10.秘密のお話です

 よかった、呼びかけから察するに、今回は考えていることが口に出ていなかったようだ。エイヴリルは慌てて笑みを作る。


「いいえ。何にも考えておりませんわ」

「いや、その顔は訳がわからないことを考えているときの顔だな。俺にはわかる」

「えっ」


 思っていることが出てしまうのは口だけではなかったのか。エイヴリルが両手で頬を覆うと、ディランが穏やかに問いかけてくる。


「……もしかして俺が別棟に行くのが嫌なのか?」

「……」


 ディランなりに会話の流れからエイヴリルが何を心配しているのか考えてくれたのだろう。しかし当たっているような当たっていないような。


 少なくとも、王都のタウンハウスに愛人たちが暮らす別棟を復活させるのはやめてほしかった。もちろん、エイヴリルの脳内ではあり得ることになっているが、客観的に見てそれはどう考えてもない。


「いいえ、ディラン様が別棟の解体に向けてヒアリングをされるのはお仕事ですから、気にすることはありません」

「……仕事なら、か」


 若干意味深にも思える相槌に、エイヴリルはぱちぱちと瞬く。


(やはり……私にも愛人の皆様をまとめられるほどの貫禄と経験値が必要なのでしょうか!)


 しかしちょっと待ってほしい。ディランだけでなく別棟の愛人たちも皆、エイヴリルが悪女などではないと知っている。さっき前公爵を煙に巻いたような悪女ムーブは通用しない。


 となると、答えは一つしかなかった。勝手に一人で敗北感に包まれたエイヴリルはしょんぼりと微笑んだ。


「……お仕事以外での訪問が嫌ではないといったら嘘になりますがしかたがありません。その場合は私とも一緒に過ごしていただけると……」

「………」


 間があいたので顔を上げると、ディランはなぜか口元を押さえていた。そして。


「エイヴリルはいつも百点満点の答えばかりを寄越すな。罪悪感がすごいんだが」

「? よくわかりませんが、私にはルーシーさまのような包容力もセクシーさもありません。皆様をまとめるのにはどう考えても力不足ですので」

「は?」


 ディランが自分に「きみは一体何を言っているんだ?」という視線を向けてきたのは久しぶりのことのような気がする。


 そう思った瞬間、ふと空気が止まった気がした。


 隣に座っていたはずのディランの距離が幾分近づいているような。たまに優しく抱きしめられるときとは少し違う緊張感がある。いつの間にか、椅子の座面の上で手が重なっていた。


 いつもとどことなく違う雰囲気に数度瞬いたところで、微笑むディランの碧い瞳の中に、自分が映っているのが見える。


(ディラン様、お顔が近い…というかドキドキします)


 そこで馬車が止まった。ちょうど街の写真館に到着したようである。


 後続の馬車から先に降り、出迎えようと準備をするクリスとグレイスの声が聞こえている。そちらに一瞬意識を取られたところで、ディランの声がエイヴリルにとても近いところで響いた。


「着いたか」

「は、はい。そのようです」


 答えたときにはいつもと同じ距離感に戻っていた。今のは何だったのだろうか。何が起こったのかわからないエイヴリルに、ディランはさらりと告げてくる。


「ということで、テレーザをとっとと捕まえて王都のタウンハウスに戻ろう。別棟の問題も、前公爵も、全てにおいて面倒だ。可及的速やかに解決したい」


「ディラン様、私に先に一人で王都へ戻れとは言わないのですね」

「ああ。――前なら簡単に言ったと思うが」

(……前なら、ですか?)


 すると、ディランは目を逸らして照れたように微笑む。


「今は嘘でもそんなことは言えないな。それは俺が嫌だ」

「!」


 がちゃんと音がして馬車の扉が開く。


 先に降りたディランがエスコートのために手を差し出してくる。いつもの光景なのに、それを見てエイヴリルは目を瞬くばかりだった。心なしか心臓がドキドキしている気がする。


(今日はディラン様のお母様にお送りするための写真を撮るのです)


 だからエイヴリルはウエディングドレスを着るし、ディランも結婚式と同じ正装をする予定だ。そこでふと思い出す。


(そういえば……結婚式ではキスをするのですよね。アレクサンドラ様がおっしゃっていたように、頬ではなく唇に)


 一度目の結婚式のときはそれを何とも思っていなかった。むしろ、ディランが気を使って雰囲気でなんとかしてくれるとまで思っていた節がある。けれど今は。


 写真館の入り口までエスコートしてくれるディランの横顔を見上げれば、全身が心臓になってしまったようだった。


(何だかドキドキして……今さらですが、逃げ出したいように思えてしまいそうです)

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