第67話 長い夜の始まり
エイヴリルの足の指先でつぶれたまめが綺麗に治り、先生と数時間かけてダンスを踊り続けても息切れすることがなくなったころ、仮面舞踏会の日がやってきた。
会場はある貴族の屋敷。エイヴリルにとってこの王都のタウンハウスはどれも宮殿である。
エイヴリルは、宮殿のエントランス端に書かれた館内の案内図を確認しながら、今日の仮面舞踏会の会場であるアッシュフィールド家について思い出していた。
「アッシュフィールド家。インフラ関係に強いパイプを持つお家柄で、子爵家ではあるけれど現当主は機知に富み商才にも優れている。その手腕は与えられた爵位よりも高く評価されているし人脈の広さには目を見張るものがあります。ただ財を成すことに傾倒しすぎて最近ではいろいろなきな臭い噂もあるお家ですね!」
「その通りだ」
「ディラン様!」
しまった喋りすぎた、と思った時にはもう遅かった。慌てて取り繕おうとしたものの、もうその必要はなかったのだと思い出す。
ディランが悪女好きという設定は社交界でまだ生きているが、ランチェスター公爵家でのエイヴリルは悪女ではない。けれど、今夜は仮面舞踏会である。相応の格好で出かける必要があった。
ということで、今日のエイヴリルは身体に沿う形の真紅のドレスを身につけている。
髪の毛も顔周りは編み込んですっきりさせているものの、全体的にきつめに巻いているため普段のエイヴリルとは違った雰囲気に仕上がっている。
そう、まるで――
(コリンナがこっそりお出かけするときもこんな格好をしていたような……)
目元だけを隠すバタフライモチーフの仮面を着けると、本当にコリンナそっくりだった。仮面舞踏会に出るのは初めてだが、この格好でなら簡単に乗り切れそうな気がする。
(今日の私は、仮面舞踏会に出入りする悪女です。会場になじんで目立たずにディラン様をエスコートし、お仕事を成功させるのが私の役目……!)
エントランスに設置された大きな鏡越し、まるで悪女にしか見えない自分を新鮮な気持ちで眺めていると、ディランが小声で話しかけてくる。
「さすがだな。正直、きみをここには連れてきたくなかった。しかし、ここまでアッシュフィールド家に詳しいとなると、安心して同伴を頼めるな」
「…………もちろんですわ」
知識面で褒められたのに少し悔しい気がするのは、コリンナになりきっていた頃の名残だろう。気を取り直し悪女として頷きかけたところで、知らない声に呼び止められた。
「――エイヴリル!」
(ん……?)
振り向いた先にはウエーブきつめの金髪の男がいた。いかにも遊び人と言ったいでたちをしていて、口をあんぐりと開けている。
(このような方と面識はないはずですが)
けれど、男は仮面の向こうに見える琥珀色の目をわずかに細め駆け寄ってきた。反射的にディランがエイヴリルを守るように前に出たが、男は気にする様子もない。エイヴリルだけを見てうっとりと話しかけてくる。
「本当にエイヴリルなんだな。……会いたかったよ。急にいなくなるから」
親しげな口調に、ディランは仮面を着けていてもわかるほどに不機嫌さを表情に出す。
「……この男は知り合いか?」
「いいえさっぱり。もしかして、エイヴリル違いではと」
「だろうな。把握した」
ここは大人の男女の遊び場、仮面舞踏会である。エイヴリルは一度も来たことがないが、名前だけは知られている。その、名前を知っている人間たちがどういう立場の者かというと。
(きっと、この方はコリンナが以前にお付き合いしていた方だわ。アリンガム伯爵家が没落してコリンナに会えなくなったから、心配していたようですね)
エイヴリルとディランが何となく事情を把握したところで、陶酔したままの男はさらに続けた。
「人違いなんて酷いじゃないか。エイヴリル、君は僕から毟り取るだけ毟り取って消えただろう? あといくら貢げば……宝石を贈れば……君は僕のものになってくれるんだ?」
「!」
(ええと……コリンナは本当にすごいですね)
感想はいろいろとあるが、エイヴリルは何よりもまず、コリンナが正真正銘の悪女だったことに感服したのだった。
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