第2話「メタ飲み会」

「かんぱーい!」


 その日はクラブの建物でバーチャル飲み会が実施されていた。酒は飲めなくてもそこは仮想空間だ、脳内の報酬系に関与してアセチルコリンやドーパミン、GABAその他いろいろを自由に操れるようになり、未成年でも仮想的に酔うことができるようになった。無論『クローバー』ではリアルの話が禁止なので、見えている美少女のアバターを動かしているのが誰かなど皆気にしていない。


「サッカリンさあ……もうちょっとハウスを大きくできないの? 結構狭いよ?」


 サッカリンは心外だという風な顔をする。


「無茶を言わないでもらえる? ブルースフィアでの土地が高いのは知っているでしょ?」


 無論メインサーバーから遠く離れた維持費の安いリージョンに入れば土地代も安くなる。しかしそのためにはリージョン移動が必要であり、サーバを変えればそれに伴いスマートコントラクトで土地の買い換えが必要だ。引っ越しには無論キャラがNFTだろうとお金がかかる。少なくとも見た目だけは美少女なのに汗水垂らして労働にいそしむ気は誰にも無かった。


「サッカリンを責めてあげないの! 何をするにもお金がかかるんだよ?」


 ロックがベロニカをたしなめる。この空間に上下関係は存在しないが、設立者であるサッカリンが一応このクラブの代表ということになっている。権力も無いのに責任を求められるわけにもいかないだろう。


「はーい……」


 あまったるい声でベロニカが反省する。ボイスエンコーダーの設定を変えただけで本人はまったく反省していないで有ろう事は皆分かっている。


「ベロニカも懲りないわねえ……あなたがハウジングするのは止めないよ? でもね、サッカリンにあたるのはどうかと思うな」


 秋月もサッカリン派のようだ。その場で黙っていた紅葉も発言をする。


「わ、私はサッカリンちゃんがここを選んだならここに残るよ……他に行くところ無いし……」


 三人にたしなめられてさすがにベロニカも反論はしなかった。不要な争いを避けるのはこのクラブの不文律だ。たとえ五人が入っただけで目の前のポリゴンが被ってしまうとしても、東京リージョンでハウジングをしたならそれなりの金がかかっている。資本主義というのは仮想空間でも有用なのだ。


「まあまあ、今日はおしゃべりだけのために集まったんじゃないでしょ! 大いに飲もうよ!」


 サッカリンの宣言で皆のアバターがそれぞれの色の飲み物を飲み始めた。頬を赤らめるエフェクトはサッカリンには見えるものの、他の皆が同じMODを導入して、表情トラッキングまで厳密なものを有効にしているかは分からない。詰まるところは同じ場所を見ていても同じものを見ているとは限らないと言うことだ。


 紅葉のようなメタバース初心者……もっとも今ではそれなりに慣れてはいるが……に適切な設定やMODの導入ができているかは分からないので皆が見ていると断言できるものだけが話題になる。ロックがベロニカの胸が大きいことを羨んだり、紅葉が一番年上っぽいだのという、誰でも共通で見ている部分が話題の中心になった。


「ロックちゃん、そのゴスロリ衣装すごいね! 高そう!」


 テクスチャーとポリゴンを大量に消費しており、皆のマシンのリソースを表示だけで十分に奪っているであろうロックのゴスロリスキンを紅葉が褒めた。


「自作だよー! すっごく大変だったんだから!」


「自作なの!?」


 ついでに紅葉以外の皆も驚いた。


「よくそんなものいちいち作ろうと思ったよね。モデリングがものすごく大変そうだよ……」


「これで胸が大きければいいのに……ううん……胸が小さいからこそその衣装が合うのかな?」


「ベロニカちゃん、セクハラ禁止」


 全員がロックを褒めたがおっさんがせこせこモデリングをしている様を思い浮かべた人数が何人だったかは定かではない。なんにせよ、男がゴスロリ衣装をモデリングしている様は想像したくないので、たぶん全員がロックが下着姿で自分の着る服を制作している姿を思い浮かべることにしていた。


「いやー酒は良いねえ! 女子会って言うのは悪くないね」


 サッカリンは白々しくそう言った。見た目だけは女子会に違いないのだが見た目がそのままリアルの姿だったらアルコールが買える年齢ではない。あくまで仮想空間で脳内物質を少しいじって報酬系をバグらせただけだ。しかし、その微妙なバランスの崩壊が皆を飲み込み、次第に節度がなくなってきた。


「ロックちゃん! じゃんじゃん飲もうか!」


「秋月ちゃんも飲もーよ! グラス空いてるよ?」


「サッカリンちゃんと紅葉ちゃんも飲んで飲んで! 今日は飲み会なんだよ?」


 ダメ人間の集団がこうして出来上がってしまった。比較的節度を守る方のサッカリンと紅葉もすっかりと出来上がってしまっていた。幼女達がヘロヘロに酔い潰れている様は実に犯罪的だと言っていいだろう。リアルでも翌日はかなり酷いことになることが確約された惨状が簡単に再現された。未成年はいないだろうと皆が決めつけているが実際のところ皆成人済みであり、VR装置の神経系へのアクセスを許可される年齢には達している。遺伝子チェッカがブルースフィアの起動時に走るので登録ユーザ以外が使えないため、この空間で違法行為はできない。殴り合っても痛くないし、何かを使って襲いかかっても傷つくことは無い。


 翌日、全員がVR酔いをして頭痛と共に目が覚めていた。サッカリンことしろがねぶきはブルースフィアの課金要素である固定資産税を支払うための労働に向かった。


 ベロニカこととうゆうはいつも通りの社畜暮らしに痛み止めを一錠飲んでから出発した。


 ロックことらんめぐりはブルースフィアをシャットダウンして、今日もすっかり変わっているであろうプログラムの仕様書を開いた。


 秋月ことなつつきは大学で学問のために出て行った。サークラに多少の恨みを持ちながらブルースフィアでは楽しい一晩を過ごしたのでそれが救いになっている。


 紅葉ことあさあおは自分にブルースフィアを案内して、クラブ設立に誘ってくれたまだ見ぬサッカリンに淡い気持ちを抱きながら、一杯の迎え酒を飲んで今度はリアル世界で本当に眠る。


 誰もが不完全なリアルを抱え、バーチャルに依存して生きていた。どちらが欠けても生きていけない、そんな危ういバランスの上に五人の人間関係は成り立っていた。

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