第4話 記憶にございません


 頭の中にある情報をあらかた整理し終え、倒れる前のことを思い出して瑠衣は愕然としていた。


『いやいやいや・・・普通に殺されかけてるんですけど!?』


 一旦落ち着こうと史郎が入れてくれたお茶を一気に飲み干すも、湯を飲んだように味のしないそれに思わず深いため息を吐き出した。


「大丈夫? 無理しなくて良いからね。」

「大丈夫です。すっかり落ち着きました。」


 心配そうに振り返った史郎に微笑み返す。


『いや、まったく落ち着けないけどね!!』


 空になった湯飲みを傾けながら「さて、どうしたものか」と思考をこらした。


 「女性遊びも考えてやってください!」と一言言ってやりたいのはやまやまだけれども、瑠衣はそんな毒づいたことは思っていても絶対に口には出さない、穏やかで物静かな女の子だ。それに、できればこの事は内密に済ませてしまいたい。特に翔に知られることだけは絶対に阻止しなければならないのだ。



 瑠衣には物心ついたときから両親が居なかった。

 詳しいことは知らないが、翔が7歳、瑠衣が2歳の時に亡くなったらしい。それ以来史郎の元で、兄妹2人で力を合わせて生きてきたため、お互いを思う気持ちは普通の兄妹より少しだけ強い。公式設定でもある翔の過保護っぷりも健在だ。


 初めて史郎がらみで嫌がらせの手紙が来た日、瑠衣は当たり前のように翔にそれを相談した。すると翔はとても優しく頭をなでて「心配するな」と微笑んだ後、相手女性を切り捨てんと部屋を飛び出していってしまった。

「元は僕のせいだから、止めてくるよ。」と、事情を知った史郎が追いかけたものの、どちらも刀は達人級。その攻防戦はいつの間にか本気の死闘となり、最終的には血を見るどころの騒ぎではなかった。

その時は「二度としない」と誓わせてみたものの、いざとなればそんなの守る人たちではないのは明らかで、あんな地獄絵図はもう二度とごめんだと願う瑠衣が、以降嫌がらせに対する相談を2人にしたことはない。

それでもどこからかかぎつけて、瑠衣の知らない所で制裁を加えているようなのだけれど、それはもうどうすることもできないので「ご愁傷様」と思うことにしているが、今回は相手が華族である領主の娘。どう転んでも分が悪いのはこちらのほう、下手を打てば命が危ない。


『よし、絶対に隠し通そう!!』


色々思い返して、瑠衣はそう心に誓った。


 とはいえ、普段から潜入や諜報活動、裏切り者の始末などの闇の仕事をメインで引き受けている翔や史郎相手に下手な嘘は通用しない。絶対にイタいところを突かれてぼろが出るのは目に見えている。2人に問いつめられてしまえば、隠し通せる自信が瑠衣にはなかった。


「さて瑠衣ちゃん。落ち着いたみたいだから、少し話をしても良いかな?」


 片づけが終わり、瑠衣の正面に座り直した史郎に「はい。」と返事をしながらもそっと身構える。

嘘はつけない。本当のことも言えない。なら、できることは一つしか思い浮かばない。何とかこの場だけでも切り抜けようと平静を装いながらも気合を入れた。


「3日前の事なんだけどね、僕らが仕事から帰ってきたらね、瑠衣ちゃんは宿ここには居なくて・・・探したら、ここから少し行った所にある海岸で、半分海に浸かった状態で倒れてたんだ。いったい何があったのか、話してもらえるかな?」

「・・・そう・・・なんですね。あの、それが、先ほどからなぜ倒れたのか思い出そうとしているのですが、全く思い出せないんです。」


 なるべく申し訳なさそうに、頭を抱える。政治家の秘儀「記憶にございません」作戦だ。先ほどまでは、本当に記憶をどこかへやっていたのだし、少しくらいない記憶欠けていたって不自然ではない・・・はずだ。

 

「思い出せない?」

「はい。その、兄様と史郎さんが朝出かけたのを見送ったのは覚えているんです。兄様がいつものように頭を撫でてくださって、中々お出かけにならないから史郎さんが「遅れる」って兄様を引きずるようにお出かけなさったのを見送りましたよね。それで、私も露店を出す日でしたので、準備をしたんです・・・でも、その後のことが全く思い出せなくて。次の記憶はさっき目が覚めて中居さんに挨拶したところで。」

「・・・。」

「その、近くにある海岸にも全く覚えがありません。こんな寒い時期に、何故私はそのようなところで倒れていたのでしょうか?」

「うーん・・・。」

「私、まだ錯乱しているのでしょうか? それとも、何かの病気ですか? 呪いのせいで頭までおかしくなってしまったのでしょうか・・・。」


 外面では困惑の態度をとりながらも、瑠衣の頭の中では別の思考がぐるりと巡る。


『・・・半分海に沈んだ状態で瀕死って、あの状態で海に沈められたらそりゃ死ぬよねぇ。よく生きてたな私・・・。そういえば瑠衣この体って昔から悪運は強いんだよね。やっぱ呪いで死ぬ運命だからかな? ゲームってキャラによって重傷でも死ななかったり、あっさり死んだりするもんなー。』


 油断すると、いつもしおらしい「瑠衣」ではなく、猪突猛進だった「奈々」の性格が全面に出てしまいそうで、一度息を整えて「瑠衣」に戻してから、考え込んでいる史郎を全力の困り顔でおずおずと見つめた。今は知らぬ存ぜぬを貫き通すことに全神経を注ごう。


「うーん・・・思い出せない・・・というか、記憶が飛んでいるような・・・か。あれかなぁ・・・記憶喪失とかいわれるやつかも・・・。」

「記憶喪失? ・・・なんですかそれ、病気ですか?」


 なんていいながら、瑠衣の内心はガッツポーズ。


「うーん。病気というか・・・僕も文献で読んだだけで、実際に診たことはないんだけどね。強い恐怖や痛み、悲しみなどを感じると、辛いからその記憶を抹消しようとしてしまうらしいんだ。」

「強い恐怖? 全く心当たりがありませんけど。」

「だから、その記憶の一切を、瑠衣ちゃん自身が消してしまったんだよ。おそらく、部屋で出かける準備をしていて、何かがあったんだと思うよ。」

「何か・・・あの、思い出す方法はあるんですか?」

「うーん。特効薬は無いんだよね。そういった魔術も聞かないし。それにね、消したいほど辛い記憶なら、無理に思い出そうとするとかえって病状が悪化する危険性もあるらしいんだ。だから、できることは経過観察くらいなんだけど・・・」

「そうなんですか・・・(よしっ!)」

「あー・・・読んだ文献では、気にせずに日常を過ごしていたら、ある日突然記憶が戻った例が載っていたよ。あとは、似たような体験をした時に思い出したりとか。だから、瑠衣ちゃんもそのうち思い出すかもしれない。そんなに気負わないで。僕ももう少し記憶喪失について調べてみるから、何か思い出したり気づいたらすぐに教えてね。」

「はい・・・わかりました。」


 もしも、記憶をよみがえらせる薬でもあったらどうしようかとハラハラしたが、それもないと分かった今、取り繕う外見とは真反対に、瑠衣の心は晴れ晴れとしていた。


 丁度話に一段落ついた時、戸がコンコンと叩かれる。続けて「入るぞ」と声がして、戸がスーッと開かれた。

診察が終わったことを聞いた翔が様子を見に訪ねてきたのだ。


 背中に朝日を浴びながらそこに立つ翔の姿に、しばし見とれてしまう。すっと背筋の伸びた綺麗な立ち姿に、少し顔を揺らすだけでサラサラ揺れる腰まで伸びた髪。少し強面な顔がキリッとこちらを見て目を細める。


「瑠衣、大丈夫か?」


低めの落ち着いた声が優しくそう問いかける。


「は、はい兄様。先ほどは失礼しました。錯乱していたようで・・・ あのっ」

「お前が無事ならそれでいい。」


 「何も言わなくて良い」と微笑み、翔は瑠衣の頭をサラっと撫でた。


『翔様が頭をナデ・・・あぁぁぁぁ!!!』


 この兄妹にとって、それはごく普通のスキンシップであったのだが、それは頭で理解していたけれど、前世の記憶が混合する今の瑠衣には悶絶もの。

嬉しすぎて転がって叫びたい気持ちを必死に抑え、ゆるゆるの顔の筋肉に力を入れ平静を装う。


「どうかしたか?」

「い、え、あの、兄様に撫でられると落ち着きます。」

「そうか。」


 その返事を聞いて、翔は再び瑠衣の頭を撫でる。


『・・・嘘です。逆に落ち着きません。そんな、ずっと撫でられたら心臓がもたないのです。あぁ、本当に私、瑠衣なんだ。翔様の妹なんだ。幸せ・・・今なら死んでもいい・・・呪いで死ぬより、このまま撫でられ死とかしたい。』


 もう永遠に撫でられていたい瑠衣と、おとなしくしていれば永遠に撫でてくれる翔。利害の一致した2人の様子を、史郎は遠目からもの言いたげに見ているのが分かる。これを察して翔を離すのは瑠衣の役目なので、撫でられている頭をあげると、しぶしぶ翔が手を離して史郎のほうを向いた。


「で?」

「問題ない。と、言いたいところだけどね、3日前に何があったか思い出せないって。」

「思い出せない?」

「うん。おそらく一過性のものだろうから今は問い詰めないことにした。」


 そう言いながら、軽く記憶喪失について説明する史郎だが、翔は納得がいっていないようだった。


「呪いは関係ないんだな?」

「んー。今回の事は呪いは直接関係ないんじゃないかな。痛みもないんでしょ?」


 翔と史郎の視線が同時に瑠衣を振り返る。


「あ、はい。特に変わりはないようです。それに、発作には慣れていますから、あれば覚えていると思います。」

「僕もそう思う。可能性はゼロ出はないけど。」

「瑠衣、本当に何も思い出せないのか?」

「はい。兄様をお見送りしたあとの記憶がすっかり抜け落ちてしまっているようです。」

「普段と違う何かを見たとか、聞いたとかも?」

「まぁまぁ、翔。心配なのは分かるけど、今焦って答えを出すことは逆効果だよ。」

「・・・すみません兄様。ご心配をおかけしてばかりで。すぐに思い出せたら良かったのですが・・・。あの、ほんとに、申し訳ありません。いずれきっと、思い出して見せますから!!」


 翔の気持ちを思うと、少しだけ罪悪感が芽生える。

こんなに大切に思っている肉親が、一歩違えば死んでいたかもしれない状況だったのだから、すぐにでも原因を究明したいと思うのは当然だ。

きっと今日まで、気が気じゃない思いで、目を覚ますのを待ちわびていたのだろう。

だからといって、瑠衣もここは譲れない。隠し通さなければ、誰かの首が確実に飛ぶことになる。そんなことは誰も望んでいないし、だれも幸せにならない。だから、話してしまいたくなる気持はをぐっとこらえ、ただただ申し訳ないと頭を下げた。


「・・・すまなかった。いいんだ瑠衣。お前が謝る事はなにもない。」


 うつむく瑠衣を翔が優しく抱きしめる。


「瑠衣が目を覚まして、ここに居るだけで十分だ。だから、謝らないでくれ。」

「兄様・・・ごめんなさい。」


『あぁ、翔様に抱きしめられてる・・・どうしよう。死にそう・・・いや、死んじゃ駄目だけど、でもだって、こんなの幸せすぎて死んじゃう。』


「瑠衣?」

「ごめんなさい・・・」


 もう、自分が何について謝っているのか分からない。自分の感情もよくわからない。ただ涙目になって、身体が小刻みにふるえると、心配する翔が余計力を強めて抱きしめて撫でてくれる。そんな幸せすぎる悪循環。


それを、止めたのは


――― ぐぅぅぅ


 正義のおなかの音だった。

生理現象とはいえ、鳴ってしまった恥ずかしさにとっさに翔から離れておなかを押さえる。


「そこで鳴るんだ、瑠衣ちゃんのお腹。雰囲気台無しだね。ま、僕には関係ないけど。」

「腹へったのか?」

「し、仕方ないじゃないですか! 先ほどからずっと美味しそうな匂いがしてるんですから!!」


 周囲に漂う朝食の香りを意識すると、再びお腹が音を立てる。そのたびに史郎がくつくつと笑うのを無視して、瑠衣は高鳴りすぎた鼓動を手で押さえながら、呼吸を整えた。

そんなことをしている間に、再びコンコンと戸が叩かれ、「お食事をお持ちしました」と、仲居の風鈴が、つたない所作で食事を運び入れてくれた。

 膳を揺らさないよう慎重になっている様子が可愛らしくて、心の中で応援しながらその支度を待つと、しばらくして、全てを失敗なくやりきった彼女は、満面の笑みで「ごゆっくり」と言い残して部屋を後にする。


「食事にするか。」

「はい。いただきましょう。」

「いただきまーす。」


 それぞれの席について手を合わせる。目の前には海の幸をふんだんに使った和食御膳が並べられていた。久々の食事なのだから、胃に負担がかからないようゆっくり食べなければと思うのに、料理自慢の女将さんの料理は本当においしくて箸が止まらない。


「瑠衣、無理はするな。ゆっくりでいい。」

「無理なんてしていません。どれも美味し過ぎて、いくらでも食べられます。」

「ならいいが・・・」

「あはは。それだけ食べられれば身体は問題はなさそうだね。」

「はい。おかげさまで。」

 

  食事を頬張りながら微笑むと、向かい側で難しい顔をしていた翔もそっと微笑み返してくれる。その眼差しの元にいることが、大好きな人と囲む食事が、今はただただ嬉しくて、『だから今はこの時を穏やかに過ごそう』と、瑠衣は何もかもを放棄しておいしい料理に舌鼓を打つのだった。

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