第2章 ローランド編

第31話 不穏な気配

 足早に帰宅していく人々の足音や、各家で用意されている食事の良い香りが漂う夕暮れ時。

 露店に並べていた商品を片づけて店じまいをしていた15歳の少女、瑠衣るいは心を弾ませていた。

 特別今日の売り上げがよかったわけではなく、どちらかと言えばほぼ冷やかしで売り上げなしという結果なのだが、そんなことは気にならないくらい、心は踊っていた。

 丁寧に、けれど急いで片づけを終え、あたりをキョロキョロと見回す。

 丁度視界に捉えられる距離に待ち人を見つけ「わぁ」と漏れた声を飲み込み、胸に手を置いて心を落ち着かせるのだった。


「悪い。待たせたか。」


 そう言って歩み寄って来たのは兄のかける

 冷徹非情の死神との異名を持つ翔は、目だけで人が殺せると言われる強面顔で、その異名通り、請け負った仕事であれば女子どもであろうと斬ることに一切の躊躇いもない侍だ。

 けれど、妹の瑠衣には自他共に認める過保護っぷりで、別人か揶揄されるほど当たりがやわらかく優しい。

 そんな翔を瑠衣はとても慕っている。それはもう、恋する勢いで。


 というのも、実は瑠衣には前世の記憶があり、前世の地球でハマっていたゲームの世界に転生してしまったようなのである。それも画面ごしに恋するほど大好きだったキャラ翔の、妹として。


 初めは戸惑いもしたが、今はそれにも慣れ、普通の兄妹より少しばかりスキンシップ多めの兄妹関係に、ドキドキしながらも、恋心を隠して日常を過ごす日々を送っているのである。


「いいえ。今丁度片づけが終わったところです。兄様、お帰りなさい!」

「あぁ。留守中変わりはなかったか?」

「はい。皆さんが優しくして下さったので、不自由なく過ごしましたよ。」


 兄妹で国を転々と旅している翔と瑠衣。日銭を稼ぐため、翔の仕事は昼夜を問わない。

 先隣の町へ出ていた翔と会うのは2週間ぶりで、久しぶりに会える今日を瑠衣は心待ちにしていたのだ。


 当たり前のように瑠衣の手から荷物をさらい、歩き出す翔の後ろを少しだけ遅れて寄り添い歩く。

 この瞬間を瑠衣はとても尊く幸せに感じるのだった。

 

「そうだ兄様、聞いてください。とっても良いことがありました!」

「ん? どうした。」

「花火屋のたまさんとかぎさんから、花火の試作品第2号を頂きました!! 前回、少し火力が強めで兄様心配していましたでしょう? 今回は火力は抑えて・・・あ、でも煙玉の煙は増やして貰いました。その方が色々使え・・・いや、楽しそうなので。」

「瑠衣は潮に来てから花火ばかりだな。」


 呆れ口調ながら、瑠衣を見つめる翔の表情はやわらかい。


「花火好きです! あ、でもそれだけではなく、珠さん達には大変お世話になっていますので、少しでもお役にたてたらと。それでですね、もし宜しければご一緒に花火をしていただけませんか?」

「あぁ・・・すぐにでも付きやってやりたいが、悪いな。今厄介な仕事を抱えている。暫くは時間がとれそうにない。」

「そうですか・・・残念ですが仕方ありませんね。」


 誘いを断られることが少ないだけに、思わずがっくりと肩を落としてしまった瑠衣の頭に、翔がポンポンと手を置く。


「そんな顔するな。さっさと片づけるから。」

「ご一緒してくださるんですか?」

「当たり前だ。それに、お前だけでは危険だからな。」

「あー・・・はは」


 以前、花火振り回して敵を倒した遊んだ事を遠まわしに咎められた気がして、これには苦笑するしかない。


「他には?」

「え?」

「いいことも、悪いことも。留守中に瑠衣にあった事、何でも知りたい。」


 そう言って瑠衣を見下ろす、翔の穏やかな表情が気恥ずかしくて、少し熱を持った頬に手を当てながら、瑠衣は「そうですね・・・」と少し考えた。


「あ! 先日萌生めいさんとの組み手で初勝利をおさめました。もちろん手加減してくださってますけれど。綺麗に形が決まった時は気持ちよかったです。」

「もうそんなに強くなったのか。瑠衣は凄いな。そんなに鍛えて・・・また俺に喧嘩でもふっかけるつもりか?」

「まさかっ。兄様の前に立ちはだかるなんてもう永遠にしたくありませんよ。」

「だといいんだがな。まぁ、怪我のないように―――っ !?」


 突然言葉を切り、翔が立ち止まる。

 どうしたのかとキョトンとする瑠衣を庇うようにそっと肩を抱き寄せ周囲を静かに警戒した。

 何かの視線を感じたのだと瑠衣説明し、その出所を探る翔。

 真剣な翔に悪いと思いながらも、瑠衣の胸はふいに抱き寄せられたことで、鼓動を早めていた。


 人のざわめきが行き交う黄昏時の町は、そうして道の端で立ち止まる2人を気にもともせず動いている。

 後ろの茂みから猫が飛び出し、それを追いかけ狐が顔を出す。2匹はじゃれ合うようにその場をクルリと駆け回り再び茂みへ帰って行った。


「狐なんて珍しいですね。」

「あぁ・・・」


 ほっこりする情景に、緊張感なく出た瑠衣発言。

 気配が消えたのか諦めたのか、警戒を解き首を傾げる翔に「そうでした」と瑠衣は呼びかけた。


「視線といえば、最近よく感じるんですよ。誰かに見られているような・・・というか、見られているんですけど。」

「っ! いつからだ?」

「えっと、実害は無いので大丈夫です。というかですね、それは違うと言いますか・・・」

「違うって何が違う?」


 意味が分からんと怪訝な翔をに、瑠衣は知っている事を説明した。


 最近女子に人気の本【時計が零時を指した時】 通称 【時指しときさし

 異国のお姫様と王子様が、駆け落ちして城を飛び出すところから始まる、兄と妹の禁断の恋を題材とした作品らしい。

 2人の新婚さながらの甘い生活と、波乱にみちた逃亡劇が、若い女性を中心に受けているのだとか。


「その本の挿し絵で書かれている王子様がどことなく兄様に似ているらしいんですよ。それで、旅の途中の仲良し兄妹という事も合わさって、一部の作品ファンの間で、今、私達ちょっとした有名人なんです。兄様見たさにお店を訪ねてくださる方もいましたし、どんな理由で旅をしているのかとか、素性はとか、宿琉球の中居の風鈴ふうりんさんも聞かれたらしいです。もちろん何も答えてませんとおっしゃってましたが。」

「なんだそれは。はた迷惑な話だな。」


 呆れて物も言えん。と翔はため息を吐く。

 翔が好きな瑠衣とは違い、妹との恋仲を疑われるのは気持ちのよいものではないのだろう。

「そうですね」と相づちしながらも、瑠衣の中に切なさが少し込み上げた。


「ところで瑠衣も興味あるのか? その本。」

「そうですね。今度風鈴さんに貸して頂く予定で・・・あっ、えっと、内容というより、興味があるのは本の形式なんですけどね。その本は少し変わってるみたいなんです。」


 翔に似た王子様と妹姫の逃亡劇なんて、興味しかないが、それをはた迷惑だと言っている翔の手前、大きな声では言えないので話の軸をそらす。


「文字よりも絵が多くかかれているらしいのですが、絵本とも違い、文の殆どが話し言葉で書かれているとか。そんな本、出会ったことがことないです。」


 風鈴から聞いた話から察するに、その本は漫画本のようなのだ。

 しかし、この世界に漫画文化は根付いていない。事実ならばおそらくその本が漫画第一号なのではないかと思う。

 誰が何故そんな物を世に送り出したのか、もしかしたら、作者もまた転生者だったりしないかと、この世界ではまだまだ異例の禁断愛を描く作品の存在に、瑠衣は興味津々だった。


「・・・そうであってもだ。害がないとは言い切れない。危害が加わるようならすぐに言え。いいな?」

「はい。兄様も気をつけて下さいね。」


 身を案じてくれる翔に、瑠衣は微笑み返す。

 そしてまた、たわいない話をしながら、2人並んで帰路につくのだった。




 ***




 そんな2人を、物影から見つめる怪しい影が一つ。


「あれが・・・瑠衣?」


 影の主は翔と瑠衣の仲むつまじい背中をじっと見つめ、そうつぶやいた。


「違う・・あんなの認めないわ・・・」


 怒り、哀しみ、嫌悪、様々な感情が入り混じった暗い目が、和気藹々と去っていく背中を静かに見つめていた。




 ***




 それから数日、特に大きな問題もなく日々は過ぎ、その日の瑠衣は萌生から護身術の稽古を受けていた。

 領主の一人娘である明日花あすかの身辺警護を一人でこなす萌生の武術は、一つ一つが洗礼されていて、丁寧に教えてもらっているのに全くモノに出来ないでいる。やはり、瑠衣の適正は武芸にはないのだろう。

 それでも、得意とする魔法を公に出来ない事情がある以上、付き合ってくれるうちは少しでも基礎を学んで、自分の身ぐらいは守れるようになりたいものだ。


「そろそろ休憩にしてはどうですの?」


 稽古の様子を眺めていた明日花が、頃合いを見てお茶に誘ってくれる。

 瑠衣と萌生はお互いに頷き一礼すると、明日花の元へ座った。


 「私が」という萌生にも座るよう指示した明日花は、淹れたお茶を菓子と共に瑠衣と萌生に差し出した。

 外人が多く来国する潮領では、「もてなし」の文化が根付いているらしい。

 身分に関係なく、もてなしたい人がお茶やお菓子を振る舞ってくれる事は、身分社会の底辺に位置する瑠衣には、とてもありがたい事だった。


「美味しいです。」


 思わず笑みがこぼれるホッとするお茶の時間。

 見たことのない、きっと高級なお茶菓子もとても慈味深い味わいだった。

 瑠衣の言葉を聞いて、明日花も安堵しお茶を飲む。

 その様子を、萌生は嬉しそうに眺めていた。


「最近はお店順調なんですの?」

「そうですね・・・どちらかというと冷やかしが多いです。熱心な【時指し】ファンの1人が毎日のようにやってきて、兄様の事を聞いてくるので少し困ってますかね。」

「【時計が零時を指した時】ですか。確かに興味深い内容でしたね。瑠衣様と翔様の仲の良さは物語に通ずるものがありますから、気になってしまうのも頷けます。」

「先日も、瑠衣は街中で肩を抱き寄せられていましたでしょ? 丁度読んでいた場面と重なって、まぁ、私は致しませんけれども、投影したくなる気持ちは分からないでもありませんわ。」


 フフっと笑う明日花に萌生が「確かに」と頷く。

 あの時見られていたのかと、瑠衣は気恥ずかしくてはにかんでしまう。


「あれは、よからぬ気配がするからと庇い立てして下さっただけですから。でも、ファンの方たちは一体どこで私達の事を知ったのでしょう・・・? こんな野良の流れ者の事、普通気にします?」

「確か、挿絵に似ている人が潮の街を歩いてると噂がたって、それからはあっという間でしたね。」

「確かに似てるといえばどことなく雰囲気はあるけれど・・・所詮絵ですわ。【時指し】の王子様は、ちゃんと人間味のある優しい人ですし、あんな強面でも在りませんわ。」

「つまり、兄様は血の通わない、人成らざる者と言うことですね。」

「あ・・・いえ、瑠衣。そういう意味では無くて・・・。」

「ふふっ。冗談です。でも、おそらくそれが大多数の意見であり、兄様はそれを何とも思っていませんから気にしなくて大丈夫ですよ。・・・と、いいますか、明日花様や萌生さんも【時指し】を読まれているのですね。」

「えぇ。私は流行には常に目を光らせておりますわ。」

「私は明日花様に勧められて拝見させて頂きました。」

「そうですわ! 興味があるのでしたら、瑠衣も同席してはいかがかしら? 丁度この後【時指し】の作者がいらっしゃいるんですわ。」

「それは・・・凄いですね。」


 そういえば、この町に来たときも史郎の話題をいち早く察知していた。

 明日花のそのフットワークの軽さには素直に感心する。

 まぁ、領主の娘という権限を使えば、おおよその事は通ってしまうのかもしれない。


「是非作者様にお会いしたいですが、私はまだ作品を読めていませんので遠慮させていただきます。やっと借りられる事になって、これから宿琉球へ帰って読ませていただくつもりなんです。」


 本の作者にはもちろん興味はあった。

 知りたい事もたくさんあったけれど、そんな話を明日花の前でするわけにもいかないし、聞いた話ばかりで実際には本を手にも取っていないのでは、相手に失礼。そのせいで明日花が被害を被ってはいけないし、今回は仕方がないと瑠衣は諦める。


 明日花は少し残念そうではあったが「瑠衣が読んだらまた話しましょう」と話を切り上げた。

 そして、次の話題を瑠衣に振る。


「ところで瑠衣にお願いがあるのですわ!」

「何でしょう?」

「実は私、きちんと世の中について学ぼうと思っているんですの。瑠衣、私の教育係になってくださらないかしら?」


 突然の申し出に、驚いて瑠衣は全力で首を左右に振った。


「それは不可能です明日花様。そもそも私が教育を受けておりません。」

「そう・・・ですわよね。」


 再び残念そうな明日花だが、流石に断られるのは分かっていたようでそれ以上追求はなかった。


 瑠衣には親がいないし、幼い頃から旅をしていたわりには、拠点に引きこもっていたため人との関わりはほぼ皆無だった。

 翔が教えてくれた必要最低限の事と、読み書きが出来るようきなってから史郎がどこからか調達してくるようになった様々な分野の本を読みあさって得た知識、最近手に入れた前世の記憶から引き継がれた一般教養によって、何とかやりすごしているものの、明日花のような上流階級に教えられる事は何一つ無い。


「失礼ですが、明日花様には教育係がいらっしゃらないのですか?」

「・・・昔は居ましたわ。でも、愛想を尽かされてしまって・・・今はもう、誰も何も教えてはくださらないのですわ。」


 明日花ほどの身分ならば、大抵は幼少期から分野ごとの教育者が付いて帝王教育を受けるのだろう。しかし、少し前の明日花は、それは酷く傲慢で我が儘で、領主すら手に負えない我儘お嬢様だった。

 その事はひた隠しにされていたため、領民達は知らないのだが、噂はひっそりと界隈に広がっていたらしく、時期領主としての芽が見えない明日花を率先して育てようとする者はいないのだという。

 侍女すらも辞退者が相次ぎ、唯一の侍女である萌生は彼女の身の回りから護衛まで全てを担う始末。

 しかし、そんな萌生も明日花のお勉強にはお手上げだったようだ。


「私も成人まで富士領の山林の奥地にいまして、たいした教育を受けておりませんので・・・お教えできることはもうほとんどありません。」

「え? 萌生さんって山育ちなんですか?」

「はい。父に武術をたたき込まれる日々に嫌気がさしまして、成人を迎えるにあたり都へと出向いた際に・・・たまたま通りかかった明日花様に拾っていただいたんです。」


 実に興味深い話におもわず食いついてしまう。


「あのときは驚きましたわ。急に車が止まったと思えば何でもしますからお供させてくださいとひれ伏してくるんですから。」

「山へ帰れば、二度とあの場所から出られないのではという恐怖があったものですから。おかげで家に帰らずすみました。明日花様には感謝してます。」 

 

 あっけらかんとしている萌生からは、その日から家に帰っていない事が伺える。

 どの家庭にもいろいろあるのだろうから深くは追求しないけれど、実父をあっさり切れるその思い切りの良さには少し驚く。

 明日花の侍女がつとまるくらいだから、やはり少し変わっているんだろうなぁと、失礼ながら納得してしまった。 


「では萌生さんは、その後に侍女としての色々を学んだのですか?」

「えぇ。みなさんとても親切にお教えくださいました。そして私がそれなりに育った頃、こぞっておやめになりました。」

「あはは・・・」

「ちなみにこの異国の服は、私の働きを見た明日花様が、着物では動き辛そうだと用意してくださいました。男物の様ですが、とても着心地よく気に入っています。」


 明日花に侍女が付かない訳にも行かない。かといって誰もやりたくない。

 そんなときに現れた腕の立つ萌生は、彼女たちの救世主だったに違いない。


「でも、そう。やはり瑠衣もだめなのですわね。」

「お役に立てず申し訳ありません。ですが、例え私が明日花様に上回る知識を持っていたとしても、野良に教えをこう事を領主様はお認めにはならないでしょう。やはり相応の方に依頼されるのがよろしいと思います。」

「・・・あのころは教養なんて無意味だと思っていましたわ。先生方は厳しいし、何故こんなことをしなければならないのかと・・・。」

「分かります。教養というのはそういうものですよね。いつの間にか身についていてありがたく思えたり、逆に疎かにしていて後悔したり。厳しくされるのも愛といいますか・・・。」

「えぇ。先生方が私の為にしてくださっていたかは定かでなくとも、先生を手配してくださったお父様は私の為を思ってくださっていたはずですわ。ですから、お父様の為にも、私自身の為にもきちんと教養を身につけたいんですわ。もし、身近にお願いできる方が居たら、教えてくれると嬉しいですわ。」


 きっと役に立つことは無いだろうと思いながらも、分かりましたと、瑠衣は返事をしてお茶をすするのだった。

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