第59話 結婚式⑥
扉が開いて、すぐに見えたのは泣きそうな顔をしたディランだった。
いや、泣きそうに見えたのは一瞬だけで、しかもその表情はエイヴリルだけにしか見えなかったのかもしれない。視界から眩しさが消えた時には、ディランはもういつも通りのクールな公爵様の顔に戻っていた。
「……今日の式は中止する。クリス、参列客の案内を頼む」
「かしこまりました」
エイヴリルの無事を視線で確認したディランは冷静に指示を出す。
それを受けクリスがきびきびとした動作で教会内に戻っていくと、ディランは両手でエイヴリルの頬を包み、顔を覗き込んだ。
「エイヴリル、怪我はないか。すぐに医師を」
「必要ありませんわ、ディラン様。ほら、見てください。この通り元気です」
(お顔が……近いです……)
ドキドキしつつ軽く跳ねて見せると、ディランはそのまま近くにあった椅子にエイヴリルを座らせため息をつく。
「本当か? いつからここに。怖かっただろう」
「…………」
まさかさっきまで眠っていたとは言えない。
心なしか、背後のキャロルにも微妙な空気が漂っている気がする。お願いだから何も言わないで欲しい。今だけは、自分の口を封じたコリンナの気持ちがわからなくもなかった。
答えないエイヴリルを見てディランも察するところがあったらしい。強張っていた表情を少しだけ崩す。
「……なあ。君の代わりに花嫁の姿をしているあの女はなんだ」
「……箱入り娘のコリンナです」
「やはりそうか。――アレクサンドラ・リンドバーグ嬢! 君の侍女が王都に到着したようだ」
ディランが声を張り上げると、へたり込んだままのコリンナが悲鳴にも似た声をあげる。
「ア、アレクサンドラ……ですって!?」
「お久しぶりですわね、コリンナ・アリンガム様。ちょうど一年前に、私の元婚約者との破談の席に同席していただいた以来かしら?」
「何であんたがここに! ち……っ、違うわ、私は……! 待って、放して!」
リンドバーグ伯爵家の護衛たちがコリンナを引っ張っていく姿が見える。その奥で、真っ青な顔をして震える継母と無表情でそれを支える父の姿があった。教会の中にはとにかく異様な雰囲気が漂っている。
さすがのエイヴリルもこの状況で「あの、ドレスを大切に」とは言えなかった。心の底からドレスだけを心配してコリンナを見送ったところで、ディランが唇を噛む。
「どうしてこんなことに。最近は君を訪問する不審な人間がいなかったから、すっかり油断していた。まさか結婚式で……。無事でよかった」
「いえ、後で詳しくお話ししますが、これは私の不手際が招いたことです。ランチェスター公爵家にこのような騒ぎを持ち込んだこと、本当に申し訳なく思っています」
「なぜ君が謝るんだ」
「実家絡みのトラブルは私の責任です。それから、私付きの侍女を遠ざけていじめすぎたことも原因です。悪女として少し行きすぎた振る舞いだったようですわ」
エイヴリルとしては本気だったのだが、ディランは謝罪には応じず柔らかく笑った。
「――式はまた改めて挙げなおそう」
「……!?」
「ドレスもあの女が袖を通したものではなく新しく作り直そう。君が着る日を楽しみにしていてくれていたことを知っている」
「いいえ、あの、ドレスは汚れてしまったかもしれませんが、きれいにすればまた着られますわ。何着も同じドレスを仕立てるのは領民の皆様に申し訳ないですし、――何よりも私には“ディラン様がウエディングドレスを贈ってくださった”という事実だけで十分なのです」
「……無意識か」
「……はい?」
「いや、何でもない」
エイヴリルの言葉にディランは口元を手で隠して絶句している。ほんのりと赤く染まって見える頬に、なんだかエイヴリルまでむず痒い気がした。けれど、今はそんな場合ではない。
「……と、とにかく新しくドレスを仕立てていただく必要はありませんわ」
(傍若無人に振る舞い殿方に貢がせるのが悪女ですから、お金がもったいないとは言えません! ですが……)
しかし、案の定ディランは明らかに不満そうである。さてどうしたものか、と首を傾げたところでコリンナをどこかに収納し終えたらしいアレクサンドラがやってきた。
「あのドレスは私が買い取りますわ」
「ア、アレクサンドラ様!?!?」
「うちのメイドの粗相ですので。エイヴリル様にお怪我がなくて本当によかったですわ」
ぽかんと口を開けたエイヴリルに、アレクサンドラは上品に微笑んでみせる。意味深ににっこりと口元を緩めた笑顔には、心なしか狂気が満ちていた。
(りんご……)
エイヴリルの脳裏に、初めてアレクサンドラに会った日に素手で潰されたりんごのことが思い浮かぶ。とりあえず、形式上はコリンナの無事を祈ることにした。
「これで、エイヴリルのためのドレスを仕立て直させてくれるな」
「……あの、はい」
「それでいい」
(……ええと、これは)
改めてドレスを仕立て直す約束をしたところで、ディランは椅子に座ったエイヴリルに向かい膝を折る。手を軽く取り、美しい空色の瞳にエイヴリルを映す。
まるで、それが一般的な求婚の姿勢のようだったのでエイヴリルは目を瞬いた。
けれどディランの口から告げられたのはいつもの優しい言葉。
「……こんな思いをさせてすまない」
少しだけがっかりしてしまった自分に驚きつつ、エイヴリルは笑みを返す。
「……いえ、あの。少し、寝すぎました」
「は?」
「いえ、何でも」
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