第3話「天の声」

 俺たちは自分たちのハウスに入って駄弁っていた。と言ってもリアルの話は一切不可なので、皆現実にあったことなど話さず、自分のスキルの上達具合などについて話していた。


「この前編み物やったらスキルが上がったよ! 一分くらい早くなったんだ!」


 自慢げに話す紅葉をロックが褒めた。


「いいわね、がんばったら報われるって……」


「そうですね」


「そーだねー」


「ありがたいですね」


 誰にとっても血の滲むような努力をしなくても簡単に繰り返すだけでスキルレベルが上がる、ご都合主義だが便利だ。


「それで……サッカリンちゃん、もらってくれる?」


 紅葉は俺に一枚のマフラーを渡してきた。俺は受け取ってインベントリにしま王としたところでコツンとロックがサッカリンの頭を叩いた。


「空気読みなさいよ! それはその場で巻くべきだと思うよ」


 その言葉には本音が確かに聞こえたような気がした。サッカリンはマフラーを巻いてから言う。


「この時期に巻くと暑いかなと思ったが体温フィードバックオフにしてたわ」


 フィードバックする値は自分で選べる。特権がないとアクセスできない『痛み』とうの一部を除けば安全性のために最低限の基準で済ませる人から、危険の無い感覚など、どうやっても有効にできない値意外有効にしている人もいる。


 圧倒的に快感以外シャットアウトしている人がほとんどだが、俺はそれなりに感覚も感じるように出来ている。しかし暑さと寒さは苦手なので熱と冷気はオフにしておいた。ならばマフラーを巻いても暑くないのは当然だろう。


 あくまで仮想のマフラーではあるが、システム上自作した場合一つとしてまったく同じものは存在しない。俺は記念にこれを大事に持っておこうと思った。


 手芸スキルが高い人も釣り人スキルが高い人も様々な人が存在している。そんな平和な世界に一つの通信音が入ってきた。


 プルルルルル


 ハウスの中の電話が鳴る。誰かがここに連絡を取るときとはまた違う音だ。


「これって何の時の音だっけ?」


 サッカリンの問いにロックが答えた。


「全体通知。天の声ってやつだよ」


「あまりいい思い出無いよねー……」


 ベロニカが嫌そうな顔をする。


 最悪だった天の声の例の一つにサービスの値上げ通知があった。あの時はこのクラブだけではなく各所でデモが起きたが結局値上げは敢行された。天の声には返信方法が無い。一旦ログアウトしてお問い合わせフォームから投げる必要がある、そこまでする人間は少なかった。


 プッと通知音が消えて電話機がスピーカーモードに切り替わる。


「ユーザーの皆さん、いつもご愛顧頂きありがとうございます」


 まずは挨拶だ。その場の全員に緊張が走った。次の言葉を声一つあげず待っている。


「この度、ブルースフィア運営として大変心苦しいお知らせをしなければなりません」


 その言葉に怒りの感情が部屋に満ちる。値上げの時の決まり文句のようなものだ。人口増加でサーバの負荷が増加したことを理由に値上げをされたときと同じ口ぶりの放送だ。


「ご利用の皆様には大変申し訳ありませんが、サービスのクオリティ維持が現在大変困難な事態になっており、サービスを終了させて頂くことになりました。以降サービス終了までの料金を無料とし……」


 そこから先は誰一人聞いていなかった。現実に向き合いきれなかった人たちが集合した場所でさえも奪われるのか、全員、怒りや悲しみ、困惑を抱えていた。


「うぇぇ……ぐずっ」


 真っ先に反応をしたのは紅葉だった。始めの反応は嗚咽。次にベロニカが怒りをあらわにした。


「ふざけないでよ! 私たちが一体どれだけここに居たと思ってるの!」


 ロックの方は静かなものだった。


「落とすお金が足りなかったのかなあ……ひどいなあ」


 秋月とサッカリンは呆れながら放送を聞いていた。


「お金、はらってたのになあ……」


「皆、いつかはこうなるんだよ。どんなサービスであれいつかは終わっちゃう、終了まで楽しもうよ」


 サッカリンの方は現実でサービス終了したネトゲをプレイした経験から諦めていた。秋月は現実でいくつものコミュニティが破綻した様を見てきた経験からその一つにブルースフィアを加えることにしたようだ。


「ねえ……これ、どうすればいいのかな?」


 紅葉が涙目で聞いてくる。この時ばかりは全員が紅葉に表情トラッキングをオフにする方法を教えてやりたい気分だった。


「サ終まで楽しめばいいんじゃないかな?」


 ベロニカがあっさりとそう言った。ここはあくまで仮想空間。その一つが無くなったからと言って現実は何事もなく進んでいく、そこに個人の事情など関係は無い。


 そして五人はそれから一月後のサービス終了まで毎日集まってキャッキャして過ごした。まるで誰もがサービス終了という重い事実から目をそらすように遊んだ。


 そして最後の日はやってきた。


 ハウスの電話がスピーカーに切り替わる。


「今までブルースフィアをプレイして頂き感謝します。これよりサーバーのシャットダウン処理を始めます」


 誰一人としてログアウトしようとはしなかった。ブルースフィアの世界地図上に真っ黒の空間が徐々に増えていき、だんだんとハウジングエリアも消えつつあった。そして最後に……


「「「「「いつかまたね!」」」」」


 その言葉が響いた部屋は消えてなくなり『connection time out』と表示された。こうしてクラブ『クローバー』の物語は終了した。全員が現実に戻りつまらない世界を逃避する先もなく生きていく。


 それから一年、何事もなかったように現実は進んでいった。

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