第16話 花火は武器です

 夜の海は穏やかで、波の音が心地よい。人の居ない海岸は、優しい月明かりに照らされキラキラとかがやいていた。その入り江に立ち海を見守る萌生の執事服が風になびいて、遠目から見ると、それはあまり絵になる光景だった。


「・・・やはりいらっしゃったわけですか。」


 大きなため息とともに、ひどく怪訝な顔でそこまで来た瑠衣を見る。

 何故来たのかと言わんばかりのその顔に、彼女もまた、抗いようのない場所で、出来ることを模索している人なのだろうと瑠衣は察した。


「すみません。来ちゃいました。」

「殺されにいらっしゃったのですか?」

「一応、死ぬつもりはないんですけどね。ここで逃げても問題を先送りするだけですから。」

「素直に殺されるつもりはないと。では、健闘を祈ります。」


 萌生は深々と頭を下げた。


「萌生? いらっしゃいましたの?」

「はい。今そちらへお連れいたします。」


 以前とは打って変わって落ち着いた静かな明日花の声が、凛と静寂に跳ねる。

 目の前にいるのが、あの高飛車で喚いていた明日花と同一人物なのかと疑うほど、そこに立つ明日花の立ち姿は気高く美しかった。


『これは確かに氷の姫君・・・』


 何を考えているのかまるで分からない冷たい目が、瑠衣を凝視する。その鋭さに思わず瑠衣も背筋を伸ばす。


「あなた、生きていたんですのね。」

「えぇ。おかげさまで。」

「先生から記憶喪失って聞いていたけれど、したたかなことですわね。」

「こちらにも事情がありまして。お聞きになりますか?」

「興味ありませんわ。」

「でしょうね。」

 

 それでも、瑠衣は下手には出ない。気持ちで負けたら終わりだから。やられる前にやるつもりでいないとと、身を引き締めた。


 にらみ合ったまま、お互いにタイミングを見計らう2人。


「私ね、あなたに謝らなければと思ったんですわ。」


 海の先、光の当たらない暗闇を見つめながら、沈黙を破ったのは明日花だった。


「・・・あの、今何て・・・?」

「先日は、取り乱して子どもの戯言のようにだだをこねてしまって・・・本当に、申し訳なかったと思っているんですわ。」

「えっと・・・そ―――」


 「そんなことは」と続けようとして押しとどまる。

 違う。飲まれてはいけない。戸惑いながらも、頭をフル回転させる。


明日花様この人は何を考えてる?』

 

 気づいたのは、謝罪と言いながらも明日花がこちらを見向きもしないこと。その横顔にうつる不敵の笑み。

 次に気づいたのは周囲の闇の中に揺らぐ人影。

 瑠衣の背後に、確実に一人。そっと近づいて来ている。周囲にも数人の気配を感じることができた。


『・・・これは想定内。タイミングと順序を間違えなければ、脱せるはず。目標は、牽制して二度と関わらないでもらうこと。これから鬼に挑もうとしてるんだから、たかが人間数人大丈夫。私なら、やれる!!』


「私ね。気づきましたの。あんな勢いに任せた方法ではあなたに何も伝わらなかったですわよね。私がどれだけ本気であなたを消したかったか、何も伝わりませんでしたわ。だからあなたはまた、こうやって私の前に平然と姿を見せる・・・」

「私には、あなたに消される理由がありませんから。」

「うるさいですわ!!」

「・・・何度でも言いますが、史郎さんと私の間に恋愛的要素は全くありません。勝手に勘ぐられては迷惑です。」

「そんなこと、どうでもいいですわ。先生の隣を歩くあなたが、共に旅をしてきたというあなたが、嫌い。だから、消えてほしい。ただ、それだけですわ。野良一人居なくなったって誰も気にとめたりしない。あなたなんてそんな無価値な存在ですわ。さぁ、やりなさい!!」


 その声と同時に現れた男に、あっという間に背後から拘束される。手からすべり落ちた行灯がゆらりと足下で揺らめく。パチパチと音を立てる火に瑠衣は成功を祈る。


 ――― パパパパーンッ


 突如、破裂音と閃光。遅れて煙が巻き起こる。瑠衣が事前に行灯に仕込んでいた爆竹に火がついて破裂したのだ。決して威力はないが、暗闇での音と光は人の精神によく響くのだと・・・誰かが言っていた。

 思惑通り、拘束の手がゆるんだ隙に、瑠衣はそこを抜け出し次の一手。


 丸い花火に火をつけ手当たり次第に周投げるる。音もなくモクモクと白い煙が当たりを包んだ。そう、煙幕である。


「ちょっゲホッ、なんですのっ・・・・?」


 得体の知れない攻撃にパニックになる明日花をよそに、それでもこちらに向かってこようとする人影に、花火を点火して応戦する。あらかじめ紐を巻いていたおかげで、ある程度の距離を保って戦える。自分を中心に花火で描く弧は綺麗だなぁと思った。


 『あぁ、やばい。これ楽しいなぁ。』


 だんだん楽しくなってきて、次々と両手に花火を点火しクルクルと回り踊る。

(※良い子は真似しちゃだめですよ!)

 開発中なだけあって、まだ威力が強く危険度が高いが今はそれが丁度よい。

怯んだ敵が次々に撤退していく。


「次はこれにしよっと。」


 もらった様々な花火に火をつけ、振り回しては投げ、振り回しては投げとしていると、気づくとそこには人の気配が全くなくなっていた。


「はっ!! あまりに楽しくなりすぎて、目的を忘れてた。えっと・・・どうしよう?」


 困ったところに、カサッと足音が聞こえた。 


「ずいぶん楽しそうだねぇ。瑠衣ちゃん。」


 背後からかけられた聞き慣れた声に振り返る。


「史郎さん?」

「大正解。」


 いつもと違って黒い着物をピシッと着こなし、黒の頭巾を被った黒ずくめの史郎が歩いてきた。


「何故こんな場所に?」

「翔の手伝い。今夜の仕事はここだったんだよ。」

「その格好・・・噂の黒服隊・・・ですか?」

「そう。似合ってる? そして今日の標的は・・・」


 史郎がスッと刀を抜いて突きつける。


「瑠衣ちゃん。」


 史郎のニコリと笑った顔が月の光に照らされていた。

 同時にその史郎の背後、後頭部をめがけて、どこか遠くの宙から投げナイフが飛んできた。


「何てね。」


 背後を見もせず、飛んできたナイフをなんなく刀ではじく史郎。

 その一連の事の早さに、全く追いついていけず瑠衣は呆然と立ち尽くした。


「ったく、信用無いなぁ。」


 史郎が「あはは。」と笑うがもう意味が分からない。


「ご、めんなさい。史郎さん。今その冗談は辛いです。ちょっと、整理していいですか? 史郎さんは私を消しに来たわけでは?」

「ないよ。本当に信用ないなぁ。僕たちの雇い主は明日花嬢じゃない。もっと上。娘の我が儘が目に余るから何とかしてくれ。みたいな感じかなぁ。そんなわけで、彼女の計画に潜り込んでいた訳なんだけど。・・・それで、瑠衣ちゃんはここで何をしているのかな?」

「えっと・・・遊んでいただけというわけには?」

「いかないよねぇ。僕、最初からずっと居たし。まさか瑠衣ちゃんに騙されるとは、僕の医術知識もまだまだだよねー。」

「ははは・・・」


 つまり、全部バレているわけだ。もう、苦笑するしかない。


「さて、僕のせいみたいだから、その事については忘れよう。でもね、ちょっと考えが甘いんじゃない? 本物の黒服隊はこんな子供騙しでどうにかできる相手じゃないよ?」


 史郎は足元に転がる花火を手にとって、ブラブラと揺らす。揺らしながら「っていうかこれ何? 初めて見る道具なんだけど」と、花火の残骸を観察している史郎に観念し、瑠衣は大きくため息をついた。


「・・・そんな子供騙しでも問題ないと思ったからここへ来たんです。

もしも黒服隊が私を消さなければならない事態があったとして・・・私みたいなただの子ども相手に失敗しますか? たとえ仕留めそこなったとして、その後も警戒心の欠片もなく露店だしているような私ですよ? 襲う機会はいくらでもあったかと。にもかかわらず、ご丁寧にも2回とも萌生様が私を直接呼びに来たのです。あの方は只でさえ目立ちますし、どう考えでも隠密のそれではありません。実際さらわれるところを目撃されたようですし。・・・ですから、黒服隊はおろか、そういった組織は動いていないだろうと判断をさせていただきました。日雇いの荒くれもの相手なら、上手くやれば逃げ出せるかなと思いまして。それに私の目的はあくまでも『穏便に関わりを絶つ』ですし、どちらかといえば、そういった玩具のほうが適していたかと。」


 まともに張り合うつもりは最初から無かった。ある程度牽制出来ればよし。無理なら逃げ帰ればいい。最後の頼みの綱は「多分私は死なない」という不確定な確定要素。でも、そんな事は言えないし。


「・・・なんて、格好良く言ってみても、駄目ですね。これ以外方法が無かったというのが正直なところです。自分の経験の甘さを痛感しました。撤退された方々をどうにかしてくださったのは史郎さんですよね? ありがとうございました。」

「へぇ。ちゃんと色々見てたんだ。関心関心。瑠衣ちゃんの読みはあらかた間違ってないし、いいところまでいってたね。初めてにしては上出来だよ。でも、僕や翔も、日雇いの荒くれ者に部類されるって事は覚えておいてね。あと、残念なことが一つ。穏便にっていうのはもう、無理かも。」


 史郎が瑠衣から視線を外し、振り返りながら斜め上を見上げる。その仕草につられるように、瑠衣もその目線を追った。


「・・・兄・・・様?」


 小高い崖の上に翔と明日花の姿が見えた。


『そういえば、さっきあの方向からナイフが飛んできてたっけ。あれ、兄様だったのか・・・』


「今日の仕事は翔に来たものでさ、部隊の制圧が翔で彼女の説得は僕が担当の予定だったんだけどね。この場に来たのが瑠衣ちゃんだったでしょ? それであいつ血が上っちゃって。彼女に落とし前付けさせに行くって聞かなくて。」

「あ・・・え? あの、刀抜いてません?? あれ、大丈夫なんですか?」

「一応依頼主からは、方法は任せるとは言われてるけど・・・ねぇ?」


 両手のひらを天へ向けて肩をすくめる史郎。つまり、大丈夫ではないとそういうことだ。


「ちょっ、え、兄様!! えっと、その方はあの、私のお友達ですから! 手荒なことしないでくださーい! 一緒に遊んでいただけですから!!」


 精一杯叫ぶも、遠くにいる翔は抜いた刀を明日花に突き付けたまま。


「・・・無理がありますか?」

「うん。無理があるとおもうな。双方に。」


 二人そろって苦笑していると、やはり無理だったようで、明日花の身体が崖から海へと投げ出された。


「明日花様!!」

「あーぁ。やっちゃった。」


 慌てふためく瑠衣の背中から、少し面白がっていそうな呑気な声が聞こえていた。

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