第29話 翔さんの【瑠衣語り】
時は少しさかのぼり、この日瑠衣の特訓が翔に知られた日。
つまり、決闘が約束された日の夜の事である。
「はぁ・・・」
潮の大衆酒場が並ぶ酒屋街の、贔屓にしている店の前で、史郎は深くため息を吐き出した。
昼間の一件の事で話があると、翔と約束したのは確かだが、正直気が進まないのだ。
『いやいやいや、何で僕の方が気を使わなきゃいけないわけ?』
別に悪いことはしていないのだ。双方の事情を理解して間に入ってあげたんだからむしろ感謝してほしい。
しかし、瑠衣はさておき、翔に感謝されたことなど一度もないわけで。
『あいつ、絶対僕を黒幕と決めつけてるだろうなぁ・・・それはいい。けど、絶対アレが始まる。面倒臭いなぁ・・・』
「はぁ・・・」
自然にため息が漏れてしまう。それでも、店のドアに手をかける。
「ちゃんと行ってやるんだから感謝しろよな。」なんて小言を言いながら、店の中に入った。
そう広くない店内では、店主であり歌姫でもある金髪美女、モニカの美しい歌声が流れている。
おそらく倭ノ国で唯一の洋式スタイルのお洒落なBAR。
彼女の歌声に酔いしれている男たちは、外人か、ガラの悪い荒くれものだ。
そんな店の隅っこで、歌になど興味の欠片も示さずに酒を煽る翔の姿を見つける。
「あら、私の歌を聴いてため息なんて。傷つくわぁ。」
今し方歌い終わったばかりのモニカが軽口を言いながら翔の横に座った。
その様子を、モニカ目当ての客が睨むが翔は気にする様子もない。
「別にお前の歌は聞いてない。」
「あら、ホント傷つく。逆に好きになっちゃいそう。」
その気もないくせに、そっと身体を寄せ付けるモニカを相手にすることなく、同じ調子で酒を飲んでいる翔。そのやり取りに半ば呆れながら、史朗は声をかけた。
「あぁ、モニカ。そいつに何言っても無駄だよ。」
「あら、史朗ちゃん。いらっしゃい。」
「遅い。」
モニカが席を退いてくれたので、そこに座る。
適当に酒を頼みつつ、翔から目をそらしてモニカの方を見た。
「こいつ、妹にしか興味のない変態だから。」
「あら。その妹ってもしかして、噂の瑠衣ちゃん? この間見たわよ。確かに可愛い子よね。お兄さんとしては心配なのかしら?」
「その心配が過度すぎるんだよ。さっきも領主宅に不法侵入して・・・いや、その前に明日花嬢消しかけてたっけ。」
「まぁ。結構な行動派なのね。ますます好きになっちゃいそう。でも、私は素直に守られるタイプじゃないからなぁ・・・諦めましょう。」
「それが懸命だよ。代わりに僕はどう?」
「あら、私は一途な人がタイプなの。残念ね、史朗ちゃん。じゃ、ごゆっくり。」
モニカが他の客の元へ去っていく。
「浮気者はどっちだよって話だよね?」
「・・・どっちもどっちだろ。」
軽口に、返答が返ってきた事に少し驚く。
翔の機嫌はソコソコ良さそうだと、席に運ばれてきた酒を手酌してから座り直した。
「お手柔らかにね。」
「それはおまえ次第だ。で、お前はどこまでかんでいる?」
予想通り、根っから疑われているよう。翔の疑心的な目が史朗を睨む。
「それが、実は全く関与してないんだよねぇ。信じないと思うけど。」
「当たり前だ。どう考えても誰かが糸を引いているだろ。」
「当たり前って・・・まぁ、僕もそれは同感だけどね。でも、僕じゃない。」
「どうだかな。」
「はぁ・・・僕はそんな回りくどいことしないよ。瑠衣ちゃん使わなくたって翔くらい倒せる。」
ため息をつきながら、史朗は空になったグラスに酒を注ぐ。
「まぁ、なんであれさっき止めたのは、流石に明日花嬢達が不憫だったから。他意はないよ。だから後は翔次第って事で。」
「俺次第?」
「誰かの陰謀であれ、瑠衣ちゃんの意思であれ、結果としては今のあの子はああなわけだから。」
さっさと話を終わらせてしまおうと、史朗は結論を急がせた。
が、これをすぐに後悔する事になる。
「あぁ。別にそれについて思うことはない。瑠衣がしたいようにすればいい。だが、誰かが裏で瑠衣を利用しているのなら、許さない。それだけだ。」
翔の目つきが少しだけ変わる。
相変わらず目つきは悪いのだけれど、少しだけ柔らかい光が灯っているのだ。
恐らく、昼間の瑠衣の姿を思い出したのだろう。
あぁ、この目は不味い。一刻も早くこの場を立ち去らなければアレがくる。そう、翔の【
「翔の中でそういう結論が出てるなら、もう僕から言えることはないね。じゃぁそういうことで僕は帰るよ。」
立ち上がろうとしたところに、頼んでもいない追加の酒が届く。
振り向くとそこにいたモニカと目が合いウィンクが飛んできた。
『あぁ、まったく気が利くことで・・・』
断れず、しぶしぶ受け取ると横から「ところで」と翔が放つ。
その視線はもう、明後日の方を遠く見つめていた。
『あぁ、終わった・・・』
完全に逃げそびれたと理解し覚悟を決める史郎。
【
瑠衣の前では、瑠衣にとっての良き兄であるために、あれでも色々抑えているらしい。
けれど思いの丈が抑えられなくなると、翔は史郎を呼びつけては、瑠衣の素晴らしさについて延々と語り始めるのだから、付き合う方はたまったもんじゃない。
「瑠衣、凄かったな。」
「あ、うん。そうだね。武術の素質はないと思ってたけど、まさか術師の素質があったとは。僕もびっくりだよ。」
「その割には、平然としていただろ。いつから知っていた?」
「へぇ、あの時僕を見る余裕があったんだ。」
『つまり、その時点で僕が一枚噛んでると疑ってたわけだ。』
その信用のなさには、乾いた笑いしか出ない。
「知ってたわけじゃないよ。ただ、可能性の一つとして頭にあったから。ほら、翔がヘレイやられたとき、異常に回復早かったでしょ。多分あれ、瑠衣ちゃんのおかげ。」
「瑠衣が・・・そうか。やはり、瑠衣には敵わないなぁ・・・。」
遠く定まらない視線で、思いに耽る翔。
その頭の中では、さぞ美化された思い出のなかで、瑠衣が微笑んでいるのだろう。
「敵わないって、明日決闘するんでしょ。殺す気で来いっていってたくせに。」
「ああでも言わないと瑠衣がやりにくいだろ?」
「じゃぁ、負けてあげるつもり? 流石にそういうの良くないと思うよ?」
「まさか。やるからには手は抜かない。が、瑠衣は才能があるだろ。この間も、花火であんなことが出来るなんて誰がや思いつくんだ。あぁ、あのときの瑠衣は、なんだか楽しそうだった・・・。雑魚相手とはいえ、見事な立ち回りだった。明日もどんな策で来るか予想もつかない。負ける可能性も正直ある。」
そう言う翔は、とても嬉しそうで呆れてものも言えない。
まぁ、瑠衣がどんな隠し玉を持っているかは全く見当がつかないため、可能性を否定できないところが彼女の怖いところであるのだけれど。
「裏で冷徹非道の死神とまで言われてる奴が、素人相手に負けてどうすんだよ。お前に斬られてきた奴らが聞いたら泣くよ。普段からそのくらい謙虚さと慈悲の心を持ってもいいと思うんだけど?」
「その必要はない。敵ならばどんな奴だろうが斬り捨てる。俺に敗北はない。」
「瑠衣ちゃん以外に?」
「瑠衣は、大した奴だからな。負けても仕方がない。」
「・・・あっそ。」
「見てただろ? さっきの魔法の見せ方、たたみかけ方、俺への煽り具合、引かない眼差し・・・どれをとっても完璧だった。信じられるか? あの時俺は、ちゃんと殺気を纏ってやったのに、だ。あれは、並の鍛錬で身につくものじゃない。」
翔の言うことは尤もだ。あんな芸当を何処で身につけたのか、他に何が出来るのか、気になることは山ほどある。
しかし今、恍惚とした表情で上機嫌で酒を煽る翔に真面目な話をしても仕方がない。
「あぁ、明日はどんな策でどんな顔を見せてくれるんだろうか・・・無理をしていないかと心配はあるが、瑠衣の頑張っている姿は可愛いくて困る。」
こうなるともう、翔が満足するか酔いつぶれるまで瑠衣の話を永遠と聞かされるのはいつものことで、真面目につき合うだけ無駄である。
瑠衣の前では絶対に「可愛い」なんて言わないくせに、もう、瑠衣なら何でもいいのだろうというくらいに、むしろ「可愛い」しか言わなくなる翔。
「そもそもに、瑠衣の目はなんであんなに透き通っているんだ・・・あの目に捕らわれると、真理が見える気がする。そう思わないか?」
「あぁ、うんそうだね。」
「そうえば、この間瑠衣が気にしていたパンケーキとやらな、この間試食会なるものをしていた。あれは確か瑠衣の助言していた企画だ。好評だった様だが、いったい何処であんな事を考え付いたんだろうか・・・。」
「あぁ、うんそうだね。」
「あの時の瑠衣も、活き活きしていて可愛かったなぁ・・・なぁ、瑠衣はどうしてあんなに可愛いんだ?」
「あぁ、うんそうだね。」
「・・・お前、聞いてないだろ?」
「聞いてる聞いてる。大丈夫。瑠衣ちゃんは可愛いよね。僕もそう思う。」
「お前が言うと何か腹が立つ。・・・まぁいい、とにかく瑠衣はいつも頑張っていて偉い。そして賢い。知ってるか? 瑠衣は・・・・・・・・・」
制止しても無駄に時間が長引くだけ。
史郎は少し高価な酒とつまみを並べて、普段の殺気立つ態度とは180度違って、気持ち悪いほど穏やかな笑みを浮かべ瑠衣愛を語る翔の話に、適当に相づちを打ちながら場をやり過ごすのだった。
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