11.潜入ではなく新婚旅行です
写真館での撮影は無事に終わった。
結婚式さながら、身支度を完璧に整えたエイヴリルをディランは何度も褒めてくれて、ものすごくくすぐったかった。けれど、窓の外に映るたくさんの客船を見てその気持ちは消えた。
――なぜならば。
今、エイヴリルの目の前には港がある。大きな荷物を持って行き交う人々に、船へと積み込まれたたくさんの荷物。そして、多くの船が港を埋め尽くす勢いで停泊している。
写真撮影を終えたエイヴリルはディランの案内でマートルの街を歩いていた。領地入りしてしばらくが経ったが、二人で街を歩くのは初めてのこと。
いつもならわくわくしてディランにいろいろなことを聞きたくなるはずが、今日はそうではなかった。この街の風景を見ていると、脱走したテレーザの件がどうしても頭から離れないからだ。
とある豪華客船を見上げたディランは厳しい表情をしている。
「街の中のみならず、船についても捜査を進めている。あと捜査していないのはこの船の中だけなのだが……ここは異国に通じる国際的な港だ。停泊中の外国籍の船に関しては、捜査の権利がない」
「ローレンス殿下が直々にいらっしゃっているほどの警備の厳重さを考えると、テレーザさんが街の外に出ている可能性は低いですものね」
「ああ。他の船はすべて捜査済みだ。となると、テレーザ・パンネッラがいるとしたらあの中だ」
ディランが指差したのはこの港に停泊する中でも一際大きな客船だった。十階近くあるのだろうか。『ヴィクトリア号』と書かれた白い船体に赤い煙突が三つ。乗船客も相当に多いらしく、甲板でくつろぐ人々の賑やかな声が聞こえてくる。
「前公爵が領地を治めていたころのランチェスター公爵は、外国籍の船へも多少は影響力を持っていたようだ。もちろん、他国との間に結ばれた条約は冒せない。任意に譲歩を引き出すという意味での影響力だ」
「なるほど。前公爵様はこういった豪華客船の遊び場にも出入りしていらっしゃいそうですものね」
「その通りだ。豪華客船にあるカジノや特別な舞踏会に参加したくて、いろいろやっていたらしい」
そこまで遊びたい領主もめずらしいのではないだろうか。それを見て育ったディランの子供時代を思い浮かべて切ない気持ちになったエイヴリルは湾の海面に視線を移した。
(乗客の皆さんは楽しそうですが、海は荒れていて湾の中なのに白波が見えますね)
エイヴリルは少し考えて進言する。
「ならば、このヴィクトリア号には乗客として乗船するのはいかがでしょうか?」
「この地を治める公爵夫妻が乗船したとなればすぐに話が回るだろう。……つまり、だれか他人を装うというのか?」
「はい。こちらにはローレンス殿下がついていらっしゃいますもの。身分を偽造することなんて簡単です。幸い、今は海が荒れていてまだ数日は出港しないでしょう。準備する時間はあるのではと」
先日の仮面舞踏会同様、潜入を提案するエイヴリルの言葉にディランは首を振る。
「とてもいい案だが却下だ。もしやるとしても誰か他の人間に行かせる」
「誰ですか。グレイスとクリスさんですか」
「まぁその辺だ」
目を逸らされてエイヴリルは確信した。
(もしかしてディラン様はクリスさんとお二人でこの豪華客船に乗船されるおつもりですね……!?)
正直なところ、羨ましくて涙が出そうである。
なぜなら、ずっとアリンガム伯爵家で隠されるようにして生きてきたエイヴリルは、海を見るのが初めてだったし、そこに浮かぶ豪華客船を見るのも初めてなのだ。
今だって、本当はとっても興奮しているし、もっとこの船に近づいてみたいし、船が出航するところを見てみたい。でも今はそんな状況ではないので我慢しているのだ。
(それに、これは私がローレンス殿下に頼まれたお仕事です。人任せにするわけにはいきません……!)
ということで、しっかりと決意したエイヴリルはにこりと笑う。
「ディラン様。ついさっき、結婚式の格好をして写真も撮りましたし、これは新婚旅行のようなものですね。これは新婚旅行です。潜入捜査ではなく、新婚旅行。ローレンス殿下が準備してくださった、新婚旅行です!」
「…………」
四回も新婚旅行と言い無邪気な笑みを浮かべたエイヴリルに、ディランは諦めたようにこめかみを押さえてしまった。これはもうOKが出たようなものだろう。
そうなると、何も答えないディランの代わりに、様子を見守っていたグレイスが耳元で囁くのだった。
「お屋敷に戻ったら早速荷造りを。然るべきとき用のナイトドレスもお持ちしましょうか」
「!? い……っ、要りません!?」
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