第6話 翔と瑠衣のお出かけ 2
しばらく歩いたところで目的の甘味処、
足を止め、「こちらです」と言おうとしたところで、店の前の看板の文字に気を取られ、瑠衣は言葉を失った。
「どうした。ここか?」
「あ、いえ。ごめんなさい。そうです、ここです。ここ、みつ豆がとっても美味しいんですよ。」
翔にそう答え、落ち着いてからもう一度看板に目を通す。
『アメストリアからついに上陸。数量限定 すとろべりいぱんけえき』
間違いなくそう書いてある。
和食中心の【倭ノ国】に、みつ豆や団子といったお茶請けしかおいてなかったお店に、いつの間にか洋菓子が上陸してる!! 流石は異文化交流の港町である。
『食べたい・・・ストロベリーパンケーキ・・・食べたい!』
「・・・瑠衣?」
「あ、えっと。ここのみつ豆がとってもおいしいんですよ。」
「それは先ほど聞いたんだが」
翔の声が耳に入らないほど、瑠衣の頭の中はパンケーキでいっぱいだった。
何を隠そう、前世ではパンケーキが大好物だった。正確に言えば日本流のホットケーキが。巷ではふわふわのスフレパンケーキが一大ブームとなっていたらしいが、そんなことは知ったこっちゃ無い。こんがり焼けたホットケーキに、少しのクリームと果物の切れ端を添えて、ふんだんにシロップをかけて食べる時間はなにより至福の時間だったのだ。
『どんな物かなぁ?』
ストロベリーパンケーキなのだから、やっぱりふわふわなのだろうか。それとも、しっかりしたパンのようなものなのか。そもそも、ストロベリーは苺という認識であっているのだろうか? それを考えたら、パンケーキという名の、全く新しい洋菓子かもしれない。実に様々な想像が頭をよぎる。
『あぁ、確かめたい!!! パンケーキが上陸した経緯も知りたい。 でも・・・でもこれ・・・んー・・・』
「い・・・るい・・瑠衣!!」
「ふぇ?」
何度呼びかけても応じない瑠衣にしびれを切らしたらしい。翔の両手が瑠衣の頬をムニっとはさむ。それで瑠衣もすっかり現実に引き戻される。
「入るんだろ?」
「あ、
うまく言葉が発せ無い瑠衣にふっと笑みを見せてから手を離し、「周りの迷惑になるぞ」と瑠衣の手をひいて、翔は菓宝堂の
間髪を入れず「いらっしゃいっ!」と元気な声が聞こえてくる。
「あ、瑠衣ちゃん!! 久しぶり。元気になったんだ。」
「
いつも明るい笑顔を絶やさず、一度でも来た客の顔は忘れない商売人の鏡のような看板娘の蘭子。彼女が店に立つようになってから客足は伸びに伸びているのだと常連のおじさんに教えてもらった。一時期は毎日来ていただけあって、瑠衣も蘭子とはすっかり顔なじみで、時間があれば雑談するくらいには仲良くなった。
「表の看板にあった限定のやつと、茶を2つ頼む。」
二人の挨拶をよそに、翔が蘭子に注文する。
蘭子は少し驚きつつも「さっすが瑠衣ちゃん。かしこまりました!」とほほ笑んで店の奥へと去っていった。
「兄様!? あの私はみつ豆を・・・」
さっさと空いていた席に腰を下ろす翔を追いかけて着席し、注文の訂正を試みるも、「だったらみつ豆も食べたらいい」とあっさり拒否されてしまった。
「金の心配なら無用だ。食べたいものを食べろ。遠慮はいらない。」
「・・・だって・・・私最近、露天開けてませんし、このパンケーキ・・・」
そう、目下の悩みはそのお値段。パンケーキが瑠衣の知っているものであれば、その材料は国内には流通しておらず、適正価格だとも思うのだけれど。
「これ食べる値段で、安宿に一泊できますよ・・・?」
その価格は、町の甘味処で売られるには、いささか高級すぎると言わざるを得なかった。
生きる為にはお金が必要だ。特に親のいない翔と瑠衣は定住もしていないため、そこはかなり苦労してきた部分でもある。
幼い頃から史郎の元で鍛錬を積み、刀一本でどこででも仕事を取れるようになった翔に対し、手先の起用だった瑠衣は翔が拾ってきてくれた鉱石や木などの素材を加工した装飾品を作って露店で売る露天商をしている。体調が良い日にしかできないので収入はそう多くはないが、おかげで今は甘味を楽しむような余裕もある。
この町では、食事付きの良宿に寝泊することもでき、一見するとその暮らしは裕福だが、それはただただ運が良かっただけ。出立を考えれば散財はできない。
パンケーキは食べたいが、さて、その金額を瑠衣が稼ぐにはどれだけの日数がかかるだろうか。ただでさえ、物珍しいものがすでに豊富なこの町では、瑠衣の商品は見劣りしてしまうし、市場戦略をねらなければ、中々難しいかもしれない。困って悩み頭を抱えていると「まったく」と翔がその頭をぽんぽん撫でる。
「いいか瑠衣。その精神は大切だ。だが、もっと大切なことがある。」
顔を上げると、優しく微笑む顔が見えた。
「お前には旅を強いて苦労をかけている。」
「そんな、私の目を治すためです。ご迷惑をかけているのは私の方で」
「そう思うなら、余計に遠慮はするな。俺は瑠衣の曇った顔を見ていたくはない。この旅は、お前の幸せを願っての探し旅なんだから、苦労はあれど、瑠衣が我慢ばかりしてはいけない。」
「兄様・・・」
「旅の上で叶えられる数少ないお前の望みくらい、叶えさせてくれ。それに、少し割のいい仕事を紹介してもらえてな、金の心配は本当に無い。それでもお前の気が許さないなら、快気祝いとでも思って、明日からまた頑張るといい。」
「兄様・・・ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます。そして、お店頑張りますね。」
「あぁ。ただし、無理はするなよ。瑠衣はまだ子どもなんだから、本当なら仕事だってしなくたっていいんだからな。それよりも身体を大事にしてくれ。」
どこまでも優しい翔に頷いて、うなだれていた姿勢を正す。翔の好意を無駄にしないためにも、お金は気にせずにパンケーキを楽しむことを決めた。
「おまたせしました! すとろべりいぱんけえきです。」
ほどなくして、蘭子がパンケーキを運んでくる。
丸く焼けた平たいパンケーキに、赤い実を潰して作られたソースがかけられた、ストロベリーパンケーキと言って遜色ない見た目に感動する。ここに生クリームとシロップがあったらなら最高だが、そこまで高望みはするまい。
「瑠衣ちゃんが頼んでくれてよかった。是非食べてもらいたかったの。」
「それは、頼んでよかったです。看板見た瞬間から気になって気になって・・・すっごく美味しそうですね。」
「味には自信あるわよ。それでね、瑠衣ちゃん。瑠衣ちゃんを各地で売上をあげてきた商売人と見込んで相談したいことがあるんだけど。この後って時間ある?」
「そんなすごい人を見込まれても困るのですが、えっと時間は・・・・・・大丈夫ですよ。」
蘭子と話しながら翔を見ると「構わない」と頷いていたので、了承する。
「良かった。じゃぁ、ちょっと手が合いたら来るから、また後でね。ごゆっくり!」
キラッキラの営業スマイルを振りまき、蘭子は急ぎ足で店の奥へと戻っていった。気づくと店の中が満員になっている。売れっ子看板娘は大変だなと、しみじみと思いながら瑠衣は目の前のパンケーキに向き直った。
「・・・それでは、いただきます!」
意を決して一口目を口へ運ぶ。
家で焼いたホットケーキよりも硬めの生地で、ソースもジャムに近い仕上がり。だけどなんだか懐かしさがこみ上げて、満面の笑みが咲いたのが自分でもわかった。
「すごく美味しいです!」
「よかったな。」
その様子に、翔も満足そうに頷いてお茶をすすっている。そういえば、翔はお茶しか頼んでいない。
「せっかくですし、兄様も食べませんか?」
「気に入ったのなら、お前が食べる方がいい。俺の事は気にするな。」
「美味しいですよ? 美味しいものは分け合って食べたほうがもっと美味しいです。 お嫌でなければ、いかがですか?」
「そこまで言うのであれば、一口。」
フォークに刺さっていたパンケーキを、ぱくりと翔がさらっていく。
『あれ? ・・・これ、なんかデートみたいじゃない?? 恋人同士がやるっていう、「あーんっ」てやつじゃ!!!』
翔とのやりとりには慣れてきたはずなのに、パンケーキという想定外なアイテムがあったせいか、変な意識をしてしまった。
「どうした?」
「あ。いえ。その・・・あっ」
すっかり動揺してしまい、手からフォークが滑り落ち、イチゴのソースが着物に付いてしまう。
「まったく、お前は・・・」
呆れた顔で即座に立ち上がり、濡らした手ぬぐいですぐにシミをとってくれる。
「す、すみません・・・」
その優しさと気恥ずかしさに瑠衣の頬が染まる。
冷酷無比なんて言われながらも、本当は世話焼きで、心配性で、妹想いな翔が、愛しくてたまらない。
『・・・やっぱり、大好きだなぁ』
だからこそ、この想いは知られてはならないと心の底からそう思うのだ。
瑠衣になって分かったことがいくつかある。
それは、瑠衣が幸薄い物静かだという印象よりずっと、芯が強くて、その口からでる言葉とは裏腹に、かなり逞しい考えをする人間であったこと。
それから、実の兄である翔に対して、僅かながら恋心を抱いていたということだ。
その恋心は、初恋の芽のようなもので、憧れに似た感情で、瑠衣自身はまだ、それが恋だと気づいていなかったのかもしれない。
けれど、別世界で女子高生として生きていた記憶がそれをはっきりと認識させた。というより、その想いを倍増させてしまった。
「取れた。」
「あ、ありがとうございます。」
「まったく、お前は本当に・・・」
「すみません。子どもで。」
こんなやりとりを、今まで何度続けてきただろう。
赤子だった瑠衣を育てた翔にとってはきっと、瑠衣は妹であり、娘のような感覚だ。だからこその過保護さ。どこまでいっても、庇護対象でしかない瑠衣。
『だったら、この穏やかな日常を生きるためにも、この想いはしまって置こう。普通よりずっと仲のいい兄妹。いつだって側で寄り添ってくれる優しい兄様。私にとっては十分に幸せすぎることだ』
瑠衣が願うのは、いつだって翔の幸せ。それだけは、今も昔もかわらないのだ。
「お茶のおかわりいかがですかー?」
「ありがとうございます。」
パンケーキを食べ終わった頃、蘭子が小ささな包みとお茶のおかわりをもって席へ戻ってきた。どうやらやっと店が落ち着いたらしい。
「そういえば瑠衣ちゃん、倒れたらしいじゃない? お見舞いいけなくてごめんね。これお土産サービスするから持って行って。」
「あ、お気遣いなく。というか蘭子さんにまで話が行っているとはお恥ずかしい。なんというか、たちの悪い風邪みたいなもので、ご心配おかけしました。」
チラリと翔をみると、無言でお茶をすする眉間にひとつ、しわが寄っていた。
原因が解明されていない(ことになっている)上に記憶が未だにもどっていない(ことになっている)為、この話題には少々神経質だ。
「あはは。瑠衣ちゃんのことなら多分ほとんどの人が知ってるわよ。お見舞いたくさん届かなかった?」
「お見舞い?」
そんなものは届かなかった。
いや、露店の場所を貸して貰っている花火屋さんからフルーツ盛り合わせは届いたけれど。
「あ! じゃぁ・・・瑠衣ちゃんの元には届かなかったのかな。まぁ、それならそれで安心。」
薄笑いを浮かべている蘭子に、ピンとおもいつく。
「まさか・・・史郎さんですか?」
「正解。あの先生、連れが倒れたからって一部の診察断ってたのよ。おかげで町中の女子が大騒ぎだったわ。だからといって、町医者が儲かるわけじゃないのだから笑っちゃうわよね。宿泊先の宿が
史郎に全く興味のない少数派の蘭子にとって、その光景はあまりに滑稽で面白かったのだろう。しかし、巻き込まれる方としてはあまりに嬉しくない話だ。そっと翔の顔をのぞくと、眉間のしわが増えていた。
その顔が、届いていたであろう「お見舞い」の中身を物語る。何だか背筋に冷たいものが走ったきがした。
『怪我人や行方不明者が出ていませんように・・・』と祈るようにして、瑠衣は話題を切り替えた。
「ところで、相談があるって言ってましたよね?」
「そうなの! このぱんけーきのことでね。」
そうして、蘭子は待ってましたとばかりにパンケーキについていろいろと教えてくれた。パンケーキは、店の店主でもある蘭子の父親が、料理修行で海外を旅した先で教えて貰ったものらしい。試作を繰り返し、ようやく店頭に出せる程になったため、提供を始めたのだという。しかし、国内では材料が手に入り辛いということもあり価格を下げられず、見慣れないものと言うことで売れ行きはあまり良くないそうだ。
「味は良いと思うのよ! でも・・・ねぇ、これを何か流行らせるいい案ない?」
「流行らせる、ですか?」
「そう。私はね、外国のお菓子が大好きなのよ。だからそっちの勉強ばっかりしていたんだけど、そしたら皆が口をそろえて「無駄なことをしてないで跡継ぎの勉強しなさい」っていうの。うち、親戚皆菓子職人でさ、都で甘味処やってたりするのよね。で、顔合わせるたびに私と親戚が言い争うから、見かねた父が、このぱんけーきで、周りを黙らせるだけの成果をあげてみろってまかせてくれたんだ。逆に、出来なければ諦めろとも言われたんだけど・・・。だから私、絶対に流行らせたい。これからは外国の菓子にも目を向けていく必要があるってわからせてやりたいの。」
「なるほど。確かに都から発信されたといわれる和菓子も、今や倭ノ国全土でいただけますからね。店にも個性は必要です。」
「そう!! やっぱり瑠衣ちゃんは話がわかるわね。まさにそれよ。だからね、なんでもいいの、案を頂戴!!」
菓宝堂の客層は庶民なのだし、何か迷走でもしているのかと思ったけれど、なるほどそういう理由ならば商売人のはしくれとして少々のアドバイスをしてみようと思い立つ。なにより、流行って価格が下がってくれればもっと気軽にパンケーキを楽しめる日が来るかもしれない。
「そうですね、では思いつくままにお話ししますが・・・」
半分は私利私欲で、味の工夫や適正価格への近づけ方、試食会など効果的な宣伝方法を伝授する。その殆どは地球のテレビの受け売りだったし、実際できるかは分からなかったけれど「なるほど!」と目を輝かせながら、メモをとる蘭子。
あーでもない、こーでもないと、蘭子と商売企画について話すのはとても楽しい時間で、すっかり時間を忘れて話し込んでしまった。
そんな瑠衣にも何も言わず、翔が存在感を消して見守ってくれていたものだから、結局その日の翔とのお出かけは、蘭子とのパンケーキ談義で終わってしまった。
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