第100話 悪女はティータイムを満喫します

 数日が経ってもテレーザは見つからなかった。母屋のサロンで午後のお茶の時間を過ごしていたエイヴリルは、空になりかけたカップを見つめてふぅと息を吐く。


「テレーザ様はまだ見つからないのですね」

「ああ。だがローレンス殿下がさらに多くの人員を割いてくれている。エイヴリルは気にしなくていい」


 ディランが心配でないはずはないのだが、エイヴリルが気にしないですむように言ってくれているのは明白だ。これ以上聞くべきではないのだろう。


 かしこまりました、と微笑んだエイヴリルは別の話題を選ぶことにした。


「今日のお茶はグレイスとクリスさんが用意してくださったのです。二人から、少しでもゆっくりしてほしいというお気遣いをいただきました」

「……なるほど。それでこんな豪勢なのか」


 今、エイヴリルとディランの目の前にはめいっぱいのお菓子が並んでいた。二人では絶対に食べきれない大きなイチゴのタルトが真ん中に鎮座している。


 ほかには、鮮やかなベリー色が目を惹くムースケーキ、かわいらしく彩られたプディング、クリームたっぷりのカップケーキ。仕上げに、カラフルなマカロンなどの焼き菓子が甘い匂いを漂わせていた。


 この華やかなテーブルセットは、王都のランチェスター公爵家でも誰かを招いたお茶会の時にしかお目にかかることがない規模のめずらしいものだ。


 ディランの呟きに応えるように、部屋の隅に控えていたクリスがニコニコと微笑む。


「こちらでの滞在はまだ少し長くなるのでしょう。でしたら、たまには息抜きを。ディラン様もエイヴリル様も、こちらに来てからずっとお忙しくされていますから」

「クリスさん、グレイス。本当にありがとうございます」


 エイヴリルが丁寧にお礼を伝えると、クリスとグレイスは笑ってくれた。


 昨日、このマートルの街には、ローレンスの命令を受けてたくさんの捜査員が到着していた。国が動き出したのだから、エイヴリルたちは王都に戻ってもよかった。


 けれど、今は『離れの解体』に向けて動いている。それが叶うまでは、ディランはこの領地を空けることがないのだろう。


(あの離れで暮らしている愛人の皆様はとても良い方々ばかりですが……。ランチェスター公爵家が愛人の方々を囲っておく特別な宮殿を持っているという事実は社交界の醜聞であり続けます。それに、解体問題については、前公爵様がもっとお年を召されたときに同じ問題が浮上するに違いありません。でしたら今向き合うべきなのでしょう)


 そもそも、この国では第二夫人は認められないのだ。妾をもつ貴族の男性は多いが、こんなふうに罪悪感なく大っぴらなのは珍しすぎる。


(それだけ、前公爵様には倫理観が欠如していらっしゃるのでしょうね……)


 先日面会したときに投げつけられた『もう少し淑女らしくかわいい態度をしていればかわいがってやったものを』という言葉を思い出せば、エイヴリルとしてはとても残念な方だという感想しか出てこない。


 ディランの心労を思い、悲しくなってきたところでサロンの扉が叩かれた。


「どなたでしょうか。今日、このサロンはディラン様とエイヴリル様にくつろいでいただくため、他の使用人の立ち入りを禁止していたはずですが」


 クリスが不思議そうにして扉を開けると、心から会いたくない人間の顔が見えた。


「エイヴリル・アリンガム。よくもテレーザちゃ……いや、テレーザを追い出してくれたな」

「…………」


 それは、忌々しげな視線を送ってくる前公爵だった。


 一瞬でエイヴリルの脳裏をジェセニアたちの注意が駆け巡る。『エイヴリル様は大旦那様がこちらにいらっしゃる時間帯を避けたほうがいいと思います』とまで言ってくれた、離れの使用人たちの注意が。


(少し……いいえものすごく自意識過剰な気はしますが、使用人の皆様からの情報は正しいことが多いですから。つまり、私は前公爵様に嫌われる悪女悪女悪女……!)


 見た感じ、すでにものすごく嫌われている感じはするが、警戒するに越したことはなかった。ということで、今日ここでは完璧な悪女を演じなければいけない。


 エイヴリルは立ち上がろうとしたディランをびしっと片手で制し、ゆっくりと立ち上がる。


「一体、私がテレーザちゃ……様……いいえ、テレーザに何をしたというのです?」

「抜け抜けと何を! テレーザちゃんに意地の悪い罠を仕掛け、窓から飛び降りて逃走するように仕掛けたのはおまえだろう」


(その、テレーザちゃんに罠を仕掛けられたのはどちらかというと私の方なのですけれど……!)


 脳裏に突っ込みが浮かんでしまったが、ここで弁解するのは悪女らしくない。それに、ディランがテレーザを必死で探していることは知っている。これ以上、ディランの前でこの話を長引かせたくなかった。


 ということで、前公爵が嫌がりそうな話題を振ってみる。この数日、領地の帳簿関係を細かくチェックしていたエイヴリルは、離れでの前公爵のお金の使い方についてある疑問を持っていた。


「ところで、大旦那様はテレーザちゃ……様、テレーザに何不自由ない暮らしをさせていたのでしょうか?」

「なんっだと……⁉︎ テレーザちゃんが逃げ出したのは私のせいだというのか。この性悪女め」

「……あの、テレーザちゃんはやめにしませんか。どうしてもつられてしまいまして」


「つられる???」

「! いえ、何でもありませんわ」


 思ったことがそのまま口から出るのはエイヴリルの悪いくせである。こほん、と咳払いをして前公爵に向き直ったエイヴリルはあらためて切り出した。


「――大旦那様は、定期的に愛人の皆さまに贈り物をされていますよね」

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