第102話 悪女はティータイムを満喫します③
「エイヴリル。そろそろいいか?」
「……もちろんです……」
口を出さないでほしいと制したのはエイヴリル自身だったが、信じられないほどあっさり敗北してしまった。
これ以上余計なことを言って泥沼にはまるよりは、ディランに任せた方がいいだろう。そう思い、エイヴリルが大人しくソファに腰を下ろした瞬間、ディランは高圧的に切り出した。
「テレーザが窓から飛び降りて脱走したのは、実家がらみの麻薬取引に心当たりがあったからこそだろう。……そもそも、あなたがそれを知らなかったこと自体、おかしなことだと思っている」
「⁉︎ だ、誰だってまさか、あのテレーザちゃんがそんなことをするはずがないと思うだろう?」
「人を見る目がないというのは何と残酷なことか。その体たらくで、一時期でも公爵家の当主だったことが恐ろしいな」
「何だと……!?」
ディランと前公爵の間では厳しい会話が続いているが、残念ながらエイヴリルは他のことを考えていた。
(さっきの前公爵様の『悪くないな』という私を評した言葉ですが……。今日が終わったら、私は王都のタウンハウスに帰される気がします)
どういうことなのか、エイヴリルはこの数分間の会話の間に好感をもたれてしまったようだ。
ディランは、この領地にエイヴリルを連れてくることを渋っていた。その理由は、前公爵とかかわらせたくなかったからである。
もし、前公爵がエイヴリルに好感を持ったとしたら、たとえエイヴリルがどんなにたくましくても、ディランはエイヴリルが穏やかに過ごせることを一番に考えるに違いなかった。
(つまり、このままでは私はディラン様を置いて王都に戻らなくてはいけなくなります)
邪魔になるというのなら悲しみを堪えて一人で帰るが、この領地滞在中に手伝いをしていたときの、ディランの柔らかな表情が脳裏に浮かぶ。
(ディラン様は……私の手伝いを確かに喜んでくださっていた気がします)
それは、アリンガム伯爵家で父親の手伝いをしていた頃のエイヴリルには覚えようのない感情だった。
――あたりまえに領主の補佐としての仕事をこなし、感謝されることはないけれど、使用人仲間や領民たちが幸せそうにしていることに安堵する。
そんな毎日を送っていた頃からは考えられない、誰かに必要とされ、認められ、愛されているという温かい感情が湧き上がる。
(私は一人で帰るわけにはいきません……!)
はっきりと決意したものの、具体的にはどうしたらいいのか。隣と斜め向かいでは、ディランと前公爵の言い争いが続いている。
「離れの解体についてはずっと考えてきたことだが、この滞在中に実行しようと思う。この本邸の敷地の一部を占める離れの使い方を改めるべきだ」
「なん……っ!? そんなことを許すはずがないだろう!? 家督を譲ったからと言って好きにできると思ったら大間違いだぞ」
「そう思っているのは貴殿だけだ。老害とは気の毒で滑稽なものだな」
「言わせておけば若造が……! 大体にして、おまえはずっと私との会話自体を避けていただろう。こうしてまともに話すのは何年振りだ? 父親ともまともに話さない臆病者に、その父親の離れを解体できるはずがないだろう」
(……!)
不快そうにディランが応じる前に、エイヴリルの体は動いていた。ソファから立ち上がるとディランの肩に手をかけ、耳元で囁く。
「臆病者なんて、随分な言い方ですわね? ディラン様」
「……ああ」
いきなり悪女のふりに戻ったエイヴリルに、ディランは明らかに動揺しているが、気にしている場合ではなかった。
(こんなにお優しくて、自分よりも領民や私たちのために心を砕いてくださるディラン様にそんなことを言うなんて許せません……!)
エイヴリルは、心からぷんすか怒っていた。ディランの肩に手をかけたまま、前公爵に向かってしっとりと問いかける。
「前公爵様はディラン様のことを『若造』と言っていますが、本当にそうでしょうか?」
「ふん。当然だろう。爵位を譲られても、なにもできない子どもだ。そうだろう? ”エイヴリル”」
「あら。私の名前を呼んでいいのはディラン様だけですわ?」
そう答えると、エイヴリルは失礼します、とディランの膝に座った。ディランからはわずかな動揺が伝わってくるが、今はそれを気にしている場合ではない。エイヴリルは怒っているのだ。
(いま悪女になりきる目的は二つあります。一つは、前公爵様に悪女だと思わせて、王都へ戻らなくて済むようにすること。もう一つは、ディラン様を子ども扱いする前公爵様の鼻を明かすことです……!)
特に、後者に関してはこんな方法は取りたくなかった。けれど、前公爵はまだ若く代替わりしたばかりのディランが完璧に公爵家の主を務めていることを知っている。
にもかかわらずディランを子ども扱いし侮辱する前公爵の考えを改めさせるには、他の方法を選ぶ必要があるのだろう。
(コリンナが殿方をお部屋に招いているところにお茶を持って行ったことがありますが……。確かこんな感じで膝に座り、お菓子を食べていた気がします)
あのとき、着ているものが若干はだけていたような気がするが、それが乱れてなのか元々薄着だったのかはエイヴリルには判別できなかった。
しかしとにかく、今は真似をするだけである。
「前公爵様は悪女の尻に敷かれる楽しさをご存じないのですね。女性を支配するのではなく支配される喜びがわからないなんてお気の毒ですわ」
「「……!?」」
エイヴリルの悪女っぷりに驚いたのは、前公爵だけではない。
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