みつどもゑ
AVID4DIVA
みつどもえ(台本)
配役(3:1:1)
・・・
伽藍(がらん):人の心の裡を引き出すと嘯く講釈師。性別不問
人見(ひとみ):伽藍に遣われるゴロツキ。男性
小夜(さよ):晴哉の恋人。東郷によって家作に追いやられる。女性
東郷(とうごう):実業家。晴哉と小夜の結婚を阻止しようとする。男性
晴哉(はるちか):東郷の子息。小夜の行方を知るために伽藍に接触する。男性
酔客:東郷役が兼ねる
商売女:小夜役が兼ねる
使用人:小夜役が兼ねる
・・・
規約
・・・
アドリブは筋道の破綻なき限り是とし、他はなし。
・・・
始
(狭く汚い飲み屋、伽藍と晴哉が机で向き合っている)
晴哉:ところで、あの話は本当なんですか。
(伽藍、はぐらかすように笑う)
伽藍:あの話……と言いますと。
晴哉:あなたが、人の心を読めるという話ですよ。
伽藍:はぁ……はあ、ええ、まあ。
晴哉:どうにもハッキリしない人だなぁ。
ああもう、一体全体どうなんですか。見世物芸の類(たぐい)なら正直におっしゃってください。
伽藍:見世物と一緒にされるのは閉口ですねェ。
こりゃ単なる芸事じゃァないんです。無論、タネも仕掛けもありますがね。
晴哉:しかしですね、言っちゃ悪いが、そりゃどうせ詐欺みたいなものでしょう。ええ。
相手の懐に入って、その秘密を引き出せるだなんて。
どんな種があるかは知らないが、得心(とくしん)がいかない。まるでペテンです。ペテンに違いない。
それに、僕はそんな、女子供が喜ぶようなお安い慰めが欲しくて貴方を頼ったわけじゃないんです。
伽藍:あなた……若くして余程の不信を抱いているとお見受けします。
その言い分ですと、好きな女性にでもこっぴどく振られでもしましたかね。うふふ。
(晴哉、自らの頭を軽く叩き深く嘆息する)
晴哉:はァ。もう結構です。こんな話に飛びついた私が愚かでした。
この話は、無かったことにしていただきたい。
(伽藍、立ちあがろうとする晴哉をおさめる)
伽藍:まあまあまあまあ。お待ちなさい。
私の助手が来たようですから、四方山話(よもやまばなし)はこれくらいにして本題に。
何、話だけでも聞いてみるものですよ。
(少し遠くで、人見と酔客の怒鳴り合い)
酔客:ッてえ……おい、痛えじゃねえかよ!どこ見て歩いてんだよお前コノヤロウ!
人見:うるせえよこのタコ介。鰻(うなぎ)でも住まねえ狭ェ店でパアパア騒ぐんじゃないよ。
酔客:人様の足踏んどいてなんだとテメエ!誰がタコ介だ!
人見:その赤ら顔がタコにしか見えねえって言ってんだよ。
八本ある足の一本踏まれたぐらいでうるせえうるせえ。
女連れだからってそう気張るなよ。なあ。
酔客:あんだと、上等だよこの野郎、表出ろオラ!
商売女:ねえやめときなよ。そいつに関わらない方がいいって。
酔客:ああ!なんだって!俺は
(人見、話の途中の酔客を平手で張り倒す。快音と共に酔客倒れる)
晴哉:助手……ですか。
伽藍:ええ。
晴哉:酔っぱらいを張り倒したあの輩(やから)が。
伽藍:助手です。
晴哉:やっぱり帰ります。あんな男に関わったら何をされるか。
伽藍:まあそう言わず。
晴哉:帰ります!帰りますって……ば。
(立ち上がり踵を返した晴哉の目の前に人見が立ち塞がる)
伽藍:やあ、相変わらずだね。
人見:呼びつけるにしても、またこの店かよ。
晴哉:(嘆息をつき、諦めて座り直す)
晴哉:こちらは。
伽藍:ご紹介致しましょう。助手の人見(ヒトミ)くんです。
人を見る、と書いて人見ですが、てんで人を見る目がありません。
名前負けを地で往く男ですよ。ですがね、人柄はいい。その点は保証します。
人見:お前の保証ほど保証にならないものはない。
伽藍:人見くん。君は人がいいんだよ。
惚れた女の借金を肩代わりして首が回らなくなるくらいお人好しだ。
人見:その話を今言うかね。
伽藍:人柄の良さを担保に貸してやったじゃないか。
返ってくるアテもない泡沫(うたかた)の銭をさ。
人見:ええ、ええ。だから今こうして呼びつけられて馳せ参じた次第でございますよォ。
(机をピシャリと叩き、晴哉が立ち上がる)
晴哉:ああ、実に不愉快だ!内輪の漫談なら他所(よそ)で演ってくれ!
伽藍:おや、激情家ですね。お父上に似ていると言われるでしょう。
晴哉:さっきから聞いていれば何なんだ!僕の何を知っているというのだ!
(伽藍、声の音量を少し絞って)
伽藍:今をときめく実業家・東郷光雲殿(とうごうこううん)の嫡男(ちゃくなん)
晴哉(はるちか)殿がこんな場末の一杯飲み屋で声を荒げてはいけませんよ。
ほぅら周りを見てごらんなさい。さっきまでの喧騒が水を打ったようだ。
晴哉:僕の素性を知っていて近づいてきたんだな。貴様らはタカリか何かかだな。
人見:ま、落ち着いて。
挨拶が遅れました。人見と言います。
この……これの助手です。
ここではなんです、河岸(かし)を変えませんか。腹も空いたでしょう。
晴哉:あなたたちのお寒い余興に付き合っているほど僕は暇じゃないんですよ。
伽藍:そう。仰る通り、あなたは忙しい。
こんな怪しい講釈師にまで頼ろうとするんですから
まさに藁(わら)をつかむ想いでしょう。
そうまでしてでも小夜(さよ)さんの行方を突き止めたいのですねえ。
晴哉:最初から全て知っていたのですね。
貴方は、一体何者なんです。
伽藍:お初にお目にかかります。
講釈師七代伽藍(こうしゃくし ななだいがらん)と申します。
以後お見知り置きを。
晴哉:しかし、どうして小夜のことを知っているんです。
このことは、私と、父さんくらいしか……
ああ、そうか、父さんが裏で手を回したんですね。
伽藍:先ほど、申し上げた通りですよ。
他人様(ひとさま)の心を覗くには、タネも仕掛けもありますが、こりゃァ単なる芸事じゃない。
勿論、お父上の名前は耳に入っていますよ。しかし縁もゆかりもございません。
当然、あなたの愛しい婚約者である小夜さんのことは知るはずもございません。
それが、あなたの心の裡(うち)が、今しがたの激昂(げっこう)によって滲み出てきたのです。
実父・東郷光雲への憤怒(ふんぬ)と、彼によって悲しくも引き裂かれた小夜さんへの慕情が。
晴哉:では、本当に人の心に入って、秘密を引き出すことができるのですか。
伽藍:ええ。その秘密が、胸を押しつぶすほど大きければ。
どうです。小夜さんにもう一目逢いたいでしょう。
晴哉:言うまでもありません。一目と言わず、とこしえに。
もしそれが叶うなら、詐欺でも、ペテンでも、イカサマでも何でも構いません。
どうか力をお貸しください。小夜を探してください。
伽藍:詐欺にペテンにイカサマに、これはまたご挨拶ですね。
ですが、その気概や実に結構。
晴哉:ああ有り難い。地獄で仏とはこのことだ。
どうか今日は僕にご馳走させてください。
伽藍:まずは、かための盃ということで、パッとやりましょう。
人見くん、肴(さかな)を適当に見繕ってくれ。
人見:おう。
親爺、注文いいか。聞き漏らすなよ!
(大きく息を吸い込み、一気呵成に注文する)
もろきゅう、うめきゅう、たこきゅう、ねぎぬた、厚揚げ、茄子の煮浸し
フグの唐揚げ、川海老の素揚げ、イワシの南蛮漬け、
枝豆、そら豆、南京豆、刺身は舟盛りでネタは上から高い順に豪勢に盛ってきな。
花は桜木、酒は剣菱、徳利は机に乗るだけ豪気(ごうき)に持ってきな。
ああン、燗(かん)が間に合わねえだ。いいよいいよ、冷やで構わねえから。
晴哉:そんなに召し上がるのですか。
伽藍:ご心配なく。彼は残さず食べますから。
晴哉:はあ。
伽藍:まあまあ、詳しいお話を聞かせてください。
晴哉:……小夜とは、自由恋愛でした。
よく通っていた神保町のカフェーで、彼女を見染めました。
伽藍:カフェーですか。さぞ容姿端麗なのでしょうね。
晴哉:……ああ、カフェーと言っても純喫茶の方です。
晴哉:私と小夜は、愛し合い将来を約束しました。相思相愛なのです。
(晴哉の回想)
晴哉:小夜。本当に君は美しいよ。
小夜:まあ晴哉さんったら、お上手なんですから。
晴哉:君は僕の運命の人だ。
小夜:私もよ晴哉さん。あなたに出会えて、私とても幸せです。
晴哉:ああ小夜、愛おしい小夜!君に贈り物があるんだ。
小夜:まあどうしましょう、心の準備ができていないのに。嬉しいわ。
晴哉:君に詩を送るよ。
小夜:えっ、詩。
晴哉:うん、詩だよ。
小夜:さ・し・す・せ・その、しのことかしら。
晴哉:そうだよ。
小夜:ああ晴哉さん、大丈夫よ。お塩なら間に合ってるわ。
晴哉:違うよ。君を想って詩を認(したた)めたんだ。
小夜:シオシタタタメタ……シオシタタメタ……シオシタタメタのね……素敵よ、晴哉さん。
(舞台は飲み屋に戻る)
晴哉:しかし、父はそれを可(よ)しとしなかった。
伽藍:なるほど。お察ししますよ。東郷家のご令息ともあれば、如何(いかん)ともし難い事情(こと)もあるでしょう。
晴哉:ええ……父は結局のところ、家のことしか考えていないのです。
家柄と出自を理由に、彼女との結婚を許しては下さらなかった。
そんなつまらないものが彼女という人間の価値を決めるわけはないのに。
(人見、酒肴を馬食しながら以後の二人の応酬に被せて、晴哉に遮られるまで、小声で独白する)
………
人見:いつもいつも思うが、ここの刺身は食えたもんじゃねえな……。
大体さ、切り口がまず不味いんだよ。潰れてちまってて
こう、口当たりが悪い。ここの親爺は包丁研いでんのかね全く。
胡瓜(きうり)の肴(さかな)なんてどう作っても不味くならねえだろうに
ここのはスッカスカでまあ歯ごたえってもんがねえ。
川海老の唐揚げだってよ、その辺で取れたザリガニか何かじゃねえかこれ。
豆なんて茹でるだけだが……塩がキツすぎる。塩梅(あんばい)ってもんがあるだろうによ。
……
伽藍:あなたの仰る通りです。昭和の世を生きていく若い二人には自由があって然るべきです。
晴哉:おお、お分かりいただけますか。
伽藍:ええ、分かりますとも。さながらお二人はロミオとヂュリエットようですね。
晴哉:いやはや気恥ずかしい。
伽藍:そんな素っ頓狂(すっとんきょう)な自作詩を数十遍も聞いてくださる女性はそうはいませんよ。
晴哉:今素っ頓狂って言いましたか。
伽藍:いえいえ、崇高(すうこう)と申し上げました。
晴哉:ああ、そうですか。崇高ね。うん、崇高だ。
伽藍:さよう。真実の愛とは尊いものです。艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて貫き通されたい。
晴哉:はい、必ず真実の……
(晴哉、人見の独白を遮り)
晴哉:お食事のところすいませんが、もう少し静かにしてくれませんかねえ!
人見:ええ。ああ、すいません。つい、その、手持ち無沙汰で。へへ。
晴哉:他人(ひと)が苦悩を吐露(とろ)しているというのに手持ち無沙汰とは何ですか!
大体ねえ、他人(ひと)の支払いだと思って、頼むだけ頼んでおいてケチをつけるだなんて浅ましいんですよ。
伽藍:そうだそうだ。行儀(ぎょうぎ)が悪いぜ、君。
飲み食いばかりしていないで助手らしく話に加わり給(たま)えよ。
人見:ええと……一体全体その女性(かた)は、どこに消えちまったんですかね。
晴哉:だからそれを知るためにアンタたちの手を借りるんですよ!話聞いてましたか!
(伽藍、咳払いひとつ)
伽藍:小夜さんは突如として失踪してしまわれたのですか。
晴哉:いや違う、失踪したんじゃない。きっと父が、どこかに追い遣ったのでしょう。
生まれてこの方、私はいつも父の言い成りでした。
しかし、小夜のことだけは強く反抗しました。生まれて初めて父に歯向かったかもしれません。
父は私のことを見てはいませんが、大切にしています。
人見:見てはいないが大切にしている、ねえ……。
伽藍:人見くん。
晴哉:どうしても私が首を縦に振らぬというなら、彼女を追い遣るくらいのことはするでしょう。
伽藍:それはお気の毒に。さあ、ご一献(いっこん)……。
晴哉:おお、かたじけない。いただきます。
(晴哉、注がれた酒をグイと飲み干す)
伽藍:いい飲みっぷりでらっしゃる。流石の男ぶりです。さあもう一献。
晴哉:おお、相すみません。いただきます。
(晴哉、注がれた酒をグイと飲み干す)
伽藍:まだまだこれから。駆けつけ三杯と申します。もう一献。
晴哉:おお、これはいたみいる。いただきます。
(晴哉、注がれた酒をグイと飲み干す)
人見:ほう、いい呑みっぷりだ。あんた意外と粋ですね。
親爺、湯呑みと一升瓶持ってきな。
(人見、机にふたつ、湯呑みが置かれた湯呑みに酒を注ぐ)
人見:さあ呑みましょうや。
晴哉:おお、Thank you very much... いただきます。
(晴哉、喉を鳴らして一気に飲み干し、うめき声をあげて机に倒れ込む)
人見:綺麗に潰れたな。
んで、俺を呼んだのはこれが目的か。
伽藍:まあ、それもある。
人見:この坊ちゃんの色恋沙汰に顔を突っ込んでどうするんだい。金になるのか。
伽藍:人見くん、品がないぞ。
人見:品性なんて酒と一緒に飲んだくれちまったよ。
伽藍:それじゃまるで前は在ったよう口ぶりじゃないか。まあいい。
一つ腹ごなしに音羽(おとわ)まで付き合ってくれ。
人見:はァ、音羽だと。
伽藍:そう。音羽だ。彼を、東郷晴哉(とうごうはるちか)を介抱したという大義名分が欲しいんだ。
このまま東郷邸まで歩いていこう。
人見:バカ言え。潰れた酔っ払いを担いで
音羽まで徒歩(かち)でどれだけかかると思ってやがる。さっさと円タクを拾おう。
伽藍:駄目だよ。もし車の中で彼が目を覚ましでもしたら段取りがご破産だ。家まで連れ帰る道理がなくなる。
しかし、汗ひとつかかずに送り届けたのでは玄関前でハイサヨナラ、となるのが関の山だろう。
恩は高く売らねば。
人見:じゃあお前が担げばいいだろう。
伽藍:ではこれまで君に貸した金、直ちに耳を揃えて返してくれるンならそうしよう。
人見:……音羽って言ったな。
(人見、潰れた晴哉を肩に担ぎあげる)
伽藍:ああ、一寸(ちょっと)待ってくれ。
人見:なんだよ。
(伽藍、晴哉の懐から財布を失敬する)
人見:お前ね、人の懐に手を出すのは不味いんじゃないか。
伽藍:なぁに。ご馳走させてくださいと本人が言ったんだ。
ご厚意を断る方がよっぽど不義理だよ。
(しばし間を置いて、音羽、東郷邸。伽藍が勝手口を叩く)
伽藍:こんばんは。晴哉さんをお連れしました。戸を開けてください。
(使用人、戸を開ける)
使用人:はあ。晴哉様のお友達ですか。
伽藍:ええ、そうです。どうも飲みすぎてしまわれたようで。
使用人:はて、晴哉様はお酒を好まれたかしら。
伽藍:色々お悩みのご様子でしたよ。
すぐに寝室にお運びしますから、宜しくお取り継ぎください。
使用人:かしこまりました。突き当たりを曲がって右が晴哉様のお部屋です。
伽藍:時に、お父様はご在宅ですか。
使用人:旦那様は二階にいらっしゃいますが。
伽藍:それはよかった。いつも目をかけていただいておりまして、
ご挨拶がてらお詫びに伺います。
使用人:それはそれは。どうぞお上がりください。
(使用人、二人を邸宅に招き入れ、去る)
伽藍:というわけで人見くん、突き当たりを曲がって右の部屋だ。
事が済んだら速やかに戻りたまえ。
人見:言われなくてもそうするよ。何がしたいのかは知らないが、もうこんな面倒は御免だ。
伽藍:何を言っている。ここからが仕事だよ。
すぐにどこかで風呂を浴びて、その無精髭を剃って、この住所に向かうんだ。夜が明ける前にね。
人見:返す刀で使いっ走りかよ。お前、俺をなんだと思って……
(晴哉、小さく唸る)
伽藍:静かに。彼が起きてしまうよ。
人見:おい、どこ行くんだ。最後まで聞け。
伽藍:東郷光雲(とうごうこううん)にひとつお目通りするのさ。あとは頼んだよ。
(音羽・東郷邸、二階応接室にて)
伽藍:失礼致します。ご主人はいらっしゃいますか。
(伽藍、ドアを叩くなり返事を待たずに中に入る。東郷、葉巻を咥えたまま座して伽藍を見据える)
東郷:はて、今日は誰かとお会いする約束がございましたかな。
伽藍:突然のお目通り大変失礼致します。晴哉さんをお連れいたしました。
東郷:はあ。あれが、何か。
伽藍:酒を浴びるように飲まれまして。
一人でお帰しするのも不安でしたので、ご自宅までお連れいたしました。
痛飲を抑えることが出来ず。誠に申し訳ございませんでした。
東郷:なんと。二十歳を疾(と)うに過ぎても飲み方を知らん馬鹿息子でして。実にお恥ずかしい。
しかし、あれは下戸(げこ)だったかと思いましたが。
伽藍:浮世の憂(う)さで、慣れぬ酒が過ぎたようです。
東郷:憂さですか。ハハ、息子には息子なりの悩みがあるようだ。
伽藍:では、ご存じではないのですか。
東郷:何をです。
伽藍:ご子息の悩みの種ですよ。
東郷:さて。思い当たる節は、ありませんな。
伽藍:そうですか。
ところで、お吸いになっているその葉巻、実にいい香りですね。
東郷:舶来品です。よろしければ一本いかがですか。
伽藍:いえ。煙草は止しているので。
東郷:そうですか。
伽藍:ところで、今お掛けになっておられるそのソファ、実にいい造作(ぞうさく)ですね。
脚の曲線などは肉食獣の四肢を思わせます。
東郷:……ああ。これは気づきませんで。
(東郷、懐の財布から紙幣の束を取り出す)
東郷:裸で失礼ですが、お車代です。どうぞお納めください。
伽藍:ご子息のお悩み、本当にご存じないんですか。
(東郷、葉巻を乱暴に灰皿にもみ消す)
東郷:もうお引き取りいただけますか。
愚息が何に悩んでいようと貴方にお話しする義理はありません。
何より。私は暇ではないのです。
伽藍:それは失礼しました。では単刀直入にお尋ねしますね。
小夜さんをどこに遣ったんです。
(二人、無言で見つめ合う)
伽藍:あ〜ァ、好いですねえ、その目つき。
稀代の実業家には、そういう鋭い目がお似合いですよ。
東郷:息子から何を聞いた。
伽藍:愛する二人の仲が貴方の手によって悲しくも引き裂かれたと。
東郷:愛する二人か。笑わせる。
あの女は毒婦だ。東郷家の財産を狙って晴哉に近付いた悪い虫だ。
伽藍:晴哉さん曰く、二人は相思相愛だったと。
東郷:息子が一方的に入れ込んでいただけだ。
晴哉は遅くに出来た子でね。甘やかして育ててしまったせいか、世の中というものに免疫がない。
あんな性悪(しょうわる)につけ込まれて、たちまち騙されてしまった。
伽藍:彼は実直で純朴な御仁ですからね。
東郷:実直で純朴。世間知らずも言いようだ。
それで、他所様のお家事情に無遠慮に顔を突っ込んでくるそちらさんは、何が狙いなんだ。
伽藍:友として、晴哉さんを小夜さんに逢わせて差し上げたい一心ですよ。
東郷:友。友と来たか。
あいつには友人はよく選べと口を酸っぱくして教えたつもりだったが。
もし晴哉の真の友だというなら、あの厄介な女を側に置いておくことを看過(かんか)できようものか。
あの女は、小夜はーーー
(回想)
小夜:お父様、どうか晴哉さんとの仲を認めてください。
東郷:君に父と呼ばれることは永劫(えいごう)ない。
どうあっても息子とは別れてもらう。
小夜:どうしてです。初めてお目にかかったときはあんなに歓迎して下さったのに。
東郷:若いうちは何事も経験だ。色んな人種と関わることが見聞を広める。
奔放な美しさに触れることもいいだろう。
華やかさと儚さは表裏(おもてうら)であると知るのもいいだろう。
だが、男女の交際と家との結びつきの婚約では全くわけが違う。
興信所に頼んで君のことを調べさせてもらったよ。
随分とまあ、金が必要なようだ。
小夜:違います!それは両親の……
東郷:そう。ご両親の事業が傾いたのは実にお気の毒だ。
だが君自身の経歴も東郷の家には相応しくない。
カフェーの女給あがりを、あいつに娶(めと)らせるわけにはいかん。
小夜:あのときは、あのときはそうするしかなかったんです。
東郷:うむ。仕方のないことだ。故に、二人の仲を認められないのもまた、仕方がないことだ。
息子の前から消えなさい。引き換えに、支度金と当面の住処を約束しよう。
それが、君に最後にできることだ。
小夜:私、尽くします!晴哉さんにも、貴方様にも!
(小夜、東郷に近づき、両肩に手を掛ける)
東郷:何のつもりだ。近寄るな。
小夜:全て捧げます。何でも致します。
どうぞ、どうぞ私の全てを、貴方様のお好きなようになさってください。
東郷:馬脚を露わしよったな。
失せろ!婚約者の父に色目を遣うような婢女(はしため)が!
二度とこの家の敷居を跨ぐことは許さん!
(舞台は応接室に戻る)
伽藍:……ほォ、それはまた腥い(なまぐさい)応酬でしたね。
東郷:目的のためなら恋人の親とでも寝ようとする女だ。
それが毒婦でなければ一体何だというんだ。
伽藍:いやいや、ごもっともです。
晴哉さんには気の毒ですが、貴方の判断は親として然るべきでしょう。
東郷:馬鹿息子よりずっと話がわかるようで安心したよ。
君の方からもあいつに言っておいてくれないか。
小夜はお前と結婚するために、
この家の財産欲しさに、お前の父に迫るような女だったと。
伽藍:ええ、そうしましょう。それがいい。うん、それが彼のためだ。
しかし、そんな跳ねっ返り、追い出すのにはさぞ苦労されたでしょうね。
東郷:何、造作(ぞうさ)もない。手付けに財布ごと握らせたら静かになったよ。
伽藍:いやはや剛毅(ごうき)だ。
それで、その悪女(あくじょ)は今どこにいるのです。
東郷:家作(かさく)の一つに留まらせている。
ほとぼりが冷めたところで、適当に追い出すがね。
伽藍:家作。なるほど。それは、どちらの家作です。
東郷:ハハ、詰めが甘いな。場所を言うわけないだろう。
いくらか話がわかるようだが、君を信頼したわけではない。
(二人、お互いに顔を見てしばし笑い合う)
伽藍:ハハ、そりゃそうですね。
扉の向こうで聞き耳を立ててるご子息に話されでもしたら、たまったものじゃァありませんもの。
ねぇ。
(晴哉、壁を殴り応接室に現れる)
東郷:……晴哉、お前いつからそこに!
晴哉:父さん、あなたとの親子の縁は今日限りだ。
僕は小夜と駆け落ちする。
東郷:寝言を吐(ぬ)かすな!あんな女と逃げのびて何になる!目を覚まさんか!晴哉!
晴哉:僕はいつまでも父さんの言いなりじゃない!
東郷家が何だっていうんだ、僕は小夜を信じる!
(晴哉、応接室を出ていく)
東郷:待て、待つんだ晴哉、頭を冷やせ!
おい!
伽藍:親の心子知らずとはよく言ったものですねえ。
どうでしょう、追いかけて引き留めさせていただけませんか。
東郷:勝手にしろ!この馬鹿どもが!
(小石川区、薄暗い裏通り。人見はとある貸家の引き戸を乱雑に数度叩く)
人見:御免下さい……御免下さい。
小夜:入って。鍵はかってないわ。
人見:失礼。人見(ヒトミ)と申します。ところでその、貴方は……
小夜:アンタね、人の家に上がり込んで何言ってんの。
「ところで、貴方は……」じゃないわよ。
どうせ、東郷の遣いでしょ。
人見:いいえ。
私はただ、ここに行け、と言われまして。
小夜:何も知らずノコノコやって来たっての。
それじゃ餓鬼の遣いじゃないの。
もう別になんでもいいわ。上がって。
(小夜、卓袱台の上に置かれた壜ビールをコップに注ぐ)
小夜:まだ夕暮れまでは暑いねえ。飲むでしょ。
(人見、無言でコップを受け取り、喉を鳴らして一息に飲み干す)
小夜:いい飲みっぷり。
それに、アンタ近くで見るといい男だね。
人見:はぁ。
小夜:強面だけど意外と綺麗な顔してる
小夜:それでさあ、本当は誰の差金(さしがね)なの。
人見:ですから、知り合いに頼まれまして。
小夜:だからそれは誰なのよ。
人見:伽藍って奴です。
小夜:がらん。誰よそれ。売れない芸人なの。それとも坊さんかしら。
人見:さあ。本人は講釈師と名乗ってます。
小夜:講釈師がなんでアタシに遣いを寄越すのよ。
人見:さあ。聞いてません。
小夜:さあって、理由も聞かず言われるままにここに来たの。
人見:ええ。
小夜:呆れた。アンタ、そいつの手下なの。
人見:そいつから結構な金を借りてます。
小夜:はッ、借金のカタにいいように使われてるってわけ。情けないの。
人見:ええ。その通りで。
小夜:莫迦(ばか)みたい。そんな借金、踏み倒しちゃえばいいのにね。
アンタってお人好しだね。
人見:よく言われます。
小夜:ねえ、抱いて。
人見:はあ。
小夜:私のこと、抱いてよ。
(しばし無言で見つめ合い、小夜が人見の肩に両腕を回す)
小夜:つまらないのよ。何もかもが。
あっちにやられ、こっちにやられ、こんなところで籠の鳥。
人見:自棄(やけ)は止(よ)しなよ。婚約者がいるンだろ。
小夜:ああ何さ、やっぱり東郷の遣いじゃないか。
それで、アタシをここから追い出しに来たんだろ。
人見:違えよ。俺は……
小夜:もうどっちだっていいよ。
遣いの駄賃だと思ってさ、抱いてよ。ねえ。
(人見、小夜に押し倒される形で畳に倒れ込む)
小夜:じっとしてて。
(引き戸を激しく開ける音と共に、晴哉と伽藍が現れる)
晴哉:小夜、その男から離れろ!
小夜:……晴哉さん!
晴哉:君ッ、僕というものがありながら
これは一体どういう了見(りょうけん)だ!
小夜:晴哉さん、違うの!この人が、この人が無理やり!
晴哉:父さんが言っていたことは本当だったのか!
晴哉:君は、誰とでも寝るような、薄汚い女だったのか!
小夜:そんな、誤解よ。私が愛してるのは晴哉さんだけよ。
伽藍:三文芝居はもう結構。
引き戸の隙間からずっと出歯亀(でばがめ)しておりましたゆえ。
晴哉:この状況をどう言い逃れするつもりだ!
小夜:……お前ッ、ハメやがったな。
(眼下の人見に凄む小夜を、駆け寄ってきた晴哉後ろから突き飛ばし、掴み合いの喧嘩を始める)
(人見、騒動に乗じて伽藍の方へ転ぶように抜け出て難を逃れる)
伽藍:いやぁ、節操がないとは思っていたがこれ程とはねぇ。
人見:それは俺に言ってるのか、あの女にか。
伽藍:別にどちらでも。
君はなかなかのクズだが、実にいい仕事をしてくれた。こうなればあとは話が早い。
人見:お前、俺を当て馬にしたな。
伽藍:馬ってよりは盛りのついた犬だろう。
晴哉:愛していると言ってくれたじゃないか!
たとえ僕が東郷の家を捨てたとしても添い遂げてくれると言ってくれたじゃないか!
嘘つき!大法螺(おおぼら)吹き!
(小夜、晴哉を突き飛ばす)
小夜:……女に捨てられたからってピイピイ泣くんじゃないよこの青二才。
アンタみたいな餓鬼、誰が本気にするかっていうンだ!
晴哉:なんて汚い言葉を遣う……小夜、君は僕を欺(あざむ)いていたのか!
小夜:勝手に勘違いしたんでしょうよ。アンタの世間知らずにゃ花も恥じらうわ。
晴哉:畜生!畜生!僕は、お前を許さない。
(晴哉、懐から匕首を取り出し、切先を小夜に向けて吼える)
晴哉:これでお前を殺して、僕も死ぬ!
小夜:そういうところが女々しいっての!
なにさ、思い通りにならなきゃ卓袱台(ちゃぶだい)ひっくり返そうってわけ。
逸物(いちもつ)だけでなく導火線まで短いんだねぇ、何から何まで小さい男!
人見:おお怖(こわ)。正体表しやがったぞ。にしても見切りつけるの早ェな。
伽藍:深窓(しんそう)のご令息が手玉に取られてたのも無理はないね。
とはいえ、痴情のもつれに匕首(あいくち)とは剣呑だ。
人見くん、一つ納めてくれ。
人見:あんなへっぴり腰じゃせいぜい切り傷くらいだろうよ。
男の方もだらしがねえけど、いくばくかは同情する。
やらせてやったらいいんじゃねえか。あの女も大概(たいがい)だぞ。
伽藍:彼は曲がりなりにも東郷の跡取り息子だ。
刃傷沙汰(にんじょうざた)になったら取りっぱぐれる。
人見:へえへえ。
(人見、にわかに晴哉に近づき渾身の力で頭を張り倒す。晴哉、犬のような悲鳴をあげて昏倒する)
伽藍:おお、相変わらずいいゲンコツだねェ。
人がいい、器量がいい、腕っ節がいい。もひとつおまけに分別(ふんべつ)ってもンがあればなおいいね。
(伽藍、倒れた晴哉に歩み寄り、匕首をそっと取り上げる)
伽藍:さて、一人ノビてしまったがこれで役者は揃いました。
小夜さん、舞台に戻りましょうか。
小夜:戻るって、どこによ。
伽藍:音羽です。
小夜:お断りだね。今更顔合わせて何をしろっていうのさ。
伽藍:真実の愛について話されてはどうでしょうか。
小夜:真実の愛だって。馬鹿馬鹿しい。今、話した通りだよ。
伽藍:ですから、真実をお話ししたら宜しい。
小夜:はぁ。
こうまでして引っ掻き回したんだ。あんたたち、ちゃんとケリつけてもらうからね。
伽藍:ええ。目指すは大団円(だいだんえん)ですよ。
では、人見くんは殴り倒してしまった責任をとって彼を担いでくれたまえ。
人見:俺はお前を殴っておくべきだったかな。
伽藍:君の人柄は保証すると言っただろう。
君は決して、債権者を殴るような恩知らずではないよ。
0:(音羽、東郷邸、応接室)
(東郷、眉間に皺を寄せ口をへの字に結ぶ)
(晴哉、殴られた頭を恨めしげにさすり俯く)
(小夜、煙草をぷかぷかと燻らせ、三人はそれぞれ等距離に立つ)
伽藍:お待たせいたしました。お約束通り、ご子息をお連れしましたよ。
東郷:この女も連れてこいなどとは一言も言っていない。
晴哉:そうだ!僕はもうお前の顔なんか二目(ふため)とて見たくないんだ!
金のために父さんに色目を遣うようなふしだら女はどこへでも消えろ!
伽藍:だ、そうですが、如何(いかが)です小夜さん。
小夜:色目を遣うですって。笑わせるねえ。
アタシはね、東郷にずっと囲われてたのよ。
晴哉:囲われていた……どういうことだ小夜。
これ以上嘘を重ねるならば本当に承知しないぞ。
小夜:嘘じゃないわよ。ねえ。
アンタが私と初めて寝た日よりずっと前から、アタシは東郷の女だったの。
晴哉:……嘘だ、嘘だろ、そうだろ、また嘘をついてるな。
ねえ、父さん!この女は嘘をついているよね。
東郷家の財産目当てに僕に近づいたのがバレて、逃れるために父さんに迫ったんだろう。
そうだろ。
小夜:迫ってなんかないわよ。逆に、迫られることしかなかったわ。
あの日だって、最後だから……って、ねえ。
伽藍:えぇ。なんですって。東郷さん、そうなんですか。
先ほどと話が違うじゃァありませんか。
晴哉:……おい、二人とも何か言えよ。
父さんも、小夜も、僕を騙していたのか。
全て知った上で、こんな絵を描いたのか!答えろよ!
小夜:ああもう、うるさいねぇ。
アタシは何人もいる妾(めかけ)の一人で終わるつもりはなかったの。
東郷の後妻(ごさい)に座るつもりだった。
伽藍:その手段として晴哉さんに白羽の矢が立った、と。
小夜:ハッ。そうじゃなきゃ、こんな家柄以外の取り柄のない男なんて横に置いとくのだってお断りだわ。
伽藍:おお、辛辣だこと。
東郷:お前たちの結婚を認めるなど、疫病神を家に置くようなものだ。
小夜、お前に渡すものは渡した。まだ足りないなら欲しいだけくれてやる。
だからさっさと私たちの前から消えてくれ。
晴哉:僕も消えるよ。父さん、親子の縁は本当に今日限りだ。
東郷:晴哉。
本当に済まなかった。全て私の蒔いた種だ。
だが、お前には東郷家の跡取りという重要な役目がある。
晴哉:東郷家が何だ!跡取りがなんだっていうんだ!
僕のことを道具として利用することしか考えてないじゃないか!
小夜:従っておいた方がいいわよ。
アンタ、この家を出たら本当に何も残らないから。
道具としてでも必要とされるうちが花よ。
晴哉:黙れ!どいつも、こいつも!
伽藍:晴哉さん。約束は果たしましたよ。
皆様の心の裡(うち)は全て出揃いました。
晴哉:……アンタになんか出会わなければよかったよ。
何も知らないまま引き裂かれて、心の底で父を恨んでいた方がずっとマシだった。
伽藍:東郷さん。これで一件落着ですね。
東郷:……君たちもこの女と共にすぐに消えてくれ。
伽藍:小夜さん。この度はどうもご愁傷様でした。
こちら……わずかばかりですが、お見舞いです。お納めください。
(伽藍、取り出した紙幣の中に書付を紛れ込ませ小夜に握らせる)
小夜:馬鹿にすんじゃないよ。同情ならその坊やにくれてやりな。
(小夜、伽藍に押し返す)
伽藍:ま、そう言わず。あって困るものではありませんから。
後でゆっくり、何枚あるか数えてみてください、ね。
(伽藍、再び紙幣を小夜に握らせ目配せをする。小夜、何かを察知して舌打ちを一つ)
小夜:これで仕舞いね。
さよなら。
(小夜、応接室を去る)
伽藍:晴哉さん、追わなくていいんですか。
晴哉:うるさい。消えてくれ。一秒でも早く、この家から、僕の前から。
伽藍:そうですか。では、そうしましょうか。
人見くん、帰ろう。
東郷:余計な真似をしてくれたな。
伽藍:おやおや、何を仰います。終わりよければすべてよし。
あなたのお望み通り、ご子息と小夜さんは綺麗さっぱり切れたじゃァありませんか。
東郷:やり方というものがあるだろう!
伽藍:真実の愛、とやらに生きたお二人が離れるとしたら
死が二人を別つか、坊主の袈裟まで憎むしか道はないのですよ。
東郷:もういい。出ていってくれ。
伽藍:はい。引き上げます。
……では。
(伽藍、手のひらを上に向け、半笑いで東郷を見遣る)
東郷:お前のような如何様師(いかさまし)に払う金など
鐚一文(びたいちもん)ない!出ていけ、出ていけ!
(場面転換、狭く汚い飲み屋にて伽藍と人見、向き合って酒を飲む)
伽藍:いやァ、ご苦労だったね。さあ先ずは一献。
(伽藍、人見の猪口に酒を注ぎ、自らにも手酌する)
伽藍:人の恋路を邪魔するやつァ馬に蹴られて死んでしまえとはよく言ったものだね。
まぁ、ろくなことにならない。
人見:へえ、お前、自殺願望でもあるのか。
伽藍:馬に蹴られて死にはぐったのは東郷の方さ。
これで一件落着だよ。
人見:やけに機嫌がいいな。
伽藍:うん、人助けをしたんだ。機嫌がよくもなるさ。
人見:人助け。お前が。一文にもならない厄介なお節介を焼いて。
伽藍:そうとも。全て世のため人のためさ。
人見:ハッ。
後に残ったのは、バラバラになった三つ巴だ。
伽藍:それでいいんだよ。全て、依頼主東郷晴哉殿のお望み通りだ。
心の裡(うち)なんてものは見えない方が余程いい。
(伽藍、懐から帯付きの札束を取り出す)
伽藍:ホラ、受け取りなよ。君の取り分だ。
人見:東郷にタカるつもりだったんだろうが、結局取りっぱぐれたじゃねえか。
こんな金、どこから出たんだよ。
伽藍:依頼主は一人とは限らないだろう。
人見:ああ、どういうことだ。
伽藍:今をときめく実業家には、敵も恨みも数え切れないほどあるってことさ。
人見:はぁ……。なるほど。お前ね、きっとろくな死に方しないぜ。
伽藍:君がそれを言うかえ。
人見:その金は借金の天引きに回してくれ。
伽藍:らしくないね。
こんなもの、どうせ泡銭(あぶくぜに)だ。呑んで遊んでスッカリ使っちまえばいいよ。
人見:そうやっていつまで俺を使い倒すつもりだ。
伽藍:いつまでというか、すぐにでもかな。
人見:何だよ、まだあるのか。
伽藍:三人で、次の段取りに取り掛かるんだ。
人見:三人……
伽藍:ほら。
(伽藍、人見の背後を指差す。人見、振りかえる)
小夜:呼び出すならもうちょっとマシな店にしてよね。
伽藍:勝手がいいんですよ。ここに来るような客は
みんな、自分のことしか考えていない。
どんな話でも、右から左です。
小夜:へえ。別にどうでもいいけど。
(小夜、人見の隣に腰掛ける)
人見:おい、寄るなよ。
小夜:いいじゃない。ね、ね、今いくら貰ったの。見せてよ。
伽藍:ちゃんとあなたの分もありますから。
小夜:話がわかるじゃない。あの莫迦(ばか)に爪の垢煎じて呑ませてやりたいね。
人見:次はこの女使って美人局(つつもたせ)でもする気かよ。
伽藍:うん、それも一興(いっきょう)だが別段金が欲しいわけじゃないんだ。
人見:俺はますますお前のことがわからなくなったよ。
小夜:それでさ、結局アンタ何者なの。
伽藍:講釈師七代伽藍と申します。
以後お見知り置きを。
終
みつどもゑ AVID4DIVA @AVID4DIVA
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