第17話 明日花と萌生

「あなた、一体誰に向かってこんな事をしているのか分かっているんですの?」

「興味はない。」


 崖の上で、明日花と翔が睨み合っている。

 近くの木にくくりつけられた萌生の首もとと、崖の淵に立たされた明日花の眼前に、翔の持つ刀が当てられていた。


 何故こんなことになったのかと明日花は考える。憎き恋敵の苦しむ姿を見るための用意は万全だったはずだ。なのに、瑠衣が周囲を煙にまいた直後に有無を言わさず担がれた身体が、やっと降ろされたと思ったらそこは崖の淵。追い詰められているのは自分の方だと知る。


『何故、あの女がこんなにも守られるんですの?』


「私を殺せば、あなたもあなたの大切な妹も極刑ですわね。でも、今なら許して差し上げますわ。」

「すでに失った権力をかざすことしかでき無いとは、哀れなものだな。」

「ど、どういう意味ですの!?」


 『どうして? 誰もがこういえば大人しく引き下がりましたわ。今まで何度だってそうしてきましたわ・・・失った? 私は何も失ってなどいませんわ!  私は領主の娘、私が望むのなら、あの女は死ぬべきですわ!! なのに・・・なのにっ 絶対に許しませんわ・・・』


けれど、目の前にいる翔は、引き下がるそぶりなどまるで見せなかった。


「お待ちください。どうかご容赦を。私の命ならば差しあげます。ですから明日花様にはどうか・・・どうか・・・」

「見苦しいですわ萌生。何を弱気になることがありますの? こんな輩に、卑しい野良人に命乞いなど、品格が疑われますわ。」

「・・・・・・・・・明日花様、その方のお召し物を見てください。領主様の紋が織られた、正式な黒服隊の制服です。その、意味は・・・」

「・・・お父様が・・・私を・・・?」


 見限った。そう理解したとたんに、明日花の足がガクガクと震えはじめた。それでも倒れる事だけはプライドが許さず、なんとかその場に踏みとどまる。


『そんなはずはないですわ。だって、私は潮領の領主の娘で・・・娘で・・・娘で・・・?』


 父親の庇護が外れたなら、自分が何者でもないことに気づく。


「瑠衣に手を出したお前達にやる慈悲など無い。今すぐに俺の目の前から消えろ。」

るなら私を。明日花様はどうかお助けください。」

「萌生・・・」


 領主の娘という立場を利用して、散々我儘を通してきた人生を振り返る。我儘放題したおかげで、今や明日花には世話をしてくれる人もいなくなった。そんな状況にもかかわらず、萌生だけは側に残り、たった一人で明日花を支え続けてくれていた。


『萌生・・・。あなたはそれでも、私を庇ってくれるのですわね。何者でもない、親にすら捨てられた私を、何も持たない私を・・・。』


 どんな無茶な要求も、表情変えずに遂行してくれた萌生。その真意は分からない。裏で何かが動いていたのかもしれない。だけど、そんなことはどうでもいい。おそらく今、この世でたった一人だけの明日花の味方。自分の為に命を投げ出そうと叫んでくれる優しい人。なら、それを守るのが、主人の役割というものかもしれない。


『今まで散々苦労させたんですもの。恩返ししないといけませんわ。』


 人の為に何かしよう、そんな感情になったのはいつぶりだろう。最期にそんな感情を思い出せてよかった。と、明日花はふっと笑った。


「萌生は関係ありませんわ。計画も実行もしたのは私。そんなことも分かりませんの? 私の事は構いませんわ。でも、もしも萌生を傷つけるようなことがあったのならば、私はあなたを許しませんわ。未来永劫あなた達兄妹を呪って、永遠の地獄へ突き落として差し上げますわ。」


 キッと睨みつけるも、それを翔はフッと鼻で笑った。


「俺も同じだ。瑠衣に危害を加える者は、何であろうが切り捨てる。その全てをだ。人を消すというのはそういうこと。」

「あ・・・」


 人を殺めれば人の恨みを買い、その連鎖は永遠に続く。その道に一度でも入り込んだら抜けることは許されない。今萌生を危険にさらしているのは、まぎれもなく明日花自身だと知る。


「そうですわね。・・・気に入らないから消すだなんて・・・浅はかな考えでしたわ。萌生、巻き込んでごめんなさいね。」

「明日花様・・・」


 今更遅いが、それでもこの機を逃せばもう、言葉を紡ぐことはできないと知り、口から出た明日花の後悔に、萌生は涙を浮かべていた。


「死ぬ覚悟はできたか?」

「えぇ。でも、斬られるのは嫌。ですから自分で飛び降りますわ。それから、萌生のことは助けて頂戴。彼女は何もしていない。本当ですわ。」

「・・・いいだろう。」


 萌生の首元と、明日花の眼前に突き付けられていた二本の刀がスッと鞘に収めらた。


「おやめください。主人を差し置いて生きてはいけません。どうか奪うのならこの命を。」

「感謝しますわ萌生。私、あなたが侍女になってくれてよかったですわ。」


 そう言って意を決して飛び降りようとした時


 ――― お兄様!! その方は 私のお友達ですから! 手荒なことしないでくださいね。  一緒に遊んでいただけですから!!


 海岸から慌てふためく瑠衣の声。

 

『あの方は何故、自分を殺そうとした人間を助けようとしてるのかしら。可笑しな子ですわ・・・』


「でも私、友達と遊んだ事なんてありませんでしたし、次に生まれてきたときには、彼女のようなお友達を作るのも愉しそうですわ。ふふっ。それじゃぁ、萌生。長生きしてね。」


 雲に隠れていた月が、その時を照らすように顔をのぞかせた。

神々しい光を放った水面にむかい、明日花は崖から飛び降りる。


「明日花さまぁっ―――っ!!」


 直後、萌生の叫びが夜闇の中をこだました。

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