第68話 コリンナの元カレ
エイヴリルがウエーブきつめの金髪の男を見つめながらコリンナの悪女っぷりに感動している一方で、ディランは警戒を強めていた。
「私の連れに何か用が?」
「……連れ、だって? エイヴリルは誰か特定の男のものではないだろう? ひとつの場所に留めることなどできない、奔放さがとんでもなく魅力的な悪女のはずだ。それをお前が独り占めなんて……」
声を落とし、震え出した男にディランは高圧的に言い放つ。
「もしそうだったとしても、いまここで久しぶりに再会したということは、彼女はあえて貴殿には居場所を知らせなかったということだろう? それならこれ以上関わるのはやめてもらいたいな。火遊びとは後腐れなくするものでは?」
それを聞きながら、エイヴリルはぱちぱちと瞬いた。
(ディラン様は……どうやら火遊びにお詳しくていらっしゃる……!?)
そういえば、ディランは以前エイヴリルに『君の言う“夜遊びと火遊び”の意味を詳しく聞いてみたい』と言ってきたことがある。
当然、答えきれなかったエイヴリルはあからさまに話題を変えたのだった。
あの時はまったく気にならなかったはずなのに、今はちょっとだけ引っかかる。
この場に合わせた言葉選びだとわかってはいるものの、『仮面舞踏会』が一体どんなものなのか言葉だけでふんわりとしか想像できなかったエイヴリルとしては、微妙な気持ちになってしまう。
(何でしょうか、このもやもやは……。そうだわ、私にはまだまだ勉強が足りないということですね)
もう悪女になる必要はないが、公爵夫人としてはまだまだ勉強不足なようだ。
いま、パーティー用のヒール靴におさまっているエイヴリルのつま先も、ダンスの練習をしなくてはここまで丈夫にならず、これから待っているかもしれない過酷なダンス数時間には到底耐えられないことだっただろう。
(もっと努力する必要があるということですね。ディラン様がお優しいので、私は甘えすぎていたようです)
エイヴリルが斜め上の方向に納得している間に、ディランと金髪ウエーブなコリンナの元カレの会話は進んでいく。
「私とエイヴリルの仲は腐ってなどいないんだ。ただちょっと会えなくなっていただけで……関係が終わっただなんて認めないぞ」
「貴殿もこの仮面舞踏会がどんな場かはさすがに理解しているだろう? そうやって名前を親しげに呼びかけるのはやめてもらいたい。不快だ」
二人の間には険悪な雰囲気が漂い、周囲のギャラリーもやりとりを少しずつ気にしはじめていた。そのことに気がついたエイヴリルはハッとする。
(いけません。コリンナの悪女っぷりに感動しているところではなかったわ。今日はローレンス殿下に頼まれた重要な任務のために来ているのです。余計なことを考えていないで、ディラン様をサポートしなくては)
ランチェスター公爵家という名前を出せば、このコリンナに貢がされた元カレは一瞬で大人しくなるのだろう。けれど、仮面舞踏会という場所やローレンスからの任務を考えて、ディランが名乗ることはない。
エイヴリルは目の前のウエーブキツめ、コリンナに大量の宝石を買わされたらしい気の毒な男の顔を見据える。仮面の向こうに見える琥珀色の瞳は絶望と同時に僅かな怒りも湛えていた。
(まず、この方をディラン様から引き離すことが何よりの重要事項ですね)
そう決心すると、エイヴリルはたおやかな笑みを浮かべた。コリンナのような華やかで周囲を魅了する笑い方は自分には向いていないのはだいたいわかってきた。
イメージするのは、王太子殿下の婚約者でありこの国の才媛としても持て囃されるアレクサンドラの微笑みだ。しっかりと再現できたと思えたところで、ほんの少しディランに身体を寄せた。
「私、たくさんの殿方と踊りたいので、しばらく別行動をしてもよろしいでしょうか」
「!? 君は一体何を……」
「久しぶりの仮面舞踏会ですもの。少し自由に楽しませていただきたいですわ。……それに、あなたにも御用があるのでしょう? すべて終わったら踊って差し上げてもよくってよ」
悪女として2年目なのだ。もう声が震えたり目が泳いだりすることはない。けれど、ディランはどうしても納得しないようだった。
「しかし」
「あら、この場の楽しみ方をわかっていないのは、こちらの殿方だけでなくあなたも同じようね」
ディランとコリンナの元カレへ交互に視線を送りくすくすと笑ってみせると、やっとディランはエイヴリルの意図を受け入れたらしかった。ため息をつき軽く頷いた後、クリスに視線を送る。
「……頼むぞ」
「はい、お姫様のお守りは私が承ります」
いま悪女として聞き捨てならない台詞があったのではないだろうか。
けれど、これでディランはこの仮面舞踏会にやってきた本来の目的を果たすことができそうだった。
(よかったです。ローレンス殿下に頼まれた大切なお仕事ですもの。ディラン様と踊れないのはとても残念ですが……)
しかし、エイヴリルは名残惜しそうに離れていくディランの背中を見送りながら、現状で最も大きな課題を認識していた。
(どうしましょう。私、この方のお名前を存じ上げないのですよね。だって、本当は私ではなくコリンナのお知り合いなんですもの)
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