて首を振る。


「私ね、それでも兄様を死なせないって決めたの。だから、もしも世界が兄様の命を奪おうとするなら、私は何度だって兄様を助けるつもりだよ。そのために出来ることはまだ分からないけれど、少なくとも何もしないで兄様を失うことだけはしないってそう決めた。私は兄様に生きていてほしいの。兄様がいない世界なら・・・いらない。」


 神が勝手にはじめた戦争の行く末なんてどうだっていい。

 他の誰を巻き込んだって別に構わない。

 だけど翔の代わりがいないのなら、そんな世界は滅べばいいと思う。


「ごめんねエネ・・・でも私これだけは譲れない。だから・・・」


 けれどエネは違う。

 初めからそう言っていた。「こうすることが世界の為」と。

 彼女は世界を救いたい側なのだ。


「やめなさいよ。別にそんなの分かりきったことよ。ただの確認。万が一あんたが世界のために翔を手放せるのなら、余計なことを言うのは止めようと思って。愚問だったわね。」

「余計な事って・・・エネ、兄様を助ける事考えてくれてるの?」

「当たり前でしょ。私の事そんな薄情だと思ってたの?」

「いや、だって・・・」

「お察しの通り、別に私は世界を終わらせてまで翔を助けたいとは思ってないわ。けど、あんたがどれだけ翔馬鹿で危なっかしいか知ってるもの。翔を助けるために、また突然死なれたら寝覚めが悪いじゃない。

 私の頭の中にはね、VTPの攻略本、ファンブック、イベントで制作者が話した内容等々、あらゆる情報がまんま残ってるのよ。お陰様であんたが知らない事も知ってるわ。どこまで通用するかはしらないけど、好きに利用したらいいんじゃない?」

「エネ・・・。」

「ただし、私は直接は手を貸せないから、あくまでも情報屋としての役割だけよ。どうにもならなくても恨まないでね。妖怪界こっちも色々複雑なのよ。」

「恨むなんてそんな・・・こんなに心強いことはない。」

「まぁ、一緒に考えるくらいなら出来るし、最悪の事態を想定していれば大体のことはなんとかなるものだから、無鉄砲はやめなさい。翔の為にもね。」

「うん。・・・ありがとう、エネ。」


 なんて恵まれた環境にいるんだろうか。

 こんなにも自分勝手に物語を危険な方向に変えているのに、それでも味方でいようとしてくれるエネに、ありきたりな言葉しか出ないことがただただ悔やまれた。


「じゃ、本題に入りましょ。あんたは、翔の死期については予測出来ないと思っているみたいだけど、案外そうでもないかもしれないわよ。」


 初っ端から、エネは瑠衣の考えを真っ二つにぶった斬ってくれる。

 「え!?」と驚きながらも、エネにそう否定してもらえて心が救われる気分だった。


「ポイントは、翔がレンによって導かれるということ。つまりその死は何らかの物語性を持っていないといけない。その辺でうっかり足踏み外して死んだって、レンは見向きもしないんだから。」


 死の淵に立ちながらも、大切なモノ、人、自分自身、夢・・・何かを強く願い、欲し、祈り、魂が叫ぶ時、その強い想いがレンを呼ぶ。

 それが、レンと人の魂とが交わる最初の条件。


「つまり、兄様が死ぬときには、鬼みたいにイベントがあるって事だよね。」

「そう。翔は瑠衣、つまりあんたへの想いがレンに届く訳だけど、それはきっと変わってない。だからまずは、あんたが危険から遠のく事。それである程度の回避ができる。」

「私・・・そっか。」


 盲点だった。

 翔を助けられるなら、たとえ火の中水の中と思っていたけれど、翔が瑠衣の為に死に急ぐのなら、瑠衣は何もしないにこしたことはない。

 それよりも、瑠衣の呪いの解明の為に死ぬ翔を阻止する為に、情報がなさすぎて投げかけてた呪いの正体や解呪法を早急に突き止め対処することが先決だ。

「瑠衣は大丈夫!」と、あらゆる角度から証明すれば、翔が無益な争いに身をおく必要は無くなるのだ。


『まぁ、それが出来れば10年も旅してないけど・・・』


 呪いそれは諜報活動を得意とする翔の情報網を駆使しても解けていない謎。

 瑠衣が逆立ちしたところできっと何も変わらないだろうけれど、呪いが薬になる可能性キールが示してくれた可能性を見いだせれば、謎のままでも解決できるかもしれないと、そこには希望を見出していた。


「それから翔の死期に関係しそうな事がもう一つ。」

「何?」

必須要素キーパーソンではないキャラの死。つまり、誰かの代わりに翔が死ぬって可能性。」

「なる程・・・それならすでに出来上がった物語に準ずるだけでいいもんね。」


 ゲームでは、必須要素キーパーソン以外のキャラ加入はプレイヤーの任意だった。

【加入しない=死なない】ではないだろうけれど、現実となったこの世界ではそういう可能性は強い。


『・・・でも、誰の?』


 代われそうな人を考える。

 物語の進行具合を考えるとあと仲間になるのは5・6人程。そのうち、倭ノ国出身者は術師の家系に産まれながら術を使えない巫女 ことり。

 彼女の物語は家族に見放され行き場を無くし、ひそかに身を寄せた祖母にも売られ、全てに失望したところに、初めて魔力を感じ取り、それらを使って自らを死へと追いやるというものだが・・・。


「兄様にことりちゃんの代わりは無理だよね?」

「えぇ。流石にお家騒動は代われないでしょう。縁もゆかりもない家系の仕来りに消されるってのも無理があるわね。なら、誰なら代われるか? ・・・考えてみたら、そのためにいるんじゃないのってくらいうってつけのキャラが一人いたのよね。」

「え、誰?」

「あんたの天敵。ローランドの騎士・レナルド。」


 頭の中で、ブロンドの短髪がキラリと輝く。

 そこは何処なんだといわんばかりの謎の水しぶきを背景に、サンサンと照る太陽に負けないくらい眩しい、爽やかな笑顔がキラキラと光り輝く。

 それは別ゲームとのコラボイベントでのレナルドらしいのだが、瑠衣はとある理由から彼のことが苦手だ。

 正直そのキラキラ加減は思い出すだけで胸焼けしそうである。


 何処からかわいてきた不快感を飲み込み気を取り直して、レナルドという人物を思い出す。


 レナルドは、ローランドにある何処かの城に配属されている末端の騎士だ。

 いつかは王立騎士団に入りたいのだという夢を語りながら、日々の仕事に誇りを持って取り組む好青年。

 彼の物語は、城に異国の姫君が訪問するところから始まる。

 誇り高く、常に正しくあろうとする聡明な姫に心を打たれたレナルドは、その姿に触れ、自身も正しくあろうと心に誓った。

 それから数日、レナルドは日々の功績が認められ、極秘任務を命じられたのだが、それは姫の暗殺に荷担する事であった。

 悪事の一端を担っていた事に気づいたときにはもう遅く、目の前では、姫君の側近の首が跳ねられ、ただ一人その場に残った姫の処分を命じられる事となる。

 国の為に姫を殺すことが「正しい」のか迷い苦しみ、姫を逃がす選択をしたレナルドは、追っ手から彼女を守り抜き死亡した後、レンに導かれるというのが、彼の物語。


 加入時期は翔の少し後。

 鬼を退治してからの時間を考えると、確かにそろそろ起きてもおかしくはないイベントであり、しかもローランドの騎士。


「でも出て来たお姫様は中世ドレスを身に纏った、ドリルな巻き髪の、いかにも~なお姫様だったよ?」


 ついでに明日花はお世辞にも「常に正しく」いるような人物ではない。


「そのお姫様が何処の誰で何しにきたかなんて作中で語られてない。つまりそこはどうでもいいって事。それより明日花が、このタイミングで、としてローランドへ行く事が気になるの。もしそこにレナルドが絡んできたのなら、少なくともレナルドのイベントは実行されるってことでしょう?」


 仮に異国の姫が明日花ならば、首がだけになった側近は史郎と翔だし、さらに言えば姫以外は死ぬのだから、瑠衣を庇って命を落とす可能性だって十分あるわけだ。

 考えれば考えるほどに八方塞がりで、血の気が引いていく。

 けれど、エネが淡々と話を進めてくれるからか、その事象から目を背けず冷静に考えを巡らせることができる。


 『まだ、可能性の話だ。どんなに現実味を帯びていようとも、「かもしれない」の範囲からは出てはいかない。なら、揺らぐのは今じゃない。大丈夫。』


 ぶんぶんと頭を左右に振って、エネにむかって精一杯の意地を見せる。


「レナルドのイベントが起こるかどうかは、行ってみないと分からないよね?」

「そうね。ここでお互いの想像力を披露しあってたって結論は出ないわ。だからこそ、予測と対策は怠らない事が大切。」

「うん・・・然るべき時に正しい行動がとれるように・・・ちゃんと逃げずに考える。だから教えてエネ。私、レナルドについて何も知らないの。サブイベントはおろか、加入イベントも曖昧で・・・多分ゲームでは一回も使ってないかも知れない。」

「毛嫌いしてたものね。まぁ、だと思ったから・・・はい、これ。」


 エネがおもむろに取り出したお守り袋をテーブルに置いた。


「この中に、レナルドについてあらかたの事を書いて入れておいたから、持って行きなさい。」

「読んでいいってことだよね?」

「えぇ。ただし、その時は慎重に見定めた方がいいと思うわ。ここに書いてある事は、瑠衣が知っているのはありえない事だもの。知ってしまったら、知らなかったときには戻れないし、イベント要素がまるでなかったなら、それこそいらない情報に惑わされかねないでしょ? あんた、嘘つくの下手みたいだから。」


 言われてエネから目をそらす。

 最近すっかり心情ダダ漏れ少女になってしまったのを自覚している。

 以前はどうしてあんなに感情を無にしていられたのか、自分のことながらさっぱり分からない。


「分かった。イベントが確定して、レナルドについて知っておいたほうが良いと思うまで、これは文字通り「お守り」として身につけることにする。」

「えぇ。ちなみに書いてあるのは日本語だから、普通なら読むことはできないけど・・・呪術系の怪しいお札みたいな扱いになりかねないから、読むときも気をつけなさいね。」


 そう心配してくれるエネに「それはまた、兄様が心配しそう」と、はにかみを返しながら、お守りを大事に袂にしまい込んだ。


「じゃ、話はお終い。出発前に悪かったわね。」

「ううん。話してくれてありがとう。おかげで見通しがついたよ。兄様がね、仕事内容を、「知る必要はない」って教えてくれなかったから、危険な仕事っていう情報以外何もなくて・・・なんだか気持ちが宙に浮いてたんだよね。巻き込みたくないのは分かるけど、それじゃぁ警戒のしようもないと思わない? だからやる事が見えたっていうか、明日花様には悪いけどさ、私は私の戦いをしようって割り切れたかも。」


 今まで一人で抱え込み、悶々としていた事を口に出して、理解してもらって、違う視点からの意見をもらって。

 問題は何も解決していないかもしれないけれど、気持ちはスッキリと軽くなっていた。


「私、何があっても兄様の事絶対守って見せる!」

「そう、頑張りなさい。面白いお土産話を期待してるわ。でも、翔とののろけ話は程々にね。」


 「じゃ、おやすみ」と、はにかんだエネが部屋を後にする。

 そんなエネに「おやすみなさい」と返して、瑠衣も布団に入った。


『友達っていいなぁ・・・』


 そんな事を思いながら、ユラユラと揺れる灯りを、そっと消して眠りについたのだった。

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