第103話 悪女はティータイムを満喫します④

 ここのところ、悪女が活躍する推理小説を愛読しているので、言葉だけはスラスラ出る。


 困惑する前公爵を前に、エイヴリルはテーブルの上から小さなタルトを一つ直接手に取った。とりあえず、それをコリンナがしていたように口へと運んでみると、甘酸っぱいイチゴの香りが口いっぱいに広がった。


(さすがランチェスター公爵家のシェフが焼いてくださったタルト、おいしいです)


 もぐもぐと食べていると、何だか視線が集まっているのがわかった。前公爵とクリス、グレイスまではまだ理解できる。


 しかし、これが悪女のふりだと理解して話をあわせてくれているはずのディランまでなぜかこちらを凝視していた。一体どういうことなのだろうか。


(……? ディラン様はこれを召し上がりたいのでしょうか)

 なるほどそうかもしれません、と納得したエイヴリルがもう一つタルトを取ろうとテーブルに手を伸ばしたところでそれをぎゅっと掴まれる。


「これでいい」

「――⁉︎」


 エイヴリルはあっと息を呑んだ。

 あろうことか、ディランはエイヴリルの食べかけのタルトをそのままぱくりと食べてしまったのだ。


(お行儀が悪いです……いえ悪女だから問題ない……っていえいえそんな!)


 殿方の膝を椅子にしてお茶を楽しむ、色っぽくて高飛車な悪女になりたかったのだが、ディランの想定外すぎる反応に目を瞬くばかりだ。


 もぐもぐ咀嚼するディランの顔が近い。その表情は落ち着いているのに、ほんの少しだけ悪戯をしているような余裕が感じられる。


(ど、どうしましょう……)

 小さなタルトは、エイヴリルの一口、ディランの一口、で残りひとかけらになっていた。この残りの一口の行く先はどうしたものか。


 エイヴリルはじっと自分の手の中に残る手づかみのタルトを見つめる。


(きっと、悪女のコリンナなら、殿方が口をつけたものを食べてしまいますけれど……!)


 全く馴染みのない文化に固まっていると、ディランが楽しげにこちらを見ていることに気がついた。それは、完全に悪女を見る視線ではなく、子どもや動物を見るものと同じだ。


 そういえば、この前は『窓から飛び降りてテレーザを追いかけそうな子ども扱い』をされた気がする。あれはちょっと不本意だった。


(汚名返上のためにも、これは食べるしかありません……!)


 覚悟を決めてタルトを口に運ぼうとしたところで、ディランにタルトを持った手をもう一度掴まれた。


「⁉︎」


 ディランは残った一口を、エイヴリルの手からそのまま食べた。驚きながら、自分の手に残ったクリームと咀嚼するディランを交互に見つめれば、ディランはまた笑う。


「いつもこうなんだろう?」


(⁉︎ 無理です。ディラン様が……悪女のふりにノリノリすぎます……!)


 というか、これはもはや悪女のふりではないのではないか。


 けれど、エイヴリルは頭が真っ白になり目が回りかけていて、ディランが楽しんでいることにも気づけない。


「い、いつもこう? 縁談は片っ端から断り、どんな女性も邪魔扱いだったおまえが?」


 これ以上なく怪訝そうな前公爵の声が耳に届き、エイヴリルがあわあわとしかけたところで、見守っていたクリスが助けに入ってくれた。


「エイヴリル様はいつもお茶の時間をこのようにお過ごしになられるのです」

「そ……っ、そうですわ。クリスが言うとおり、いつもディラン様は本当にちょうどいい椅子で」


 これで説得力は増すに違いない。クリスからのフォローに天の助けとばかり同意すれば、前公爵はますます困惑した様子だった。


「い、椅子?」

「座り心地抜群ですわ」

「……ふっ」


 なぜかディランが噴き出してしまった。


 この場合、言及するのは座り心地ではなくお菓子の味のほうだったのか、と失態に一瞬後悔すれば、部屋の隅で見守っていたグレイスも助け舟を出してくれる。


「エイヴリル様がこの状態でお茶を楽しまれているときに、お菓子と紅茶を切らすと怒られます。カップとお皿が飛んできます」

「! そ、そうですわ。私はメイドにもキツく当たりますし、ディラン様は椅子で、私の玩具なのです」

「玩具……」


 前公爵に向けて言ったはずなのに、またディランが反応してしまった。もしかして何か間違ったことを言ったのかもしれない、と不安になれば、ディランはすぐにまたいつもの表情に戻る。


「いや、あっているな。私はエイヴリルに翻弄されてばかりだ」


 その優しい言い方に、エイヴリルはディランの肩を握っている手に力を込める。


(ディラン様、悪女のふりに付き合ってくださってありがとうございます)


「私には、妾を囲う離れを持つ前公爵様の気持ちが全然わからないのですわ。だって、一人の女性に夢中になれない殿方は人間としても男性としてもまだまだお子様なんですもの」

「エイヴリルが言うとおりだ。そのうえ、離れの管理が行き届かず犯罪の温床になるとはな。恥を知れ」


 ディランが冷酷に言い放てば、ひどく批判されたにも拘らず、前公爵は意外なことにぽかんと口を開けるばかりだった。


「……な、なるほど……?」




 前公爵がどうも不思議そうな顔をしながら母屋のサロンを出て行った後、エイヴリルはディランに謝罪する。


「ディラン様、先ほどはお膝の上に座りまして申し訳ありませんでした……!」

「いいんだ。面白かった。その証拠に、私もエイヴリルに対して普段はしない振る舞いをしただろう?」


 二人で一つのタルトを食べたことを思い出したエイヴリルはこくりと頷いた。


「はい。あまりにもノリノリでしたので、私が戸惑いました」

「さっきのやりとりは、人から見たらくだらないものに見えたかもしれないが……。私にとっては意味があるものだった」

「さっきの悪女のふりがでしょうか?」


 一体どういうことだ。


 どうしても意味がわからなくて思いっきり首を傾げれば、ディランはふっと笑った。


「愛人を妙な敬称で呼び、エイヴリルの仕草に翻弄されるあの男はどうしようもなくくだらないと思った。会話を拒否するのもこちらが子どもっぽくて馬鹿馬鹿しいと思えるほど、どうしようもない人間だと気がついた」


(ディラン様は、前公爵様に関する話題をずっと避けていらっしゃいました。複雑な事情があり、お母様への想いもあってのことなのでしょうが……。もしかして、これが新たな一歩を踏み出すきっかけになったのかもしれません。その瞬間に立ち会えて、とてもうれしいです)


 そんなことを考えたエイヴリルは、ディランの手を取る。


「……ところで、私はまだ王都のタウンハウスに帰りませんから。前公爵様にも立派な悪女だとご確認いただけましたし、まだまだこの領地でディラン様のお手伝いをさせていただきます」

「……わかった。エイヴリル、頼りにしている」


 苦笑しつつ、ディランは優しくエイヴリルの髪を撫でる。それに笑みを返せば、グレイスが二人にお茶を淹れ直してくれる気配がする。


 領地で過ごす忙しい時間の中、嵐のような訪問の後に訪れた穏やかなティータイム。


 二人は、束の間の甘い時間を満喫していた。

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