第9話 発作

 

 ――― それは、翔と瑠衣との大切なとの思い出の夢


 いつだって、どんなときだって瑠衣をを守り、味方でいてくれた。強くて優しくて賢い翔。そんな背中にいつもついて回っていた幼き日々。


 『・・・でも・・・』


 突然、幸せな記憶は真っ黒く塗りつぶされ、暗い闇の中に取り残される。目の前に、手足が引きちぎれて尚、破壊活動を続ける少女の姿。その向こうに見えるのは荒れ果てた大地と、目を見開いたまま物言わぬ躯の山。


 『・・・あれは、私だ。』


 何故かは分からないけれど、そう強く感じた。とたんにその少女の顔は瑠衣になって。


 「兄様がいない世界なら、いらない。兄様を奪ったお前を許さない。」


 瑠衣少女瑠衣を睨みつける。 


 でも、途端に少女はの顔は笑みを浮かべて・・・。


「やっと見つけた。ねぇ知ってる? あなたが兄様を殺すんだよ。」


 可愛らしい声と共に現れた、無数の血の気のない腕がこちらへと伸びてくる。喉元に絡みついた細い指が、立ち尽くす瑠衣の首を容赦なく締め上げ、身体を引きちぎっていく。



 ――― だから、死ね




 「いやっ!!!」


 思わず叫んだ自分の声で。瑠衣は目を覚ます。

 自分の両手が、自分の首を絞めていることに気づいて、咳き込みながらその手を放した。我に返り隣を見ると、相変わらず翔は静かに眠りについてる。その様子に安堵しつつも、心臓が大きな音をたてて脈打ち、呼吸があまりに苦しかった。


「私が・・・兄様を殺す・・・」


 ふらりと立ち上がり瑠衣が戸に手を掛けると、開ける前に戸が開く。


「あ、瑠衣ちゃんお待たせ。あれ? 顔色悪くない?」

「・・・・・・・・・。」

「何かあった?」

「いえ・・・少し、風に当たってきます・・・。」

「え!? 瑠衣ちゃん??」


 帰ってきた史郎の顔を見る余裕はなかった。ただ、一刻も早くこの場を去りたくて、後ろから追いかけてくる声に振り向くこともできないまま、瑠衣は宿を飛び出した。




 ***




 ドンっ と誰かにぶつかり

「すみません」と謝ってまたふらりと歩き出す。

 そうしているうちに、瑠衣はいつのまにか人気のない裏通りに来ていた。



 ――― だって、瑠衣ちゃんは翔が居なくなるこなんて考えてないと思ってたから


 ふと、史郎の言葉が思い出されて足を止めた。


 確かにそうだった。

 翔の「大丈夫だ」という不敵な笑みに疑いを持たず、どんな時も助けられることや守られることが当たり前で、当たり前のようにずっと一緒にいられるのだと、信じて疑わなかった。


 けれど人は容易く死ぬ。それは身を持って経験したし、至極当然こと。争いに身を投じるのが生業ならなおさらその確率は遙かに高い。

 その結果、翔の魂はレンに導かれて神界戦争を戦う戦士となるわけが、今はそんなことはどうでもいい事だ。 


『その通り・・・兄様は死ぬ。近い将来。確実に。そしてその理由は・・・瑠衣わたしだ。私が兄様を・・・』


 ――― ズキンっ


 突如、瑠衣の左目に鈍痛が走った。


「あっ・・・・つっ」


 続けて起きた眩暈に立っていられなくなる。目を刺すような鋭い痛みと、激しい頭痛。それは間違いなく呪いの発作だった。


「ぐっ・・・あぁ・・・」


 倒れそうになった所を、誰かのひんやりとした手が支えてくれる。


「大丈夫です」

 そう言って払いのけようとしたが言葉すら発することもできぬまま、見ず知らずの腕の中で、瑠衣の意識はそのまま途絶えたのだった。




 ***




 そのころ、部屋に取り残された史郎は、翔の様子を見ながら仕事を振り返っていた。


 近くの森林での生物調査の護衛。

 何度か行ったことのある馴染み深い場所で、強い魔物もいない比較的楽な仕事。

 唯一の危険は、ポイズヘレイという猛毒をもつ植物型の魔物だったが、彼らは温厚で、よほどのことがなければ攻撃して来ない低級魔だった。だからといって、決して油断していたわけではない。


 ただ一つ、問題があったとすれば、それは翔の精神面の弱さだろう。

 新人の調査員だという護衛対象は、線が細いどこか儚げな少女。端的に言えば彼女はどこか瑠衣に似ていたのだ。


 彼女がうっかりポイズヘレイの身体を傷つけたとき、普段の翔ならば敵が攻撃を仕掛ける前に片付けていたはずだ。しかし、今日はとっさに彼女を庇い応戦が遅れた。完全に翔の判断ミスである。


「ったく、瑠衣ちゃん関わるととたんに駄目だな。全く成長しない・・・」


 翔が幼い頃から刀の立ち回りや技術をたたき込んできた史郎。

 筋の良い翔は、即座にそれを吸収していて、その辺にいる手練れにはひけをとらないだろう。しかし、どれだけ腕をあげても経験を積んでも、瑠衣に関することそこだけは本当に成長しないのだ。まぁ、その弱点こそが、人間らしいと言えなくもないのだが。


『仕方ないか。瑠衣ちゃんが目覚めないのではないかと心配して、目覚めた後も戻らない記憶を心配して、「何もできない」事に、調子を落としていたんだ。こうなることは時間の問題だったかもなぁ・・・。』


 だからと言って、失敗がなかったことにはならないが、それはまぁ必然的にもう反省することになることだろう。そんな風に考えていると、後ろでゴソッと音がする。翔が起きたようだ。


「ヘレイの毒なんかに受けやがって。その辺の山賊だってもう少しうまく避けるよ。」


 振り返ることはせず、作業を続けたまま背中越しに言ってやる。翔からの返事はないが、その視線は真っ直ぐ史郎を見ているのが気配で分かった。


「今回は、間違いなくお前の落ち度だから。」

「・・・分かっている。」

「本当かねぇ? 瑠衣ちゃんの心配するあまり、お前が瑠衣ちゃん泣かせてどーすんだか。」

「!?」


 その一言で、自身の状況を把握したらしく、翔がガバッと起きあがったのが分かる。


「史郎、貴様・・・」

「言っておくけど、僕は最善を尽くしただけだよ。何度だって言うけど、今回はお前の落ち度だから。恨むなら、冷静な判断ができなかった自分を恨むんだね。」

「―――っ。」


 一度は怒りをあらわにした翔だったが、正論には返す言葉もないのだろう、苦い顔で舌打ちするだけにとどまった。


 翔は普段から瑠衣の前で弱った姿を見せまいとしている。

 そこには一応理由があって、瑠衣が幼い頃の事、翔が負傷し帰宅すると高確率で発作が起こっていたからだ。

 だから翔は、負傷しても傷は隠して瑠衣の前では何事もないように振る舞うし、長期療養が必要となればわざわざ泊まりの仕事と偽ってその辺の洞窟で治療することもしばしば。その心意気は買うが、付き合わされる身としては、なぜ寒空の下、男の療養に付き合わなきゃならんのだと思う。


 そんなわけで、負傷した状態で寝床へと帰ってくることなどないし、ましてや瀕死の姿こんな翔を瑠衣が見ることなんて普段ならありえない。


「ほら、まだ寝てろ。一応生死の境をさまよってたんだから。」


 史郎がちらりと振り向きそう言うと、不服そうに布団に横たわった。


「それで瑠衣は?」

「あれはタイミングが最悪にだった。おかげでお前が死ぬんじゃないかと泣きじゃくって、かなり取り乱してたよ。」

「瑠衣がか?」

「そう。あの瑠衣ちゃんがさ。開口一番、翔が死ぬのかって聞いてきて驚いた。そういう感性があったんだね。兄様!って叫んでたし。」


 思い返してみても、なんだか腑に落ちない瑠衣の姿。『いつものあの子ならどうしていただろう?』と、史郎は考える。

 きっと静かに部屋に入ってきて、邪魔にならないようにただじっと治療が終わるのを見届けるていたのではないだろうか。そして「もう大丈夫」といわれるのを待っていたように思う。もし、駄目だったとしても、あそこまで取り乱しただろうか?「そうですか。」と一言つぶやいて、静かに喪に服したのではないだろうか。


「・・・。」

「翔も気になるの? まぁ僕が気になるくらいだからね。当たり前か。」

「あぁ。倒れてからの瑠衣には何か違和感がある。どこか無理をしているような・・・あれは記憶が戻らないせいなのか?」

「さぁ、どうだろうね。」

「先日出かけたときも・・・絡んできた厄介者に何を言われたのか、怒りを露わに拳を入れようとしていた。甘味処でも、あんなに強く意思表示をした瑠衣は久しぶりだった。よほどパンケーキとやらが気に入ったのか・・・他人に明確な意見を投げている瑠衣はとても楽しそうだったしな。まぁ、もともとあいつは感情表現豊かな子どもだったが。」

「確かにね・・・。」


 好奇心旺盛で、わがまま放題で、元気な子どもらしい子どもだった瑠衣が、急に大人びて落ち着いたのはいくつのことだっただろうか?

 成長に伴うソレだと思うことにしてから月日がたち、いつの間にかすっかり物静かなイメージが定着していた。


「多感な時期だしねぇ。記憶が混乱しているから、感情に抑えが効かないのかもね。それは確かに考えられる。」


 だけど、それも事実とは違う気がする。何か腑に落ちない。何かおかしい。


「そもそもあの子が受けた、記憶を失うほどの衝撃って何なんだろうね・・・」


 多難な人生、あらゆる嫌がらせを涼しい顔して受けてきた瑠衣が、失いたいと願ったもの記憶・・・。瑠衣にはまだなにか、大きな隠し事があるように思えて仕方なかった。


『おかしいと言えば翔の体調のこともだ。そんな簡単に回復する毒じゃないから苦労したんだけれど・・・。まさか魔法・・・使えたわけじゃないよね・・・?』


 状況を鑑みると出てくる結論に苦笑しかでてこない史郎。


「とりあえず、今はその事は置いておこう。瑠衣ちゃんが床に臥せるでもなく元気に過ごせているのなら・・・多少元気すぎたって、それはいいことだよ。」

「あぁ。それで瑠衣はどこにいる? 発作は大丈夫なのか?」

「あー・・・そうだったね。」


 真っ青な顔で出て行ったきり戻っていないなどと言ったら、翔はこのまま這ってでも探しに出かけそうだ。それは色々面倒くさい。


「「ちょっと出る」っていってたからそろそろ帰ってくるんじゃないかと思うけど・・・翔が大丈夫そうだし、迎えに行ってこようかな。お前はとりあえず大人しく寝てろ。それが、瑠衣ちゃんの為だ。」

「あぁ・・・瑠衣を頼む。」


 史郎の言葉にそれが最善だと翔は素直に従った。


『発作・・・起こして倒れてないと良いけど・・・』


 十中八九そうなっているだろうなと思いながらも、史郎は部屋を後にするのだった。

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