13.うまく演じられるのか不安です

「わあ……素敵です……!」


 エイヴリルは目の前に広がる光景に目を見開いていた。急いで旅券を予約したはずだが、なぜかスイートルームが空いていたらしい。


 広いリビングとベッドルーム、バスルーム、そして今エイヴリルが立つバルコニーからは一面に広がる青い海が見える。まだ港にいるのにこれだけ素晴らしいのだ。出航したらどんなに胸が踊ることだろう。


(……って、いけません。私はここにお仕事に来ているのです!)


 ぶんぶんと首を振るエイヴリルに、ディランが教えてくれる。


「ローレンスに潜入のことを伝えたら、新婚旅行のようなものだなと言って手を回したらしい。もちろん身元がわからないように何重にも遠回りをしてのことだろうが」


「ディラン様もこれは『お仕事だ』と返さなかったのですね。だからこうしてこんなに素敵なお部屋が」

「……四回も『新婚旅行です』と言われたら、まぁそれはな……」


 何となく決まりが悪そうに口ごもってしまったディランに、エイヴリルはくすぐったい気持ちで微笑んだ。


「ありがとうございます、ディラン様! 本当の新婚旅行だと思って楽しんでしまいそうです」

「事前に打ち合わせした通り、実際の捜査に関しては連れてきている他の人間が動く。エイヴリルとグレイスは女性が多く出入りする場所――カフェやサロンなどにテレーザが姿を現すことがないか見張ってくれていればそれでいい。危険なことはしないように」

「はい、ディラン様!」


 元気いっぱいに返事をしたのだが、ディランはなぜかため息をついている。何か不安があるのだろうか、と首を傾げればディランは真剣な視線を向けてきた。


「いいか、エイヴリル」

「テレーザを捕まえることも大事だが、きみの身の安全の方が大事だ」

「はい、よーくわかっていますわ!」


 また元気いっぱいに返事をしたのだが、ディランはさらに不安になったようだった。バルコニーにいるエイヴリルからは数歩離れた部屋の中で話していたはずが、隣に並んでまた念押ししてくる。


「……王都に戻ったら予定通り結婚式がある。そのために一番大事なのはエイヴリルが危険な目に遭わないこと、ただそれだけだ。捜査に関しても無理をせず、この船旅を楽しんでくれていい」


 それはつまり、一応エイヴリルを連れてきたけれど、捜査に深く関わらせる気はない、という意思の表明だった。


(やっぱり、ディラン様は私のためにこのヴィクトリア号に乗船する許可をくださったのですね。私が新婚旅行だと騒いだから)


「私はお仕事をするディラン様と一緒にいられて楽しいです」

「……本来は必要がない仕事だったがな」


 自嘲気味の返答に、エイヴリルは目を瞬く。そうして、つい先日、ローレンスとアレクサンドラがランチェスター公爵家の本邸にやってきた日のことを思い出した。


 あの日、ディランはローレンスだけに落ち込んだ姿を見せていた気がする。


(ディラン様は……少しだけ私にも弱音を吐いてくださるようになったかもしれません)


 見つめあっていると、ディランの腕がエイヴリルの背中に回った。抱きしめられて胸元に顔を埋めれば、いつものディランの香水に潮風が混ざって新鮮な感じがした。


 正式な婚約者になってすっかり慣れたと思ったのに、とてもドキドキする。


「私……顔が赤くなっていないでしょうか」

「?」

「新婚旅行中の夫婦を演じるのに、お手本がないのです」


 悪女ならば、コリンナ、状況によってはアレクサンドラを手本にしている。けれど、幸せそうな新婚のカップルに関しては思い浮かぶものが何もないのだ。


 幸せな家族の風景は物語の中でしか知らない。ちなみに、ローレンスとアレクサンドラが醸し出す雰囲気が一般的なものではないというのは何となくわかる。


 困惑しつつディランを見上げれば、彼は少しの間をとって軽く微笑んだ。


「……大丈夫だ。エイヴリルはそのままいつも通りでいてくれれば、俺がうまくやる。というか、自然にそうなるから大丈夫だ」

「なるほど」

「では新婚旅行と行こうか?」


(はい……って、わぁ)


 ディランはそのままエイヴリルの手を取って指先に口付ける。そうなってしまえば、エイヴリルはまた結婚式のことが思い浮かんで、ドキドキしたのだった。

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