第35話 昨日の敵は今日の友達
辺りは木に囲まれて、ここがどこなのかさえ分からなかったけれど、それでも何故か、近くにエネがいる気がして声を張る。
口から自然と出た言葉は、彼女と接していた時と同じタメ語だった。
「ねぇ! 居るんでしょ? お願い出てきて!! 私、あなたに話があるの!!」
静まり返った森の中、帰ってくるのは風の音だけだった。
それでも瑠衣は、叫び続ける。
「私あなたの漫画、見たことあるの。大好きだった! 翔と瑠衣の同人誌。アリスだよね?」
「・・・。」
何を言ったら返事をくれるだろうか、信じてもらえるのだろうか。
分からないから、知っている事をとにかく言葉にする。
今ここで繋がりが切れたなら、二度と会えない気がしたから、そんなのは嫌だから。
この沈黙が壊れるようにと祈りを込めて、瑠衣は言葉を投げつづけた。
「私ね、VTPの翔様が大好きで、大好きで大好きで仕方ないほど好きで、アリスの描く翔様は、本当に私の理想で、いつも元気もらってた。知り合えて、仲良くなれて楽しかった。そのアリスが、進学した高校の先輩だったときは驚いたけど。しかも、国で一番お金を動かすと言われている
ねぇ、アリスはいつから私の事気づいてた?
あの時、高校生にしてすでに潰れかけてた会社をいくつも回復させたって有名で、そのカリスマ性も計り知れなくて、いつも取り巻きに囲まれて、私なんか視界の端に入るのもおこがましいくらいの身分差があって。
素性が知れた後、もう駄目かなって思ったんだけど、次のイベントでも変わらずに仲良くしてくれて、嬉しかったなぁ・・・。
2人で翔様と瑠衣のことよく話したよね。アリスは他のゲームや漫画だってたくさん知ってたのに、私に合わせていつも、VTPの話だけしてくれたよね。私にイベント情報くれたりさ。暗黙の了解で、お互いにプライベートの話をしたことはなかったけど、私の下らない奴隷人生の中で、数少ない幸せな思い出。私はあなたを親友だって思ってたよ。それから・・・」
沈黙は未だ破られず、すでにこの声が彼女に届いているかすら怪しい。
声が返ってこないのなら、届かないのなら
『せめて心残りだけは、消して帰ろう』
瑠衣はそっと目を閉じた。
叫ぶのをやめ、ただ静かに語りかける。
「・・・私ね、謝りたくてここまできたんだ。一緒に行くって約束したイベント、待ち合わせ場所にいけなくてごめんね。楽しみにしてたんだよ。行くつもりだったの。けど、乗ったバスがジャックされちゃってさ・・・。あの日、会場で待っててくれてるであろうアリスに、もう会えないって事だけが、死に対しての心残りだった。本当にごめんなさい。」
「・・・・・・・・・ホントよ。」
長い沈黙のあと、ため息まじりに聞こえた声。
その先に、16、7歳程の、鼻筋の通った美少女が、この世界に似つかわしくない上品なワンピースを包んで現れる。
その姿は、いつかの記憶の中にあるアリスそのものだった。
「あんたね、凶器持った犯人の前に出るとか、馬鹿なんじゃないの? あんたが待ち合わせに来なかったことなんてどうだっていいのよ。あんな家だから何かあったんだろうなって・・・何死んでんのよ。次の日学校の全校集会前にそう告げられて、生徒会長として花を手向けた私の気持ち分かる? あんたのこと、知らないふりして用意された定型文のスピーチをただ淡々と読まざる得なかった私の気持ちがっ!」
「ごめん・・・なんか、子どもが襲われそうだったあの一瞬、思っちゃったんだよね。今なら翔様の側に行ける!! って。ほら、現実逃避しながら生きてたからさ、馬鹿みたいな事信じて・・・そしたら何故かレンに出会って、目が覚めたら瑠衣だった。ちょっと、意味わからないけど、それが事実で・・・」
はにかむ瑠衣に、アリスがそっと近づきその身体を抱きしめた。
「本当に、馬鹿。翔一筋、翔馬鹿。っていうかあんたね、こんな所で人の個人情報垂れ流す前に、名乗りなさいよ。後、こういう時は、出会いとか秘密とか、そういう2人しか知らないエピソードを語るの。あんたにとって唯一でも、こっちにはオタクの知り合いなんてごまんといるんだからね?」
「あれ? 私名乗らなかったな? ・・・ごめん。」
「ったく、そのしっかりしてるのか抜けてるのかよく分からないところ、変わらないわね。思い込んだら一直線。世間からずれていて常識が通用しないくせに、人の本質はちゃんと見抜いてくる。・・・そんな恐ろしい知人あんたくらいよ。久しぶりね、奈々。」
懐かしい口調、変わらない声のトーンで名前を呼ばれ、自然と目に涙が浮かぶ。
「にしても、よりにもよって、瑠衣があんただったとはね。だったら先に言いなさいよ。」
「いやだって、アリスの言うことが尤もすぎて・・・。私も初めは頑張って大人しくしていたんだよ? でも、色々あって・・・っていうか、翔様を前にして、大人しく見殺しにはできなかった。ごめんなさい。」
「謝ることないわ。って、私が言うのも変だけど・・・。さっきのあんた達見て思ったのよね。確かに私が知ってるものとは違ったけれど、お互いを思い合っているあの姿は間違いなく、翔と瑠衣なんだなって。なんか、余計なのもいたけど・・・。
奈々が瑠衣であるなら、なんか色々諦めつくわ。だから瑠衣としての自信持ちなさいね。・・・っていうか、何で言ってくれなかったのよ。本読んでくれたんでしょ? まさか、あんなに私のファンを豪語していたのに、読んでも私の本だって分からなかったの?」
「絵や構成がポイなとは思ったけど、著者不明の、謎めいた書物ってところも売りなくらい、作者情報なかったでしょ。明日花様じゃあるまいし、そこから
「不明って・・・ここに書いてあるでしょ!!」
懐から【時指し】を取り出して裏表紙の端っこを指差す。
そこにはたしかにene と筆記英語で書かれていた。
「いやいやいや、なんで筆記英語で書いてあるの? 普通に見落とすよ。こんなのこの世界じゃ得体の知れない記号だよ?」
「でも、あんたは読めるでしょ?」
「気づけばね・・・うわぁ、気づかなかった。そうじゃん、アリスはいつもここにアリスちゃんマーク書くんだから、サインされてたっておかしくないのに。あー見落としたぁ。ショック・・・すっごい分かりやすいサインじゃん・・・」
「あんたもまだまだね。ふふっ。初めは一枚絵程度だったのよ。漫画なんて文化ないし、まずいかなぁって書いてなかったから、紙の端に絵画みたいな感じでサインを残してたの。けどやっぱり漫画が書きたくなっちゃってね・・・」
へぇ。とまじまじと書かれた文字を眺めて、瑠衣はあることに気づいた。
「ねぇ、ってことはアリスはエネさんなの?」
「まぁ、この格好の時はエネって名乗っているわ。」
ボワンと音がして、少女は先ほど露天話しかけてきた金髪美女へと姿を変えた。
「凄いね。何にでもなれるの?」
「妖狐だからね。結構位も高いのよ、私。ただ、人間に見つかると討伐されちゃう
「・・・じゃぁ、私も名前で呼んでいい? 私さ一回呼んでみたかったんだよね。有栖川会長を囲む、生徒会のメンバーの特権みたいなところあったでしょ? 憧れてたんだよね・・・アリスの事、絵音さんって呼ぶの。」
「・・・エネでいいわよ。あんたに敬称つけられるのはなんだか気味悪いわ。対等にいきましょう。私も瑠衣って呼ぶし。あと、話し言葉もね。色々あるでしょうけど、2人の時は気楽にこれでいきましょ。」
柔らかく眉を下げたエネに、瑠衣は「うん!」と弾むように明るく頷いた。
お互いに姿も声も立場も場所も、何もかもが違うのに、懐かしい。
あなたがあなたであると、分かることが嬉しい。
――― どれだけ変わっても、根底にあるものは同じだからちゃんと分かるよ ―――
ふと頭の中に史郎の言葉が木霊して、瑠衣は『確かに』と、なんだか心が温かくなる。
気づけば空は茜色に染まって、森に住まう鳥たちが夕暮れを知らせるように騒がしく頭上を飛んでいた。
「あぁ、話したいことが沢山、沢山、たっくさんあるのに、もう帰らないと兄様がエネを斬っちゃう・・・。んー・・・あっ、ねぇ一緒に帰ろうよ。私の借りてる部屋、一人部屋じゃないから泊まれるよ? 女将さん親切だし。」
「どの面下げて行くのよ。それこそ翔に殺されるわ。」
「そこは、私が説得する!! それに、謝罪は早い方がいいでしょ? 私、兄様にも認めてもらって堂々とエネと仲良くしたいし! 一緒に謝ろうよ。ね?」
こんな素敵なことはないと思いつき、興奮さめやらぬ勢いで押す瑠衣に、エネは呆れて眉をひそめるも、つもる話があるのは同じだった様だ。
「あんたのその唐突な押し、なんだか懐かしいわ。普段は虫も殺さないようなくせに。・・・私、まだ死にたくはないわよ? 守ってくれるんでしょうね?」
「勿論! 大丈夫、兄様は私にはめちゃくちゃ甘いから。もう、何度萌え死んだか分からないくらいに激甘だから!! 全力でお願いする。」
「そう・・・期待しておくわ。」
瑠衣の押しに、若干引き気味のエネを連れて帰路につく。
宿に戻ると、瑠衣を心配する翔が予想通り穏やかではない表情を見せ、けれど真摯に謝るエネの姿と、必死でフォローする瑠衣の姿。
さらに2人の間にある空気感を読み取って、最終的には「瑠衣がしたいようにするといい」と許される運びとなった。
エネと共に食事をとり、就寝準備をすませた瑠衣は、今までの事を事細かに話す。
エネもまた、興味を持って聞き、けれど瑠衣の知り得ない事は話さないよう気を使ってくれた。
まるでゲームの世界を2人で冒険しているような心の高揚感を感じながら、あぁでもないこうでもないと話すのは、いつかの昔に、同人誌の内容を語り合った日を思い起こさせ、その話が尽きることはなかった。
その日、部屋の灯りは消える事無く、やさしい行灯のほの灯りが夜通し部屋の中で揺らいでいた。
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