第34話 私の証明

 グワングワンと揺れる頭を抑えて、何とか起き上がった瑠衣。

 倒れた時と同じ小屋の中は伽藍として、エネの姿もなく、代わりに手のひらより少し大きい水晶玉が机に一つ置いてあった。


「・・・アリスの絵。アリスの字。アリスの漫画。アリスのサインマーク・・・」


 部屋に散らばった漫画の原稿の傍らにある、綺麗にファイリングされた棚の中身を手にとる。

 VTPのキャラクターのイラストカットや、アリスの書いた同人誌が数話閉じられているファイルの中身、奈々が何度も読んだ大好きな翔と瑠衣の話も丸々1話分、日本語で走り書きされた台詞は一言一句違わない。


 こんな事が可能なのは、アリスだけ。予想が確信に変わった瞬間だった。

 それならば、話したいことがたくさんある。

 教えてほえて欲しいことも山ほどある。

 問題は、自分の正体を明かす間もなく、敵対されて居ること。


「瑠衣になるって、どういうことだろう?」


 首を捻っていると、机に置かれていた水晶玉が光り、映像が映し出された。


 ――― 瑠衣、何か食べてから帰るか? あの店の団子が上手いらしい ―――


 ――― えぇ。それは是非 ―――


 映ったのは翔と瑠衣が街を寄り添い歩く姿。

 翔の後ろをゆっくりと着いて歩く瑠衣は、余計なことなど一切話さない。

 けれど決して険悪な雰囲気ではなく、柔らかい物腰で微笑んでいて、そんな瑠衣を気にしながら、歩幅を緩める翔と2人、その空気は穏やかで温かい。


『翔様と瑠衣だ・・・』


 ゲームで見ていたままの翔と瑠衣の姿を目の当たりにする。

 自分にはできなかった自然な2人の様子を前に「完敗」の文字が浮かんだ。


「瑠衣になる・・・ね。確かにあれは瑠衣だなぁ。最近、優しい兄様に甘えて、自由奔放にやってたし、心配も掛け放題だったし。流石アリス。分かってらっしゃる。」


 あの瑠衣ならきっと、翔に従順に、心配も掛けずに生きていけるのだろう。

 そうして翔が死んだのなら「兄様・・・」と、きっとお淑やかに涙を流せる。


「「私なら上手くやれるわ」か・・・・・・確かに。あれ? じゃぁ私はどうしたらいいんだろう・・・」


 周囲の静けさのお陰で、翔と瑠衣の声だけが嫌に煩く耳につく。

 翔が瑠衣の名前を呼ぶ度に、心が荒んで削られて、自分の存在が消えていく気がした。

 淀んだ気持ちを抱えこむように膝を抱えて、瑠衣は部屋の隅でしばらく息を殺していた。



 どれだけの時間が経っただろうか。

 薄暗い小屋の中に光が差し込む。

 キィっと音を立てて小屋のドアが開いた。

 誰かが部屋へと入ってくる足音が聞こえたけれど、瑠衣は頭を上げる気にはなれず膝を抱えたままでいた。

 そんな瑠衣のすぐ正面まで来て、足音の主は声を掛ける。


「こんな所で何してるの? かくれんぼ?」


 それは2、3週間振りに聞いた史郎の声。

 いつもと変わらないあっけらかんとした柔らかい声だった。


「史郎・・・さん・・・?」

「正解。久しぶり。元気・・・そうではないねぇ。いったい何事?」


 瑠衣が顔を上げると、しゃがんだ史郎がのぞき込むように首を傾げていた。


「何があったのか、私にもよく分かりません。分からないので、少し哲学について考えてました。私が私であるという事は、一体どういう事なのだろうと。」

「それはまた・・・随分突拍子のない話だね。」

「・・・史郎さん、私が私であることを証明するにはどうしたらいいんでしょうか? 私が何者か、私自身も分かっていないのに、何をどう証明したら、私は私と証明されて、ここに居られるんでしょうか。」


 それは、巡りに巡った思考が出せなかった自問自答。

 例え瑠衣として失格であっても、こんなにも完璧な2人を見せられてなおも、瑠衣でいたい。

 翔の側にいたいと願ってしまう自分が消せないでいる。


『だって、私は瑠衣だから・・・』


「いっそ、瑠衣は双子だったとかどうですか? そうしたら、アリスとも兄様とも一緒にいられます。平和的解決方法です。」

「・・・アリスって、誰?」

「アリスはアリスです。でも、今日から瑠衣になるそうです。そこで兄様とお団子食べてます。」


 瑠衣の虚ろな視線の先で相変わらず仲良くお団子を食べている翔と瑠衣の姿を映し出す水晶玉を見た史郎は「あぁ」と手をたたく。


「でも、瑠衣ちゃんは1人だけだよ。そこは譲れないなぁ。」

「ですよね・・・だったら私は、どこへ行けばいいですか? 私がアリスになればいいんですか? それは無理です。だって私アリスじゃないもん。」

「そうだね。瑠衣ちゃんは、瑠衣ちゃんだ。だから、一緒に帰ればいいよ。自分で分からないなら、僕が証明してあげる・・・なんて、僕に言われても嬉しく無いだろうけど。帰れば翔が証明してくれる。それでいいでしょ?」

「兄様は、そこで瑠衣とお団子食べてるじゃないですか。瑠衣は本来ああいう子なんです。静かに兄様の3歩後ろを歩くような、幸薄い感じの・・・今の私とはかけ離れた穏やかな子です。だからきっと、彼女の方が、上手に瑠衣になってくれますよ。」


 頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 それは願いではないのに、卑屈になるのを止められない。


「へぇ。瑠衣ちゃんってそういう子を目指してたんだ。素直で手を焼かなくてすみそうだね。でも残念。僕らが求めてる瑠衣ちゃんは、そういうんじゃないんだよね。だいたい、僕に瑠衣ちゃん探してこいって言ったの翔だからね?」

「・・・兄様が? 本当に兄様がそう言ったんですか!?」

「うん。「俺が耐えられなくなる前に探してこい」とか言ってさ、ホント人使い荒い。何で仲良くお出かけしてるのかは知らないけど、アレが別人だってことなら、翔はちゃんと分かってる。翔が必要としているのは、ちゃんとキミだよ瑠衣ちゃん。」


 史郎のそんな一言で、迷走していた思考がピタリと止まった。

 顔を上げると、史郎と目が合う。


「ねぇ、あそこに映ってるのは、瑠衣ちゃんの知り合いなの?」

「多分、お友達です。」

「じゃぁ、一応聞くけど、2人が共犯ってことはないよね?」

「共犯って、なんのですか?」

「入れ替わっても気づくでしょうか? みたいなの。女の子って好きでしょ。翔の瑠衣ちゃん愛でも確かめたかった。とか・・・」

「何ですかそれは・・・違います。彼女にここに誘われて、気づいたら入れ替わられていたんです。水晶玉あれに映る兄様と彼女が、あまりにお似合いだったので自分の存在意義を問うていた所に史郎さんが来て・・・今に至るだけです。」


 今度はきちんと状況を話せた瑠衣に「よくできました」と微笑みかけ、状況を把握できた史郎は立ち上がる。


「じゃ、帰ろうか? そろそろ翔も限界だろうし。ほら、よく見てごらんよ。団子の串、バキバキに折れてるし。湯呑を割らないだけまだ頑張ってる方だね。」

「・・・あの、アリスはどうなりますか?」

「翔、相当怒ってたからね。瑠衣ちゃんの無事が確認できたら、問答無用で斬ると思うけど?」

「ですよね・・・」


 このままいけば十中八九そうなるだろう、けれどそれは困る。

 今のエネがどんな存在かは知らないが、アリスは前世の大切な友達で、ゲームの事情を知る転生者であることは変わらない。

もし仲違いが解けたなら、この先強力な味方になってくれるかもしれないし、そんな事は抜きにしても、瑠衣には彼女と話をさなければいけない理由があった。


「・・・私、大人しくしてなくてもいいんでしょうか?」

「ん?」

「前みたいに、思っていることを自分の中に留めておけなくて、怒りや哀しみが全面に出ているの、自分でも分かります。エネの瑠衣みたいこんな風に兄様の後ろ、静かに歩いていられない。兄様に、心配かけないように笑っていられないです。本当は、瑠衣は彼女のようにあるべきなんです。それが、兄様にためで、世界平和のため・・・なのかも。それでも、私が瑠衣だって証明してくれますか?」

「もちろん。」


 史郎は即答だった。 


「大体、人の心なんてそんなもんでしょ。コロコロ変わってさ。でもそれがその時の最善を自分なりに考えた結果なら仕方ない。誰かの理想通りいかなくたって、それも仕方ない。変わることは別に悪い事じゃないんだよ。でもね、どれだけ変わっても、根底にあるものは変わらない。だからちゃんと分かるよ。瑠衣ちゃんが瑠衣ちゃんだって。」

「私の根底・・・」

「大体さ、もっと小さい頃の瑠衣ちゃんは、すっごいじゃじゃ馬っ子だったんだよ? それに比べたら可愛いものだよ。ここだけの話、翔はむしろ喜んでるよ。最近の瑠衣ちゃんは活き活きしてるって。」

「それ、本当ですか?」

「本当。だから、僕らが手綱が握れなくなったのは成長の証ってことでいいんじゃない?」

「手綱って・・・そんなに私暴れ馬ですか?」

「自覚ない? 残念ながら翔譲りなんだろね。ま、でも僕も翔も好き勝手やってる身だから、瑠衣ちゃんだけ大人しくしててなんて言えない。だから好きにやったらいいさ。あー、けど一個だけ。話してくれなきゃ、力になれないこともある。そこは、自己責任で考えてやるんだよ。」

「・・・はい。」

「あぁ、なんか話がずれちゃったし説教っぽくなっちゃったね。さ、帰ろうか。そろそろ瑠衣ちゃん連れて戻らないと僕が翔に斬られちゃう。あ、それで偽物ちゃんはどうする?」

「・・・私が何とかします。アリスは私の大切な友人なので。」


 歩き出してから振り返った史郎に、吹っ切れた瑠衣は不敵な笑みを向けたのだった。




 ***




『・・・遅い』


 偽物の瑠衣を連れて街を歩く翔は、事細かに瑠衣を装うあざとさにうんざりし、苛立っていた。

 今まで様々な状況下で耐え忍び生きてきたが、この状況は最悪だ。

 特に、瑠衣の身が保護されていないことは、翔の心に負担が大きい。

 崩れてしまいそうな心をつなぎ止めてなんとかそこに立っていた。


「どうかなさいましたか?」


 相変わらずしおらしい瑠衣そっくりのソレを見るだけで、苛立ちと吐き気で斬り捨ててしまいたい衝動にかられる。 


「・・・いや。 今日のお前はよく喋るな。」


 頼むから黙っていてくれと念押すようにそう言うと、ソレは「そうでしょうか?」と首を傾げ、大人しくなった。


『早くしてくれ・・・』


 もう、間が保たない。すり減った精神が限界を迎えた頃、頭上から声が聞こえた。


「やぁ翔。だいぶ限界を突破したみたいだね。」

「時間掛けすぎだ。・・・瑠衣はどうした?」


 木の上にしゃがみこむ史郎の姿は確認できるが、肝心の瑠衣の姿が見当たらない。


「あー、あはは。」


 乾いた笑いの史郎が、人差し指を一本上に向ける。

 その指さす方向、史郎がいるさらに上の木の枝に、辛うじて乗っている瑠衣の姿が確認できた。


「兄様、飛びますっ!!」

「は? おい馬鹿っ」


 着地など、到底不可能だろう場所から何故か飛び降りた瑠衣。

 落ちれば骨折は免れない瑠衣を、翔はなんとか受け止めた。


「お前、何してっ」

「あはは。あー、怖かったです。史郎さんが、あそこくらいまでなら、飛んでも兄様受け止められるだろうって教えてくれたので、頑張って登ってみました。」

「いや、僕はさっさと戻ろうって言ったんだよ? だけど瑠衣ちゃんが、翔驚かせたいってきかなくて。」


 木から身軽に飛び降りた史郎が、睨む翔に言い訳した。

 瑠衣もまた「私の我が儘ですから」と翔にはにかむ。


「一度やってみたかったんですよ。木の上から話しかけるの。なんか、格好いいじゃないですか。隠密って感じで!! ・・・ところで今、兄様私のこと馬鹿って言いませんでした?」

「瑠衣にそんなこと言う訳ないだろ。」

「言いましたよ?」

「僕も聞いた。」

「・・・言ってない。」

「まぁ、確かに馬鹿げてましたけど・・・馬鹿やるのって楽しいですね。兄様の新しい表情が見られて私は満足です。今度は何して驚かせようかなぁ・・・」

「勘弁してくれ・・・」

「あはは。瑠衣ちゃん、絶好調だね!」


 道すがら繰り広げられる、そんなわちゃわちゃした家族団らんを前に、瑠衣の姿をしたソレが、後ずさりする。

 瑠衣だったソレは姿を狐へと変えて茂みの中へと逃げ込んだ。


「逃がすかっ」

「あ、兄様待ってください。」


 すぐさま後を追おうとした翔の袂を瑠衣が掴んだ。


「瑠衣?」

「あの、兄様。あの子のことを、私に任せていただけませんか?」

「なんだ? またお友達とでも言うつもりか? あれは化け狐、妖怪だ。生易しいモノじゃない。」


 何故こうも毎回、自分を危険に追い込むモノを庇おうとするのか理解できず、その正体を明かす。それでも瑠衣は引かなかった。


「妖怪でもなんでもいいです。今度は、大切な友人なんです。私、彼女に謝らないといけ無いことが・・・。お願いします。せめて話をさせてください。このまま、仲違いをしたまま別れたくないんです!!」


 その目から瑠衣からは真摯な心がみえていた。

 普段では考えられない突拍子のない一連の行動も、狐を逃がす為だったと理解する。


「・・・・・・・・・好きにしろ。ただし待てるのは日没までだ。それまでにお前が帰ってこなかったなら、そこからは俺がやりたいようにやる。いいな?」

「ありがとうございます!」


 嬉しそうに上げた頭を翔がポンと撫でると、瑠衣は満面の笑みを見せて駆け出した。

 それから「あ!」と歩みを止めて戻ってくると、史郎の元へ。


「史郎さんも、ありがとうございました。史郎さんが女性から好意をもたれる理由が前回にも増して良くわかりました。でも、一つだけ言いたいことがあって・・・」

「ん? 何?」

「史郎さんの女性の好みをとやかく言うつもりは無いのですが・・・入れ替わって愛を確かめようとするような人は、多分やめておいた方がいいと思います。」


 わざわざ戻ってきてまでいわれたその言葉に思わず吹き出した史郎をよそに「では」と立ち去っていくその背中を翔と史郎が見えなくなるまで見送った。


「・・・まさか、瑠衣ちゃんに女の子の趣味つつかれる日が来るとは思わなかった。」

「状況がまるでわからん。説明しろ。」

「はいはい。説明するから、取りあえず帰ろうよ。」

「ここでいいだろ。瑠衣に何かあったら・・・」

「多分大丈夫だよ。瑠衣ちゃんを直接傷つける気は無かったみたいだし。っていうか、話した後の翔は絶対面倒だから、外で話したくない。仲良くお団子なんか食べちゃってさ、随分楽しそうだったね。」

「何故知って・・・まさか」

「遅くなったのは、翔のせいでもあるってこと。ほら、帰ろう。」


 サァーっと、翔の血の気が引いていく。


『見られていた?・・・瑠衣にも・・・か?』


 押し黙った翔をよそに、欠伸を手でかくしながら足早に歩き出した史郎。

 事のあらましを聞きたいような、聞きたくないような、恐怖にも似た感情に戸惑いながら、翔はその背中を追い、帰路につくのだった。

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