第33話 新たな幕開けの予感と
「―――でしょ? だからねぇ、本当はどうなの? あなたとお兄さんは。」
露天の前で、高いテンションでまくし立てるように喋っていたお客様? の言葉が一段落したのを見かねて、瑠衣は怪訝に、敢えて大きくため息を吐き出した。
彼女は、店を開ければ毎日のようにやってくる、例の「時指し」の熱狂的なファンである。
「ですから、何度もお話ししている通り、あの作品と私たちは無関係です。いいですか? 私たちが旅をしているのは、私の・・・病気を治す方法を探しているだけです。お医者様も同行していますし、2人だけの逃避行では全くありません。」
「でもっ」
何度否定しても押し付けられる妄想が、再び繰り出されようとした時「ちょっと、あなた」と、横やりが入る。
声の主はすらっとした長身の金髪美女。
腰ほどまでストレートに伸びた黄金色の髪先をバサッと払いながら、その鋭い視線は迷惑客の方を睨みつけているようだった。
「あなた、営業妨害よ。」
「外人のくせに、邪魔しないでよ! 私はこの人と話を・・・」
食ってかかる迷惑客を無視し、金髪美女は持っていた鞄から一冊の本とペンを取り出すと本の背表紙に何かを書く。
「ほら、コレあげるから大人しく帰って頂戴。」
「何よこれ・・・っ!! あ、まさかあなた様はっ!?」
何かに気づいた迷惑客は、コロリと態度を変えて金髪美女に敬意を示した。
「作品を好いてくれるのはありがたいけれど、勝手な憶測で人に迷惑をかける人間をファンとは言わないわ。私とこの人は知り合いではあり得ないし、作品とも無関係。無関係の人間に迷惑をかけるあなたの行動は、その作品の品位を落とすということを、覚えておきなさい。」
「はい・・・すみませんでした。」
瑠衣と金髪美女に頭を下げ、迷惑客は貰った本を抱えて軽やかな足取りで去っていった。
「ごめんなさいね。明日花姫から事情を聞いたのよ。私の作品があなたに迷惑をかけてたみたいね。」
「いえそんな。でも、ありがとうございます。助かりました。・・・あの、【時計が零時を指した時】の作者の方なのですか?」
「えぇ。あなたに用事があって来たのだけれど、お店忙しいかしら?」
「私に? あぁ、いえ。少し待ってください。すぐ片づけますから。」
手早く荷物を纏めた瑠衣は、金髪美女の誘うまま、その後をついて歩く。
あまりに無言がすぎたので、取り合えず瑠衣が名乗ってみるも、彼女はエネとだけ名乗り、再び口を閉じてしまった。
大して話も弾まないまま、街に隣接する森林の中、小さな山小屋たどり着き、その中へと入り落ち着いたところで、エネがやっと本題に入る。
「瑠衣さん、だったわよね? ここでならゆっくり話が出来るわ。」
小屋の中は紙やイラスト、書き掛けの原稿が散らばっており、そこはエネの仕事部屋のようだった。
「話とは何でしょうか?」
「そうね・・・単刀直入に言うわ。あなたは、瑠衣に相応しくない。そうは思わない?」
「え・・・?」
「瑠衣はね、物静かで、淑やかで、幸薄い感じなのよ。今のあなたは少し元気すぎるというか・・・。ここしばらくあなたの動向を見させてもらったのだけれど、あなたも自覚があるんじゃないの?」
「・・・・・・・・・。」
「やっぱりそうなのね。未だに翔が生きているのもあなたのせいなの?」
「・・・・・・・・・はい。」
何を言うべきか分からず、やっとのことでその一言を絞り出す。
それを聞いたエネはどこか満足そうだった。
「そう。あなたは翔が好きなのね。その気持ちは分からなくはないわ。でも、だったらその役私に譲って頂戴よ。」
「え?」
「え? じゃないわ。今、この世界で何が起きているのか、あなたが何をしてしまったか、分かっているのでしょう? だけどまだ、取り返しが付くと思うのよ。大丈夫、私なら上手くやれるわ。だから、瑠衣を私に頂戴。それがあなたの為であり、翔の為であり、この世界の為。」
これは、変えてしまった物語への修正措置なのだろうか。
エネは瑠衣の尻拭いを申し出ている。
翔を失いたくない瑠衣にとって、それは正しい選択にも思えてしまった。
彼女に瑠衣を明け渡す事こそ、世界のあるべき姿であることは間違いない。
「何もいわないってことは、異議なしって事よね?」
「あ、いや・・・あの・・・」
「まぁ、異議を認めるつもりもないのだけれど。」
言葉を発っせなかった瑠衣の沈黙を了承と解釈し、エネは悪戯に笑う。
おもむろに挙げた右手の指がパチンと鳴ったとき、瑠衣の脳がグワンと揺れた。
ぼやけていく視界と、渦に巻かれるように襲う目眩に頭を押さえながら瑠衣の意識はプツリと途絶えるのだった。
***
その頃、翔はモニカのBARで史郎と落ち合っていた。
「―――と、言うわけでこっちは情報待ち。」
「こっちは粗方片付いた。後はおまえ次第だ。」
店の奥にある小部屋で、お互いに割り振っていた仕事の話をすりあわせる。
2人は今、国に流通し始めた謎の妙薬「アサカ」の調査をしているのである。
この妙薬、薬である事は確かな様だが、依存性が高く過剰接種により死者は多数。裏社会を中心に出回り国内全域にて莫大な金が回っているらしく、その調査の一部を依頼されていた。
「へぇ。いつもに増して仕事が早いね。かわいい恋人と今度はどんな約束?」
「ほっとけ。・・・奴ら、少しずつ表に穴開けてやがる。それも、病気の子どもを持つ親を中心にだ。」
「あぁ、そうみたいだね。この間も成人前の子どもが死んだ。藁をも掴む思いで子どもの為に大金つぎ込んで、気づいたときには取り返しのつかない事に。いたたまれないよ。それで親も死んじゃうから、結局出所追えないし。」
「死にたくもなるだろ・・・。」
瑠衣の呪いを解く為に手段を尽くす覚悟の翔にとって、被害者たちは他人ではない。
怒り。哀しみ。戸惑い。湧き上がる感情を飲み込むように、目の前にあった酒を呷ると、それに続くように、史郎もまた杯を傾ける。
「後で瑠衣ちゃんにも注意しとかないとね。興味本位で変なもの手を出す子じゃないから心配ないだろうけど・・・最近は好奇心旺盛だから。」
「・・・あぁ。そうしてくれ。」
空になった杯をトンと置き、話は終わりだと翔は立ち上がった。
「ところで暫くだけど、瑠衣ちゃんは変わりない?」
「・・・。」
「ん? 何かあった?」
いつもならば「問題ない」と即答して去るところだが、そうも言えない状況に、翔は黙ったまま、もう一度席に座り直して史郎を見据えた。
史郎になど頼りたくはないが、少しでも瑠衣の為になるのなら、そんなプライドは容易に捨てられる。
「先日、夜中に過呼吸を起こして倒れた。丁度帰りの道すがらにいたので介抱できたが。部屋を飛び出したらしいあの様子から察するに・・・何かに恐慌したみたいだ。」
「過呼吸? お前と違ってあの子が呼吸を乱したことは無いのにね。理由は?」
「夢見が悪かったと。」
「夢・・・?」
「親に捨てられ奴隷となって、その家族からひどい仕打ちを受けた夢を見て過呼吸になったと言っていた。・・・嘘をついている様には見えなかったが、あいつがそんな事に呼吸を乱すほど恐慌すると思うか?」
病弱な体には過酷な旅をしいた上に、野良が歩けば石が飛んでくるような世の中だ。どれだけ2人が気をつけていても、人の良さそうな隣人にもらった毒入り菓子に殺されかかったり、ありもしない盗みの疑いをかけられては大衆の面前で面白おかしく身包みはがされるようなことも1度や2度ではなかった。
いっそ良いところに奴隷として預けた方が平和に暮らせるかもしれないと、言いはしないが思ったぐらいに色々あって、でも瑠衣が音をあげたことは只の一度もないのだ。
「確かに違和感はあるけど、その苦しみを知ってるお前が「そんな事」と言ってやるなよ。事実であれ嘘であれ、瑠衣ちゃんにとっては、恐慌するほど大した事があったことに違いはないんだから。」
「あぁ・・・」
「にしても奴隷ねぇ。そもそも野良は9割奴隷として暮らしているわけで、島に居たときはお前も瑠衣ちゃんも島民皆様の奴隷生活だった。散々こき使われてたし、幼なすぎて覚えていないだけで、潜在的な部分に心的外傷があるのかもしれないよ。そこはもう、本人にしか分からない部分だし、詮索するのは野暮だよ。あれ・・・なんか、前もこんな話したね。記憶喪失の時。」
「・・・」
そう、海に落ちてから変わった瑠衣。
変わった事自体は構わない。瑠衣が瑠衣であることに変わりはない。
けれど、そうさせたモノの実体は未だに不明確で、それは瑠衣を苦しめ続けている。
瑠衣がひた隠しにするそれに近づけないでいることが、翔は歯がゆかった。
「なぁ、史郎。瑠衣は自分が何者か気づいているんじゃないのか?」
「どう、なんだろうね。そうだとして、翔に話さない事を僕に話したりしないでしょ。僕は何も聞いていないよ。・・・ただ、厄介な奴があの子の周りを飛んでるんだよね。何のつもりか知らないけど、色々世話を焼いているみたい。」
「誰だそいつは。」
「僕がこの世で一番嫌いな奴。そいつが言うにはさ、世界は動きはじめたんだって。それが何のことなのか、僕にはさっぱり分からない訳だけど、あの子を中心に、何かが起きている事は確かなようだよ。」
傾けていた杯をコトリと置いて、史郎はゆっくり息を吐き出した。
細めた目が色を変え、その視線が翔の目の奥をスッと貫く。
「だからさ、守るつもりならもう少し精進したほうがいい。今のお前じゃ、僕には勝てない。素直に返してくれるつもりはないんでしょ?」
「愚問だな。」
翔の答えに、史郎は晴れやかに笑う。
「お前のそういう所、尊敬するよ。」
つぶやくように言った後、史郎は身軽に席を立った。
軽く背筋を伸ばしながら「んじゃ、僕は報告してから帰るから」と言って歩き出す。
「何か動きがあったら知らせろ。」
「言える事があったらね。あー、久しぶりの女将の食事楽しみだなぁ。今日は何だろう。」
扉を開けて、手をヒラヒラさせながら店を出て行く史郎の背に軽く舌打ちしてから、翔も店を出て史郎とは反対方向、
***
史郎と別れた翔が
「あ、兄様。今お帰りですか? お疲れ様です。」
「あぁ。瑠衣は・・・」
言いかけて、目の前にいる瑠衣に違和感を感じた翔は、顎に手を当てその顔をじっと見下ろした。
「兄様? どうかなさいましたか?」
見上げる瑠衣の視線。それだけで、違和感の正体に気づく。
『こいつ、瑠衣じゃない・・・』
「いや。今日は遅くまで店を出すと言っていたが、早かったな。体調でも崩したか?」
「・・・いえ、そういう訳では。」
下手な作り笑顔を浮かべ、中へと入っていくその後ろ姿は、やはり瑠衣に似て否なるもので、どう動くべきかと翔はしばし考えた。
誰が何の目的でこんな事をしているのかが分からない以上迂闊には動けない。
本物の瑠衣の状況が気がかりだ。
「何してるの? 宿の前にそんな顔で突っ立ってると営業妨害になるよ?」
立ち尽くしたまま考え込んでいた翔の後ろから、先ほど別れたばかりの史郎が帰宅し、軽口を飛ばす。
その仕事の早さはいつもならば煩わしいだけだが、緊急時には心強い。
そんなものに頼らなければならない事は、やはり腹立たしいけれども。
「史郎、お前あれが見えるか?」
足早に立ち去る瑠衣の背を指差と、それを見た史郎は「そういう事ね」と、瞬時に状況を理解し、ため息を吐いた。
「僕、結構疲れてるんだけど・・・休ませてくれないわけ?」
「ってことは、見えるんだな?」
「見えるよ。幻覚の類じゃない。似たようなもんではあるけど。ありゃ狐だ。」
その可能性が低いのは分かっていたが、翔を敵対して放たれた幻術であったならと思っていた翔は、舌打ちする。
偽物の瑠衣が実体であるならば、入れ替わるために本物の瑠衣が何らかの危険にさらされている可能性が高い。
何をするにもまず、瑠衣の保護が最優先だ。
「史郎、どうやらアレは俺に用があるらしい。瑠衣はお前が探せ。」
「りょーかい。やりすぎるなよ?」
「あぁ。だが、俺が耐えられなくなる前に探しだしてくれ。」
「あはは。厳しいこと言うね。でも、瑠衣ちゃんを急いで探した方がいいのは同感。あの子もあの子で何するか分からないからね。」
「上手くやれよ」と激を飛ばして急ぎ去っていく史郎を見送り、翔は
翔が宿泊している部屋の隣の部屋、つまり瑠衣の部屋の前で、
「では、私はこれで」
「えぇ。ありがとう。」
ぺこりと頭を下げて去っていく風鈴を後目に部屋に入っていこうとする
それを阻止するように、刀を抜いた翔は戸の柱に突きつける。
刃先が
「兄・・・様?」
「ここは瑠衣の部屋。厳密にいうなら金を出しているのは俺だ。部外者の立ち入りは遠慮してもらおうか。」
「何を言っているのか・・・」
「白々しい芝居は辞めろ。お前は何者だ?」
睨みつけると
「ふふふふふっ。流石翔ね。もう少し持つと思ったんだけどなぁ。」
「瑠衣は何処にいる?」
「あら、ここに居るじゃない。今日からは私が瑠衣。宜しくね兄様。」
「ふざけた事を・・・」
「あの子が瑠衣でも私が瑠衣でも、大して変わらないわ。あの子よりはずっと、私の方が瑠衣になれると思うのよね。大丈夫、違和感なんてそのうち消えるわ。」
「貴様・・・殺すぞ?」
「いいけど、そうしたらあなたの大切な瑠衣ちゃん、戻らないわよ?」
「・・・・・・・・・目的は何だ?」
「あら、聞いてくれる気になったの? ならそうね、一度外へ出ましょう。街では私を瑠衣として扱って欲しいの。いつも通りに。」
「それに何の意味がある?」
「あなたが知る必要はないわ。でも、私を雑に扱うなら彼女の保証はしない。ちゃんと瑠衣って呼んで優しくして。私の気が済んだら、大事な瑠衣ちゃんも返ってくるかもしれないわよ? ほら、早く。一緒にお出かけする時、あなたはどうリードするの? ・・・兄様?」
「・・・。」
しおらしい
「出掛けるぞ・・・・・・瑠衣・・・」
その名を、他人だと分かって呼びたくなどなかったが、苦汁を飲む思いでやっと言葉をひねり出し背を向ける。
「はい。兄様。」
と答え、その3歩後ろを静かについて来るのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます